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笠地蔵

 翌日。

 演劇部のミーティングでは、部長の彩夏から次の演題『笠地蔵』についての説明が予定されていた。

 ということで会場は盛況だ。ほとんどの部員が出席している。三年生が七人、二年生は幸樹と小雪を含めて五人。そしてさらに、入部希望の新入生が十人も見学に来ていた。

 部員達が集まると、彩夏が前に立って説明を始める。しかしその冒頭、出鼻をくじくように三年年の松岡が質問した。

「おい、彩夏。お前のやりたい笠地蔵って一体どんな演劇なんだよ」

 松岡は三年生唯一の男子生徒。一八○センチはあろうかという長身と甘いマスクで、女子部員の人気を独占していた。

「それをこれから説明するんだけど。ストーリーは普通の笠地蔵よ。雪にさらされるお地蔵さんを見かねて笠を掛けてあげる。するとお地蔵さんが恩返しをしにやって来る。それだけ。簡単でしょ」

 一方、部長の彩夏は眼鏡の似合うクールビューティー。腕組みをしたまま、松岡の質問にも臆することのない姿勢が様になっている。

 その態度に松岡はしびれを切らした。

「それは誰もが知ってる笠地蔵じゃねえか。そんなんじゃ見に来た人はみんな飽きちまうぞ。少なくとも俺はお爺さん役は御免だぜ」

 演劇部の男子は二人しかいない。松岡と幸樹だ。もし新入部員に男子が入らなければ、お爺さん役をつとめるのは松岡か幸樹ということになる。

「松岡ならそう言うと思ったよ」

 彩夏は余裕の笑みを浮かべた。

 ――えっ、部長のあの余裕っぷりは何? 

 ――松岡先輩がお爺さん役を拒否することは織り込み済みってこと? 

 ――そ、それじゃ、ま、まさか僕がお爺さん役?

 ドキドキしながら幸樹は次の展開を見守る。しかし予想に反し、彩夏は松岡を説得するように話し始めた。

「笠地蔵のストーリーはそのままにして、メインの登場人物を若返りさせるというのはどうかしら。どうせ演技は私達がやるんだしね。お爺さんは青年に、お地蔵さんは若くて可愛いお地蔵さんにするのよ」

 若くて可愛いお地蔵さんというのがよく分からないが、青年役というのなら松岡にもやる気が出てくるかもしれない。

 幸樹は期待を込めて松岡を見る。しかし松岡はさらに不満をつのらせていた。

「青年って、青年が笠を作るのかよ。それって変じゃね?」

 それでも彩夏は怯まない。

「家業が笠屋ってことにすればいいじゃない。親が作った笠を子供が売りにいく。昔の日本だったら何も変じゃないと思うけど」

「じゃあ、若くて可愛いお地蔵さんってのは何だよ」

 ――おっ、さすがは松岡先輩、ちゃんと突っ込んでくれた。

 幸樹は密かに嬉しく思う。

「だって、うちは男子が二人しかいないんだから、当然お地蔵さんは女子がやることになるでしょ。正に若くて可愛いお地蔵さんじゃない。そのお地蔵さんはね、自分達に笠を掛けてくれた青年に恋をするの。だから恩返しと称して青年の家に押しかけるのよ」

 彩夏は、笠地蔵を独自のラブストーリーに仕立てるつもりのようだ。

 それを聞いて、松岡は少し考え込んでいる。

「どう? 松岡。青年役をやる気になった?」

「……ああ。まあ、それならいいけど」

 女子が演じるお地蔵さんにモテモテの青年役。そんな風に説明されて、さすがの松岡も観念したようだ。

 すると、彩夏はにんまりとしながら黒板に『青年役、松岡』と書く。

 切れ者の部長の説得に、一人の部員が落ちた瞬間だった。

 入部希望者の反応はどうだろう。

 幸樹がミーティング会場を見回してみると、多くの一年生は少し興奮したような表情で黒板を見つめていた。どうやら先程のやり取りに、すっかり心を奪われてしまったらしい。

 どんな笠地蔵になるのか全くわからない状況、そしてそれが少しずつ明らかになっていくような雰囲気。

 もしかすると彩夏は、入部希望者にその様子を見せつけようとしていたのかもしれない。そう考えると彼女の余裕っぷりには納得がいく。松岡はまんまとその罠にはまってしまったと言えるだろう。


 次はお地蔵さんのキャストを決める番だった。

 ――確か、笠地蔵に出てくるお地蔵さんは七人だったな……。

 幸樹は笠地蔵のストーリーを思い出していた。

 ――五番目のお地蔵さんまでが売り物の笠を掛けてもらい、六番目がお爺さんの笠を掛けてもらう。そして最後に残った七番目は、笠が無くなってしまったのでお爺さんの手ぬぐいを掛けてもらうんだったっけ?

 すると彩夏の声がミーティング会場に響く。

「お地蔵さんのキャストだけど、原作の通りの七人を予定してる。最初の五人は三年生、残りの二人は二年生よ」

 すると二年生の女子達がざわざわし始めた。

 そりゃそうだ。松岡が演じるイケメン青年に恋する役が、自分に回ってくるかもしれないのだ。静かにしろという方が無理かもしれない。二年生の女子は小雪を入れて四人。そして役の数は二つ。つまり五○パーセントの確率で、その幸運を手にすることができるのだから。

 そして彩夏は続ける。

「五番目のお地蔵さんまではいいよね。残りの三年生はちょうど五人だから」

 三年生の先輩方は一様にうなずいた。

「じゃあ、次は六番目のお地蔵さん。これは、小雪ちゃんを除いた二年生の女子から立候補を聞いてみたいと思うんだけど……」

 幸樹はその言葉に耳を疑った。

 ――えっ、小雪を除いたってどういうこと?

 なぜ、小雪だけが除け者なのだろうか。部長はまた小雪を雪降らせ役にするというのだろうか。ちっちゃくて可愛いというそれだけの理由で。

 肝心の小雪を幸樹がチラリと見ると、ほっと胸を撫で下ろしていた。きっと、自分はまた雪降らせ係でよかったなんて思っているに違いない。

 そんな小雪をもどかしく思う。

 ――小雪、ここで文句を言わなきゃダメじゃないか。だったら僕が……。

 お節介とは思いつつ、とりあえず抗議をしようと幸樹が手を上げかけた時、二年生の女子達から先に声が上がる。

「部長。なんで小雪を除くんですか?」

「そうですよ部長。小雪だって役をやりたいはずだと思うんですけど」

 ――ほら、みんな同じことを思ってるじゃないか。

 幸樹が小雪の方を見ると、プルプルと首を横に降っていた。

 しかし、そんな小雪の消極的な態度は、彩夏の次の一言によって見事に打ち砕かれる。

「あら、その心配はご無用よ。小雪ちゃんには七番目のチビ地蔵をやってもらう予定だから」

 そして小雪を熱く見る。会場の視線も小雪に集まった。

 ――こ、小雪が七番目のチビ地蔵!?

 その時の小雪の表情は見物だった。目をパチクリさせ、まさに鳩が豆鉄砲を食らったという様子。

 さらに声を上げた女子達も唖然としていた。きっと、どうせ小雪は役をもらえないからと高をくくっていたのだろう。二つあった空き席が、いきなり一つに減ってしまったのだ。残り枠をなんとしてでも勝ち取ろうと、ただならぬ雰囲気を漂わせ始めていた。

 そして彩夏はいつもの言葉を付け加えた。

「だって小雪ちゃん、ちっちゃくて可愛いじゃない。チビ地蔵にピッタリよ」


 その日の帰り道。

 小雪はずっとため息をついていた。

「はあ、なんで私がチビ地蔵なんだろう……」

 ――そりゃ、小雪がチビだからだよ。

 いつもの帰り道だったら言えただろう。そんな何気ない憎まれ口を。

 しかし今の小雪のため息は、何かとても重く感じられた。

 ――よかったじゃん、念願の役がもらえてさ。

 そんな言葉も今の彼女には慰めになりそうもない。

 だから幸樹は、黙ったまま小雪の隣を歩いていた。

「いいなあ、幸樹くん。また音楽担当なんでしょ」

 幸樹はまた音楽担当になった。

 でも小雪が舞台に立つのだったら、自分も何か役をやってみたいという気持ちもあった。

「僕だって一度は演技したいって思ってるんだけどな」

「えっ、幸樹くんが? ウソでしょ?」

「あー、バカにしたな。こう見えたって、中学の頃はバリバリ演技してたんだぜ」

 ウソだった。剣道部だったから。

 小雪のため息が止まるきっかけになってくれればよかった。

「だったら幸樹くんが青年役をやってよぉ。そうすればこんなに緊張しないのにな。あーあ、私なんかがチビ地蔵なんてできるかな……」

 小雪は何度目かわからないため息をつく。

 ――そうか、小雪は緊張してるんだ。

 それは音楽担当の幸樹とて同じことだった。

「僕だって今回は自信ないよ。選曲がすごく難しそうだからさ。笠地蔵のメインはお地蔵さんに笠を掛けるシーンだろ。そこでどんな曲を流せばいいのかさっぱり見当がつかないよ」

 すると小雪は嬉しそうに幸樹を見る。

「じゃあ私が協力したげる。それでいい曲が見つかったら、雪降らせ役に戻してもらえるよう部長に頼んでくれる?」

 何て答えたらいいのか分からなかった。

 小雪が雪降らせ役になったら、前と同じように楽しくやれるだろう。でもそれは小雪のためになるのだろうか? 小雪はチビだけど、彼女にしかない魅力がある。そして偶然にも、チビ地蔵という背の低いことが活かせる役が降って来た。これは神様からのプレゼントなんじゃないだろうか。

 困った幸樹は、小雪から視線を逸らし、鏡大橋から川辺の桜に目を向ける。桜は咲くのも早いが散るのも早い。ひらひらと花びらが舞う川辺の桜は、すでに葉桜になりかけていた。

 ――僕達も今は葉を伸ばす時期なのかもしれない。

 意を決して幸樹は小雪に向く。

「僕も選曲を頑張ってみるから、小雪もチビ地蔵を頑張ってみようよ。ちゃんと見てるからさ」

 音響ブースからは舞台が見える。小雪の頑張りのすべてが見渡せる。自惚れかもしれないが、そのことが彼女の支えになればいいと思った。

「幸樹くんのいじわる……」

 その日の二人は、もう会話を交わすことはなかった。

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