7章:目に映るもの、鼻が告げるもの
その日もカフェアロームの最後の客はソーレンだった。
慌ただしい一日が終わり、翌日の仕込みをしながらカウンター越しにソーレンと話す時間はいつの間にかミラにとって当たり前の日常になっていた。
「この間は⋯⋯お兄さん素敵な方でしたね」
「あぁ、熊みたいな見た目に反して優しい人なんだ」
少し照れくさそうにカップで顔を隠しながらソーレンが答える。
「ふふふ⋯⋯ソーレンも背が高いですけど、お兄さんも立派な体格でしたね」
「そうなんだよ。ガキの頃はいつか追い越せると思ってたんだが、兄さんの背は、いつまで経っても越えられなかった。父さんも背が高いから俺たち兄弟は似たんだろう」
「そっか、兄弟だとそういうところも似るんですね。確かに二人とも似た香りが――」
言いかけてミラはふと手を止める。
つい先日、他の二人にも香りが似ていると感じた。どうしてだろうと疑問に思っていた⋯⋯その理由に思い当たった。
「どうした?ミラ」
「⋯⋯ソーレンとお兄さん、とても似た香りがしたんです。きっと血の繋がった兄弟だから」
ソーレンがカップを置き、真剣な顔で頷いた。
ミラのただの思いつき、でもソーレンはそれをちゃんと聞いてくれる。
「アレックスさんとロウ市長の香りも、同じくらい似ていたんです」
「⋯⋯市長とモロー夫人が同じ空間にいるのを見たことは?」
「ないわ。だから匂いを間違えた訳じゃない」
ソーレンは頷くとそっとミラの手に触れた。
「勿論だ。君の鼻なら間違いないだろ」
信じてくれないのかと思って、思わず言い返してしまった。恥ずかしい。でも、ソーレンが信じてくれたことが嬉しくて――手と頬が熱くなる。
「俺と兄さんは金色の目なんだ。これは母さん似」
ミラから手を離したソーレンは目の色が見えるように前髪を上げてみせる。
蜂蜜のように綺麗な金色。
まっすぐな視線に頬の熱が下がらない。
確かにアンダースも眼鏡の下は金色だった。
前髪を戻したソーレンが呟く。
「ロウ市長は翠眼だった」
「⋯⋯アレックスさんも翠眼でした。そこまで珍しい色ではないですけど⋯⋯偶然にしては⋯⋯」
「似ているといえば、俺はルシアンとロウ市長が似ていると思う」
「ルシアンさんと市長さん?」
「似ているとは違うのかな⋯⋯話すタイミングや仕草がしっくりくるというか。何十年も一緒にいたような気がするんだ」
新駅舎で並んだ二人を思い出してソーレンの言葉に納得する。
「それと⋯⋯モロー夫人なんだが⋯⋯」
ソーレンは少し言いづらそうにして、意を決したように話を続ける。
「彼女かなり強いと思う。この間ルシアンの家に侵入者があったろ?信じられないかもしれないが、どうやらモロー夫人が――たったひとりで――撃退したらしい。俺が駆け付けた時はもう犯人はノックアウトされてた。かなりの早業だったみたいで犯人は誰にやられたのか分からないって証言してる。彼女、何か格闘技をやってたとか聞いたことあるか?」
「アレックスさんが?いいえ、聞いたことないです⋯⋯あ、でも⋯⋯この間、転びそうになった私をアレックスさんが助けてくれたんです。そういえばあの時アレックスさん荷物を持ってて⋯⋯片手だけで支えてくれました」
あの時はあまりに自然だったので気が付かなかったが、かなり力持ちなのではないか。
「もしかしたら夫人は俺やイーライと同じかもしれない。ただ者じゃない空気があるんだ⋯⋯それにルシアンと同じであの人にも試されてるような気がするんだよな」
「え?なんですか?」
考え込んでいたミラが、顔を上げる。
「いや、なんでもない。ミラと話せてよかった。俺が気づいていないこともあった。助かったよ」
「ええ、私も気になっていたので、ソーレンに話せて安心しました」
「ルシアンからの依頼、ミラにも話して正解だったな」
ソーレンがふっと柔らかく笑う。その笑みを見た瞬間、さっき触れた手のぬくもりが胸によみがえった。
ミラは慌ててカウンターを離れる。
「そうだ、看板を出したままでした。しまってきますね」