21、《15歳》悪役令嬢、ヒロインに王子を攻略させたい
入学式の翌日、油断しきったクロエが馬車から降りようとすると、先に降りようとした侍従アーヴィンが、何とも言えない顔でクロエを振り向いた。
何事かと馬車の窓から外を見ると、昨日と同じように王子が待ち構えていた。
慌てて外へ出ると、王子は完璧な型でエスコートしてくる。
「おはよう、クロエ。今日もかわいいね。」
――いやいや、王子よ。あなた、昨日、ヒロインに攻略されたよね?それでも「婚約者大切にしてますアピール」続けるの?真面目過ぎない?恋をしたら、親の決めた婚約者なんてうっとうしいものでは?
王子の真面目ぶりに引きながら、クロエは微笑む。
「おはようございます、殿下。今日もお迎えいただいてしまって申し訳ありません。」
「私がしたくてしていることだからクロエは何も気にしなくていいんだよ。」
「そうはいきません。一国の王子を、将来の臣下となる者が出迎えさせるなど、あり得ません。」
「将来の臣下?」
王子は不思議な顔をした。
「クロエは将来の奥さんだよ。夫が奥さんを出迎えるのは自然じゃない?」
後ろから側近たち三人が口を出した。
「殿下。殿下はまだ結婚していません。夫などの言葉はお避けください。」
「殿下。学生のクロエを奥さん扱いしないでください。クロエが困ってます。」
「殿下。朝から何を言ってるんですか。勘弁してくださいよ、もう。」
最後はサイラスの呆れ台詞だが、王子は、三人の言葉などどこ吹く風だ。
「さあ、教室に行こうクロエ。今日は後ろの席にしようね。」
サイラスが「後ろでなにするつもりだ、こいつ。」などと不敬なことをつぶやいたし、絶対王子にも聞こえたはずだが、王子は知らん顔だった。
◆◆◆
ようやく学園生活二日目が終わった。
王子がクロエをずっと側に置くものだから、クロエには小休憩すらなかった。
「ねえ、アーヴィン。どういうことだと思う?」
クロエは帰りの馬車の中で今日の王子のことを聞いてみた。
アーヴィンは、淡々と答えた。
「どうもこうも。昨日申し上げた通りです。王子は、クロエ様を本当に好きでいらっしゃる……それだけです。」
クロエは不満そうに言った。
「それはないってば。昨日も説明したでしょう?私は王子から、直接聞いてるんだから。王子が私と婚約したのは王子の意思じゃないし、そもそも私を奥さんにしたいのは、私が外国語を話せるとか、その時一番王妃にふさわしい能力があったからなのよ。でも、王子は昨日ソフィアに攻略されたから、もう『婚約者大切にしてますアピール』は終わったと思ったじゃない?」
なのに、王子は今まで以上にクロエに近づいてくる。これでは、ヒロインが攻略しようにも、悪役令嬢が邪魔すぎて、王子の近くに寄れない。
「そもそも、ソフィアもなあ。」
クロエはため息をついて言葉を濁すと、アーヴィンが後を続けた。
「ええ。ユーリ様とべったりですね。」
そうなのだ。ソフィアとユーリの距離が近い。その分、ソフィアと王子の距離が遠い。
現実問題、ソフィアと王子は席まで遠いのだ。
実は、遅刻すれすれのソフィアのために、クロエは王子の席近くにソフィアの席を用意したのだが、そこに王子が自分の側近たちを座らせたためソフィアは遠くに座るはめになった。
――ソフィアは悔しげに王子を睨んでいたから、やはり王子を攻略するつもりはあるんだと思うんだけど……問題はユーリなのよね。
ソフィアは小休憩ごとに王子とクロエの側に突進してきたが、王子がクロエと仲良しアピールで寄せ付けない。
これはクロエには理解できる。乙女ゲームと違って、現実の王子様が、婚約者を放って違う女性と浮名を流すなんてスキャンダルは国の沽券にかかわることだ。もし、違う女性を好きになったなら、その女性にそれなりの肩書き、例えば「側室」などの役を与えてからでなければならないのだ。
――だからこその「婚約者を大切にしてます」アピールなのよ。
だから、王子の方はまだ分かる。
問題はユーリ。王子の側に寄れないソフィアを連れて、毎回廊下で二人でごにょごにょ話をしている。
「ユーリ、攻略されてるよね?」
「それは分かりませんが、ユーリ様の方はソフィア様しか目に入ってない様子ですね。」
「それを攻略されてるって言うのよ!」
「だいぶ違うと思いますが。」
「違うとは?」
「ソフィア様の方は、単純に、クロエ様と友達になりたいだけ、のように見えます。」
「……私?」
「はい。彼女はヨーク家の姉妹二人ともすぐに打ち解けましたし、お針子のニーナとももう仲良しです。基本的に、クロエ様とも気が合いそうですよね。」
だから、クロエとも友達になりたがっているというのがアーヴィンの説だ。
「んん?それって、ソフィアの方はユーリを攻略していないってこと?」
「ユーリ様も王子殿下も、です。」
「王子も?」
「はい。」
クロエは絶句した。
「え……。でも、小休憩時間、毎回、王子に突進してるよね?」
「クロエ様に突進しています。王子はそれを妨害していますね、あれは。」
「はあ?」
クロエの認識は、アーヴィンの認識とかなり違うらしい。
アーヴィンが核心をついてきた。
「クロエ様。クロエ様は、ソフィア様と王子に結婚してもらいたいのですよね?ならば、なぜ、あなたが王子の側にいるのです?」
「だ、だって。悪役令嬢は恋のスパイスだから……。でも、やり過ぎると断罪コースで。加減が分からないから……。」
ぐずぐず言うクロエに、アーヴィンがはっきりと言った。
「断罪があったところで、何も困らないよう、ここまで準備してきましたよね?断罪の何が怖いんです?」
「あの、アーヴィンさん?いつもと違いますよ。」
「ええ。学園では、あなたの侍従ではありませんし。今は言いたいことを言わせてもらいます。構いませんよね?」
それはそうだ。
学園内にメイドや侍従を連れてくることは禁止されている。それでもアーヴィンなしで、攻略対象たちと過ごすことが怖かったクロエが父親にお願いした結果、アーヴィンはとてつもない方法で学園に入学できた。
「まあ、公爵様がお持ちの伯爵位を私めにくださるとは思いませんでしたが。」
クロエに甘い父親は、いくつか持っている爵位のうち、サーンス伯爵位をアーヴィンにあっさりあげてしまった。おかげで彼は、貴族でなければ入れない王国学園に入学できたわけだ。
それで今、アーヴィンは「アーヴィン・サーンス伯爵」である。貴族子息が通うこの学園で、既に伯爵であるのだから、現段階なら王子の次に位が高いと言ってもいいくらいだ。ましてや、バックにソーデライド公爵がいるのだから。
「お父様はアーヴィンのことをとても気に入っているからね。」
「いえ。間違いなく、クロエ様のためです。いわゆる親ば……いえ、何でもありません。」
親ばかという言葉は避けたようだが、クロエの父親がクロエに甘いのは今に始まったことではない。
「ともかく、公爵様も、クロエ様のご結婚には非常に気をもんでいらっしゃいます。クロエ様は王子と結婚する気があるのかないのかと私もよく聞かれます。クロエ様、本当に王子をソフィア様に渡すつもりなのですか?」
「もちろんよ。そうでないと国が滅びるのよ?」
「そうですか?……それで?王子がソフィア様と結婚するとして、あなたはどうなさるのです?まさか、ユーリ様をお考えですか?」
「ち、違うわよ。言ったでしょう?前世の私が好きだったのはあくまでゲームのユーリで、今のユーリは全然そんなんじゃないんだから!」
「そうおっしゃるわりには、ずいぶんとユーリ様を気にしていらっしゃる。」
「それは、今のユーリがダメダメだから!側近育成のためだから!」
自分で言っていて、クロエは悲しくなった。
前世の推しが、なんだかダメダメになっていて、解釈違いも甚だしいと思うのに、顔は推していたままのユーリだから、ついつい見惚れてしまうのだ。それはもう前世ではゲームの中とはいえ、恋人だったのだから見逃してもらいたい。
アーヴィンは容赦しない。
「王子でもない、ユーリ様でもない、ではクロエ様はご結婚はどうなさるのです?」
「あー。それは……。」
父親に二つのことを許可されている。入学前に、父に呼ばれ、珍しくアーヴィンなしで父と話した内容だ。一つ目は言えるので言った。
「あのね、お父様は、王子と結婚したくなければしなくていいって。その場合、結婚そのものもしたくなければしなくてもいいって。」
もうひとつの方はクロエには言えない。
むしろ、なんでそんな無体なことを言うのかと父に怒ったくらいだ。でも、父はいつもの余裕な笑顔で、「そうかな?お父さんはなかなかいいアイディアだと思うけどね。」としゃあしゃあ言ってのけた。その内容と言うのが……。
アーヴィンが言った。
「公爵様がおっしゃったのは、あともうひとつありますよね。私と結婚して、一緒にソーデライド家を継ぐという選択肢。」
クロエは噴き出した。
「ア、アーヴィン、そ、そ、それ、なんで?……お父様よね……いつ聞いたの?」
恥ずかしいやら、気まずいやら、クロエがあわあわと慌てだした。
アーヴィンはにっこりと笑った。
「一年前に私に伯爵位をくださった時、公爵様からそのお考えを聞いていましたよ。」
「そ、そんな前に?!」
「ああ、安心してください。クロエ様がその気でないのに、王子のような猛プッシュはいたしませんので。」
「それは安心……って、そうではなくて!」
「そうではない、とは?」
「あ、あのね。私は公爵令嬢って地位を利用してあなたの人生を未来まで拘束しようなんて……しかも、結婚だなんて、そんな人道に反すること、絶対にしないわ。安心して。」
アーヴィンはため息をついた。
「なぜそれが安心だと思うんです?あのですね、クロエ様。私はクロエ様さえ良ければ結婚したいと公爵様にお返事しているんですよ。」
アーヴィンは真面目にそう言ったが。
クロエは全く理解しなかった。
「ええ?!あなた、ソーデライド公爵になりたかったの?」
「いえ。そういうことでは。」
「どういうこと?」
説明しても無駄そうだとアーヴィンはいつものアーヴィンの口調で言った。
「ソーデライド公爵家はあくまでクロエ様のものです。私は一生あなたの侍従として側にいるだけです。」
「ありがたいけど。もう伯爵様なんだし。」
「入学のために名前をお借りしただけです。学園を卒業したら、お返ししてもいいくらいです。」
「律儀ねえ。」
「私の話はもういいでしょう。それよりも、クロエ様。本当に、本当に、王子とソフィア様をくっつけたいのですね?」
「ええ、そうよ。」
「分かりました。では、ひとつ、試してみましょう。」
「え?何?」
クロエはわくわくしながら、身を乗り出した。今までもどんな困難もアーヴィンのアドバイスひとつで改善したのだ。今回もものすごく良いアイディアをくれるに違いないと期待した。
アーヴィンは言った。
「王子とソフィア様を近づける方法があります。」
「すごいわ。どうするの?」
「まずは、公爵様にお願いしてみましょう。すぐにいろいろ改善されますよ。」
「ええ?ソフィアに殿下を攻略をさせるのになぜお父様が?お父様にどんな力が?」
「やりようがいろいろあるという話ですよ。」
アーヴィンは、人の良い顔でにっこりと笑うけれども、そんな笑顔の時ほど怖いということをクロエは知っていた。
「この方法はうまくすれば、クロエ様が携わっていらっしゃる平民の学校問題も解決できるかもしれません。」
「ええ?王子攻略と学校問題が一気に解決って……そんな方法ある?」
クロエは首をひねった。
アーヴィンは自分の考えを説明した。それは単純で、しかしながらソフィアも王子も怒りそうなアイディアだった。




