6、《7歳》悪役令嬢、王子と婚約する
なぜ、悪役令嬢クロエは第一王子ステファンと婚約したのか。
その謎は簡単に解けた。七歳になったある日、クロエの父が言った。
「クロエ。今日、国王に謁見した時にね、クロエにステファン王子と婚約してほしいと言われたんだが。」
「ハイ???」
唐突だった。
――いや、確かに五歳で顔合わせを果たしてから、何かと登城する度に、ステファン王子やその側近たちと遊びましたよ?まあ、あそこに行けば、推しのユーリもいるわけで。なんなら嬉々として行きましたよ?でも、国王とはほとんど顔合わせたことがないんですけど。第一王子の嫁ってことは、未来の王妃ですよ。え?私に王妃としての片鱗が?いやいや、ナイナイ。え、じゃあどこで王妃としての力量を計られた?
「クロエにはまだ早い話だとは僕も思うんだ。けれども、王がなんだか乗り気でね。」
「なぜなのでしょう。お父様にはその理由がお分かりになるのでしょうか?」
父親は「う~ん。」と唸った。
公爵家はいくつかあるから、ソーデライド家である必要性があまり感じられないらしい。
むしろ、最後の降嫁があったばかりの家から妃を選ぶのは、他の公爵家とのバランスを考えるとプラスとは言えないとか。
「では、どうしてうちなのでしょうか。」
「まあ、分からないではないな。」
父親は父親の顔でにやりと笑った。
「クロエはかわいくて、賢くて、最高のお姫様だから、ステファン王子が惚れたのさ。きっと本人の希望で、国王も動かざるを得なくなったんじゃないかな。」
クロエの目がスンッと死んだ魚の目になった。
「ああ、お父様。それは親の欲目、あるいは親馬鹿という心理で、全く真理をついておりません。」
クロエが一刀両断するが、文字通り親馬鹿の父は、ステファン王子がクロエにべた惚れ説を繰り返す。
――ナイわー。
クロエはため息をついて、この2年間を振り返った。この2年間、クロエは頑張った。コミュニケーション下手とは言っていられないから、とにかく本を読んで知識を詰め込み、どんな会話にもついていけるようにした。それから、家族に限らず、ともかく会話を訓練しようと、使用人たちとも毎日会話を繰り返した。そうして、気力と話題を詰め込んでから気合を入れて登城するのだが、攻略対象者達とうまく会話ができた日はなかった。
理由は、いろいろあるが、ひとつは自分が国のためを思いすぎているためだとクロエも分かっている。
乙女ゲーム『傾国を照らす陽となれ』では、ステファン王子ルート以外は全て開戦ルートだ。それも、先に国の中枢が打撃を受けてから始まるものだから、国そのものが危うい状態での開戦。始まりがそれなら、物語の最後だってなんだか不安を思わせる終わり方ばかりだ。唯一戦争にならないステファン王子ルートにしても、やはり隣国に中枢をしっちゃかめっちゃかにされた後だから、王となったステファン王子が苦しい政治を強いられる。
なぜ、そんなことになるのか。それは、攻略対象者が、自分の悩みでウジウジしている間にステファン王子が孤独になり、そこに隣国からの留学生を名乗る悪人たちに一度国を乗っ取られるからだ。
つまり、攻略対象者全員が、もっときちんと国のことを考えて行動すれば、避けられる問題なのだとクロエは考えている。
……というわけで、ついつい攻略対象者の行動が目についたクロエは、その度にどうだこうだと注意しまくっていた。
推しのユーリにすら、「うざい」という目で見られる始末。
五歳のあの時、「あわよくば、推しのユーリと恋人になれるかも。」とほんのちょっとでも考えた自分を殴ってやりたいほどの展開に、クロエ本人とて思うことがないではない。
しかし、ユーリに会いたくて登城する度に、結局彼らの安易な行動に未来が不安になり、注意する、そして沈黙されるという日々をもう二年も繰り返すはめになっている。
――これがコミュ障。正しいコミュ障。うん、間違いない。
何の解決にもならないことを考えては、帰りの馬車で一人反省会を開いて、頭を抱える日々。
どう考えても、父親の言う「ステファン王子がクロエにべた惚れ説」は架空の仮説だ。
とは言え、格上のしかも王族の求婚を断れるはずもない。
「次にステファン王子に会う時に、事情を聞いてみますわ。それで、できるだけ婚約しない方向にしていただくようにお願いしてみるつもりです。」
とクロエが言うと、父親は「うんうん。」と親馬鹿らしく頷いた。
◆◆◆
ステファン王子に話があると先触れを出したせいか、その日は側近は一人もいなかった。
ステファン王子と二人だけの茶会は初めてで、クロエは今さらながら、王子の麗しいかんばせにドキドキさせられた。
――はああ。やっぱり、人気第一位だけあるわ。
考えてみれば、いつもユーリや側近たちにかまってばかりだから、王子とこうして向かい合って座るのは初めてのことだ。
「クロエ、君が好きなお茶を用意させたよ。」
「まあ、ありがとうございます。」
「君もお菓子をありがとう。」
「拙い手作りですが、殿下に召しあがっていただけるなら幸いでございますわ。」
「君が作ってくれるお菓子はどれも格別においしいよ。」
「まあ、嬉しいですわ。」
と、様式美的な意味のない会話を切り上げ、さっさと婚約の話題に入った。
「婚約とのお話を伺いましたので、今日はどういった経緯でそんなお話になられたのかをお聞きしたいと思いまして参った次第ですの。」
「経緯?」
王子は分からないという顔をした。
「政略結婚にしては、なぜソーデライド家なのかが不思議なのですわ。」
「ああ。以前、降嫁があったからだね。」
「ええ。そうですわ。それでわたくしが殿下の婚約者になってしまったら、政治バランス的にどうなのかと心配になりまして。」
王子は納得したと頷いた。
「君はそんなことまで心配してくれていたのか。さすがはソーデライドの賢姫だね。」
なんだか、話題をそらされているような気がして、クロエは直球で行こうと決心した。婚約の理由などよりも、婚約そのものを白紙に戻すか、あるいは先延ばしにすることが先決だ。
「いえ、お褒めいただくようなことでは……。それより、我々はまだ七歳です。まだ婚約など早いと思うのです。どうでしょう、殿下。もう少し後、例えば学園入学の十五歳までまで待ってみてはいかがかと。そのころになりましたら、我々も大人の仲間入りですから、きっと運命の人に出会うことも出来ると思うのです。」
そう、学園入学まで待ったがかけられれば、王子はヒロインに出会うことができる。将来の運命の人に。そうしたら、王子が婚約をするのはヒロイン。直でヒロインルートに入ってくれれば、クロエは婚約破棄なんてことを考えなくてもよくなる。
――王子、あなたのためですよ。王様が何と言おうと、ここは待ちの一手ですよ。学園に入りさえすれば運命の人に会えますよ。
心の中で、懸命に語りかけたが。
「へえ。」
王子の返事は冷たく響いた。何か失敗したかとクロエが青くなる。
「クロエは学園で運命の人に出会いたいわけだ。」
「そ、そんなこと……。ち、違います。わたくしではなく、殿下にとっての最愛が、きっと学園で見つかるのではないかと、そんな気がしているというだけでして……。」
「つまり……クロエと私は、運命ではないと。クロエはそう言いたいんだね?」
「はい!その通りです。」
我が意を得たりとばかりに満面の笑みで素直に答えたというのに、ステファンの笑顔はますます凄味を増してくる。
「そうか、そうか。」
明るい声とは裏腹に、顔の陰りが怖すぎて、クロエはもうステファンの顔を見られない。
「確かに君は、私と出会った時から私に運命を感じている様子はなかった。もちろん、こうして二人で話すことすら今日が初めてなのだから、まあ、そう思うのも無理はないね。」
「そうでございましょう?」
賛同を得たとばかりにクロエが喜ぶとステファンもにっこりと笑う。
「まあ、こう考えてみてくれ。私は王族だ。しかも、第一王子だ。早いうちから外交も仕事に入ってくる。それはもう必要があれば、今年だってもう始まるかもしれない。その時に、一人で挑むよりも婚約者という立場の人間が隣にいてくれた方が何かと強みになる。何より君の父上は外交官だ。君も一緒にあちこちの国に出かけているだろう?おかげで君の博識は隣国や国交のある国に留まらない。言葉だってそうだ。君は何ヶ国語を話せる?ああ、隠したって無駄だよ。君の父君が外交から帰る度に自慢しているからね。……さあ、ここで質問だ。次代の王の隣に立つ者として、君くらいふさわしい人間が他にいるかな?」
言われてみればそれは確かにその通りだ。正論すぎる。反論の余地がない。余地はないが……。
「しかし!しかし、殿下!もし、もしもですよ、もし、後から……例えば学園に通い出してから王子の運命の人が現れたら?その時に捨てられても、もう私には後がなくなってしまいます。それよりは、まだしばしの間、様子を見ていただけたら……。」
「クロエは、私が運命などという不確かな恋情で婚約者を無下にするような……そんな男だと思っている?」
「ち、違います。そ、そんなことは。ただ、殿下には、後悔してほしくなくて。」
「後悔だって?おかしなことを言うね。……ああ、もしかして、後悔するのは私ではなく、君ということかな?……君は誰か、他に好きな人が……いるのかな?」
詰んだ、とクロエは思った。
好きな人ならいる。ユーリだ。けれども、それはゲームのユーリであって、今のユーリとどうこうなろうなんて、五歳の頃ならいざ知らず、今は全く思っていない。
そう、クロエに好きな人なんて、ゲーム外なら、現世も前世を含めてさえも誰もいないのだ。
クロエは正直に言った。
「……好きな人なんかいません。」
「そうか。」
ステファン王子は、静かに微笑んだ。
「では、婚約の話はこのまま進めて構わないね?」
この問いに対する答えは、「はい」か「イエス」か「喜んで」しかないだろう。
クロエは言った。
「……はい。」
◆◆◆
帰りの馬車で一人反省会をしていたクロエは、とりあえず、ステファン王子のクロエべた惚れ説が外れていたことだけは父に言おうと心に決めた。
そして、
「じゃあ、なぜ婚約という話に?」
と父が言ったら即座に、
「お前のせいだ!」
と突っ込んでやりたいと拳を握りしめた。
こうして、クロエ救済第一条件だった「王子と婚約はしない」は、あっさりと失敗したのだった。