気難しい置き手紙
「……何時だと思ってる」
玄関の時計は、夜九時を回っていた。
制服のまま立ち尽くす私に、父は低い声でそう言った。
「塾に行くなんて、聞いてないぞ」
「言ったら反対するでしょ」
その一言で、空気がぴんと張り詰めた。
父は怒鳴らなかった。
ただ眉間に皺を寄せ、深くため息をついた。
「心配するって言ってるだろ」
「……余計なお世話」
そう言って、自分の部屋に閉じこもった。
母が亡くなってから、父と二人の生活は静かだった。
静かすぎて、言葉が足りなくなって、すれ違いが増えた。
私は知っていた。
父が一人で働き、私を育てるのがどれだけ大変か。
だからこそ、奨学金の出る難関大学に行こうと決めた。
──でも、それを素直に言える年頃じゃなかった。
◇◆◇
翌朝、私は父が起きる前に家を出た。
机の上に、一通の置き手紙を残して。
しばらく帰りません。
探さないでください。
迷惑はかけません。
本当は、塾と図書館と、少し遠回りをするだけ。
家出なんてする勇気はない。
でも、あのまま顔を合わせるのが、どうしても怖かった。
「……やりすぎたかな」
駅へ向かう途中、胸がちくりと痛んだ。
◆◇◆
父は、その手紙を見て、しばらく動けなかった。
「……はぁ」
思春期の娘。
正解のない問いばかりで、声をかけるたびに距離が開く。
ふと、甘い匂いを思い出した。
まだ三人だった頃、よく行ったドーナツ屋。
「帰りに買っていこうか」
「三つね!」
「パパは一個でいいよ」
笑い合った、あの時間。
──今、会えるとしたら。
父は上着を掴み、ドーナツ屋へ向かった。
◇◆◇
私は、塾の帰りに足を止めていた。
お母さんが生きてた頃、よく三人で着ていたドーナツショップ。
ガラス越しに見える、懐かしい店内。
「……結局、ここか」
子どもっぽい置き手紙を書いたくせに、行き先まで子どもだった。
ドアを開けた瞬間、視線がぶつかった。
「……え」
「……お前」
同時に声が出て、二人で固まる。
次の瞬間、どちらからともなく笑ってしまった。
「何やってんだ」
「それ、こっちのセリフ」
父はドーナツを二つトレイに乗せた。
私の好きな、チョコとシュガー。
「……奨学金の話、ちゃんと聞いてなかったな」
「……言ってないし」
少し沈黙してから、父が言った。
「無理しなくていい」
「でも──」
言葉が詰まって、目が熱くなる。
「私、父さんに苦労させたくないだけだから」
父は、少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「ありがとう。でもな、一緒に悩ませてくれ」
その日、私たちは仲直りした。
◇◆◇
春。
私は大学に合格した。
第一志望じゃなかったけれど、家から通えて、学費も抑えられる大学。
「これでよかったのか?」
「うん。ちゃんと、自分で決めた」
入学式の日、父は仏壇の前に座り、あの置き手紙をそっと置いた。
「男一人じゃ、思春期の気難しさは手に負えないよ」
そう言って、母の写真に微笑む。
「父さん! ネクタイ曲がってる!」
父は立ち上がり、少し照れたように答えた。
「はいはい、今行くよ」
気難しい置き手紙は、もう必要なくなっていた。
〜〜〜おしまい〜〜〜
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