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新雪降らせ役

 六月に入ると、通し稽古を行うことが多くなった。

 音楽も、本番と同じように流して練習を行う。

 結局、メインのシーンには、坂本龍一の『メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス』を用いることになった。

「幸樹、いい曲を見つけてきたな」

 最初に彩夏がほめてくれた。部内の評判もかなりよかった。

 ――でも部長、この曲を僕に推薦してくれたのは小雪と松岡先輩なんですよ。

 幸樹はそう言いたかった。

 自分が見つけてきたわけではないのに、他の人からほめられるのは何だかこそばゆい。

 しかし幸樹は、自分の口から推薦者の二人の名前を言いたくはなかった。というのも、そのことを口にすると小雪の心が松岡に傾きかけていることを認めるような気がしたから。

 ――僕は卑怯な男だ。小雪の心が松岡先輩に近づいていくのをこんなにも恐れている。

 だからCDを松岡から受け取ったことを、幸樹は誰にも言えずにいた。


 通し稽古が終わり、幸樹が曲の調整を行っていると、一年生の千秋が幸樹に話しかけてきた。

「幸樹先輩ィ。あの曲、いい曲ですね」

 千秋は、新しい雪降らせ役に決まったばかり。幸樹の隣で、はさみで紙を切りながらリハーサルで使う雪を作っていた。

「あの曲って?」

 幸樹はわざととぼけた。

「ほら、お地蔵さんに笠を掛けるシーンですよ。なんていうんでしたっけ? メリー・クリスマス・ミスター・ビーン?」

「ミスター・ローレンスだよ」

 やはりあの曲のことかと、幸樹はうんざりする。

「実はね、あの曲は僕が選んだんじゃないんだよ」

 だから、千秋には本当のことを言おうと思った。

「へえ、そうなんですか……」

 千秋とは、これから舞台裏で一緒にやっていかなくちゃならないんだから。

「あの曲は、小雪が松岡先輩に提案して、それで決まったんだよ」

 すると千秋は驚いたように紙を切る手を止めた。

「じゃあ、やっぱり小雪先輩と松岡先輩って怪しい仲なんですね」

 その言葉に幸樹はギクリとする。

 ――なんだ、もう一年生も感じてるのかよ。

 でもそれは無理もない話だった。

 最近、彩夏によって笠地蔵のストーリーに修正が加えられた。ぎこちない小雪のダンスがなかなか直らないものだから、それならそれでストーリーに組み込んじゃえと、彩夏の悪戯心が発動したのだ。

『お地蔵さん達に求愛された青年は、ダンスが上手く踊れなかったドジのチビ地蔵を選びましたとさ』

 いや、そんなラストにしなくていいから、と幸樹は不満に思ったが、一度言い出したら引かない彩夏の案に松岡も悪乗りし、それは決定事項になってしまった。

 当然、演技をする上で松岡は小雪を見る頻度が多くなる。小雪も小雪で松岡のことをじっと見る。それを二人が怪しい関係になりつつあると皆が感じるのは、時間の問題であった。

 さらに千秋は幸樹の気になることを付け足す。

「幸樹先輩もうかうかしてたら、小雪先輩のこと松岡先輩に取られちゃいますよ」

「えっ、取られちゃうってどういうこと?」

 すると千秋は目を丸くした。

「えっ、だってだって、幸樹先輩と小雪先輩って付き合ってるんでしょ」

 驚いた。

 誰がそんな噂をしてるんだ、と幸樹は憤る。

「決してそんなことはないんだけど」

「ええっ、一年生の間ではすっかり噂になってますよ。だって、先輩達って毎日一緒に帰ってるじゃないですか」

「それは……」

 理由があった。

 二人が通う津木高校は、二人が住む日名町とは一級河川の鏡川を挟んで対岸にあった。登下校時にはそこに架かる鏡大橋を渡らなくてはならない。この橋がまた長くて人通りが少ないのだ。夜になると女性の一人歩きは危なくなる。ということで、幸樹は毎日小雪を送っている。

 ちなみに二人の家は割と近くにあるのだけれど、出身中学は違っていた。もちろん小学校も別で、当然、幼馴染というわけではない。二人は高校の演劇部で初めて知り合った仲だ。

「へえ、そうだったんですか。でも一緒に帰っているうちに、気になったりしないんですか?」

 千秋は興味津々だ。

 それにしても最近の一年生は礼儀知らずというか、大胆というか……。

「ま、まあ、小雪も悪くはないと思うけど」

 そんな照れ隠しの言葉に、千秋は眉をしかめる。

「あっ、その言い方、女性に対してすごく失礼ですよ。そんなことじゃ、本当に松岡先輩に小雪先輩を取られちゃいますからね」

「ゴメン、ゴメン。今度から気をつけるよ」

 幸樹が素直に謝ると、千秋はまた興味深そうな顔になる。

「でもいいなあ小雪先輩。背は私と同じくらいなのに、松岡先輩や幸樹先輩からモテモテなんだから」

 千秋も身長は低い方だった。というか、小雪と並んで演劇部の二大峡谷を形成している。身長は確実に一五○センチを切っていた。

「私ね、背が低いことがコンプレックスだったんですよ。でも小雪先輩を見てると元気が出るようになりました。ダンスがあれだけ下手でも愛嬌があればカバーできるんですね」

「おいおい千秋。お前こそ、先輩に対して失礼なことを言ってるじゃないか」

 すると千秋はペロッと舌を出す。

「ゴメンなさい。だって本当にうらやましいんだもん……」

 小雪のダンスの下手さは、ちゃんと一年生にも伝わっているようだ。

 幸樹は思わず苦笑した。

「それにしても、小雪のダンスって何とかならないものかねえ……」

「ですよね。小雪先輩を見てると、私にもチビ地蔵ができるんじゃないかと思っちゃうんですよ。だから最近は家で台本の練習をしてたりするんです」

「チビ地蔵の?」

「そうです。本当は私、早く役をもらいたいんです。背の低い人用の役ってあまりないから、小雪先輩がうらやましくって」

 なんて前向きな女の子なんだろう。

 小雪にもこれだけのアグレッシブさがあればと幸樹は思う。

「でも一年生は滅多に役はもらえないぞ。それに、まずは裏方がちゃんとできるようにならないとダメなんじゃないのか?」

 どんなに優れた役者でも、最初は裏方から始まったはずだ。

 それに千秋のような上昇志向の強い人間なら、一度役をもらってしまったらもう裏方のことなんて見向きもしない可能性がある。それならば、裏方をやっている今のうちにしっかりと指導しなければいけないと幸樹は感じていた。

「それに、今作っている雪だってかなり大雑把じゃないか」

 そう言って幸樹は千秋が切っている雪を指差す。

 紙の切り方はいい加減で、大きさもてんでバラバラ。五センチくらいの大きさのものもあったりする。

「ええー、雪ってどうせ毎回捨てちゃうんですよね。だったらリハ用なんて、いい加減でいいじゃないですか」

 千秋は不満げに口を尖らせる。

 小雪はリハーサルで降らせる雪にも手を抜かなかった。ちゃんと家で、小さく丸く切って用意していたのだ。

「いや、捨てちゃうからとかそうことじゃなくて、演技する人のこともちゃんと考えてくれよ。あまりいい加減な雪だと、それで滑って怪我をするかもしれないだろ」

 それは小雪の口癖でもあった。

 彼女があまりにも雪の作成に手を抜かないので、幸樹はその理由を尋ねたことがあったのだ。

『だって、私の降らせた雪で滑って転んじゃった人がいたら、可哀そうでしょ』

 小雪のその答えに、「転ぶのはお前くらだろ」と突っ込みたかった。が、幸樹はやめておいた。なぜなら、小雪も転ぶのは自分自身と決めつけている節があったから。

 ――自分なら転んでしまうかもしれないから雪を小さく切る。

 それは小雪のいつもの考え方だった。

「はいはい、わかりました、幸樹先輩。もっと小さく切りますってば。ちぇっ、私だったらこれくらいじゃ転ばないのにな……」

 千秋はぶつぶつと文句を漏らしている。

 よく考えたら、千秋の考え方も根底は小雪と同じなのかもしれない。

 ――自分が転ばないサイズであれば手を抜いても構わない。

 それは、小雪の考えの裏返しなのだ。

 ただ、大きさの基準が違うだけ。

 幸樹は、後輩の指導の大変さをつくづくと感じていた。

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