5章:夫人の流儀
「それじゃあ⋯⋯おやすみなさい、ソーレン」
「おやすみ、ミラ⋯⋯ルシアンも」
今日もカフェ・アロームで最後の一杯を楽しんだソーレンは、ミラと、ギャラリーから降りてきていたルシアンに挨拶を交わし、帰路についた。
エンジンをかけた所でふと先程のルシアンの話を思い出す。
「そういえば、ルシアンが自宅の付近で不審な男を見たと言っていたな⋯⋯念のため様子を見ておくか」
(――新駅舎の完成も近い。クロウが動くなら、そろそろのはずだ。あの男を相手にするなら、どんなことにも備えておくべきだろう)
アルテリオ市郊外へ車を向ける。
あの窓のない家。足音も立てず背後にまわったアレックス。引っかかる点はある。だが、ミラへの深い愛情は確かだと、ソーレンは信じていた。
だからこそ引っかかる――そう思案しながらソーレンはモロー邸の前に車を止めた。
「灯りが⋯⋯付いていない?」
玄関門は開いたままになっており、灯りは消えている。
その異常さに気付いた瞬間、背筋がぞくっとする。
この時間、アレックスは自宅にいるとルシアンから聞いていた。
外側に窓がないこの家でも、中庭の窓からは多少なりとも灯りが漏れるはずだ。庭にも確か照明があった。それなのに──目の前には漆黒の闇が広がっていた。
ソーレンは中の気配を伺いつつ門に触れないようにしながら、玄関扉をノックした。
少しの間があって玄関の照明がつくと、あっさりと扉が開かれ、アレックスの明るい笑顔がのぞいた。
「あら、ソーレン早いのね。まだお呼びしてなかったのに」
「まだって、どういう⋯⋯これは――!?」
「助かったわ。今、あなたと警察に連絡しようとしてたのよ」
――まるでちょっとしたサプライズを受けたような様子でクスクスと笑う老婦人の足元には黒尽くめの男が倒れていた。
「いったい何が⋯⋯?」
流石に戸惑いを隠せないソーレンにいつもと変わらぬアレックスがなんでもない風に答える。
「ちょっと前にね、突然入ってきてびっくりしちゃった」
男に近付いてみるとどうやら気絶しているらしい。息はしているがピクリとも動かない。
「とにかく警察に通報する。侵入者はコイツだけか?」
「他にもいたみたいだけど出てっちゃったわ」
アレックスの指さす方を見ると確かに複数の足跡が残されている。
頷いたソーレンはモロー家の電話を借り警察に通報する。
電話をかけながら、横目でアレックスの様子を覗うが、あまりに普段通りだった。怪我もなく、着衣の乱れも汗をかいた様子もない。
室内を見渡しても玄関付近に足跡がある他は大きく荒らされた所はない。
床に仰向けに倒れた男は体格も良く、いくら女性としては長身の彼女でも、あの細腕でどうにかできる相手には見えない。
微笑みさえ浮かべながら立っているアレックスがソーレンにはまるで知らない人間のように見えた。
通報から数分で警察が到着し、男を搬送していく。
ソーレンも警官たちに現場を託して調書を作るために警察署に向かう。
すぐに帰宅したルシアンがそれほど動揺していなかったのも気にかかった。
署で報告書を書くソーレンはデスクで頭を抱えた。
(⋯⋯いったい何があったんだ?)
どう考えても複数人の侵入者をアレックス一人で撃退したとしか思えない。
周囲を捜索したところやはり複数人の足跡が確認されたらしい。
倒れていた男は改造された通信機や暗視ゴーグルなどを持ち込んでいたようで、どれもそこらの店で手に入るものではない。
ちょっと魔が差して盗みに入った不良や破落戸ではない、プロの犯罪者集団だ。
「まさか⋯⋯いや、しかし⋯⋯」
考え込むソーレンの前にイーライがやってきて一本の煙草を差し出す。
「⋯⋯煮詰まってるな、ソリ」
ソーレンは少し恨みがましい目でイーライを見あげると煙草を受け取って火を点ける。
ミラといることが多くなってから避けていた一服。深く吸い込んだ煙を吐き出して書き上げた報告書をイーライに渡す。
「納得いかないんだ。あいつは間違いなくプロの犯罪者だった。それをあの夫人が一人で取り押さえましたって?」
静かに報告書に目を通したイーライが老眼鏡をズラしてソーレンを見る。
「ソーレン“あらゆる可能性を検討し、不可能と思われることを除外していくと、最後に残ったものがたとえどんなに奇妙なことであっても、それが真実である”。⋯⋯俺も昔読んだ本の受け売りだけどな。」