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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夕景未來短編集

春空に君は羽搏く

作者: 夕景未來

 俺の隣の席に座っている上羽葉(あげは よう)は、クラスでもかなり浮いている変な奴だった。どこに居ても目立つ明るい緑色の地毛や野菜しか食べない嗜好(しこう)は勿論の事、授業中も心ここに非ずな感じで空を見ている事が多かった(成績は良くもなく悪くもなくという感じだったが)点が彼の変人さを際立てていた。元から病弱だとは聞いていたので体育の授業を見学しているのは不思議には思わなかったが、それでも気づいたら彼は空を見上げていた。  


 そして今もまた、彼はどこか遠くを見るような目つきで窓の外に視線を送っている。俺はそんな彼を見て一つ溜息を吐くと言った。 

「お前さぁ……毎日のように空を見てるけど、何が楽しいんだ?」 

 すると葉は何だか嬉しそうに微笑んで言った。

「空が同じ日って絶対ないじゃん?だから見てて飽きないんだよ。それに……」 

 そこで言葉を区切ると、視線を窓の外に向けて続ける。

「いつか背中に大きな羽根が生えて、こんな綺麗な空を自由に飛び回れたらいいなって思うんだ」 

 その言葉を聞いて、俺は少し馬鹿にしたように笑って言った。 

「馬鹿みてーな理由だな……お前らしいと言えばそうかもしれねぇけど」  


 あの時彼に放った言葉を、俺は後悔している。彼の言っていた事が単なる夢物語ではなく本気だった事に気付いたのは、卒業式の日だった。  


 冬休みが明け、三学期の始業式の事。葉は学校を休んだ。始業式から1週間経っても彼は学校に来なかった(欠席理由は長期入院だと聞かされていた)。  

 1週間分の配布物を届ける命を先生から言い渡された俺は、大きい茶封筒を抱えて葉の家に向かった。彼の家に行くのは夏休み以来だった。彼は両親を幼い時に亡くし、祖父と二人で暮らしている。家のインターホンを鳴らすと、彼の祖父が出迎えてくれた。祖父は俺を見ると微笑んで言った。 

「おぉ、夏彦(なつひこ)君じゃないか。いつも葉が世話になってるな。さぁ、入りなさい」 

 祖父の笑顔に安心したのか、緊張していた気持ちが和らいでいくのを感じた。居間に通されたが、そこに葉の姿は無かった。彼の所在を祖父に聞くと、申し訳なさそうな顔で言った。 

「葉は自分の部屋にいる。入ってもいいが、静かに入るのだよ」 

 その忠告に小さく頷くと、茶封筒を片手に葉の部屋の扉を叩く。しかし返答はない。鍵は掛かっていなかったので、音を立てないようにゆっくりと扉を開けた。そこは何の変哲もない普通の学生らしい部屋―――の様に見えたが、その壁には大きな(さなぎ)が張り付いていた。子供の時に昆虫図鑑で見た物より何十倍もの大きさであった。俺は言葉を失い、手に持っていた茶封筒を落とした。

 

―――長期入院だ、なんて嘘じゃないか。


 慌てて封筒を拾うと、彼の机の上にそれを置き部屋を出てそっと扉を閉じた。激しく鼓動する胸を押さえながら俺は居間の方へ戻る。居間には彼の祖父がコーヒーとお菓子を用意して待っていた。 

「あぁ、おかえり…どうした?」 

 俺の様子を見た彼は少し不思議そうな顔で問う。俺は一度深呼吸をすると、彼と対面の位置に座り言った。 

「……どういうことですか、あれは?」 

 俺の言葉の意味を理解した彼は少し俯くと言った。

「いやぁ……あれには私も驚いたよ。彼がまさか普通の人間では無かったなんて……葉は私が近くの施設から引き取った子でね。その時は私も彼が普通の人間だと疑わなかった。まぁ、彼がどんな存在であれ、葉は私の大切な孫さ……」

「それで……彼が目覚めるのは、いつ頃になるんですか?」

「恐らく春までは目覚めないだろう」 

「そうですか……」 

 俺は俯いてそう呟くと、意を決したように彼の方を再び向き、少し声量を上げて言った。

「これから毎日…いや、毎日は無理だけど……家に来てもいいですか?」 

 俺の要求に少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑むと彼は言った。

「構わないよ。きっと葉も喜ぶと思う」  


 あれから俺は毎日のように葉の家に行った。大学受験等の関係もあって行けない日もあったが、できる限り毎日行くようにした。彼の机に山積みになっていく書類が日の経つ早さを物語っていた。  

 気付いたら卒業式の前日になっていた。放課後、俺は膨らんだ茶封筒を抱えて葉の家まで走る。息を切らしながらインターホンを鳴らす。彼の祖父の出迎えを無視し、俺は速足で葉の部屋まで直行した。やはり鍵は開いていた。音を立てぬようゆっくりと部屋の扉を開く。二カ月前と全く変わらない光景。変わったことと言えば机の上の書類の量ぐらいだ。俺は机に積み上げた書類を端に寄せると、抱えていた封筒を開ける。中に入っていた卒業アルバムと色紙を取り出し机の上に置いた。俺はアルバムに視線を落としながら言った。 

「なぁ、葉。明日は何の日か知ってるか…?」 

 そう問うた所で返事が返ってこないのは分かっていた。俺は続ける。

「明日は卒業式なんだ。お前と同じクラスだったのは今年一年しかなかったけど……俺、お前と一緒にいられて嬉しかったぜ。みんなお前の事を変だって言うけどさ……俺はそういうのも含めてお前の全部が好きだ……って何言ってるんだ、俺……」 

 気付いたら視界が涙で溢れて朧気(おぼろげ)になっていた。制服の袖で涙を拭い、部屋の壁に張り付いた蛹に視線を向けて言った。 

「いい加減起きろよ、葉……俺もう耐えられねえよ……卒業式終わったら会いに行く、それまでに起きなかったら許さねえから」 

 そう言い残すと、俺は部屋を出て、彼の家を後にした。  


 卒業式が終わり、友人との写真撮影の要求を振り切って俺は葉の家に急いで向かった。俺は卒業祝いの小さな花束を2人分握りしめていた。一つが俺の分、そしてもう一つは葉の分だ。彼の部屋の前まで着くと、俺は扉を開けた。昨日と変わらない光景、動く事のない蛹。俺はその場で膝から崩れ落ち、堰を切ったように泣いた。 

「起きろって…起きろって言ったよな……!」

 俺は必死に叫んだ。叫び声は部屋中に響いていた。その声が届いたのか、薄膜が破れるような音が聞こえた。涙目になりながら顔を上げる。蛹が音を立てて割れ、中から色白の人間が姿を現した。背中に生えている濡れた羽根以外は一糸纏(いっしまと)わぬ裸体。俺は慌てて視線を逸らす。その人はゆっくりと体を起こし蛹の薄膜から抜け出すと、こちらを儚げな眼で見つめ言った。 

「あれ、夏彦……いたんだ」 

 その声と眼差しは明らかに葉本人だった。全体的に大人びていたし特徴的な明るい緑色の髪は白に近い金の長髪に変わっていたが目の前の人間(?)が葉であることは間違いなかった。俺は状況を整理するように深呼吸をすると、彼を見つめた後思い切り抱き締めて言った。 

「お前……!起きて第一声がそれかよ!!」

「え、ちょっと力強っ……」

「あ、悪い……」 

 俺は慌てて葉から離れた。彼は少し不満げな顔で寝惚(ねぼ)け眼を擦る。そして大きく深呼吸をすると、濡れていた背中の羽根がゆっくりと広がっていく。一言では言い表せない程に幻想的な光景が俺の眼前を支配した。 

「凄く…綺麗だ……」 

 考える間もなく俺の口からそう言葉が出た。彼は少し恥ずかしそうな顔で頬を掻くと、「ありがとう」と言って微笑んだ。俺は手に持っていた小さな花束を葉に渡す。彼はそれを大事そうに受け取ると、胸に抱いて言った。 

「これ……僕のために?」

「あぁ、今日は卒業式だって言っただろ?お前の分の卒業祝いだ」

「あ、そうだったね…嬉しい。でも…残念だけど、これは持っていけないや。机の上に置いといて」 

 そう言うと彼は花束を俺に返す。俺は悲し気にそれを受け取ると、机の上の卒業アルバムの隣に置いた。葉は少し俯くと、窓の方を見て悲しげに呟く。

「もうお別れか……夏彦、窓開けて」 

 俺は言われるままに窓を開く。雲一つない綺麗な青空に風に乗って舞う桜の花びらが映える。葉は「ありがとう」と呟くと俺の方を見て言った。 

「じゃあそろそろ行くね……」

「待ってくれ!」 

 俺は慌てて彼を引き止める。驚いた顔をした彼を他所に制服のポケットから携帯を取り出すと、アプリで音楽を流した。卒業式で俺達が歌った合唱の音源だ。 

「俺からの……いや、俺達からの餞別(せんべつ)だ」 

 携帯から流れる歌に感動したのか、葉の目から涙が零れ始めた。すると彼の身体が光を纏い始める。彼は涙を手で拭いながら言った。

「ありがとう…バイバイ……」 

 その言葉を最後に、彼の姿は一匹の小さな蝶に変わり、窓から大空の彼方へ飛び立っていった。

「さよなら……」

 俺の言葉は風に掻き消され、誰の耳にも届かなかっただろう。しかし、それでいい。部屋には俺の携帯から流れる『3月9日』だけが響いていた。

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