2、《5歳》悪役令嬢、前世を思い出す
「こちらが、第一王子ステファン様だよ。さあ、クロエ。ご挨拶なさい。」
目の前の、幼くも麗しい王子には確かに見覚えがあった。
だがクロエは、王子の後ろに従っている側近候補の一人の姿を認めた途端、王子どころではなくなった。
彼女の目はその少年に釘付けだ。
黒髪、紫瞳、冷たく理知的な顔、そしてトレードマークの眼鏡!
間違いようがなかった。前世の推し、ユーリだ。
前世、クロエがはまりにはまっていた乙女ゲーム『傾国を照らす陽となれ』のユーリだ。
今は、お互いまだ5歳と幼いものの、それでもクロエが間違うはずがなかった。
成長後のユーリの面影を残しつつ、あどけなさが残る姿がまたクロエのオタク魂をくすぐる。
人気投票ではいつも最下位のユーリだったが、こうして人気一位のステファン王子の陰に立っていても、クロエには誰よりも輝いて見えた。
――なんて尊いんだろう。
しかし、瞬時に自分の立場を理解したクロエは、王子に向かってほほ笑んだ。
「初めまして。クロエ・ソーデライドと申します。以後、お見知りおきを。」
淑女の礼だって忘れない。だって、今からの一挙手一投足がすべて未来につながるのだから。
――ああ。ここは、乙女ゲームの世界。そして、今の私は悪役令嬢クロエなんだわ。
気付いてしまった以上、まだ5歳だからと甘えてはいられない。
あのゲームで悪役令嬢に救いなどなかった。必ず死んだ。ヒロインがどのルートを進んでも、必ず邪魔者として恋の障害となり、最後は処刑されたり、幽閉されて惨めに息を引き取ったり……まあ、必ず死ぬのだ。
――ここで、わがまま放題のダメ令嬢だとバレてはいけない!幼いけれども立派な淑女ってフリをするのよ!
王城に上がるのは今日が初めてのことだった。初めての王城、初めての王族。
でも、公爵令嬢クロエの辞書に緊張という文字はなかった。なぜなら、王族を除けば、公爵という最大の権力をもつ家のしかも最初の子供ということで、誰からも愛されるのが当然とばかりに生きてきたからだ。
過去の自分を振り返れば、それはもう尊大でわがままで、手のつけられないほどのダメ子供。
5歳にして立派な悪役令嬢となり果てている。
サボってろくに教わってもないマナーを最大限駆使して、冷や汗をかきながらクロエは懸命に淑女のフリに徹した。
王子との挨拶が終わると、次々と側近候補たちの挨拶が始まった。そちらも、きちんと相手の目を見つめ、きちんと好かれそうなほほ笑みを浮かべ、
――あなたを尊重してますよ。まだ側近候補の子供に過ぎないからって舐めてませんよ。あなたに挨拶してる間はあなたしか見てないですよ、それが礼儀だって知ってる令嬢なんですよ。
と、心の中で呪文のように繰り返しながら丁寧に丁寧に挨拶した。
――だって、ここにいる候補たち、全員攻略対象……つまり、必ず悪役令嬢を殺しにかかる人たちだもの。
だから、「敵ではありませんよ~。あなたに悪いことなんかしませんよ~」というのを最初のターンから示しておかなければならないのだ。
帰りの馬車の中で、クロエは一人反省会をしてみた。
自分では結構うまくいったような気がしている。相手の反応を思い返してみても、案外好意的だったのではないか?
――まあ、それもヒロインに出会うまでのことでしょうけど。
ため息が出るのは、何もゲームの展開のせいではない。彼女の前世も、まあ、悪役令嬢に似たようなものだった。
ゲーム以外のことはぼんやりとしか思い出せないが、恋人はおろか友だちもいない人生だったことだけは覚えている。
誰かと親しくなりたくて、話しかける努力はいつもしていたのだが、なぜか嫌われた。お勉強だけはできたけれど、競争社会に出たとてあまりコミュニケーション的な能力があるとも思えず、市役所ならと就職した。だが、公務員と言えど、やはりコミュニケーション能力は必要だったらしく、最初の部署で嫌われ、一年で部署替えになったのを皮切りに、次々にたらいまわしにされた。
前世の記憶など、全然鮮やかではなくて薄ぼんやりとした記憶だというのに、嫌われていたことだけは覚えているから悲しい。
そんな悲しい人間にだって、二次元なら友だちも恋人も出来た。それが乙女ゲームだった。
『傾国を照らす陽となれ』は、題名の通り国が傾く時代の狭間で、ヒロインが攻略対象者と一緒に自分を投げ打ってでも国を救うという自己犠牲的なストーリーと、攻略対象者たちがそれぞれ悩みを抱えているという陰りのある展開が乙女たちの心をわしづかみにした。
前世のクロエもわしづかみにされた一人。課金を繰り返し、推しのユーリのそっけない逢瀬に身悶えし、何度も周回した。
――前世からの自分の性格を考えると、ヒロインじゃなくて良かったわ。コミュニケーション上級者じゃないのに、元平民の身分で王子にトライするとか無理だし。ましてや攻略対象者の悩み相談とか、レベル高すぎて無理、というか不可能。
悪役令嬢なら前世からの慣れっこだ。まあ、悲しい思いに慣れっこってだけで、ちゃんと一回一回きちんきちんとそれはもう丁寧に傷つくのだが。
それでも、ゲームを思い返せば最後に殺される悪役令嬢がなんだか可哀そうで。
感情移入ならむしろこの世界で一番彼女にできそうだ。……みんなに嫌われるっていう一点で、だが。
無論、それ以外は分からないことだらけだ。
例えば……。
――なんでゲームのクロエは、あんなにみんなに嫌味ばかり言ってたんだろう。
――それに、性にも奔放とか言って、王子の目の前で従者といちゃついたりとか、それでどうなるか分かりそうなものではないか。
――そもそも、あまり好きでもなさそうな王子との婚約をなんで引き受けたんだろう。
考えれば考えるほど、なんだかゲームのクロエは今の自分とは他人のような気がした。
そうはいっても、現世ではクロエは自分だ。ゲームのクロエを参考に、あの忌々しい断罪劇を避けて、生きながらえるのだ。
無論、中身が自分である以上、チートだとか溺愛だとかは無理だ。とするならば、助けてくれる誰かなど、現れるわけがない。……そう、自分以外。
――見てて、クロエ!私、あなたを救済してみせる!
クロエはゲームを思い出しながら、生き残る算段を始めた。
厄介なのは、悪役令嬢クロエ一人を救済してもどうにもならないということ。
――ゲームの名前に「傾国」ってあるくらいだから、あのゲーム、すぐに国が滅んで、貴族はみんな死んでいくのよね。
そんな展開では、たかが卒業パーティーの断罪劇をすり抜けたとしても、国ごと滅ぼされる。それでは結局、悪役令嬢救済にはならない。
――まずは、クロエを絶対に第一王子の婚約者にはしない。
これで、断罪からは大きく一歩離れるはずだ。
――あとは、傾国にならないように、王子は絶対にヒロインとくっつける!
王子ルートだけが唯一の戦争の起こらないルートだ。つまり、ヒロインが王子ルートをたどれば、戦争は起きず、貴族であるクロエの身も安全なのだ。
①クロエを第一王子の婚約者にしない。
②ヒロインに、王子のみの攻略をさせる。
この二つさえ守れば、クロエの救済も出来、さらには国も守れそうだ。
――よし。この二つは絶対として、あとはさらに、ヒロインが王子攻略を終えた後に迎える国の立て直しのいざこざも防いでおいた方が、クロエ的に安心よね?うん、細かい計画を練ろう!
頭の中で、あーだこーだ考えていると、クロエはふとあることに気付いてしまった。
気づいてはしまったが、そんなこと起こるはずもないし、自分にそんな権利はないのだと否定した。いや、否定してもクロエは一人顔を赤らめて興奮している。
――いやいや、ナイナイ。このコミュニケーションど下手くその私が、推しのユーリと、と、と、とも、ともだちになったりとか!いやいや、ナイナイ。あり得ない。また、嫌われて終わりなんだからどうせ。……でもでも、全くないとは言い切れないじゃないの?ヒロインには王子がいるんだから、ユーリは失恋するんだから、そこで慰めたりとかして、万が一、いや、万が一よ?もしかして、もしかしての話よ?あわよくば、あわよくば……ユーリと、こ、こ、こいびとになったりとかして~~~!
そんなのあるわけないでしょと自分で突っ込みをいれながらも、「あわよくばユーリと恋人になる」という前世からの夢が現実に起こり得る可能性に、クロエは興奮せずにはいられなかった。
一瞬、「そんなわけないか。」と冷静さを取り戻したが、今日見たユーリの美しさを思い出して また身悶えるのだった。