18、《7歳》「王子のお茶会」④悪役令嬢、ヒロインと出会う
いよいよ『王子のお茶会』が始まった。
クロエが気をつけなければならないのは、二つ。
ユーリの動向とヒロインの登場だ。
ヒロインの名前は分からないものの、顔とドレスなら分かる。ヒロインは、ゲームのクロエと似たような色とデザインのドレスを着ていた。ドレスが似ていたことも、ゲームのクロエがヒロインのドレスにジュースをかける原因になっていたはずだ。
今日はアーヴィンの機転で白いドレスだから大丈夫、ヒロインいじめは起こらないとクロエは呪文のように自分に言い聞かせた。
入り口を何度も何度も見た。お茶会開始時の、王子の挨拶が始まっても、ヒロインの姿は見えなかった。
とうとう王子の挨拶が終わり、お茶会がスタートしても、ヒロインは現れない。
ゲームでは、ヒロインがいつ現れたかなんて出てこなかった。
そもそもヒロインは遅刻が多い生き物だ。一番記憶にあるのは、入学式に遅れてくるイベント。入学式の学園長挨拶の途中、大声で「すみません、遅刻しました。」と入場してくる。それの是非はともかく、遅刻癖があるヒロインなら、『王子のお茶会』も遅れてくるのかもしれないとクロエはずっと入り口チラチラ見るはめになった。
予定ではユーリの近くにいて、ユーリの防波堤になるはずだった。
でも、たくさんの大人たちが、クロエのところに列を成して、ユーリどころではなくなった。最も多かったのは、やはり警護団のことを聞こうとする大人たちだ。
――そういうのは、父親である公爵様に聞きなさいよ。
と思わないでもなかったけれども、どうやらその人たちはクロエの父である公爵に「クロエに聞いてくれ」と言われて来ているらしいことが分かり、クロエはぐっと拳を握った。
――まあ、ここは社交の場だから、いろいろな人と話して社交に慣れなさいっていう親心でしょうけど。でも。でもね、お父様。それは、今日でなくていいの。今日の私にはやることがあるの!
とも言えず、クロエは母と一緒に大人たちとの会話を……いわゆる社交を繰り広げた。
途中で、「自分が見逃しただけで、ヒロインはもう王子攻略に入っているのでは?」と王子を見たけれど、王子こそ、長い長い挨拶の行列の先にいて、攻略どころか長めの会話も無理そうだった。
――ヒロイン、なぜ来ない?
クロエが現れないヒロインにやきもきしている時だった。
クロエの後ろにいる貴族子息たちの会話がクロエに聞こえた。
「さっきのユーリは笑えたな。」
「そうそう。俺たちの用意した菓子とあまり変わらない菓子なのに、自分だけ苦労して用意したみたいな顔をしてさ。」
「お茶は王子が用意するから、じゃあ菓子を用意しようってアイディアは俺たちと一緒じゃん?なのにユーリは、自分だけ特別だと思ってるんだぜ。笑える。」
「本当だよ。それにサイラスも腹が立つよな。なんかあの言い方じゃあ、菓子なんかどうでもいいって感じだったよな。」
「ああ、あれだろ?サイラスが言った『王子殿下は、お茶会そのものを成功させるのが我々の仕事だとおっしゃっていた』ってキザなセリフだろ?つまりお菓子なんかどうでもいいって言いたいんだよ。腹立つ。」
「そうだよ。それで結局、俺たちがお茶会の雰囲気壊したみたいにされて。」
「まったくだ。雰囲気を壊していたのはユーリだけなのに、なんだか俺たちまで悪いって空気にされて。全部ユーリのせいだぜ。」
「いいじゃないか。皆で責めたら泣きそうな顔で出ていったじゃないか。あの時の顔ったら!笑える。」
集団で貴族子息たちが嫌な笑いをしている。
クロエはもう真っ青だ。
ヒロインの登場に気を奪われて、ユーリのいじめイベントが進んでいたことに気づなかった!
ユーリはもうこの会場を出て、ゲームの通りなら、東のあずま屋にいるはずだ。
――すぐに行かなきゃ。
クロエは、丁重に、急用が出来た旨を伝え、あとは母に任せて会場を出て、東のあずま屋に向かった。
――そこにユーリ一人ならいい。でも、もしもうヒロインがいたら……。
焦りながら全力で向かうと、はたしてユーリはそこにいた。
後ろ姿だったが、クロエが間違えるわけがない。
クロエはホッとしながら声をかけた。
「ユーリ。こんなところにいたんですのね。」
ユーリがゆっくり振り向いた。
返事を待たずにクロエは、いつもの嫌味な悪役令嬢ムーブで言った。
「ユーリ。あなた、殿下の側近候補ですのに、会場にいらっしゃらないから、わたくし、注意してさしあげようと探したんですのよ。」
「はあ。それはどうも。」
ユーリには珍しい、気のない返事。
一瞬、クロエも、「あれ?どうしたユーリ。」と思わないではなかったけれど、悪役令嬢らしくお小言を続けようとした。
しかしできなかった。
今、クロエには、先ほどまで建物の陰で見えなかったユーリの向かい側が見えていた。
そこに見えたのはピンクのドレス。ああ、間違いなくヒロインだ。
クロエは息をのんだ。
――ユーリが攻略されてる……。
ヒロインがアステッド帝国に行っていなかったという安堵を味わう間もなく、既にユーリとヒロインが出会っていたという事実に愕然とした。
バクバクする胸を片手で押さえながらも、ヒロインをユーリから離さなければと画策する。とにかくヒロインを王子のところに向かわせるのだ。
クロエは大きく息を吸った。
「まあ。あなた! 今日の招待客ですわよね? 招待客なら、なぜ会場にいらっしゃいませんの? わたくしたちはまだ幼いとは言え、貴族の家に生まれた以上、お茶会では交流をもって、皆様とお知り合いになることがお仕事でしてよ?自覚が足りないのではなくて?」
勢い余って、「オーッホッホッホ」なんて計画外の高笑いも出てしまった。
――なんてベタな悪役令嬢だろう。ほら、ユーリが今日も引いている。
もうすっかり嫌われ令嬢だ。
――ううん。ともかく今は、ヒロインを王子のところに連れていくのが先決よ。
「さあ、そこのあなた。会場に戻りますわよ。」
クロエは手を差し出した。
ヒロインは、その手をじっと見つめてからクロエを見た。
「会場に?」
「ええ。お茶会の招待客ですのに、王子殿下へのご挨拶がまだでしょう?一緒に行ってあげますから、さあ。」
しかし。そこにユーリが割って入った。クロエと対峙の構図だ。
「クロエ。俺たちならまだいい……でも女の子にまで意地悪言うのはダメだ。」
衝撃だった。うざがられているだろうとは思っていたけれど、まさか意地悪とまで思われていたとは。
クロエは言葉も出なかった。
その時、ユーリの後ろから鈴を転がすような愛らしい声が響いた。
「違うでしょう?」
クロエは彼女を見た。ユーリも振り返って彼女を見たけれど、彼女はクロエだけを見据えて、嬉しそうに最上の笑みを向けた。
「あなた優しいのね。」
――優しい?
優しいなんて、現世でも前世でも言われたことがあっただろうか。
クロエの呆けた顔に、ヒロインは「ふふっ」と笑って続けた。
「初めて会った私を心配して教えてくれて、さらには一緒に連れていってくれるなんて……優しい人。それに……。」
ヒロインは天使のようなほほ笑みで続けた。
「それに、とってもキレイ!お姫様だわ。」
美しいヒロインに「キレイ」と言われて、クロエの中の悪役令嬢成分は霧散しそうになった。それでもクロエは頑張って否定した。
「わたくしはお姫様ではありませんわ。」
「貴族のお姫様でしょう?」
「……会場に戻れば本物の王子様がいましてよ。さあ、行きましょう。」
かなり強固に言い、かなり強引に手を引いたが、ヒロインは笑顔のまま首を振った。
「私ね、もうすぐ平民になるの。今日ここへ来たのは、貴族の思い出にって両親がこんなドレスまで用意してくれたから……ただそれだけなの。」
だから、貴族との交流も、王子への挨拶もいらないと言う。
今、もうクロエには、ヒロインを王子のところに連れていく口実はなくなった。
ヒロインは、「もう行くね。」と、会場とは違う方向に走り出した。
「またどこかで会えたらいいね、優しいお姫様!」
と大きく手を振りながら。
ユーリは、ヒロインの名前を叫びながら、彼女の後を追った。
クロエは、一人その場に残された。
失敗を悟ったクロエだったが、もう落ち込んでいる暇はないと顔を上げた。
――大丈夫よ。ゲームのストーリー本編は『学園編』だもの。勝負はこれからよ。
国を滅ぼすわけにはいかない。ユーリに悲しい思いをさせたくない。何より、クロエを断罪からの死に向かわせるわけにはいかないのだ。だとすれば、クロエにはやるべきことがたくさんある。
一瞬、さっきのユーリの言葉が浮かんで、クロエの未来に不安がよぎったが。
――もう立ち止まったりしない。
クロエは覚悟を決め、歩きだした。
こうして『王子のお茶会』は、終わった。
お茶会での評価が高かったサイラスとアレックスは正式に王子の側近に選ばれた。途中会場を抜けていたにも関わらずユーリも側近の中に入ったことは、他のライバル貴族子息たちからひどく不思議がられた。
◆◆◆
そして。
『王子のお茶会』からしばらくして、王子とクロエの婚約が決まった。




