中編
早朝の薄暗い時間。
アレックは誰よりも早く出社して手紙を確認した。
陽も登り切っていないというのに、郵便ポストには一通の封書が入っている。
差出人はフィル。そしてその内容はおそらく昨日の許可証だろうということは想像できた。
古びたカギを取り出して開錠し――すぐに施錠して――、自身のデスクへと足早に向かう。
警備を行う初老の男性がエントランスにある待機場にいたが、顔を見るとテーブルへと視線を戻した。おそらく読書でもしていたのだろう。
二階に上がる硬質な靴の音が誰もいない事務所に響き渡る。
自身の部屋に入ると引き出しからナイフを取り出して丁寧に手紙を開いていく。
封書の中に収められていたのは予想通り、司教アルヴィン・ランバートの名前が書かれた許可証だった。
それをもと通りに封筒にしまうと、バッグにさっと投げ入れる。
高くなりはじめた陽の光が、遮るものの無い窓から強烈に入り込んでくる。
そのまぶしさに少し顔をしかめながら、アレックは今日するべきことを頭の中で思い描く様に視線を伏す。
手持ちにあるのは手紙とランドルフ姿の聴取と、似顔絵、そしてブルノ・ウィルソンという酒場にいるという友人の名前。
それだけで探し出せるのかとアレックは不安に思い、表情は険の色で染まっていく。
シリウスの人口は十万人程度だろうが、だからといってそこかしこ聞きまわって見つけられる物ではない。街の外にでたとなればそれこそ探す手立てはなくなる。
彼の思考の中には今、どうやって、『人に会わない』で事を成し遂げられるか。それだけで一杯だった。
彼の人嫌いには理由がある。
彼がまだ幼年期から青年期のはじめの頃、この街のダウンタウンにあるスラム地区に家族と住んでいた。
そこはドブの腐った臭いと、不衛生な油まみれの生活だった。
子供ながらその生活でも楽しみを見つけては、兄弟達――または他の子供達と遊んでいた。
しかし育ちざかりの子供達には足りない量の食事しか手に入ることはなく、皆一様に痩せこけていた。毎日が空腹と渇きに染められていたのを忘れはしない。
両親に仕事があれば別だったのかと、青年期になれば思ったりもしたが、母親は腰を、父親は足を悪くしており、壁外の仕事に耐えれる物ではなかった。
それでもどうにか生きてこられたのは、教会の支援はぎりぎりあったからに他ならない。
それでもアップタウンの住宅街から向けられる奇異な視線と、侮蔑の様な言葉は、日々を生きる上で何度となく浴びせられた。
曰く、不良品の子は不良品である。
曰く、シリウスの獄潰しである。
曰く、よくて『獣』の餌にしかならない。
その日々は後の彼の中に大きな偏見をもたらす物になってしまった。
スラムは捨てられた者達で、自称健常者によって虐げられるスケープゴートなんだという風に感じ始めたのは、十を過ぎたあたりだろうか。
何度<狼>に捕まり、その腕に刑罰の回数を刻印されただろうか。
まだ腕がなかったころの彼は、ただ単純に奪う事すら難しかった。何度となく失敗を行い、そして刑務所で、街で『スリ』の腕を磨いた。
それは、日々の呪いの所為でもあった。
……クズだと罵るその生活を知らないやつらに、その生活をさせてやりたい……
そう呪ったのはいつだったか。
その呪いにより、彼は人を敵視する様になっていた。呪いをかけたのは自分自身である事に気付かずに。
今では、以前よりは憎しみはないものの、それでもアップタウンに住む人に対する偏見を彼は持っていた。
しかしそれは相手を害する――直接的な命のやり取り――事を望むというよりは、相手に同じ辛酸を味あわせたいという、屈折した思いがため。
幾度となく捕まる中でも決して、直接的な危害は加えていないのは彼の価値観によるところが大きかったが。
実際は、アレック自身の腕っぷしの弱さにも起因するのか、いや、それでは相手に彼の望みを、復讐を果たせないからか。
その屈折した思いは今なお彼の中で燻り続けている。
「また、寝てるん、ですか?」
声がかかる。
アレックは、言葉と同時に瞳を開ける。すぐさま、視界に明るい陽射しが舞い込んでくる。
まぶしい光は更なる高さから降り注ぐようになっていて、白い――ように感じる――明かりが部屋を満たしていた。
いつのまにか、部屋にはソフィアがやってきていた。
いつも通りの灰色の事務服を着た彼女は、怪訝そうにアレックを眺める。
「いや、少し考え事をしていただけさ」
「そう、ですか。今日も、寝ていたら、さすがに、叩くところ、ですね」
「そう云うなよ」
さて、とアレックは言葉を切る。
今日の道筋は決まらないが、助手がいればどうにかなるだろうという、楽観的なところは『強く生きてきた』だけある、彼の性。
視線を外に少し移しつつ、口を開く。
「今日の予定は分かっているだろう? 手紙は預かっているから、まずは教会に行って、ランドルフ氏の部屋から手がかりを見つける。そして、その後その手掛かりの場所に向かうか……あるいは、酒場を探す。そこで情報収集をしてみよう。それ以外今考えられるのは、街の門兵辺りに話しを聞いたりもしてもいい程度かな」
「それで、手分けでもしますか?」
「いや、それだと――見落としがあるかもしれないから、一緒に行こう。酒場なら昼時でも軽食くらいは食べれるだろうから、そこで昼にでもできればいいじゃないかな」
「そう、ですか」
では、と肩掛け鞄を持つとソフィアはアレックに視線を送る。
アレックも、椅子から飛び降りる様に体を揺らし、メモ帳を手に取って――ペンではなくエンピツをついでに手に取って――立ち上がる。
それらを小さなバッグに詰める。
「さぁ行こうか」
その言葉と共に二人は街へと出ていく。
朝八時を知らせる鐘の音が響き渡った。
◆◆◆◆◆
教会区域。
中央にそびえる鐘楼を蓄える聖堂を中心としたいくつかの施設が集合した教会の本拠地。
その白を基調にした外観の統一は、あまりにも『時代錯誤』の印象を受けるが、その統一性により、神聖的な――より清廉な――空間を辺りに形成していた。
中央に背が高く見える聖堂を右手に見れば、研究棟の物々しい雰囲気が、左手に見れば宿舎の静観さが、一つの区画に押し広げられている様は、一枚の見えない隔たりがある印象を受けてしまう。
研究棟は、文字通り数多くの『奇跡』を扱っている研究機関であり、このアンブロ島でも指折りの教会の施設だ。特に神代――尤も眉唾な代物で、かつての高度な技術があった時代の事と認識されている――の品『聖遺物』と言われる物のいくつかが所蔵され、人知を超える技術を提供していた。
かつては、あの『リコ』の基礎研究も行っていたというのだから、驚きである。
その教会区域の入口には、<狼>の詰め所が存在している。まるで木の幹の様に円柱形の簡易な――しかしそれでも景観を損なわないように、白で統一された――小屋の様な詰め所が見える。
入口に一人の<狼>がいるのが見えるが、こちらに寄ってくるということはない。しかし、微動だにせず、暑苦しい恰好――ファーのついたような灰色のジャケットを、上下紺色の正装の上に羽織っている――をしているが、顔色一つ変えずにいた。
基本的には信者であろうと、そうでなかろうと中に入る事は可能だった。しかし、聖堂以外に立ち入るには、許可が必要となる。聖堂までの長い中央通りから脇に逸れたならば、神父や巡回している<狼>に捕まり、ありがたい話しを受けるのは必至だった。
今回は、事前に許可証を得ていたため、アレックとソフィアは、入口にいる<狼>へと近づき、愛想のよい笑みを浮かべた。
その様子をみて、<狼>の男性は声をかけてきた。
「どうも、いい天気ですね」
「こんにちは、本当に、良い天気、ですね」
「今日はどの様な御用で?」
「えぇ、それは、この……書簡のとおり、少し、宿舎の中を、見せて、もらいたい、のです」
そういって、ソフィアは目で合図して、ぎこちない笑みを浮かべるアレックに書簡を提示させた。
小脇に抱えたバッグから取り出した書類に<狼>は断りをいれて目を通す。
一通り読み終えると、少し待つように二人に告げると、詰め所の奥から、黄色の紐に軽石が付けられ、その軽石に『第三許可』と書かれた、ストラップを付ける様に言いながら、差し出した。
「司教様からの許可証がありますので、宿舎の方へ直接お向かい下さい。――宿舎は向かって左手側の建物になりますから、その入口にいる者に後はお尋ねください。くれぐれもこの証は首から下げるようにしてください。そうしないと区別がつかないので」
「ありがとう」
そうソフィアが微笑みかける。
<狼>はにこやかに応じて、手紙をアレックに返した。
二人はゆっくりと、硬質な床を叩きながら宿舎の方へと進む。
その途中には、見事な庭園が備えられ、様々な木々が、濃い緑色を形成していた。時折覗くカラフルな色は、庭園に造られた薬草の花だろう。
どういったものか分からないため、アレックは興味深そうに視線を彼方此方に飛ばしながら、ソフィアに『連れられている』様に歩く。
宿舎の前に来ると、一人の男が立っていた。一般的な神父の装い――キャソックに外套を肩にかけて――に、神ジュノーを示す、時空を表した『正六面体』の首飾りを首から下げている。
「宿舎に御用ですか?」
「ええ、フィル・クレメンスさん、からの、要望が、ありまして」
そのソフィアの言葉に、あぁ、と男は頷いた。
「あぁ、聞いております。……となれば、ランドルフ神父の部屋になりますね。……そうでした、最初に少しだけお話をさせていただければと思います。
当方の施設には、多くの神秘を含めた品物が残っております。当然、ダフ神父の部屋にもそのような物は幾つかあろうかと思いますが、もし、それを持っていかなければいけない場合には、持ち出しできるか一度確認させていただきたいところになります。尤も、多くの物は個人的に集められた物でしょうから、特に問題もないとは思いますが……。たまに研究資材などが残っておりますので。
それから、宿舎全体を見てなどのご要望がある場合には、私、リカルドが案内をさせていただきますので、一声お声かけ下さい。――何かご質問は?」
「いえ、大丈夫、です」
「あぁ、よろしく」
ソフィアが先頭に立って挨拶を行う。
アレックは、楽ができていい、と心の中で呟きながら、顔を綻ばせる。
宿舎の中へ通されると、まず出迎えるのは必要以上に、『在る』と感じられる中庭だった。
その見事さは、先ほど道中でみた庭園と遜色ないという印象を受ける。
もしこの部分をすべて宿舎に変えられるのなら、全ての神父たちが一人部屋でもいいのではないかと思えるほどに壮観だった。
しかし、その視線を感じ取ったのかリカルドが説明をしてくる。
「ここにある――庭園もそうですが、庭になるところに成っている物は、ほとんどが宿舎の中で消費する物になります。野菜、果物、それに薬草です。できるだけ自給自足に近づけるため、また、研究棟で作成された作物の実験として、私達が――モルモット役をやっているというところです。尤も、非常に美味の物も――イチゴはご存じですか?」
「イチゴが、あるの、ですか?」
「えぇ、少量ではありますが、栽培ができるようになってきました。そのおかげもあり、受粉に使うためにミツバチも飼っておりますから、結構甘い物には――事欠かないというか」
うやましい、とソフィアは目を丸くする。
しかし、アレックは小さく頷くのみで、特に言葉を発しない。
彼にとっては、それらの物は『口にしたことがない』ため、どういったものか想像することができなかったからだ。
いくら安定した生活が得られるようになったからといって、彼が求めるのは酒や煙草の様な刺激的な物であって、決して日々の疲れを癒すために用いられる甘味ではなかったためだ。
ソフィアがうらやましそうに視線を中庭に向ける中、アレックにとっては、『どうでもいい』と感じて、今度は建物に視線を動かした。
内壁にはいくつもの石材が組み合わされているものの、概ね外観と同じく白を基調とした色で統一がされていた。
……汚れが目立つようになのか? ……
そんな場違いな思いを巡らせながら天井に施されたタイルの模様を目で追っていく。
アレックは、その模様を眺めていて、神の文様を幾重にも巡らしていることに気が付いた。
「あれは、神ケレスの? あっちは神ベスタの文様?」
「おや、よく気づかれましたね。多くの者は色が薄いので気づかないのですが、そうですね。この天井に描かれている文様は全部で八種、我らが主神の数に統一されております。
いつでも我々を見ている事を示すとともに、決して手を抜かぬように務めるための戒めとも聞いております。
教会の主神八柱は、どなたが最も強いであるとか、偉いであるとかそういった俗的な論争がされることがしばしばですが、神に貴賤はなく、全て同格であるというのが我々の教義になります。聖堂は見られたことあるでしょう? あの八面の柱を中心とした作りと同等に、全てにおいて序列は廃されております」
へぇ、と感心した様にアレックは頷いた。
二人を先導して歩くリカルドは、一つの部屋の前で足を止める。
「ここが、フィル神父とランドルフ神父の部屋になります」
そういって、木製の扉に手をかけると――鍵はかかっておらず――ぎいっと軋んだ音を立てて、扉はゆっくりと開いた。
中には窓はなく、薄暗い洞穴の様な印象を受ける。
入口から差し込む柔らかな明かりだけでは手元が少し不便になるだろう。
入口の傍にある、壁にリカルドは手を伸ばす。そのまま捻るような動作をすると、カチリという音と共に明かりがついた。
「普段はあまり、明かりなどは点けないのですが、今回は特別で。先ほどのとおり、自由に調べていただいて結構です。
あぁ、ランドルフ神父は向かって右側のベッドと机をお使いになられているとのことです。
私は先ほどの立っていた入口前におりますので、またお声かけいただければと思います」
そう、リカルドは云うと、さっさと戻っていってしまった。
その様子を――背中が見えなくなるまで――見送った後、アレックは小さなため息をつく。
部屋には壁際に左右それぞれベッドと簡易な机があるだけ。
個人のクローゼットらしき物がベッドの足元の方に設置されているが、それ以外に私物らしい私物が見当たらない。
簡素という言葉が適当である様子に、あまり期待が持てないかと独り言をつぶやきながら、アレックは机へと歩みを進める。
入って三歩となく机にぶつかる。
何とも狭い部屋だと感心をしながら、机を物色する。
壁に沿って並べられた小さな本に、小物入れ、それに引き出しが二つあるだけ。
本は何が書かれているのか分からないような図形と、数式が並び、目を通しただけで、アレックに頭痛をもたらす内容だった。
それらにさっと目を通すが、これと言って彼の理解では追い付かず、頭の中に重要そうな、あるいは必要そうな情報は入ってこなかった。
最後のページを除くと、青色のインクで書籍の所有者の名前が書いてある。
『エズル・トーホー』と書かれた名前に見覚えは無かったが、何かあるかもしれないと、アレックはメモ帳に本の名前と所有者だけ控えた。
次に、机の上には小さな日記帳が乗っけられ日付は今から三週間前で止まっていた。
アレックは、パラパラとはじめからめくるが、日々の作業の内容や、誰に会ったという簡易的な内容だけで取り留めない雑記の様な内容に、少しうんざりした。
さっと中身を確認すると、『ブルノ・ウィルソン』の名前を発見した。
どうやらブルノには定期的に会っている様で、何度も名前が出てくる。それは決まって『ブルー食堂』という場所とセットになっていた。
「ソフィー、どうやら、ブルノ・ウィルソンがいるのは、酒場じゃなくて、ダイナーだな」
「そう、なんですか?」
あぁ、といって、アレックは二月以上前の所を開いて、ソフィアに手渡した。
そこには、ロックストリートのブルノの食堂に行った旨の記載があった。
「ロックストリートと言えば、職人街のメイン通りだなぁ。結構いいところに店を構えているようじゃないか」
「たしかに、いいところ、ですね」
「きっと食事も期待ができそうだな」
「……変な、炒め物は、やめてほしい、ですけど、ね」
ソフィアは顔をしかめながらそうつぶやく。よほど思い出したくない思い出だったのだろう。
「あぁ、前のボルトンの店は最悪だったな。全部ごちゃまぜにした炒め物だったからなぁ」
「生臭さが、のこって、……」
その言葉に苦笑をしながらアレックは引き出しを漁る。
机の上同様、ほとんど無駄な物がない。主神ケレスの聖典の石板――薄い黒曜石に似た光沢のある石に、文字が掘られている――があるくらいで、それ以外にめぼしい物は見当たらなかった。
それは、クローゼットを漁っていたソフィアも同じようなもので、簡素な外套と肌着くらいしか収められておらず、これといった収穫物は無いのか、肩を竦めた。
「まぁ、予想通りというところだろう。結局その友人のブルノ氏が何を知っているか、というのが肝だろうな」
「そう……なります、ね」
「時間的には……のんびり歩いていけば昼時前くらいだろうが、どうする?」
その問いにソフィアは、頬に指を当て少し考える素振りをする。
「ほかに、時間かかりそうな、門兵の方も、気には、なりますが……」
「正直そこは、後回しと考えている」
「なぜです?」
いいか、とアレックはソフィアに教師の様に指を突き出した。
「実際の所、門をくぐっていない――街の中にいる場合には、全くの無駄足になるということがまず一つ。
門兵の管理している台帳を見せてもらうにあたって、今日いって今日すべてを見ることは、不可能じゃないが……数万の人の名前を見るというのが、手間のかかる作業だというのが一つ。
最後に、門をくぐっている場合を考えて、行方不明者リスト――門に掲示されているやつを昨日軽く調べたが、ランドルフ氏の様な名前はなかった
以上の事から、まだ門の中にいるのだろうと推測して事にあたり、手立てが無くなったら調べる程度でいいかもしれないというところだな」
「そう、ですか。なら、ブルノの食堂に、行ってみますか?」
そうだな、とアレックは、相槌を打つと、見つけた日記だけ手にとって部屋を後にした。
しかしそれは、アレックのバッグの中にさっと仕舞ってしまった。
◆◆◆◆◆
ロックストリートは、名前の通り、石の加工所がいくつもある事から、そう呼ばれている。尤も、石材以外の加工所も多く軒を連ねる。
しかし、生活の中で一番有用な建材なのが、石材である事から、その名前が取られたという歴史がある。
ロックストリートはそのような経緯があるため、いわゆる職人街であり、その場の食事を提供する食堂なども、また通りの傍にあるいは裏通りにいくつも点在していた。
その中に一つである『ブルー食堂』は、いかにもな感じを受ける外観をして、二人を出迎えた。
昔の酒場の其れに非常に酷似した外観は、アレックをもってしても、『時代が違う酒場』と間違われても仕方がないと、思わせるほどに色彩に富んでいた。時代遅れのネオン管――尤も非常に高価な物であるから、おいそれと店では使われない――に酷似したガラス管が旧アメリカ合衆国のダイナーを思わせる様にでかでかと店名を掲げている。中には色彩の着いた水を入れているのか、青色の眩い光が太陽の光を浴びて輝いている。
白を背景にした外観は、それでいて木材のそれに似ている様に石材を加工し、ひと手間を咥えられた門構えをしている。
内装は、黒と白のブロックチェックのタイル張りの床は、メリハリを強調し、それでいてカウンターの白色が浮かない程度に。
ソファーボックス席の赤色と、テーブル席の白色の対比が絶妙なバランスを作る。
テーブルが黒色の石材なのはさすがロックストリートか。
狭い店内は外からでも奥行が分かるほどこじんまりとしている。
その店内を半分くらいもう席が埋まっており、昼前だというのに、多くの物が酒を手に大声で話していた。
店内全体を全体の色をオレンジ色の明りが暖かく演出し、カウンターやタイルの白の色をまぶしさから温もりを感じる色に塗り替えていた。
アレックは空いているカウンター席にさっさと入っていく。
狭い店内は人の往来もしにくい様子で、特にテーブル席の客たちは皆一様に巨漢である事から、その脇をうまくすり抜ける様に進んでいく。
ふと視線を入口に向ければ、どうしていいのか分からない様子のソフィアが視線を彼方此方に向けながら立っていた。
その様子に苦笑しながらも、アレックは自身の隣の席を軽くたたいて、来るように伝えた。
肩を下ろして、ソフィアは慣れない様子で店の奥に進んでいく。
「初めてじゃないだろうに」
「そうは、云わないでください」
すこし不貞腐れた様に頬を膨らませ、ソフィアはアレックの隣に座った。
席に着くと、店員が寄ってくる。
身長の低い男性の店員は、まだ少年というあどけなさを持っているが、すっとした顔立ちをして、珍しく色彩に富んだオレンジ色の少し大きめのTシャツとハーフパンツというラフな格好に、『BLUE』と大きく白文字で書かれた藍色のエプロンを付けている。
ノームと書かれた名札がついているのをさりげなくアレックは確認する。
「やぁいらっしゃい。何にする? 酒なら配給券貰うけど、それ以外なら勘定の時にお願いね」
「あぁ……、ちょっくら腹にたまる物がいいかな、何がおすすめ?」
なんだ、とノームは云うと、隣の空席になっているカウンターの前に立てかけられていた、メニュー表を持ってくると、アレックに手渡した。
色々な文字が並んでいるがその一番上に書かれているのはピザ。
「うちのはシカゴ風だから食べ応えあるんだ。――そうだね、一番人気は、ミックスだね。ちょっと高めだけど。あとは――キノコメインの奴は割かしでるかな。結構つまみにいいってね。
酒はよっぽど特殊なのじゃなければあるけど、――配給品がほとんどだから、蒸留酒の類は常連さん優先だからその辺は融通してね?」
「へぇ。……そうだな、せっかくなら一番人気のを頼んでみるかな、ソフィーはどうする?」
「……一人で、全部、食べるつもり、ですか?」
その問いに、当然と、アレックは破顔する。
「では、シェーボンパテを試して、見ましょう。バーガーの、セットを」
「あぁ、後、酒は……やめておこう、コーヒーをもらえるかな。ソフィーも?」
ソフィアの視線を避ける様にアレックはノームに伝える。
それにソフィアは一瞬、仕方なそうな視線を向けたが、すぐさま首肯する。
その注文を受けて「はーい」と元気のいい挨拶をして、ノームは下がろうとする。
その背中を捕まえる様に肩に手を置いて、ソフィアが問う。
「あの、ブルノさん、っている?」
「――? 店長に御用?」
「えぇ、ちょっと、知り合いに、頼まれて」
ノームはカウンターの裏をすっと身を乗り出して奥を覗く。
しかし人の気配がないと分かると、酒が並べられている端にある、ボードを確認する様に目を凝らした。
小さい文字で名前が書かれていて、チョークで描かれた枠が用意され、枠の中に磁石がくっついているのが見える。どうやら出勤管理などをしている様子だ。
「いま、宅配に行っちゃってるや。すぐ戻ると思うから、来たら繋ぐよ」
「ありが、とう」
手をひらひらさせてノームはキッチンの方へと下がっていく。
店内をよく見れば、多くの客は職人なのだろう、椅子に掛けられた革製のエプロンや、汚れた手袋などをひっかけている。
店内に薄く響くのは短波ラジオの粗雑な音で、そこから最近のニュースが流れている。
『壁外の行方不明者』の情報や、壁外の作業状況について伝えているが、よく耳を凝らせば『街の中での行方不明者』についても放送している。
しかし不明瞭に聞こえるその音では、『噂』となっている、『シリウスの魔物』については特に出てこない。
アレックは、手持ち無沙汰を解消しようと、灰皿を探す。
後の開いているテーブル席に乗っけられた灰皿を拝借して、アレックは火を付けようとタバコを咥えた。
それを見て、ソフィアは一本要求する様に視線を飛ばしてきた。
アレックは仕方ないという様子で、ケースから一本取り出すと、ソフィアに渡した。
火を付け、カウンターの奥を見ると、裏の入口から戻ってくる一人の男が目に入った。
その男に、ノームがキッチンの方から出てきて、アレックを指さしながら、何かを男に伝えていた。
そして男は、カウンターの裏に入ると、アレックの前までやってきた。
「ブルノだが、……知り合い……だったかな?」
「知り合いだったら、世間は狭いな」
小声で、アレックは応える。
ブルノは、身長がアレックと同じほどの長身で、その上筋骨隆々な、たくましい体つきをして、その太い腕で体重を支える様に、カウンターに肘をついた。
目ざわりそうに、アレックに一度視線を移す。
視線を交えず、アレックは煙草を味わう。
ソフィアが仕方なさそうに、ブルノに問いかけた。
「――知り合いの、ランドルフさん、を探しているの。最近、顔を見せなくなった、から。その時、前に話しで、聞いていた、ブルノの食堂、の事を聞いたから、何か知ってる、んじゃないかって」
「……なんだ、ランドルフの知り合いか。なら筋物じゃなさそうだな。なんだって、探してるんだ?」
「借りていた、物を、返したいと、思うのだけど、全く連絡が、つかないのよ。――知ってるでしょう? 彼はダウンタウンでも、結構、支援をしていてくれた、から、そのお返しなんだけれど……」
「ダウンタウンの出には見えないが……。いや、そうなったから返すのか。……」
一人で納得して、ブルノは、小さく頷いた。
勝手に納得して、とアレックは思ったが、相手が調子づいてくれるのはいいことなので、あえて口には出さなかった。しかし、その表情は少し頬が緩んでいる。
「居場所、とか、知らない?」
「そいつは、俺も知りたいんだよな」
そうブルノは云うと、自分用にカウンターの裏で水を一杯用意する。
それをさっと喉に流し込んだ。
額からの汗をぬぐい取った後、ソフィアに向き直った。
「あいつと連絡取れなくなって、どれくらいか分かるか?」
「大体、三週間に、なります」
「……だろうな。俺もそれくらい前から連絡がつかない。尤も、そんなに頻繁に連絡を取り合ってた間柄じゃないんだが。
とはえい、ダウンタウンの炊き出しなんかにも参加しているからそこそこの頻度ではあるんだがな。
あいつと突然、連絡が取れなくなって、それだけ経つっていうのに、外に出る予定があったとか、そういう話しは一切ないんだ。
誰も聞いたことが無いってな。それでも最初の内はすぐに戻ってくるんだろうと鷹をくくっていたのは正直なところある。
ランドルフは普段から自分を『研究者』だって言ってたからさ、内勤のあいつが、外に出るなんてことは無いのは分かっていたら、たまたま研究でなにか込み入ったことになっているのかなってね」
「それで、なにか、あったのですか?」
「いや、ただそれが二週間過ぎたころから可笑しいって仲間内でも思う様になってね。特に炊き出しの担当だったあいつは一切来なくなって、代わりに来た奴にきいても、『知らない』っていうことなんだからさ。
だから、仲間内――炊き出しやってる飲食組合の中では、『シリウスの魔物』に食われたんじゃないかって噂になっていやがる」
「魔物……」
その言葉に、アレックは難しい表情を向けた。
ソフィアも、眉唾な情報だということで少し戸惑いの様子だ。
「……さすがに、それは、ないのでは?」
「分かっているよ。でもそう思わないとやってられないんだよ。
一体何人行方不明だ? この街の中で。今月に入って六人は確定、そしてそれからランドルフで七人目だ。捜査だって<狼>が全力でやっているようだがな、だれ一人の痕跡も出てこない。
まったくどうかしちまったもんだよ、この街は。
魔物って云ったって、何も本物の『獣』が出たとは俺は思っていないよ。そうだな……。たまに、ごくたまに、異常なやつがいるだろう? 普通そういったものは<狼>や<鴉>によって取り締まられてしまうものだが、たまに上手く擬態した奴がいるんだよ。そういう異常者にやられたんじゃないかってね。それがもっぱらの噂さ。
この街にでていると噂の『シリウスの魔物』だって、だれも本当の魔物を想像してなんかいないだろう。それこそ、異常者の仕業だと考えた方がいいと、俺は思うがね」
「――ランドルフ、さんが、誰かと会うとか、聞いて、いませんか?」
「……結構前の事だからさすがに覚えてないね」
「エズル・トーホーという名前に、聞き覚えは?」
アレックは頭に思い浮かんだ言葉を口に載せた。
それは、きっかけを探すための模索。もし彼がその言葉を聞いていれば……。
「エズル……。あぁ、聞いた事があるな、――なんだったか」
ブルノは短髪の頭を掻いて何かを思い出そうとする。
もう一度水をコップに入れると、ゆっくりと飲み込んだ。
何かを思い出そうとしているのだろうか、コップを置くと額に手を当てて、少し考える様な素振りを行う。
ブルノのもったいぶった態度に、アレックは少し苛立ちを感じたが、口を開くのを待つように言葉を飲み込んだ。
「そういえば、丁度、一か月くらい前になるな。エズルに会う事ができるって喜んでいたのを聞いた覚えがある。たしか……結構高名な研究者らしい。俺も云われるまで覚えていないから、司祭や助司祭ではないんだろうな」
「研究者で上っていうと……、『瞳の学派』か?」
「詳しいな――そう云ってたかな。たしか、リコを中心とした研究第一主義の奴らだ。瞳の学派、ブリュネル派と言われているが実際の所、どの程度派閥人数がいるのか分からない奴らだよな。
ここが教会の都市であるからかなり派閥の人数も多そうだが、そうじゃないところ……例えばヴェガなんかだとどうなんだろうな。
<雄鶏>の技術部の多くが参加しているとは聞いているが、……結構見えない連中だった気がするが……。ただ、何人かの偉人、というのは、その派閥から出ているらしいな。
特に、聖人とも呼ばれる教会の至宝の人々は、皆この派閥だっていうじゃないか。
そんなことだから、ランドルフは会うっていうのを楽しみしていたんだ。もともと研究職に向くような内向的な奴だったから――あぁ、お前らならよくわかっていると思うがな。
教会に入ったのも今時珍しい『学問』をやるための最大限の譲歩だとぬかしやがったくらいだ。俺は別に信心深い人間じゃないが、罰当たりもあったものじゃないと笑ったものさ」
「ブルノさんは、良く知ってるな?」
「ここには<鴉>も<狼>もよくくるからな。
たいていの情報はそういうもんからだろう。俺が知っているっていうことは、あいつらがぽろっと喋ったとしても、――ヤバくない情報でしかないだろうからな。本当にヤバい物はあいつらは全く口を割らないから」
「違いない」
アレックは苦笑いをする。
「まぁ情報量の代わりに、しっかり飲み食いしてってくれよ」
そうブルノは云うと、仕方なさそうに長話を眺めていたノームの視線に応える様に、厨房へと下がっていった。
◆◆◆◆◆
カウンターに並べられた色彩豊かな食事を前にして、アレックは自分の視線を楽しませつつも、ソフィアに向き直り、困ったような表情を向ける。
その隣では、嬉しそうに口にバーガーをほおばるソフィア。
「どうだ?」
「――おいしい、です」
「……おいしい、です、じゃないないよ」
アレックは呆れた様に、ため息をついた。
手には先ほどの話しで書き留められなかった情報を、整理していたのだろう、乱雑にいろいろな文字が書き込まれたメモ帳を持っていた。
鉛筆を間に挟んでバッグに仕舞う。
「そもそも、不確かな情報しか集まってないじゃないか。それをだな……」
「焦っても、しかたがない、と思います」
「――焦りというより、このブルノ氏が持っていた情報が最大で、それ以外大したっ情報は集まりそうもないということが問題なんだよ、ソフィー」
分かっているのか、ソフィアも少し眉を顰めた。
しかし、アレックは少し悩んだ様子を見せた後、何かひらめいたように顔を明るくした。
「……この情報だけでいきなり教会のトップに会う……というのも変な話しだしなぁ。これは詰んだか? ということでここまでにして、金の半分を返す……なんていうのはいいな」
「嬉しそうに、云わないで、ください」
「実際、情報不確かなエズル氏との会う事と噂話の類しかないんだよ。どう考えても無理なもんだよなぁ?
いいか? 情報を整理してみよう。
一つ、三週間前から行方不明になっているのは間違いない。しかし、具体的な日付は不明。
二つ、教会関係者でも行方は知らない。
三つ、彼は内向的な面があり、壁外に好んで出るような類でない。
四つ、定期的に行っていた炊き出しがせいぜいの外出と考えられる。
五つ、エズル氏にはあった可能性があるが、一か月くらい前で、失踪の前の可能性が高い。
以上のことから考えると、噂話の『シリウスの魔物』にでも本当に出くわしたのかもな。
裏取りで門兵の所に行って調べるのはありかもしれないが」
「……メトカーフさん、魔物について、どのくらい、知っています、か?」
アレックは、目の前にあったピザを少し齧り、思い出すよう咀嚼する。
覚えている物を探ろうとするが、パッと出てくる情報はそれほど多くはない。そのことを再確認してから、アレックは口を開く。
「俺が知っているのは、……定期的に出てくる噂話というところだな。
直接その姿を見た者はいない。しかし、影を見たというのは何人かいた気がするな。
現在まででおそらく十人以上、ここ一、二か月は多く、六人の行方不明者が噂されている。
尤も<狼>もそれをもとに調査を行っているらしいが、これといった手がかりがないのが現状で、<狼>の一人もその魔物に『食われた』と言われているから、躍起になっているとも聞いたな」
「そう、ですね。私も、その程度です。しかし、それも、よく考えて、みると、可笑しなところを、含んでいます」
「例えば?」
「<狼>は、公式に、『シリウスの魔物』という、言葉を、使ってない、ところ。そして、教会の方でも、被害は、出ていますが、そちらも『シリウスの魔物』と、いう言葉を、つかっていない。
全部の発端が、この街、のラジオ番組、で広がった、噂話だと、いうこと。
それと、私が、記憶している、中では、『フィフティーンミニッツ』の、番組内で、繰り返し、報道された、からだと、記憶して、います」
「あぁ、確かに、その番組が何度も――尤も、日に五度も十五分づつ番組を作っている速報番組だから――放送していたのは知っているよ。
なんでも記者が一人いなくなっているっていうのも噂だな。正直あいつらの言うことを完全に信じている訳じゃないからなんとも言えないが」
「それは、そうです、けど。魔物の噂は大して、信憑性が、ないという、点は確証が、持てるという事と、教会からも被害が、でている、事から、教会関係ではない、と思うのですが」
「……それは何とも言えないなぁ。安全だと考えるにしちゃ、瞳の学派はかなり怪しいと思うがね」
アレックはそう眉を顰める。
アレックには、どうも腑に落ちない点があった。それが、エズルと会うという事の何とも不気味な事をしたものだと思えて仕方なかったのだ。
教会に対しては、リコの事で感謝はしていたが、自分たちがただの実験用のマウスであるという感覚も持っており――それはスラム街からの影響ではあろうが――どうも教会に対して、特に、<雄鶏>については苦手なイメージをアレックは持っていた。
ソフィアにしてみれば、それが理解できないのだろう、首をかしげるばかり。
「あまり、教会の中に踏み入る必要はないと思うんだよなぁ。無理なら無理でいい気がするんだが……」
「そうで、しょうか?」
ソフィアはアレックに問う。
そのソフィアの言葉はアレックに重くのしかかる感じを受けた。
教会の懐を調べまわすのはせいぜい、今日の宿舎程度であってほしいと心の中で思い続けているアレックに対し、ソフィアは忠実に依頼をこなそうと考える。
その齟齬により普段はうまく行くこともあるが、今回の件は――特にアレックとしては――関わり合いを持ちたくないという心境が強かった。
このため、如実に表情にその嫌な感情が乗った。
それをソフィアは気にする様子もない。
「……なんかあるのか?」
「えぇ、たぶん、メトカーフさんは、好きではない、方法で、確かめる、方法が」
その言葉に、アレックは渋面の顔を作る。
思い至る方法はある。そして、真実を確かめる方法も。
しかし、それはやりたくない方法の一つだった。
「一応聞いてやる、それはどういう方法か?」
「……キーンさんに、お願いする、方法です」
やっぱりか、とアレックは項垂れた。
しかし、『今』ある情報だけでは足りない。そのために使える物はなんでも使う。それば『バック・メイラード探偵社』の社訓であるのだから、彼も今それに従うしかないということを確信していた。
稚拙な文章ですが読んでいただきありがとうございました。
後編を二週間後くらいまでにはあげれればと思います。