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何でも叶う

作者: 森の手

 秋生は私が口にしたことをなんでも叶えてくれる。

 例えば虚空に向けて何気なくケーキ食べたいと言ったとする。まさか秋生がきいていたなんて思わない。でも少ししてピンポンとベルが鳴り、お隣さんや友達がケーキを持って立っている。

 二重跳びができるようになりたいと言った。すると街で女性に声をかけられた。小学校の同級生で、今教師をしているという。

 話をしているうちに、あんたクラスで一人だけ二重飛びできなかったわよねなんて話になる。それでそいつが縄跳びなんてものをカバンから出すのだ。未来の道具みたいなノリで。

 そうして特訓になり、その日のうちに二重跳びができてしまう。……だからといって、三重跳びがしたいとは思わないようにしている。

 そういう小願い事ともいえないつぶやき事を、幾度となく私は叶えられてきた。


 彼自身はそのことを知らないみたいだ。私もあえて言わない。

 まさに常設の魔法のランプだ。ランプの中に暮らしていると言っても過言ではない。


 その経験から分かる。もっと大きな物事、例えば総理大臣になりたいとか言ってもならせてもらえると思う。それが私の願いなら。

 多分、アメリカ大統領だって可能だろう。

 それを私が口にした瞬間、いきなり背中にジェット噴射でもつけられたように、その目的に向かって突っ込んでいくのだ。

 命の保証はない。いや、願いを叶えるのだから保証はされる。ただ、二重跳びでは翌日の筋肉痛がすさまじかった。それで分かる通り、身体への負担は相当なものだ。

 でも精神の保証はされないだろう。極端な話、うかつなことを口走ると、それが崖から足を滑らせるのと似たような結果を引き起こすことになりかねない。

 それに総理大臣にしろ大統領にしろ、なったらあとのことも考えねばならない。後には引き返せない。それが私の人生の終点になるかも知れない。


だからつぶやきは元より彼への願い事は、薄皮から薄皮を剥ぐような精密さと慎重さが必要なのである。

 寝坊して電車に遅れそうなんてときは要注意である。今すぐ駅へ行きたいと口にすれば、暴走タクシーやらライダーやらがやってきて、ミッションインポッシブル的な世界に巻き込まれるだろう。そう覚悟した方がいい。

 昔、新幹線の時間に遅れそうなときがあった。ヘリが迎えに来てくれた。私を誰かと間違えたらしい。高層ビルのヘリポートまで送ってもらった。

 でもそのとき、こんなことを思った。

 ヘリはナメクジみたいにその辺の草の間から勝手に涌いてくるというわけではない。

 すべては人と会社と物で成り立っている。

 つまり飛び立つまでは駐車している場所や燃料、もちろん操縦する人がいる。

 操縦者には家族がいる。もしヘリが事故を起こしたら? あるいは私を乗せたとき、緊急出動の要請があったら?

 はからずも迷惑をかけてしまうことになる。

 それにあまりにおかしなお願いをすると、地中海に突如原因不明の大穴が空いたとか、紛争が持ち上がるとか、そういうことになることも大いに考えられる。


 それである時期、私は意識的に要求を何も口にしないことに決めた。

 でもだめだ。

 だめなのだ。

 だめだめなのだ。

 だって一緒に暮らしているのだ。あーお腹すいたなんてしょっちゅう言うし、痩せたいとか、ハワイへ行きたいとか。

 言う。言うよ。

 すると誤配達でご飯がくるわけだ。有名なヨガの先生を紹介される。友だちがハワイで挙式する。

 でも可愛い方だろう。お金はちゃんと払うんだから。

 だからそれくらいならいい。

 なんて油断していると、突然仕事をクビになったり、ストレスで激太りしたり、生活費を宝くじで稼いだりするようになっていくのだ。

 もちろん一生食うに困らないお金を一瞬で得ることもできるだろう。実際そうしたこともある。

 最初のうちはいい。身体が休まる。好きなことができて楽しい。でもあとは砂漠を延々と歩いているような、一生そんなことをしなければいけないと思い込んでしまうようなすんごい暇がおとずれる。

 どんどん舌が肥えていく。些細なことで不機嫌になりやすくなる。くだらなくてやたらお金のかかる独自のストレス解消法にハマる。変人の誕生だ。


 ということで、私はそれらをいったんチャラにして、堅気の仕事を始めた。

 彼へのお願いは一日一つと決めた。度を越さない程度のものを。それから悪口とか、不満を言うのは特に気を付ける。

 一方でそんな私の人生に寄り添う当の秋生はと言えば、平然としている。

 私が宝くじを当てて発狂するほど喜んでも、贅沢三昧で目を吊り上げて生活しているときも、またアフター→ビフォーみたいな激太りしても、普通に会社に行き、わずかな金を家に入れ、伝書鳩みたいに帰ってくる。

 自分で自分の願いを叶えた形跡はない。自身には力を使えないのかも知れない。


 彼は中堅の出版社に勤めている。寝ているとき以外は本に囲まれている。それで幸せのようだ。

 ひとつ屋根の下で楽しく暮らしているというのに、凪とハリケーンが同時存在しているようだ。グランドラインか。

 今秋生は書斎にいる。本でも読んでいるのだろう。私は台所で牛タンシチューを煮込んでいる。

 今日はまだ彼に願いを叶えてもらっていない。昨日は背中を掻いてもらった。その前は脱いだ靴下を裏返しにして洗濯籠に入れてもらうことを約束させた。もはや願いなのかただの頼み事なのか。

 ちょっとそろそろ大きなことをしてみたい。なんてことも思う。こんなことでは何かが鈍ってしまう。

 でも私はその考えを即座に打ち消す。

 だってこんなことを考えて、彼の前でぽろっとこぼしてしまえば大変なことが引きおこされるだろう。その何気ない一言で地球に穴が開くかも知れない。


 シチューの味は良い。牛タンのかたさがいまいちだ。

 だが不穏なことを考えるなと言い聞かせると、余計そのことを考えてしまうのが人間の常である。ここ最近、物置小屋から出したようなポンコツな願いしか言ってこなかったという反動もある。

 それに、こうしてポコポコと泡を立てる茶色いシチューをじっと見ていると、変な想像が頭の中に湧いてくる。

 私がアメリカ大統領になる。そして友だちのさと子をファーストレディとして迎えたい。

 うん、多分それも叶えられるに違いない。

 なんてもう一人の私が受けあっている。

 そして二人で核ミサイルのボタンを全部破壊して、ミシガン湖の水を全部抜いて、六甲おろしを国家する。

 それはいい考えだ。

 いや、もう考えるな。

 フランス料理の本がテーブルにある。

 フランス料理のことを考えよう。

 フランスで生まれたからフランス料理と呼ばれているんだよな。だったらそれをインド料理ということにしてしまえないだろうか。

 これはいかに秋生といえども無理だろう。

 ああ、違う。

 でもちょっと気になる。

 これって秋生にも不可能なのでは。

 例えば何かの歴史を変えてみるとか。

 それを知っている人たちの記憶を全部変えなくちゃならないだろう。できるのか。

 思えばそういう願いはこれまで一度もしたことがなかった。

 でもあるいは、そういうことを言った瞬間、私の存在が消えてなくなるのかも知れない。

 ああ、だめ、良くない。今は美味しいシチューを作るんだ。牛タンを柔らかくすることに専心するんだ。じゃあそれを秋生に頼もう。何ならとろけるほどに柔らかい牛タンシチューにしてもらおう。

 いや、それはいかん。なぜなら、私が自分の手でそれを作りたかったから作っているのだ。


 晩御飯ができたことを告げに書斎に行く。秋生は机で本を読んでいる。シチューだと言うと、子供みたいに喜んでいる。「うん、ありがとう」なんて言って本を置いて立ち上がり、我先にとテーブルへ向かう。

 そんな彼の後姿を見ながら、今私の頭は、色々な好奇心や疑問がミラーボールのごとく輝き、ダンスホールの天井に集まるタバコの煙やホコリなんかと一緒に渦を巻いている。

 このまま同じテーブルについたら彼になんて言うか、自分でも分からない。

 でもそのとき突然思った。


 でも結局、私はやらないだろう。


 ちょっとだけ力を使っていい思いをするのが私の身の丈というものだ。 

 エプロンを外して、彼が椅子に置いた本の上にかぶせる。ペン立てのカッターが目にはいる。

 ロックを外す。チキチキと刃を出す。

 壁の近くには彼が育てていたアロエがある。

 私はカッターでその先っぽを切って、おもむろに秋生のところへ持っていく。


「これって、元に戻してほしいんだけど」


 決意と戸惑いの狭間のような心境で私はそう言っていた。

 口にした瞬間、もしかしたら世界が終わってしまうんじゃないかと思った。

 何か世界の決定的なタガが外されるのだ。

 地球の回転が逆になり、大地が裂け、マグマが顔を出す。無数の鼠が津波となって渋谷駅や代々木公園にあふれ、世界中全部の木々から驚いた鳥や虫が逃げ出し、すべての空を真っ黒に染める。

 異変に気付いた人々は窓から外を見上げる。でももう遅い。空が割れ、むき出しの宇宙の中にすべて物が吸い込まれているのである。


 秋生は椅子に座ったまま私の方を振り返る。それから私の手の中のアロエを見る。

「何を言っているの」と、彼は言った。「そんなの元に戻りっこなんてないよ」

 どうしてもそうしたいならセロテープでくっ付けておくことだねといって、彼は立ち上がって、皿にシチューをよそい始めた。

 それでも私は少しだけ彼の言葉を待つ。

 でももうないことが分かると、言われた通りアロエをテープで元に戻す。


 それから席にはつかず、湯を沸かしてコーヒーの準備をする。フィルターに粉を入れる手が震えている。

 彼が鳴らす食器の音を聞きながら、私はリビングのソファでコーヒーを飲む。

 5分が過ぎ、10分が過ぎる。周りを見る。秋生が背中で私を気にしているのが分かる。

 私は短く息をついて空のカップを流しに持っていった。

 世界はまだ壊れてはいない。時間もとりあえずは普通に進んでいるようだ。私が今見ているものが本当の景色ならば。

数年前の再掲です。初めてコメントもいただいたのですが誤って作品を消してしまい、書いてくれた方すいませんでした。

ちなみにコメントは大事にとっております。ありがとうございました。

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