28、《15歳》『アステッド帝国第二皇子襲来』① 第二皇子の狙いは悪役令嬢?
アステッド帝国から第二皇子が留学しにくるという情報は不安とともに学園中に広まった。それは、アステッド帝国が侵略戦争を終えたばかりで、周囲の国々が戦々恐々としている中で送られてくるのだから、学生たちにも当然恐怖だ。
さらに、前情報では皇子一人だけのはずが、ふたを開けてみれば、第一皇女も後から来るというから、さらに混乱をきたした。
しかし、在学生である王子と側近たちはさほど慌てる様子もなく、ただ普通の留学生を迎えるかのように、静かにいつもと変わらぬ態度で臨んだので、周囲も醜態を見せるわけにはいかず、結果、学園全体として穏やかに第二皇子を迎えた。
二人の配属されるクラスについては、アッシュフォード王国の主要な人物の多いAクラスを避けたいと大人たちは言ったが、帝国の客人を第一のクラスに入れないことの理由など思い付かず、そのままAクラスに決まった。
そして、来訪の日が来た。
教員に連れられて、第二皇子が教室に現れた。
その美しさに、誰もが息を飲む。
我が国のステファン王子も相当に美しいが、第二皇子の美しさは、ステファン王子の美しさと質が異なった。
ステファンは明るい日差しのような柔らかい美しさ。それに対して第二皇子は闇夜の冷たさをまとった美しさ。まるで、光と影のように対の美しさだった。
――しかもこの人、外見と中身のギャップ萌えを自分で分かってて狙ってやってるとしか思えないのよね。
クロエは半目で第二皇子を見ている。クロエとしては、ゲームでユーリの存在を消した国の皇子など、好意的にみることはできない。当然分析も辛い。
第二皇子が穏やかに挨拶をした。
「アステッド帝国から来ましたハデス・アステッドです。どうぞ、よろしく。」
冷たい印象のハデスがにこっと笑うと、女子全員がほうっと桃色のため息をついた。
ハデスの笑みは不思議だ。彼が笑うと、もともとの暗い冷たさが一瞬で消え、そこからのギャップでより一層優しさが際立つのだ。
もう、挨拶のひとつで、Aクラスの女子人気は勝ち得たようだ。
クロエはおもしろくない。
――みんな見る目がないわね!あんなわざとらしい笑顔に騙されるなんて!ステファン王子の方が百倍美しいし、百倍綺麗だし、百倍優しいんだからね!
心の中で悪態をついた。
ハデスは教員に「席は自由ですか」と尋ね、おもむろにクロエの隣りの席に向かって歩いてきた。
――いやいや、席はたくさん空いているでしょうに。あっち行け。
クロエは心の中で暴れたが、ハデスは本当にクロエの隣りの席に座ってしまった。そして、クロエににっこりと笑いかけた。
――いくら笑いかけられたって、あなたなんか嫌いなんだから!
クロエは淑女の笑みを絶やさぬまま心の中で悪口を並べていたが、ふと反対側の隣りに座っているアーヴィンから手を差し伸べられた。手を乗せると、静かに立たせられ、あっという間に、アーヴィンとクロエの席の交換がなされた。
アーヴィンはハデスににっこりと笑った。
「アーヴィン・サーマス、Aクラスの委員長です。分からないことがあれば、何でも聞いてください。」
アーヴィンは鉄壁の笑顔をハデスに向けた。
◆◆◆
昼休憩。
ハデスは王子専用の昼食室で食べることになっている。
「というわけで、クロエとソフィア嬢は、一階の学食で食べてくれるかな?」
王子がそう言ったので、クロエは今日、一般の生徒が集う学食に来ている。
――学食だ!嬉しい!
クロエはわくわくしていた。
王子の婚約者という堅苦しい肩書きのおかげで、王子と毎日王子専用室で特別な料理を食べていたわけだが、せっかくの学園生活なのだから、本当はこういう学食の雰囲気の中で食べたい。
「アーヴィン、並ぶわよ。」
と率先して並び、率先していろいろ運んできた。
――ステファン王子には悪いけど、今私にできることはないからね。充分に学食での食事を楽しませてもらおうっと。
クロエは上機嫌だ。たくさん持ってきてしまっている料理に目を輝かせている。クロエは食べきれるつもりでいるが、明らかに食べきれる量ではない。隣りに座るアーヴィンがフォローするのだろう。
同じ長テーブルを挟んでクロエの真ん前にはソフィアとユーリが座った。ソフィアがクロエを見つけてさっさと座ったのだが、こちらも嬉しそうに料理を見つめている。隣りにはユーリ。王子直々に、くれぐれもソフィアに危険がないようにとユーリがつけられたのだ。
――第二皇子はサイラスとアレックスが相手をする。心配はいらない。それよりも今危ないのは王子の恋人、ソフィアだ。
王子に、ソフィアを守るよう重々言われているユーリは、ソフィアがクロエの近くに寄ろうとすることには思うことがなかったわけではないが、むしろ公爵令嬢であるクロエの近くの方が危険が少なかろうとそこに座った。
――まあ、王子はソフィアを守れと言うけれど、そもそも第二皇子が行く王子専用室ほど危険があるわけでもない。
ユーリは軽くそう考えていた。
ところが。
ざわめきが起こった。
そちらを見ると、第二皇子ハデスがクロエとソフィアの方に歩いてきた!
ユーリはテーブルの前に立ちはだかり、ハデスに挨拶をした。
「これは第二皇子ハデス様。ようこそ、アッシュフォード王国へ。私、ステファン王子の側近、ユーリ・ブライアンと申します。王子の昼食室は二階になります。ご案内いたしましょう。」
「それには及ばない。私はこちらでいただくとしよう。」
ハデスが穏やかな笑みを浮かべた。
ユーリは青筋が立ちそうになるのをこらえながら、口角を上げた。
「ハデス様。今朝ほど、ステファン王子があなた様を昼食に招待し、あなた様もそれを受けた……そのように記憶しております。」
ハデスはわざとらしく困った顔をして、
「大変ありがたいのですが……。」
と後ろを振り返った。
彼の後ろにものすごい美女が立っていた。
「妹のオデットです。今、到着しましてね。」
――オデット姫……第一皇女、だよな?
ユーリは心の中で首をひねる。
乙女ゲームの第一皇女オデット姫は、ものすごいグラマラスな美女のはずなのだ。今、目の前の皇女も確かに美女だが、グラマラス、という点でゲームのスチルと印象が異なる。少し考えていたユーリだが、はたと気付いた。
――ああ、そうか。制服のせいか。
ゲーム内では、アラビアンナイト風の布面積の少ない服をまとっていたはずだ。だから、グラマラスなイメージが強いが、この制服ではどうもあのイメージはなく、なんなら化粧さえ薄かったら清純派に見えるくらいではないだろうか。
――そういえば、この制服、今年から着用が義務付けられたんだよな。まあ、第一皇女は美人だから制服だって似合ってはいるけれど。さすがに布面積的に、ゲームみたいに王子を色気で攻略するって感じにはならないよなぁ?まあ、安心だな?……っていうか、偶然だろうけどすごいタイミングで校則が変わったものだな。
昨年まで、制服は義務ではなかったため、ほとんどの女生徒はドレスだったという。だから、ゲームでのあの布面積の衣装も浮く感じは一切なかったのだが、今年からどういうわけか、制服が義務化され、全員が制服を着ている。制服だらけの中、確かにあの布面積では校内を歩くことなど出来まい。
オデット姫をエスコートしながら、ハデスはクロエとソフィアを意味深に見た。
「妹も来たことですし、ぜひ女性とご一緒させてもらえればと。ねえ?クロエ・ソーデライド嬢、ソフィア・ヨーク嬢?」
ユーリは無視されてカチンときた。ハデスはユーリに目もくれず、二人をにこやかに見ている。
クロエは扇を開いて顔の下半分を隠した。
間違いなく今、口はへの字に曲がっていることだろうに、目元に淑女の笑みを乗せ、優雅に嫌味を言った。
「あらあら。わたくしたちの名をご存じとは。ずいぶんとお勉強熱心でいらっしゃること。」
ハデスも負けてない。
「いえいえ。お二方は有名ですから。ねえ、『聖女ソフィア様』?」
――聖女?
ユーリは、さすがに側近として鍛えた表情筋で表情は変えなかったが、内心ひどく驚いた。
ユーリの知るゲームの世界では、うっすらと魔法があった。それは、ヒロインソフィアが使える癒しの魔法だ。ゲームの中では光魔法と言われ、けがや病気を治すものとして位置づけられていた。
しかし、転生してみれば、この世界に魔法はなく、ソフィアがけがや病気を治すなんてこともない。したがって、彼女が「聖女」と呼ばれることはないはずなのだが。
ソフィアは、呆れた顔で言った。
「皇子様に『様』付けされるほど、偉くないわよ。」
「ご謙遜を。わずか十歳でボッサム領の治水工事を発案し、土壌改善に取り組んだ天才のお話をぜひお聞きしたいものです。」
――治水?土壌改善?
ユーリには全て初耳だった。表情には出さないまま、クロエとアーヴィンを見ると、二人とも動揺が見えない。どうやら、二人には心当たりがある話のようだ。
ハデスが先を続ける。
「無論、十歳の平民の言葉を採用した領主も素晴らしいですよねえ、クロエ・ソーデライド嬢?あなたからは、その辺のことをお聞きしたいですねえ?」
その意味深な問いかけ。事情が分からないユーリとて、ソフィアの聖女扱いとクロエが関係していることくらいは理解した。
そうなると、ユーリにできるのは、王子専用室にハデスを連れ去ることのみ。もう一度ハデスの前に出ようとすると……。
クロエが大げさに扇で煽った。
「ああ、何だか臭いわね。嫌な匂いがするわ。どこからかしら?不思議ねえ。この学園でよくもまあ。」
目線は第一皇女オデット姫に向けられている。あからさまに、オデットに向けて話しているのだ。
「そちら、第一皇女様、でしたかしら?このわたくしと同席なさりたいとおっしゃられても、わたくし、このようにキツい香水をなさっている方との同席は……遠慮しますわ。」
クロエの悪役令嬢ぶりは、ユーリが思う以上に大胆に、優雅に……そして、極端に意地悪く、アステッド帝国の留学生たちにぶつけられたのだった。




