4章:二つの直感
数日後、ソーレンはアルテリオ市郊外の一軒家前に立っていた。
ジャケットの襟を整えてから扉をノックし、ふと周囲に目をやった。
(⋯⋯窓がない?)
石造風の家で装飾を施された外壁には緑鮮やかな蔦が絡まり、ブーゲンビリアが覆い茂っている。そして何かがこちらを見ているような感覚がした。
ソーレンが確認しようとしたその時、扉が開きルシアン・モローが顔を出した。
「やぁ、よく来てくれたね」
中に入ると建物の中心に設けられた中庭から明るい陽の光が差し込む廊下を通り、窓のない応接室に通された。
「⋯⋯この部屋、窓がないのか」
思わずソーレンが漏らすと、ルシアンはハハと笑いいつもと変わらぬ調子で返す。
「絵を飾りたくてね、壁を増やしたらこんな家になってしまった。陽の光は美術品にとって大敵だからね」
なるほど室内を見渡すと確かに全ての壁に絵画や彫刻が飾られている。
ルシアンのギャラリーと同じ、居心地の良い、落ち着いた雰囲気だ。
だが、どこかに違和感があった。ソーレンには、違和感の正体がまだ見えなかった。
「いらっしゃい、紅茶でよかったかしら?」
不意に背後からアレックスの手が伸びる。
彼女は音も立てず、ティーカップをソーレンの前に置いた。
その気配のなさに、反射的に肩が動きそうになるのを意識して抑えた。
「ああ⋯⋯ありがとうございます」
(いつの間に!?気配を消していた?それともただの思い過ごしか?)
ソーレンが内心の動揺を飲み込む頃には、ルシアンはもう駅舎の話を始めていた。
運び入れる絵画の点数、大きさ、価値や搬入のスケジュール。
そして市民へのお披露目は新駅舎の開場式典であること。
地図や資料を出しながらソーレンに説明していく。
ルシアンの話に相槌をうちながらソーレンは夫婦の様子を覗う。
アレックスもルシアンも普段と変わった様子はない。
しかし軒下にあった監視カメラ、侵入口の少ない室内、いくら美術品収集家とはいえ一般家庭としては些か過剰だ。
先程のアレックスの動きといい、一度覚えたソーレンの違和感は消えない。
カフェ・アロームではミラが茶葉の整理をしていた。
ハーブティーの缶を仕舞おうとしてふと手が止まる。
(――ロウ市長の匂い、ハーブとレザー。アレックスさんととても似ていた⋯⋯今まであんなに似た匂いの人たちっていたかしら?)
二人の共通点はどうしても思いつかない。やはり気のせい――考えすぎだろうか?
小さな違和感が、胸の奥にひっかかったままだった。
閉店間際のカフェ・アローム。
ソーレンは看板をしまうミラを目で追いながら、その日のことを反芻していた。
確かに違和感があるのに捉える事が出来ない。
「今日はどうでした?」
店内に戻ってきたミラが珍しくソーレンの向かいに腰かける。
「……準備は進んでる。式典の日にちも正式に決定した。問題は、ないようだったよ」
言いながら、どこか釈然としないものが胸に残った。
ミラは何か言いかけて口をつぐみ、沈黙が二人の間に落ちた。
「⋯⋯モロー夫妻の家に行ったことは?」
一瞬きょとんとしたミラが首をふる。
「いいえ⋯⋯そういえば行ったことありません。」
「⋯⋯そうか」
ソーレンは少し考え込んだが、やがて椅子から立ち上がった。
「今回も君の嗅覚を頼りにしてる。何か分かったことがあったら話してくれ」
頷きながらミラも立ち上がる。
出口に向かいドアに手をかけたソーレンが、ふと振り返る。
「それじゃあ⋯⋯ちゃんと鍵をかけろよ」
ミラはふと笑みを浮かべる。
いつかと同じ声。変わらぬ口調。けれど、彼のことをずっと近くに感じる。
「……うん、ちゃんとかけます」
「おやすみ、ミラ」
「ええ、おやすみなさい」
ミラは笑顔で見送りながらも、心の奥で何かがひっかかっていた。
ソーレンもまた、何かを口にしようとして――やめた。
その夜、二人は同じ駅舎のことを考えていた。
だが、それぞれの直感は、言葉になることなくすれ違った。