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紅の狂鬼  作者: 夕霧沙織
2/7

一章 白の摩天楼



「お婆ちゃんは龍商会の御饅頭がいいねえ」

 さらさら、手元のメモ帳におまんじゅうと書き付ける。

「シスカが“白の星”のお土産によく買って来てくれたのよ」

「へえ。リオウ大臣は?」

「ふうむ……では龍商会限定のヤモリ入り焼酎を」

 ヤモリ焼酎、と。どちらもロビーに山積みされている定番中の定番だ。

「リリアは?」

 固く焼いたバケットを切り分けていた三十代の女性は「この前行ったから特にいらない」と言った。厚みのあるパンをバスケット一杯に乗せ「アス君が出掛けるなら、レイが留守番してくれればいいのに」唇を尖らせて愚痴る。

「荷物持ちだもの、却下」

 今日は休日なので、朝食が終わり次第四人で“白の星”龍商会ビルに買い物をしに行く予定。あそこへ行くのは約五十年振りだ。

「リリア、坊ちゃんは女王陛下のボディガードだよ。付いて行くのは当然じゃないかい?」

「やって欲しい事があるのに」

「何を?」意外だったので質問してみた。大抵の用事は普段アスが全てやっているはずだ。

「先々代から開かずの物置の片付け。この間開けてみたら案の定ガラクタばかり詰め込まれてたの。ほら、大広間もそろそろ商品が一杯で手狭でしょう?倉庫の一つに使えないかと思って」

「そうだね。近い内に山際に建てるつもりだけど、今のスペースだと必要かな」

「でしょう?でも中は埃塗れでアス君にはとても頼めないし、かと言っておまけのあの子に頼んだらギャーギャー言うに決まって」

「誰がおまけよリリア?」

 廊下から腰まである桃色の長髪の女が入って来た。年の頃二十歳過ぎ、雪のような肌で身長二メートルを超す(正確には二メートル七センチ)巨人の美女。色めいた顔に一点額の蒼い宝石が目を引く。男物のジーンズと枯草色の厚手のシャツは一見しただけで縦横のサイズが合ってない。脛より下は真っ白な生足を晒し、シャツはバストの所のボタンが開きっ放し、隙間から生乳が見える。

「あ、おはようございますセミアさん。もうすぐ準備が出来ますので、座って待っていて下さい」キッチンからチーズたっぷりオニオンスープの入った皿を持ったアスが出てきて、笑顔でそう言った。

「おはよアス」

 台詞で自明の理だが一応説明を。この私より頭二つは高い巨人族の名はセミア・マクウェル、私の妹だ。但し本来の姿に戻った今、立場は逆転しつつある。

「くーちゃんもおはよう」

 一瞬退くのが遅かった。背丈に見合う細長い両腕が私の頭を抱え込んでぐるぐる撫でる。

「呼び方」十八回目の注意。

「なあにくーちゃん?」とうとう無視にかかった。仕方ない、もう我慢しよう。「それはそうとリリア。私絶対嫌だからねそんな所入るの。全身汚れちゃうもん、喉いがらっぽくなるし」耳が慣れればそう違和感も感じなくなるだろう。

「言うと思った」大袈裟に肩を竦める。

「大体人使い荒過ぎるよ。事ある毎にアスの仕事の邪魔するし、ハッキリ言って迷惑なの!」

「あなたこそベタベタくっつかないで。そっちの方がよっぽど邪魔で迷惑だわ」全くだ。

「いーだ!私は療法士だからいいの!」

「なら私は母親代わりよ!子供に気を回して何が悪いって言うの!」

 同じ目的を持つ者同士、言い争いなど無駄だろうに。しかし、毎日毎日よく飽きないものだ。食器をサーブする衛兵もやや苦笑気味。

「嫌にならない?」

「半分挨拶代わりの恒例行事ですから。もうすぐ終わりますよ」

 彼の発言通り、「ふんっ」二人は三十秒も経たない内にそっぽを向いて喧嘩を終結させた。その間ずっと私は抱えられたまま。

「いい加減離してくれる?」

「ふぁ……おはよう皆」

 急いで起きてきたのか前髪に若干寝癖が付いたまま。皇太子のレイはテーブルの真向かいに立ち、「今朝も捕まってるのかクランベリー女王」からかい混じりに言った。

「好きでこうなったんじゃない」

「だよな」含んだ笑いを噛み殺し切れていない。「セミア、そろそろ解放してやれよ。女王様は若干御立腹だぞ?」

 弟の登場に、むくれていたリリアの頬が僅かに緩む。年が離れているとは言え、姉弟仲は意外と悪くない。レイは子供を亡くした出戻りの姉をさり気なく気遣っているし、リリアはリリアで共に母親を失った弟を案じている。血の絆……天にいる兄も心配しているのだろうか。感情の乏しい私と違って。

「それはいいけどレイ、折角だからちょっと触ってみない?昨日のトリートメントで髪すべすべ、良い感触だよ」

「は……ば、馬鹿言うな!?とっとと離してやれ!!」何をそんなムキになっているのだろう?耳まで真っ赤にして。

 妹は肩を竦め、「はいはい。こんなチャンス二度と無いかもしれないのに勿体無いなあ……」ぶつぶつ言いつつ腕の戒めを解く。ああ、やっと軽くなった。

「何これ?」右隣に座った彼女がメモ帳を覗く。「こんなの書かなくてもくーちゃん、覚えてられるでしょ?頭良いんだし」

「念のため。買い忘れたら面倒だもん」

 アスの服、セミアの服と靴と下着、ボビー用の櫛におまんじゅうに焼酎。確かに書くまでもないかも。

「セミア。コートか何か、上に羽織る物も買いなさいよ」

「いらないよそんなの。汗掻いちゃうもん」

 旧世界の少数民族、アシャリ族は極寒地に特化した一族。雪降る中でも平気で半袖を着、氷点下の河を泳いで魚を手掴み捕獲する怪物共だ。元の姿に戻った妹も突然一族の特性を目覚めさせ、外でもこの格好で元気に駆け回る。お陰で仰天した住民の一人が城に駆け込んできた。あの気違い染みた女は誰だ!?って。

「見てて寒っ々しいの。女王命令よ、いい?」これ以上騒々しくなるのは御免だ。

「もう、くーちゃんがそこまで言うならしょうがないなあ」とっくに訂正する気力など無い。「年上の余裕って事で飲んであげる。貸し一つね」

 一番上に一回り大きな字でコートとメモする。にしても成長する前とはまるで別人格だ。微妙に子供が残っていて対応に困る。相手するのが凄く面倒臭い。

「あ、そうだ。折角行くんだから読倶楽買おうっと。くーちゃんメモしといて」

「よみくら……って何?雑誌?」

「月刊読書人倶楽部だよ、書評とか新刊の紹介が載ってるの。バックナンバーも置いてあるといいんだけど」

 へえ、そんな雑誌あるんだ。需要無さそう。かきかき。

「面白いですよ女王様。僕もこの前、セミアさんに貸してもらって読みました」

「ああ、あの雑誌か。俺漫画のとこしか見なかったけど、中々参考になったぞ。クランは本読むのか?」

 どうやら二人は既読らしい。教養のあるアスはともかく、ろくに本を読まなさそうなレイの感想は余り当てにならない。

「全然。何が流行ってるの?」

「一月だから去年一年間の大賞のフェアしてるよ。龍商会でも何か展示してるんじゃない?」妹はコホン、とワザとらしく咳をした。「女王様ならベストセラーぐらい読んだ方がいいよ。売れてるイコール面白いとは限らないけど」

 それは全てに当て嵌まる真理。購買意欲を最も掻き立てるのは大抵商品の魅力ではなく、巧妙なコマーシャルと他人に対する見栄だ。

「決めた。さっきの貸し、私が選んだ本を読む。いいね?」

「寝る前ぐらいなら」睡眠薬代わりに。

 返事に満足したらしくぽんぽん、頭の上で妹の手が跳ねる。

「宜しい。となると、まずは本を調達してこなきゃ。三階に確か書店があったはず」

「セミアちゃん」お婆ちゃんは車椅子から上半身を乗り出して、「お婆ちゃんも頼んでいいかい?最近流行りの魔術が分かる本がいいんだけどねえ」

「最近の……連合政府の年鑑大系か、シャバム大学が出している年刊の応用実験集ぐらいしかぱっと思い付かないなあ」それだけ知っていれば充分だ。「新しい雑誌を出しても二、三回で廃刊になっちゃうんだよね。研究者にしか売れない分野だから」

「へえ、今時はそんなのがあるんだねえ」

「実験集は面白かったよ。学生自作の魔術機械なんだけど、風の魔術の圧力を一方向に噴射して人間入りのロケットがどこまで飛ぶかとか、結構お腹抱えて笑っちゃった」

 想像中。

「真上?」

「ううん、海に対して斜め上方向」

 も一度想像中。

「推進力で回転する?」

「当たり!試行錯誤して最後はちゃんと飛んだんだけどね、三メートル弱」絶対乗りたくない。何だそのコント、罰ゲームとしか思えない。「よく分かったねくーちゃん。意外と理系得意?」

「知らない」何となく感覚でそう思っただけだ。

 カラカラとお婆ちゃんと大臣がウケる。「それは面白そうだねえ。家でも作ってやってみましょうかねえ大臣?」「なら被験者一号は婆さんだ」「まあ!嬉しいねえ」二人で早くも離陸と着陸のリハーサルを始める。

「敬礼はこうかい?」皺皺の細い腕がビッ、と曲げられる。

「中々様になってるよお婆ちゃん」

「そうかい?クランちゃんに褒められると格別嬉しいねえ。敬礼!」ビッ!

「皆敬礼!」私の声に合わせて全員が肘を曲げる。途端、食堂が笑いに包まれた。



 今朝は珍しく気分が良い。こんなに爽やかな目覚めは何日振りだろう。

 神の指輪を嵌め、早速バスケットに入ったサンドイッチとブラックコーヒーを創造する。食欲をそそる匂いが寝室を満たした。胃腸が空腹に鳴く。

(そうだ。どうせならイスラフィールと一緒に食べよう)

 天使は大父神の力で食物を摂らずとも生存できるよう設計されている。しかしミーカールやウーリーエールは任務が長いため、既に下界の味を覚えていた。二人共酒好きで、特にミーカールは大食いの大酒飲みだ。一方のイスラフィールは、妹の様子見以外下界に降りず、殆どの時間を僕の介抱や下級天使の修繕に充てている。誰かに誘われない限り食事は摂らない。

(元気な内に宇宙の様子を確認しておかないと。しばらく任せきりだったからな)特に重大な報告は無かったが、統べる者として最低限の義務は果たさなければならない……などと言うと妹は素っ気無く「別に任せとけばいいんじゃない?」呟いて犬のブラッシングを始めるだろう。良い意味での不真面目、僕とは到底次元が違う冷め方。

(無事の報告は受けたが、イスラフィールはあれからクランに会いに行ったのかな?)

 コーヒーを一口啜った後、奇妙な事に気付いた。ベッドサイドのランプの下、睡眠薬と水のコップが無い。普段なら僕が就寝した後、天使が忘れずに置いてくれている。

(変だな、彼が薬を用意し忘れるなんて)八百年以上共にいるがこんな事は初めてだ。うっかり、偶々か?

 水晶宮の廊下へ出、見慣れた双翼の後姿を探す。食堂、展望台……。

(クランの所へ降りて行ったのか?)

 エントランスに出た時、彼の声が聞こえてきた。天使はこちらに背を向けたまま、一人何かを呟き続けている。

「おはようイスラフィール」

 ビクッ!肩が大きく反応した。彼は慌てて手にした水鏡に覆いを掛け、こちらを振り返る。

「あ、ああ大父神様。どうかなさいましたか……?」いつに無い慌て様。それに目の下にあるのは、隈?

「いや。今朝は調子が良いから、一緒に朝食でもどうかと思って探していた。どうした、何か調べ物をしていたのか?疲れているようだが」

 すると天使は困った風に俯き、自信無さげに言った。

「あ、いえ……私に彼女の代わりができないかと、思いまして」

「ジプリールの事は忘れろと命じたはずだ。それに戦えないお前に布教は無理だ」

 俯く彼に創造したコーヒーを差し出す。

「何があった?今更そんな事を言い出して」

 天使は答えない。その目の内に一瞬、未知の闇が見えた気がした。悪夢に似た影を……。

「イスラフィール」

 彼は四天使の中で最も一緒にいる時間が長い。悩みがあれば聞いて力になりたい。ところが、

「――そうですね。私などに信仰を広められるはずがない。申し訳ありませんでした」

 こちらの思惑とは裏腹に、天使はあっさり頭を下げた。こうなっては幾ら理由を訊いても答えは返って来ないだろう。

「あ、ああ。お前にはお前にしか出来ない任務がある。信仰は……そうだな、今度ウーリーエールが戻ったら頼んでおこう」

 彼は僅かに頬を強張らせ「ありがとうございます」カップに口を付けた。



 “白の星”環紗で高いと評すべき建物はたった二つしかない。一つは電波塔付きのテレビ局、もう一つが私達の目の前に聳え立つ龍商会ビルだ。他が精々十階建てに対し、このビルは五十階もある。その内訳は三十階までが商業施設、三十一階から四十階までがビルに勤める社員のオフィス、四十一階から四十九階は出張社員の統括部、五十階は社長室……と船着場に置いてあったパンフレットには書いてある。テロリストしか使わない情報欄。

 提げたカタログとサンプル入りの鞄が重い。

「流石抜け目無いねくーちゃんは。ショッピングのついでにしっかり売り込みまで考えてるなんて」

「待ち合わせはどうする?」

 レイは自分の腕時計を見た。

「今丁度十時だ。三時間もあれば全員用事は済むか?」

「そうね。じゃあ一時に一階のお土産売り場で。行こアス」

「はい。では女王様、また後で」

 二人はずんずんとビルに入っていく。あれ?

「レイ、何してるの?」ボビーはいいとして、彼もまだ隣に立っていた。

「いや。俺は特に買う物無いし、営業の手伝いでもしようかなと」

「クゥン」

「別にいいよ、アポ取る時に一人って言ってあるし。折角来たんだから自分用に何か買って帰ったら?」

 正直レイがいた所でメリットが無い。これが弁の立つ妹や礼儀正しいアスなら、相手に好印象を持たせる目的で同席させるだろうけど。今回のセールスにはそう関係無いが。

「そうか。じゃあ適当に見て回るよ」

 レイの姿がビルの中に消えたのを確認して、さっきからずっと玄関前を竹箒で掃いている袴のポニーテール男に視線をやった。

「文牙お兄ちゃん、行ったよ」

 黒縁眼鏡をキラッ、と光らせ、「ちょい待ってえな」サッサッ、塵取りにゴミを入れる。「待たして悪かったな」

「掃除なんてバイトに任せて本業やったら?」

「ぐっ……いきなし痛いトコ突いてくるなあクランは。けどな、ほれ言われるのは二回目や、ダメージは多少軽減しとるで」

「こんな正論、たった一回?」社員一同何をやっているんだ。

「因みに言うたんはお前もよう知っとる奴や。あの女、もう頼まれたってウチで買い物させるか。あの後どんだけポケットマネーで穴埋めたと思てるんや……」どうやら相当無茶をやられたらしい。しかし相手は海千山千、兄より一枚も十枚も上手な気がする。次来た時には更にカモられる、かも。

「まあその話はええわ。通販の売り込みやったな。裏口に案内するわ」

 ビルを半周し社員用の入口へ。表と違いオフィス風、自動ドアを潜ると目の前に大型エレベーターがあった。躊躇い無く五十のボタンが押され、二人には広過ぎる金属の箱は頂を目指して上昇を始める。

「そのカタログ、最近船着場とかによう置いてある奴やな。クランが出してたんや」鞄からはみ出たのを指差して言う。

「もしかしてもう読んだ?」

「いんや。わいはそこまで経営熱心ちゃうからな、営業の連中ならリサーチしよるかもしれへんけど」

 カタログを差し出すと兄はぱらぱら捲りほう、と呟いた。

「自然素材専門の通販か、中々オモロいわ。確かにこう言うん、ウチのシェアは殆ど無い。ただ、利用するんもかなりの専門家だけやろうな」

「それでいいのよ。資源は有限なの、根こそぎ持って行かれたら困る」

「で、どうなんや成果は?」

「売上の半分は個人。もう半分に民間製薬会社に混じってちらちら政府筋の顧客がいる」

 眉を上げた。

「分かったで。希少価値を周知させといて国全体を自然保護地に認定させる気やな。ほうしたら珍種に釣られて観光客やら研究者が来る」

「大きな遺跡もあるの。今住んでいる城もかなり古い物」

「僻地の長所を巧く利用した策やなぁ。まあ、目茶目茶大勢が押し掛けはせえへんやろが」

「国を立て直すにはそれで充分。五月蠅い嫌いだし」


 チン、ガラガラ……ドアが開く。


「着いたで、どうぞどうぞ」

 兄に連れて来られた部屋は豪邸宛ら。ふかふかソファに指紋一つ無い硝子テーブル、私が両手を広げた以上の幅の最新薄型テレビ。手入れが大変そうな蘭やシンビジウムがコーナーに置かれている。

「さ、取り合えず座ろか」

 私が座ると同時に奥のドアから女性が出て来た。紫色の長髪が変わったデザインの白い服に掛かっている。下も“白の星”以外では見かけない朱色の袴。

「失礼します、お茶をお持ちしました」抑揚の無い声。陶磁器製の湯飲みには多分最高級品の玉露が満たされていた。

「ああクラン。この子は紫卯、代々龍王の巫女と龍商会の社長秘書をやってくれとる一族の娘さんや。紫卯、この子が昨日言っとったわいの義妹のクランベリー。惚けたように見えて中々のやり手やで」

「この前の女性も妹だと仰っておられましたね。この方はその、無害な部類ですか?」眉を顰めて尋ねる。

 兄の妹は三人……セミアは龍商会ビル自体ご無沙汰だと言っていたから残るは。「ルウお姉ちゃん?」

「ええ、確かそのような名前でした。もう思い出したくもありません」

「全くや。クランは最近会うたか?」

「ん……会った事は会った、と思う」

「どないしたんや?」

 四日程前、王国と周辺地域で原因不明の眠り病が流行した。よく覚えていないが、その夢の中で鴉を肩に乗せた姉と話したような気がする。自称魔女の不敵な笑みを浮かべて、だけど悲しそうで。

「会ったの夢でだから。結構本物っぽかったよ」

「何や、現実ちゃうんか。けど今度夢枕に立ったら言うといてくれへんか?龍商会はお前をブラックリストに載せたぞて」

「覚えてたらね」もうあんな夢、二度と見ないだろうけど。

「さて、そろそろ本題入ろか」カタログを秘書に預ける。「実物は持って来とんのか?」

「勿論。ちょっと待ってて」

 鞄から白色の平たいポシェットを取り出す。中には親指大の円柱形プラスチックケースが十個並べて入れてある。中身は希少価値の高いレアメタルや宝石ばかり。

 兄は一つ一つのケースのラベルと石を仔細に検分し、「大したもんや」感嘆の意を表した。

「龍商会も宇宙中飛び回って最高級品揃えたつもりやけど、まさかまだこないなお宝ほったらかしにしとったとは」

 紫卯は立ったまま一カタログをページずつ捲り――指を止めた。

「どうしたの?気になるなら説明しようか?」

「あ、ええ……文牙様、この樹を御覧下さい」身を屈め兄にページを見せる。「ここ、ホナリコの樹です」

 二人が見ているのはレアだからと妹に言われて載せたものの、何に使うのか不明な樹木の一つ。切り倒すのは極力避けたいので販売は寸法かキロ単位。

「ホンマや!クラン、こいつ誰かに売ったん?」

「ううん。お兄ちゃんこれ買いたいの?兄妹だからって値引きは無しだよ」妹が弾き出した値段はキロ三十五万。妥当な設定かは不明。

「わい自身はいらん。けどなあ紫卯、やとするとあの客どこで手に入れたんやろか?龍商会が四方八方手ぇ尽くして見つからへんかったモンを」

 どうやら客がこの樹を一旦リクエストしたものの、兄達が探している間に自分で見つけてしまったらしい。

「でもお兄ちゃん、クオルではこれ沢山生えてるよ?同じような気候なら割とどこにでもあるんじゃない?」

「いいえ。ホナリコは五十年前程までは“白の星”で工芸品の材料として使われていましたが、数年続いた猛暑で絶滅が確認されています。今回発見できたのは奇跡と言っても過言ではありません」ふぅん、だからレアか。流石知識の魔女セミア。

「でも“碧の星”に生えていたって事は、他の星にも案外あるんじゃない?」

「龍商会の情報網を侮らないで下さい」

「つまり無い、と」

「その通りです」

 勿論可能性は零ではない。龍商会のネットワークはあくまで商売のための物。徹底的には穴を潰していないだろう。勿論敢えて指摘しないけど。

「でも紫卯、あの客少しおかしかったやん。金は幾ら掛かってもええから探して売ってくれやなんて。しかも断ってきた後に電話しても通じへんし。職人やったら偽物の電話使う必要無いはずやろ?」

「ねえ、ホナリコに工芸品以外使い道は無いの?実は煮詰めるとドラッグになるとか」

「へっ!?そ、そうかもしれんわ!紫卯、どうなんや!?」

 冗談に決まっているだろう義兄よ。クオルでは普通に薪として燃やしているんだぞ。住民がラリったなんて話は聞いた事が無い。

 巫女は首を捻り、「そのような使い道は聞いた覚えがありません」と断言した。ほら見ろ。「私の家では龍王様にお仕えするに際し、薬師の技術も会得しています。ですがこの樹に僅かでも薬効があると言う話は曾祖母、祖母、母何れからも聞き及んではいません。大体身近な道具に危険な薬物の入った材料を使う訳がないのです。もし入っていたなら中毒事件が起こって毒物として薬学辞典に記載されているはず」

 一応後でセミアにも訊いておこう。あの子なら具体的に何を作るのに使われていたのか、知らずとも勝手に調べて報告してくれる。

 うがーっ、兄が吠えた。クゥンクゥンと足元でボビーが応じている。

「もっと早う見とったらガッツリ踏んだくれたのに!」

「お言葉ですが文牙様。注文は半年前、このカタログは一ヶ月前に発行された物。到底間に合いません」

「そうやな。でもごっつ悔しいわ!」

 ソファに座ったまま地団駄を踏む兄を巫女が宥める。

「なら注文を取り消したのはいつ?」

「五ヶ月前です」成程。



 結局俺は二人と一緒に、七階の女性用衣服売り場へ向かった。女の買い物は長いとよく言われるが、セミアの場合どれも一目で決めてしまった。正確にはそれしか買えなかったと言うべきか。選んだのは五着とも胸の大きく空いたドレス。帰ったら姉さんとまた喧嘩になりそうだ。下着以外はヒールもパンプスも含め大幅なサイズ直しが必要なため、受け取れるのはクランと合流して昼食を摂った後になる予定。

「レイは何か買わないの?」

 八階の男性用衣服売り場。アスがセーターを選んでいる後ろでセミアが質問してきた。

「いや、別に靴もヘタってないし、冬服は秋口に買い足したばかりだからな」

「違うよ。くーちゃん用にって話」悪戯っぽく笑い、「何でも揃ってるんだしプレゼントぐらい見繕っていけば?好きなんでしょ?」

 指摘されて顔全体がカッ、と熱くなるのを感じた。完全に上から目線、口紅も差してないのに艶やかなピンク色の唇を横に広げる。

「早目に手を打っとかないと誰かに取られちゃうかもね、私も含めて」

「……は?」

「くーちゃん可愛いくて頭良いし、私彼女とか全然抵抗無いから。物語では割と良くあるもん」

「だ、駄目だ!それにそう、アスはどうするんだ?いつもくっついて行動してるじゃないか」

「ん?アスは男だよ。彼氏と彼女は別物でしょ?」

「はぁっ??するとお前何か、性別が違うから二人と同時に付き合っても問題無しだっていいたいのか?」

 そう返すと、大女は腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。

「やっだレイ本気にしちゃって!冗談よ冗談!私ノーマルだもん!」

「へ?」

「ついでに言うと、アスには恋愛感情これっぽっちも無いよ。ただの患者と療法士」

震えの止まった肩を、その当人が後ろから叩く。

「セミアさん、余りレイさんをからかってはいけませんよ」乳白色のセーターを手に嗜める。

「勝手にレイが誤解しただけだよ。アスはどう?もしも私が二股掛けてたら赦せる?」

 彼はキッパリと首を横に振り、「駄目です。相手が誰であれ傷心させてはいけません。どちらか選んで交際して下さい」

 衛兵らしい真面目な回答に、セミアは「面白くないのー」ぶーたれた。

「じゃあさ率直に、レイはくーちゃんと付き合えると思う?」

「難しいでしょうね……女王様は何と言えばいいのか、誰であってもその様な感情を抱かせるのが困難な相手では?」

 確かに彼女は存在自体が凡そ俗世離れしているように思える。言動から考えるに恋だの愛だのが遺伝子に組み込まれていない気さえしてくる。

「万が一女王様と愛を育まれる関係になれたとしても、恐らく一般的に恋人同士としての行為はできないと思いますよ?」

「どうして判るのよ?」

「直接尋ねました、昨日。今日レイさんがデートに誘うと言っていたので、参考になる事を聞き出せればと思って」

「手前!」寝入り端のチェスの勝負中、軽い気持ちで話したつもりだったのに、こいつしっかり覚えてたのか。しかもクランに訊いたとか……恥ずかし過ぎる。「何て事を!」

 衛兵は目を丸くし、「いけませんでしたか?ジュエリーショップの名前等具体的に話していたのでてっきり」

「アス、くーちゃんは何て言ってたの?」

「はい。女王様は恋の話が大の苦手で、公衆の面前でイチャイチャするカップルを見ると、いつも迷惑だと思うそうです。恋愛は基本的に自分のやる物ではないとも」

 予想通りハードルはそんじょそこらの山より高そうだ。

「面白いじゃない。レイ、勝負しない?どっちががより喜ぶプレゼント探して来られるか」

 挑発的にフフン、と鼻を鳴らす。ここで引き下がったら男の沽券に係るか。

「妹の私如きに負けるようじゃ、くーちゃんのハートを射止めるなんて一生無理」

「一理あるな。いいぜ」人差し指をほぼ真上の顔に突き出す。「絶対お前より凄い物を探してきてやる」

「負け犬の遠吠えにならないように注意する事ね」

「お前こそな」

 捨て台詞と同時に、俺達二人はそれぞれ逆方向のエレベーターへ歩き出した。



 カタログを兄に渡してきて随分鞄が軽い。手早くお婆ちゃん達に頼まれた物とボビーの櫛を買った。ラフ・コリーは梳く毛が長いせいか、専用の櫛でも割とすぐ駄目になってしまう。

(そうだ)

先程のホナリコの話を思い出し、五階工芸品ブースのボタンを押す。チン、自動扉が開いた先に“それ”がいた。

「あ…………」

 大小様々な土人形が、完璧な真ん丸に空いた目と鼻と口をこちらに向けて立っていた。不可思議に曲がった手足が、更に人形の愛らしい完全性を高めている。

 ドキドキと早鐘の様に脈打つ心臓を押さえつつ人形達の元へ走り寄る。どれも、どれも素晴らしく可愛い!!

「クゥン?」

 埴輪と言うらしい素焼き人形は兵士を模した物の他、豊穣の象徴である臨月の女性や労働力の馬や牛などの種類があり、幾つかはセット価格で販売されていた(何て良心的!!流石義兄の会社だ!!)。私は鞄から財布を取り出し紙幣が何枚あるか確認した。一番欲しい正面の五体&解説書セットを買うのに後五千足りない(何てぼったくり!!流石義兄の会社だ!!)。(どうする……ルウお姉ちゃんみたいに交渉してみようか?)大体こんな半端な値を付ける方が悪い。値切れば三万ぐらいは落ちるか、いや絶対落とす!

「あ、女王様」

 聞き慣れた声に左へ振り向くと、龍商店の大きな紙袋を持ったアスがこちらに歩いて来ていた。

「ちゃんと買えた?」

「はい。セミアさんの服は昼食の後になるそうです」

「ん?で二人は?」

「お二人は女王様へのプレ……いえ、まだ他にも買う物があるそうで」

「そう」

 沈黙。

「あの、女王様。少額なら持っていますよ」

 吃驚!「どうして私がお金に困ってるって分かったの?」

「先程からその土焼き人形を食い入るように御覧になっているのに、一向にレジへ持って行こうとしないので。一度お財布を開けられましたよね?」

 そこまで見られているとは不覚だ。「うん。丁度五千足りなくてね」素直に話す。

「何だ、それぐらいなら差し上げます」彼は微笑んで救いの五千紙幣を差し伸べた。「どうぞ」

「ありがとう!」紙幣を受け取り、急いでレジで会計を済ませた。鞄に木箱を大事に大事に仕舞う。

「良かったですね。重くないですか?持ちますよ」

「いい、ありがと」可愛い埴輪達が入っていると思えば全く苦にならない。早く部屋に帰って並べてじっくり鑑賞したい!

 待ち合わせ場所の一階に到着。一時二十分前、二人はまだ来ていなかった。取り合えずお土産屋の中の椅子に並んで座って待つ事に。目の前では一見して龍族と分かる団体客が売り子の女性にあれこれ尋ねている。

 何時の間に買ったのやら、カルシウムたっぷり骨煎餅をボビーに与えながらアスが口を開く。

「あの……女王様。一つ聞いて頂きたい事があるのですが」

「ん?何?」

 彼は一息吐いた後、ゆっくりと話し出す。

「僕、傷付けた人達に謝罪に行きたいのです。勿論赦してもらえるはずもありませんが……刑が終わる前に、せめて頭を下げるぐらいのけじめは付けておきたいんです」

 真面目過ぎ。だが、彼の気持ちの上では非常に重要な問題なのだろう。私は一度首肯した。

「いいよ、但し私も付いて行く。今度プルーブルーの裁判所で被害者リストを取って来なきゃね」

「ありがとうございます。これで姉や弟にも顔向けできます」

 安堵した彼がそう言った瞬間、普段動かさない表情筋が一瞬強張るのを感じた。……悟られなかっただろうか?

「女王様も三人兄妹ですよね、お兄さんの大父神様と妹のセミアさんと」

「ううん、まだ他に三人いるの。お兄ちゃん以外は血の繋がってない義理の兄弟」

「六兄妹ですか、賑やかで楽しそうですね。上の方ですか、それとも下の方?」

「三人共私より年上。三つ上のルウお姉ちゃんと、八つ上のメノウお姉ちゃんと文牙お兄ちゃん」小声で「お兄ちゃんはこの会社の社長なの。さっき通販のカタログ渡してきた」

「え!?僕達も御挨拶した方が良かったのでは」

「いいよ別に。本人あれで中々忙しいし、掃除で」

「??」

 衛兵なら困惑の表情を見るのも結構乙だ。日課にしてもいいかも。

 この宇宙に来てから、メノウお姉ちゃん以外は最低一度会っている。タイミングが悪いのかな、また会いたいのに。



『ほら、出来たわ』

 姿見の中の私は白いフリルの沢山付いたワンピース姿。隣でお座りするボビーも同じフリルをスカーフ代わりに首に巻いて、ブルーダイヤのネクタイピンで留めている。

『こんなにお洒落しなくてもいいんじゃない?全員知り合いだし』

『そんな事無いわよ。クランは美少女だもの、毎日お洒落しなきゃ。ねえまーくん?』

 真っ赤なウェーブの長髪をした姉は、床の猫クッションに座る息子の一口餡饅みたいな頬をぷにぷに。夜明け前からコーディネイトと言う名のファッションショーに参加し、桜の花弁を想起させる女子用ドレスに身を包んだ彼はとても眠そうだ。

『とっても可愛いわよ。お父さんが見たらきっと吃驚するわね』

 単語に反応したのか身体全体をピクッ、とさせて目を開けた。黒目が母親の方へくりくり動く。『とうさま?』

『ええ。まーくんが現れたら腰を抜かすわきっと』

 甥は極上の笑みを浮かべ、『もうできてるかな、おかしのおうち』

『ん?普通のバースデイケーキじゃないの?』

 小さな首をブンブン横に振る。『ううん、どあがびすけっとでやねがうえはーすなの。おさとうのおとうさんとおかあさんとこどもをつくって、かべにはなまくりーむをぬるんだって、とうさまいってたよ』

『へえ、かなり手が込んでるね』

『うん。このまえおうちにいったらね、きっちんにおさとうのおとうさんとおかあさんがいたの。とうさまおようふくにいろをぬってた。あのね、おかあさんのもでるはかあさまなんだって!かあさまとおんなじあかいかみしてるの』

『まあ!ちゃんと美人に作れていた?屋敷に行ったらしっかりチェックしないといけないわね』



 思い出してじんわり胸が温かくなる。三人はこちらで一緒に暮らしているのだろうか。

「ちょっとアス!!」

 私達の心地良い静寂を破るように、妹の甲高い叱責の声が飛んできた。目の前に立たれると座っている分余計に迫力がある。手には書店の紙袋。

「これは私達の勝負なのに何抜け駆けしてるのよ!」

「いえ、僕はお二人の真剣勝負に関わるつもりは全くありません。女王様も丁度買い物がお済みだったので、お二人を待っていたのです」

 勝負、レイと妹の事だ。どうせろくな物じゃないだろう。

「ああ、間に合ったか!?」エレベーターからレイが大慌てでこちらへ走ってきた。

「まだ五分以上あるけど」大時計を確認してそう言った。

「遅れても良かったのよ。どうせレイが選ぶ物なんて御眼鏡に叶うはずないもん」胸を反らした拍子にボタンが外れる、と思ったらいちいち直すのが面倒になったのか既に外していた。目線を上げるとそこは白い生乳だった。

「おいおい、少なくともお前より女心を理解して選んできたつもりだぞ。後で吠え面かくなよ!」私も長く生きてきたつもりだが、これ程説得力の無い言葉を聞いたのは初めてだ。

「フンだ!じゃあ早くレストランに行こ。お披露目はそこで」

 二人は表現に困る世にも微妙な表情を私に向け、「くーちゃんは何が食べたい?今日は私とレイが奢ってあげる」

「ん……私はボビーと入れる所だったらどこでもいいよ。三人で決めたら?」

「えーっ!そうだなぁ、私はオシャレなカフェでワンプレートランチがいいと思うな」

「そんなの龍商会でなくても喫茶店行けば食えるだろ?偶にはハンバーガーとか食いたくなるよな?」

「ファーストフードなんて身体に悪いよ、くーちゃんを病気にする気?」

「あ、女王様。ここのお蕎麦は蕎麦湯が頂けるらしいですよ」「それにしよ」

 アスが見ていたパンフレットを覗く。ふむふむ、階段で二階に行って正面か。

「蕎麦定食にしたら、デザートにこの黒蜜黄粉餅が付いてくるみたいだよ」

「あ、でも女王様。こちらの茶蕎麦定食なら餡白玉か焼き餅の善哉が選べるようです」

「どっちも甲乙付け難いなあ」

「別々に頼んで半分にしましょうか?」

「うん。じゃあ私は茶蕎麦で餡白玉、単品で善哉付けるからアスは普通の蕎麦でいい?」

「はい。お二人は何にしますか?」

 顔を上げると同時にゴン、すぐ近くで軽い音がした。レイに紙袋で頭を叩かれたアスの首を、後ろからセミアが締め上げようとしている。

「二人共……そんなに遊びたかったの?」

「「違うだろどう見たって!!」」

「わぁっ!セミアさん力を入れないで下さい!!」

「クゥンクゥン!」雰囲気に反応したボビーが、はしゃぎながら私達の椅子の周りをぐるぐるし始める(長い夢から醒めて以来、何故か一挙一投足が凄まじく馬鹿コリーに思えてならない。この阿呆犬!)。 

その間にもレイは武器を拳骨に変えて小突き回しているし、妹の握力はますます強くなっている。

「お二人共機嫌を直して下さいよう」

 騒ぐのは嫌いだが、止むを得ない。制止しようと息を吸った、


「あれ、クラン、じゃなくて女王様。今日は買い物ですか?」


 お土産の列から連合政府のバイト、宝 那美が龍商会饅頭の箱を持って歩いてくる。ふと横を見ると、二人と一匹は何事も無かったようにいけしゃあしゃあとしていた。唯一被害者だけは喉元を手で押さえ息を整えている。

「そうか、今日は休日でしたね。あれ……アス君はいますがセミアちゃんは?いつも一緒のはずですよね?」二メートル越えの生乳女を見上げて、「この方は?新しい移民の人ですか?宇宙新記録じゃないですか、この背丈は」

「ハロー那美」

「ハロー……あれ、どうして私の名前をご存じなんですか?どこかでお会いしました?」

 近付き背伸びしてじっくり色白の顔を観察するが、「うーん、思い出せない……失礼ですがどちら様です?」

「分からないかなあ、こんなにプロポーションの良い美人」からかい混じりに妹が言う。

「分かりませんね。声は聞き覚えがあるような気もするのですが」

「セミア、あんまり那美を困らせないの」

 那美は弾かれたように妹から離れた。「え、セミアちゃん!?どうしたの、急に大きくなって!」

「足早な成長期が来たみたい。一日中寝てて成長ホルモンが一斉に出たんじゃない?」

「あの原因が分からずじまいの眠り病でですか?それなら凄いですね、一気に一メートル以上伸びたって事ですから。……となると、今日はセミアちゃんの服を買いに?」

「まあね」

「ですよね。レディスでここまで大きいサイズを扱っているのは龍商会ぐらいです。ここは七種最大の龍族用の服でも揃っていますから」

「そんな事ないよ、全部裾直しがいるんだって!」

 那美は大時計を見て、「あ、話をしている場合ではありませんでした!早く戻らないと!栗花落さんもう準備終えてるかな」名前を聞いた瞬間、頭の中で何かが光った。

「栗花落さんってベルイグ氏の内縁の妻の」

「そんな直接的に言わなくても。確かにそう表現するのが現実的に一番近いかもしれませんが―――あれ、私クラン、いえ女王様に栗花落さんの話しましたか?うん……いえ、最近どこかでしたような気がしてきました……でも、ん??」饅頭箱を抱いて考え込む。「裁判の連絡書類を渡した時はすぐに家に蜻蛉帰りして……それからクラン、ああどうして言い間違えるのでしょう!女王様とは今までお会いしていないはずです。いつ誰に聞いたのですか、あの人の事?」

 自分でも記憶があやふやで、何故それだけしっかり覚えていたのか分からない。

「夢の中で那美に聞いたのよ」

 彼女は口をポカン、と開け、「夢、ですか……??でも、私もそう言われれば話したのは夢現としか思えないような……」

「感応したんじゃない?」横から専門家が口を出す。「時々あるんだよ。遠くの人と夢が繋がって話ができるの。夢療法の本にも載っている一般的な現象」

「へえ」ならルウお姉ちゃんも本物だったのかもしれない。

「そう言えばクラン、ではなく女王様」

「いいよ呼び捨てで。それも多分私が夢で頼んだせいなんだろうし」

 那美はコホン、軽く咳を吐いた。

「分かりましたクラン。私の曖昧な記憶が正しければ、あなたは先生に随分興味深々なようですが間違いありませんか?」

「裁判の敵として、だよ」やや語気を強めて訂正する。あんな陰険中年親父に好意があるなんて思われたら一生の恥、この上無い不名誉、魂への侮辱であり、決して雪ぐ事の出来ぬ汚名だ。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言う訳ですね。了解しました。ならこれから私の家に来ませんか?」

「栗花落さんに会わせてくれるの?」

「はい。ただ、手を貸す代わりに……こちらも家で経営している教室絡みで手を貸して欲しいのです」那美は困惑を顔に浮かべた。「先生にも相談したのですが全く相手にされず、かと言って警察を呼ぶ程大事はまだ起きていなくて」

「まだ、なのですか那美さん?これから起こり得る可能性もある、と」

 アスの問いに彼女は頷き、不安そうに饅頭箱を胸の前で抱え込んだ。

「でも当人達、このままエスカレートしたら大変な事になるのがイマイチ分かっていないんです。教室の度に話の内容が悪化している、私にそう教えてくれたんです、栗花落さん」

「って言うと、トラブルに巻き込まれてるのはあんたの教室の生徒なのか?で最初に気付いたのがその、件の栗花落さん」何が件なのか理解できないが、レイにしては状況を理解しているようだ。

「はい」

 どうやら那美にとっては本人達より、耳に挟んだ栗花落さんの憂いが根本的な問題のよう。

 彼女が語るには普段家での教室の準備は祖父と彼女が、盲した栗花落さんは約一時間前に来て座敷の箒掛けや雑巾掛け、人数分の座布団の用意をするそうだ。その間に現れた生徒の相手も専ら彼女が、と言うより彼女に話がしたくて早目に来る生徒が多いらしい。そこまで話した所で那美は頭を振り、「後は本人達から聞いた方がいいでしょう」と言った。




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