26、《15歳》悪役令嬢、王子に捨てられ、ユーリに拾われる
クロエは、ヒロインが王子を攻略してくれることを願っていた。そして、それは今、確実にその通りになった。
「ヒロインの威力ってすごいのね!」
アーヴィンは少しだけ間を置いてから、「……そうですね。」と同意した。
実際に、今の王子はもう、クロエに見向きもしない。
今までのように廊下のエスコートもないし、馬車まで迎えに来ることもない。
今、クロエの乗る馬車は学園に到着したが、もう誰もそこで待っている人はいない。誰もいない外を見て、クロエは知らずため息が出た。
アーヴィンは、今思い出したかのように言った。
「ああ。最近の王子は、ソフィア様の家に寄ってから学園に来ているようで、よく馬車を二人で降りてくる様子が目撃されています。」
「えっ、そこまで?!」
クロエの方が驚いてしまう。
「それって、でも、行き過ぎ、では?」
「ええ。あらぬ誤解を招きますね。」
あらぬ誤解は……あらぬ誤解だ。恋愛経験値ゼロの悪役令嬢には刺激の強いものだ。
クロエはアーヴィンに聞いてみた。
「……注意した方がいいわよね。」
「注意、は危険かと。……例の断罪への道筋になるのでは?」
「それは分かるんだけど……。若い女の子が、朝、婚約者でもない男の馬車で学校に来るって……それってどう思う?」
「どうって。……楽しい夜を過ごしたのですねと思います。」
「楽しい夜!」
クロエは激しいワードに悶えた。アーヴィンは構わず、馬車から一歩降りて、クロエに手を差し出した。
クロエはアーヴィンの手を借りて、馬車から降りる。
その時だった。公爵家の馬車の隣りにもう一台の馬車が止まった。
王家の馬車だ。
中から王子が表れた。王子はクロエと目が合うと、一瞬目を見開いた後、気まずそうに目をそらした。
それから、馬車の中に手を差し出す。
中から表れたのは、ソフィアだった。
先ほど聞いた情報は真実だったようだ。
いくら事前に聞いていても、こうして目の当たりにすると、クロエもどぎまぎしてしまう。
だが、ソフィアの方は気にならないらしい。
「あ。クロエ様だ。わーい、朝から会えて嬉しい。おはよう、お姫様!」
と上機嫌だ。
――いやいや。おはよう、じゃないから。王子の馬車に朝から乗るとかダメだから。恋の噂はいいけれど、この手の噂は良くないから。
クロエは、自覚の足りないソフィアに、注意してあげようと一歩近づいた。
すると、いつの間にか、側近三人衆がクロエとソフィアの間に立った。
「クロエ。おはよう。今から王子はソフィア嬢のダンス指導があるんだ。話なら後にしてくれるかな。」
サイラスの言葉は一見優しいけれど、ソフィアに近づくなという恐ろしいほどの圧があった。
――えええ?
クロエは驚いた。サイラスはいつでもクロエに優しかった。なのに、今はソフィアをかばって、クロエの前に立ちはだかっている。
アレックスもそうだ。顔はいつもの優しげな笑みを浮かべているのに、表情がどこか硬い。
そして、王子は、以前クロエにしていたように、ソフィアに腕を示した。エスコートするという合図だ。ソフィアも慣れているようで、ひとつ頷くと、さっと王子の腕につかまった。
もう二人は歩き出している。
それを確認すると、サイラスとアレックスも、クロエにお辞儀して、王子の後を追った。
クロエは呆然とした。
頭では分かっている。これが、乙女ゲームの攻略だ。ヒロインがその気になったら、こんなに簡単に、攻略対象者全員が彼女に夢中になるのだ。
――それで、私は悪役令嬢だ。悪役令嬢の扱いなんて、こんなものだ。
むしろ、さっきのサイラスみたいにきちんと言葉にしてくれたり、アレックスのようにお辞儀してくれるだけ、ありがたい話とも言える。
それは分かっているのだが、心が追いつかない。
つい、この間まで、幼馴染として仲良くしていたはずなのに、もう、そんな日は来ない。今までクロエがいた場所に、ソフィアという素晴らしい女の子がいて、クロエがいる場所はないと知らしめているようだ。
ただただ寂しかった。
――ううん。寂しいと思うこと自体が間違ってる。
こうなるように、作戦を練って、父親にねだって、ダンス指導という時間を作ったのは他でもないクロエである。寂しいと感じるのはバグみたいなものだ。
――まだちょっと慣れないから、寂しく感じるだけ。大丈夫。
自分に言い聞かせた。
ふと気付くと、目の前にユーリがいた。
「……ユーリ?」
ユーリはつまらないという顔でクロエを見つめている。
「どうしたの、ユーリ。あなたは王子のところに行かなくていいの?」
「王子には護衛も付いているし、そもそもアレックスとサイラスが付いているんだから何も問題はないよ。俺は、先に教室に行って、殿下が戻る前にそちらの環境整備をするよう言われている。」
「そうなんだ。」
――いつまでも、弟みたいなつもりで接してきたけれど、ユーリもちゃんと成長して、ちゃんと仕事をしてるのね。
そう思うと、自分だけが前に進めずに取り残されているような気がして、クロエは本当に寂しくなった。
そんなクロエを、ユーリはどう思ったのか、ぶっきらぼうに言った。
「あんまり気にするなよ。」
「何が、ですの?」
「殿下のことだよ。」
「殿下が、何?」
「今、ソフィア嬢の指導でお前に構えないから、少し寂しい思いをしてるだろうけど……。」
クロエは「寂しい」という気持ちを言いあてられて、急に恥ずかしくなった。
「な、なんですの?わたくし、寂しいなんて一言も言ってませんことよ?殿下は殿下のお仕事として指導をしているのに、わたくしが寂しいなんて思うはず、ありませんことよ!」
「そうだな。悪い。」
ユーリはクスッと笑った。
「でもさ。人間、どうしても寂しいって思うことだってあるだろう?そん時は、俺に言いなよ。幼馴染なんだからさ。」
今日のユーリは、前世の乙女ゲームのユーリを思わせた。
――ん?どうした、ユーリ。なんだか、恰好いいんですけど?
クロエはドキドキしてしまった。まるで、前世でゲームのユーリに恋をしていた時のように、ユーリの言葉もユーリのまなざしもすべてに魅了されそうだ。
気持ちをごまかすように口を動かすと、悲しい悪役令嬢のさが、小憎たらしい嫌味が出てきた。
「ユ、ユーリは教室に行かなければいけないんでしょう?こんなところで時間を潰していてよろしいんですの?さっさとお仕事にお行きに……。」
でも、その言葉もユーリに遮られた。
「うん。行くよ。でも、その前に、きちんとクロエには分かっていてほしい。俺はクロエが大事だ。大事な幼馴染だと思ってる。だから、さっきみたいな寂しい顔をさせたくないんだ。……クロエがこの先、本当に困ったことがあった時、俺を思い出してほしい。俺はお前を裏切ったりはしない。たとえそう見えたとしても、絶対に俺だけはお前の味方だから。」
にこっと笑って、すぐに教室の方に歩き出した。
クロエは真っ赤になって、その背中を見つめた。
アーヴィンが珍しく呆れたように言った。
「今のは何ですかね。……クロエ様、忘れてはいけませんよ、彼は既にソフィア様に攻略されている人物です。」
「わ、わかってるわ。」
慌ててそう言ったけれど、クロエの顔は赤いままだった。
◆◆◆
今日のダンス場は、とてもダンスをするような雰囲気ではなかった。
王子が、
「クロエに見られた……他の女の子をエスコートするところを見られた……。」
と、同じことを繰り返して、テーブルに突っ伏している。
その横では、あの賢いサイラスが、
「クロエを傷つけた……絶対傷つけた……。」
と、同じくテーブルに突っ伏している。
かと思えば、アレックスが、ダンス場の隅っこで、膝を抱えて、
「クロエがあんなに寂しそうな顔をしたのに、何もできなかった……。」
とつぶやいている。
ソフィアだけが、元気に、
「ねえ、ダンスの指導はしないの?しないなら、今から宿題やるけどいいのね?」
とおもむろに教科書を開き始めた。
グダグダではあるが美しい男三人と、元気に宿題を始める美しい少女……なかなかの地獄っぷりだ。
そもそも王子が迎えに行くはめになったのも、ソフィアの遅刻癖のおかげだ。方向的にもついでに拾っていけるので、しぶしぶソフィアのタウンハウスに寄ることにしたのだ。
最初は、そうやって校門でエスコートすれば、周囲にソフィアへの溺愛説が流れて、クロエを守ることができると言われて納得した王子だったが、今日のように、クロエ本人に見られることは微塵も考えてなかった。
「クロエ、ものすごいショックを受けた顔をしていた。なのに、私は顔を背けてしまった。」
横から、ソフィアが宿題をやりながら、
「はいはい。そうね。でも、王子。これ、作戦通りだから。」
と冷たく突き放す。
「こんな作戦、いつまで続けるんだ。」
ソフィアがいらいらと言った。
「クロエ様の命と安全が確保されるまでよ!」
その通りだと、王子がため息をついて、背筋を伸ばした。
側近の二人はまだ落ち込んでいる。
「まあ、王子の前で落ち込んでいられるなんて、あなたたちは本当に仲良し主従ね。」
ソフィアが発破をかけた。
「でも、いいの?ユーリを残してきたのよ?今頃ユーリがクロエ様を慰めてたりして。」
三人ははっと顔を合わせて、立ちあがった。
今にも駈け出しそうな三人に、ソフィアは呆れたように言った。
「はい、作戦を忘れない。教室に戻る時は、ちゃんと元平民のソフィアちゃんをエスコート。あなたたちが自分の感情に溺れて作戦を忘れても、私は絶対にクロエ様を守るんだから!」
なかなか頼りになるヒロインだった。




