19 、《15歳》悪役令嬢、入学式でヒロインと再会する(ので現時点の王子の溺愛アピール、対応に困ります。)
王国学園――アッシュフォード王国の貴族は15歳になると通うことが義務付けられている学校。今日はその入学式。
クロエは緊張の面持ちで学園へと向かう馬車の中にいた。
――いよいよ乙女ゲームの本筋ストーリーが始まるんだわ。
クロエはここまでの長い時間、ヒロインと王子が結婚できるよう下準備を重ねてきた。あれだけ努力したのだから多分、こちらは問題ないだろうとクロエは信じている。
むしろ慎重にせざるを得ないのは自分のことだ。断罪や処刑が起こらないよう、しかし攻略対象たちが国のためになる人材に育つよう、うまく側近たちとも向き合ってきたつもりだ。
だがそれでも、ゲームのシナリオの力が強すぎると、こちらの想像を超えて何かが起こるかもしれない。
だから、いつでも他国へも逃げられるよういろいろな国に、家と商売基盤を作った。
今のクロエなら、処刑以外なら国外追放さえも、たいして困りはしないだろう。
今一番クロエを困らせているのは、王子だ。
――甘い。甘すぎる。……王子が悪役令嬢に甘いなんて……おかしい。
7歳でクロエと婚約を結んでから、王子の「婚約者を大切にしています」アピールが半端ない。
それはもう婚約直後の7歳から始まっていた。
人がいるところなら、どんなに短い廊下を歩くのだって、王子のエスコートがついた。しかも、クロエの顔を覗き込んで、いたわるようにエスコートを始めるのだ。
クロエは、乙女ゲーム『傾国を照らす陽となれ』は、ユーリルートばかりを周回していたから、王子ルートについてはあんまり記憶に自信はないが、少なくとも悪役令嬢にこんなに親切だった記憶はない。
――だって、悪役令嬢だもの!
今日も、馬車が学園に着き、侍従アーヴィンがエスコートをしようと先に馬車から降りると、そこにはもう王子が待っていて、アーヴィンを無視してクロエに手を差し伸べてきた。
クロエはギョッとした。
――待ち合わせなんかしてなかったよね?……ってことは、ずっとここで待ってたってこと? 私、王子を待たせた?だいぶ不敬じゃない?
おそるおそる手を差し出す。
王子はその手をとって、クロエを馬車から降ろすと、
「おはよう、クロエ。制服、よく似合っている。」
と褒めた。
――いや、似合ってるのはそっちだから!
王子は前世の推しではないが、さすがは人気第一位だけあって、キラキラがすごい。
学園の制服も、王子のために作られたんじゃないかと思うくらいにばっちり似合っている。
「あ、ありがとうございます。殿下こそお似合いですわ。……それで、あの、殿下。もしかして、ここでずっと待っていてくださったのですか?」
「うん。君の制服姿を一番最初に見たかったからね。」
そう言うと、安定の甘さでクロエの腰に手を回す。
その言葉と行動にいまだ慣れず、「ヒーッ」と硬直するクロエ。
王子はクロエの気持ちなど、分かっているのかいないのか、
「ああ、本当によく似合っている。かわいい。クロエ。」
と、クロエの腰を自分の腰に寄せた。
すぐに王子の後ろから、側近三人衆が王子を止めた。
「殿下。距離が近過ぎです。クロエが恐怖を感じています。」
「殿下。ここは学園です。クロエの腰に触るのはダメです。」
「殿下。普通に通行の邪魔です。さっさと歩いてください。」
王子は三人には視線もやらず、クロエに向かって、
「入学式では、私たち二人による入学の挨拶があるからねえ。さあ、一緒に行こうか。」
と腕を差し出した。これなら普通のエスコートだとクロエは安堵したが、
――ん?待てよ?
と立ち止まった。
――学園の中でエスコートっている?
三人を見ると、やれやれというように首を横に振った。
どうやら、王子のエスコートは止められないようだ。
――じゃあ、仕方ないか。それより……。
クロエはちらっと見た側近三人の制服姿に身悶えた。三人とも、ゲームのスチルと同じく美しい。いや、三次元である分、ゲームよりも美しい。
もう、王子も含めた四人の攻略対象に、課金して土下座して拝みたい気持ちになった。
特に、ユーリだ。前世の推し、ユーリは、ゲームのスチルを百倍綺麗にしたみたいに美しかった。
――やばい。神様、どんなご褒美ですか、これ。
この美しく成長したユーリと、これから毎日学園生活を送ると思うと、クロエは鼻血が出そうだ。
――いやいや。落ち着けクロエ。あなたには、ゲームのクロエを救うって使命があるのよ。ちゃんと淑女らしく!
とりあえず、王子の腕を取る前に、王子と三人の側近に優雅に挨拶をした。
「殿下、皆様、ごきげんよう。今日から学園ではよろしくお願いいたしますわ。」
お辞儀も笑顔も優雅さを忘れない。そう、ここまで長きに渡って、落ち着いている淑女のフリを学んできたクロエに、こんな挨拶など朝飯前なのだ。
王子も、三人の側近も笑顔で言った。
「これから三年間、よろしくね、クロエ。」
◆◆◆
入学式が始まった。
王子とその婚約者であるクロエの席は講堂の一番前のど真ん中だ。
二人が座る両脇の椅子には誰もおらず、空けてある。それは貴族暗黙の慣習で、王族とその関係者が座る周囲の席は空けることになっている。だから、いつもは遠慮なく王子の近くにいる側近たちも、王子やクロエから座席二つ分離れて座っている。
――実は、この空いた席もゲームでの重要なポイントなのよね。それにしても……。
クロエは講堂の様子や先生方の姿にまで、
――ゲームと同じだわ!
と身悶えていた。
――いよいよゲームの本番が始まる。身を引き締めて全集中で挑まなきゃ。
とは思うものの、「あ。あれ、ゲームで見た!」「あ。あんな感じだったのね。」と講堂内全てがクロエの集中力を奪ってしまう。
――いけない、いけない。もうすぐ学園長の挨拶だわ。
学園長挨拶は、ゲームスタートの合図だ。
学園長が挨拶を始めて間もなく、ヒロインが登場するのだ。
案の定、学園長の挨拶が始まってすぐに、講堂後方の扉が勢いよく開かれた。
「すみません!遅刻しました!」
――ほら。ヒロインの登場だ。
皆が後方を振り返る。クロエも後ろを向いて確認した。
――うん。ヒロインだ。……名前は、ソフィア。ソフィア・ヨーク。
一年前、クロエがソフィアをヨーク家の養女にさせた。ソフィアの家にはおいしい話だが、ヨーク男爵にはなんら旨みのない話だ。しかし男爵は、『あなたは奴隷』シリーズで世話になったクロエの願いだからとあっさりとソフィアを養女にしてくれた。男爵の娘たち、ヨーク家姉妹も「クロエちゃんが言うんだから、何かあるんでしょ?」と深くは聞かずに簡単に賛同してくれた。
――本当は、ゲームのシナリオの強制力が働いて、勝手にソフィアが男爵の養女になるのだと思ってたのよね。
しかし、男爵家と一向に知り合わないソフィアに業を煮やして、わりと強引に養女にさせたりその他諸々手を尽くしたりして、ヒロインが学園に入学できるよう手はずを調えた。
とはいえ、悪役令嬢の自分が、シナリオ上の会うべきシーンの前にヒロインと会うのは憚られて、ヒロインの前に姿を出さなかった。
だから、ソフィアと会うのはあの『王子のお茶会』以来。実に7、8年ぶりだ。
あの時もたいそう愛らしい姿だったが、ソフィアは相変わらずかわいらしい。いや、成長してかわいさ成分が大幅増量中にしか見えない。
皆の注目を浴びて、さすがに自分の失敗に気づいてか、顔が真っ赤だ。それがまた彼女のかわいらしさを上乗せしている。
ソフィアは、あまりの恥ずかしさにさっさと席に座ろうと空いている席を探すが、席が見当たらない。
中ほどならあるが、椅子が横に繋がっているタイプだから、中ほどに行くならその列全員立たせて一旦避けさせねばならない。そんなことをしなくてもいい席を探していた彼女は、最前列の中央付近に席を見つけた。
王子の隣りだ。
多分周囲は「教員止めろよ!」と思っただろうが、ヒロインはヒロインらしく行動が早い。さっさと王子の隣りに腰かけて、
「良かった~。座れた~。」
と安堵のため息をついている。その姿も愛らしい。
――そうそう、これこれ。王子の隣りに座るなんて、貴族の常識からは考えられないところだけれども、ヒロインは平民だから、そんな常識は知らないのよね。それに、王子の姿も知らないから、この人が王子だとも気づかない。そして、この後のセリフは……。
クロエがゲームのセリフを心の中で言うと、ソフィアが王子に向かって言った。
「あはは。騒がしくてごめんね。私、ソフィア・ヨーク。あなたも新入生でしょ?隣りの席になったのも何かの縁だもの、よろしくね!」
――ハイ、ゲーム通り。
クロエは生で見る乙女ゲームに、興奮気味にソフィアを見た。
――いや、ヒロイン、本当にかわいいね?かわいさレベルに天井がないね?
生ヒロインに悶えそうだ。
――いや、抑えろ私。内なる野獣に負けるな。今の私は前世のオタク喪女じゃないのよ?立派な淑女、ソーデライド公爵令嬢なのよ。そして、今は、仮とはいえ、王子の婚約者。こんな目立つ場所でニヤけるわけにはいかないの!
そう思うのに、さらには王子がソフィアに興味をもち始め、会話が始まると、興奮で息すら上がりそうだ。
――そうなのよね。普段真面目な王子が、初対面の平民の女の子といきなり話が弾むっていう不思議演出なのよ。でも、王子!分かるわ!だって、ヒロイン、かわいすぎるもの!
クロエの席からは、王子の表情までは見えないが、きっとヒロインの魅力に骨抜きって顔をしていることだろう。
――学園長の講話を無視しておしゃべりするなんて、今までの王子では考えられないことだわ。やるわね、さすがはヒロイン。……だけど、私にも悪役令嬢としてのお仕事があるの。悪いけど、ちょっとだけ王子を借りるわよ、ソフィア。
クロエは、「よし。」とばかりに姿勢を正し、それから王子にしなだれかかる勢いで、鼻にかかった声を出した。
「殿下ぁ~。そろそろ私たちの挨拶の番ですわぁ~。」
ちょっとゲームを意識しすぎて、言い方が間延びしてしまったなあと思いつつ、クロエは、ゲームのクロエのように、王子の腕に自分の腕を絡ませた。
王子が振り返る。
――よし!ゲームの通りね。そして王子は悪役令嬢に、ちょっとだけ困ったなという顔を向けて、それから腕を離すのよね。
クロエは腕を離される用意をした。しかし、そうはならなかった。
王子は、いつもの王子スマイルで、「そうだね。」と言って、絡ませたクロエの腕に自分の手を置いて、クロエの目を見つめてニッコリ。
いつも通り、「王子は婚約者を大切にしています」アピールが炸裂している。
――うん?どうした王子、違うだろ?
クロエは首を捻る。
――王子、悪役令嬢が人前で腕を触ってきたんだぞ? ここは「悪役令嬢には困ったなあ」って顔でいいんだよ?……まあ、この王子はゲームの王子以上に完璧王子だからなあ。にしても、気になる女の子との会話の途中で悪役令嬢に邪魔されたというのに心広過ぎでは?婚約者対応が神過ぎる。
王子にはソフィアの手前、「今はクロエに婚約者ぶってほしくない」という顔を見せておいてもらった方が今後の恋の展開には有利な気はするが。
――王子の完璧王子ムーブはゲーム以上だからな。
とクロエは気にしないことにした。
続いて王子とクロエ、二人の名前が呼ばれ、王子のエスコートでクロエは壇上へと上がっていく。
ステージ中央のマイクの前で挨拶をしながらソフィアを見ると、信じられないという顔で二人を見ている。
――そうよね。話しかけた相手がこの国の王子様だなんて、それは驚くわよね。でも大丈夫よ。今、王子が席に戻るまで待っていてね。
クロエは心の中で話しかけた。
挨拶が終わり、二人は席に戻った。
しかし、ソフィアは青ざめたまま、俯いて、王子の方を見ようともしない。
王子がクスッと笑って、それからソフィアの耳元に何かを囁いた。
その途端、ヒロインの顔がボンッと赤くなり、何か小声で王子に抗議し始めた。
王子が、ゴメンゴメンと言ったようだ。
――すごいわ、ヒロイン!もう二人の世界じゃない!
クロエはヒロインの王子攻略がうまくいっていることにニヤけそうになり、その顔を隠すために額に力を入れて真面目な淑女の顔を装った。クロエの思惑はともかく、実際にはその顔は、クロエがヒロインを睨んでいるようにしか見えない。
しばらくは、顔面の調整に苦労していたクロエだったが、ふと、
――ああ、これで王子の「婚約者大切にしてます」アピールが終わって、悪役令嬢扱いが始まるんだなあ。
と考えた時、なんだか寂しい心地がしたような気がした。それが妙に後ろめたくて、慌てて、
――ヒロインの王子攻略がこんなに早く進んで良かった!
と心の中で叫んだ。




