前編
アンブロ島の南北に伸びた大きな山脈の北側に、皇国領の街がある。
教会都市シリウス。
教会の研究施設があるその街には、多くの人が住んでいた。
広さ四平方マイル程度の狭さの街には生活のすべてが、密度濃くひしめき合っていた。
帝国領と違い、大地に直接作られた都市の形は、旧世界のままの色を濃く残していたが、それでも縦に――地上に、地下に、――延ばされた建物が形成されていた。
彼らが生活するすべての根幹は、『R.I.C.O.』と呼ばれる薬に依る所が大きい。
なんの施術もなしに、素肌をさらして大地を歩こうものなら、場所によっては高い放射線量により、被ばく障害が起きる事や、大気中に浮遊する微細な『死の灰』が肺に入ったりして体を著しく損傷するのは請け合いだった。
かつての大戦から七十年以上の月日が経ってなお、その影響が残っているのは、帝国と皇国が共同管理を名目に島に点在する都市を争奪するために、幾度となく戦火が繰り返されたからに他ならない。
『損傷・病を塞いで治す』の英語の頭文字をとって使われる『R.I.C.O.』通称、リコと呼ばれる薬が出たのはいつ頃だったか。
細胞核に対して放射線が与える影響は、細胞の異常増殖、細胞の不活性または細胞の死滅であり、多くは其れにより多臓器の不全を起こす。しかし、この薬は、定期的投与が必要であるものの、細胞の損傷を元に戻すための蛋白質でできたマシンで構成され、体内に多く摂取しても問題ないと皇国の――その実態は教会の――技術部――雄鶏に例えられる――は鼻高々に説明してくることだろう。
シリウスの街には大きな石がひかれた。見事な通りが東西に延びていた。
大通りにはところどころで貴重なガス灯が設置され、オレンジ色の明りを燈し始めていた。
夕方の五時を示す鐘が、街の北西に建てられた教会から響いていた。教会は夕闇の中に囚われ、その全景は黒い影が天に伸びている様しか伺いしることは出来ない。
遠くから街の外周に沿って建てられた巨大な壁が、夕陽を遮り、その教会の影はより濃い色に染め上げていた。
一区画――約640エーカーの広さ――丸々と教会に使っているだけあり、数多くの教会関係の建物が立ち並ぶその様は、普通の大地に直接建てられたのでは無く、白を基調とした高価なタイルによって白く染め上げられていた。
教会のある教会区域からすぐ南に官庁区域がある。都市の運営に携わる多くの人々が家路へと向かうのが見て取れる。
官庁・教会の要職の類は、動物に例えられている。その任の上位になると、素顔の代わりに動物の面をつけるためだ。特に物資の管理を行う<羊>などは、住民になじみのある姿だろう。
また、街の警備を行う<狼>などは、商業区域なのでのいざこざに駆り出される。万引きや軽犯罪などを取り締まることから、生活に直結するためよく目にすることだろう。
官庁街というだけあり、建物は重厚な造りをした――石材が多いが――建物が、高さ最大五階分に相当する政街院――街の管理の税・配分などを取り扱う部署――を中心に放射状に延びている。
東へと向かっていくと、北に商業区域、南に市街区域が形成されている。
夕方の時間においては、この二つが最も賑わいを見せていた。
その通りから南北に幾重にも伸びた小道に沿って建物は形成され、狭いながら入り組んだ道は、多くの人々の生活を支えていた。
商業区には地下に、地上に数多くの店が軒を連ねる。
家族連れや仕事終わりに人が寄る飲食店は、喧噪の最中にあって、様々な匂いを運んでくる。
シリウスの周辺では数は少ない物の家畜を行っている場所――壁外にできている牧場で街の大きさの十倍以上ある土地で放牧している――がある。羊が主で独特の風味と貴重な蛋白源としてよく利用されていた。
香辛料の類は少ないが、それでも最近開拓者の一団が「クミン」や「カルダモン」を生産しているらしく、通りから独特の匂いを立ち昇らせている。
食材を扱う商店は、数多くの食材を家庭へと提供する。一般家庭では買い置きするための冷蔵庫などが無いため、その日の食材をその時に購入するというのが一般的。
つるされた肉に、並べられた野菜。しかしその種類は豊富とは言い難い。多い作物はやはりイモ類、穀類だろう。
それでも草醬、穀醬などを扱う商店もあり、その味は人を楽しませる。
視線を移せば、遠くに見える大地を隠すように、人々のコミュニティは高い外壁に覆われ、かつての人類の過ちから目を逸らせていた。
朝になればその壁を抜けて、ひたすらに赤茶けた大事の開墾をすることになるというのに。
官庁区の夕方は早く、開拓者の夕方は遅い。後二時間はきっちりと賑わいがある事だろう。
東の門には巨大な様々な動物を描いたレリーフが設けられた門構えをしている。一見すると裕福さの象徴の様に映るが、設置の時に職人たちが、自身の技術の向上を目的に――尤も半分は面白がって――動物を象ったのだという。
そこから街の中へと進むと、巨大なロータリーが設置され、開拓者を送迎するバスが停まっていた。
電気式の古ぼけた――あちこちに錆の浮いた窓に、土の汚れがこびり付いた足回りをしている――三十人程度は乗れそうな乗り合いバスが、開拓者の一便を早めに街へと戻していた。
人々は商業区域や、市街区域に流れを作っていく。
バスには荷台が牽引されおり、作業場毎の収穫物などを乗せては戻ってくる。
質の良い木材、石材といった大きなものから、原材料の様ながさばかりの物まで千差万別だ。
特に原材料のおいては街の工房に運ばれて、紙や金属などに加工されるため、工房の職人が荷台を押してやってきていた。
そんな街の商業区に、一等立派な構えをした建物がある。
街の中にあるごたごたを解決するため――または大きな問題を探るため――に設けられた建物だった。
『バック・メイラード探偵社』と大きく掲げられたその建物は、この街唯一の探偵事務所。
他の建物よりも一階高い四階建をして、巨大な箱型の建物は、しかし年季があるのだろうか、外壁に少しのひび割れや、レンガの崩れ――尤も手入れはされている様で、補修の後が随所にある――が見られた。
入口の階段を上り、広く開けた入口を入って出迎える金に彩られた一対のレイヴンは、悪趣味であったがかつての偉大な神の肩に留まる思考と記憶に由来すると所長のウィリー・モンゴメリーは嬉しそうに語る事だろう。
内装は珍しい木製が目立ち、特に入口から二階にかけて広くとられた階段は、細かい装飾が施されているものの、木材の独自の温かみを演出してくる。
建物の二階に上がり、左手に進むといくつもの扉が並ぶ先に、日当たりの良い角部屋があった。
その一番端の――狭い――部屋に、アレック・メトカーフはいた。
乱雑に放られたのか、外套が来客用の椅子に掛かってはいるものの、今にも滑り落ちそうなほどで、地面に袖がついていた。
机に積まれた資料の数々は、本来彼が寝ている後の本棚に収められるような資料だった。
両足を机の上に投げ出して、椅子に深く腰を鎮める様にして、アレックは寝ていた。
二日ぶりの睡眠は質のいいものではなかったが、彼の疲れを癒すのにはもってこいだったのか、盛大に寝息を立てる。
アイマスクの代わりに乗せられた鍔の広い帽子が、彼の浅黒い肌にちりばめられた無精ひげを隠していた。
身長のわりにやせ気味の体であることは、スーツの袖から見える腕の太さから想像がつく。
黒い髪は艶を持ち、それでいて襟足が伸び放題になっており、部屋の様相と相まってずぼらな印象を与える。
机の上に置かれたスキットルはだらしなく口を開け、しかし、横倒しになっていることから中身が空だということが分かる。
そのアレックの姿をいつもの事ながら仕方なさそうに見つめる一人の女性が、部屋の中で仕方なさそうに立っている。
アレックより少し背が低く見える程度の身長で、女性にしては高いのだろうか、すらっとした体系に、白いワイシャツと探偵社特有の事務用の服――グレーを基調にした、汚れを気にしない上下で、男性は細身のパンツを、女性はタイトなスカートを履いている――を着込んだ彼女は、ソフィア・プガチョア。
赤茶色のボブヘアーは彼女の印象を活発な物にしつつも、衣服の所為で色気は感じられない。
そのことを気にしているのだろうか、嫌味の無いほどになじんだ赤色の眼鏡をかけている。そのためか、美貌を引き立てつつも年齢は少し上の印象を受ける。
しかし入社してまだ一年の彼女にとってはその言葉は禁句になる事だろう。
青い瞳をアレックの手元へと。
見つめるのは、彼の手が腹の上で抱えている銀色のタバコのケースだ。
慣れた手つきで、すっと手を伸ばすと銀色のタバコのケースを奪い取り、一本咥える。
ケースを机に置く固い音が響く。
机の上に無造作に放られていたマッチ箱を手に取ると、一本取り出して、チッという小気味良い音を立てて火をつける。
そして口に含んだ紫煙を肺で満たすと、ゆっくりとアレックに向けて吐き出した。
その臭いに反応したのだろうか、アレックは「んっ」という音と共に身を捩り、帽子をかき上げてソフィアを見た。
眠そうに向けられた視線はゆっくりと、そして確実に開いていく。
「……ソフィー。またタバコをくすねたな。貴重品なんだから……」
「起きない、ほうが悪いんですよ」
気だるげな言葉を物ともせず、ソフィーは再び紫煙を燻らす。
少し言葉を区切る様に喋るのは、彼女の訛りの所為か。しかし、それをアレックは気にもすることは無い。
「……起きた。無駄に吸うな」
「もう、夕方の五時を、過ぎて、いますけどね」
アレックは身を伸ばす。骨のなる小さな乾いた音が聞こえる。
その様子を、子供を諭す親の様な――あるいは、冷たい視線で――表情でソフィアは見つめる。
じっとりとした視線は、アレックの表情に、「まずい」という色を付けた。
首筋に手を当てて首の凝りをほぐす様に揉んだ。
「ソフィー……、昨日徹夜だったんだ、少しくらい大目に見てもらえると」
「――いつも、そんなことを、云っていますね。少しは、成長というものを、していただけると、こちらは助かる、のですが?」
問いは無言で返される。
アレックは、居心地が悪い様に頭を軽く掻くと、スキットルに手を伸ばし、空なのを思い出した様子で、所在なさげにタバコのケースを手に取る。
一本咥えると、ソフィアがマッチのケースを投げて渡した。
「……気にしても、しかたないと、思ってますけど、一応、わたし助手なので。一日寝て、いられると、わたしの、仕事がないのですよ」
「――楽なのはいいじゃないか」
ふぅと煙を吐き出しアレックは、満足そうに云う。
「何もしないで給料が出るんだ、御の字だろう?」
「陰口を云われたり、するんですよ? よかったじゃ、ないでしょう」
アレックは機嫌の悪そうなソフィアの表情を気にも留めない様子で、「ハハッ」と軽快に笑った。
彼にとってはそういった事は、問題にならない様子で、非常に愉快そうに口を綻ばせている。
「その程度、気にしているなよ。なに、すぐ慣れるさ」
「そう云って、一年経ちますけど、慣れませんよ。特に、定時であがれたこと、何回あるのですか?」
問いには答えず、肩をすくめるアレック。
石でできた灰皿に灰を落とし、火を整えると、再び味わう様に煙をのんだ。
アレックは目を細め、それでいてしっかりと見つめるのはソフィアで、『いつもの様』に言葉を選ぶように口を開く。
「必要なのは生きる事、この街じゃそれが最上の喜びじゃないか。ちょっと街の外にでては良い金額をもらっている開拓事業者にでもなれば、賃金は俺たちの三倍以上。だというのに俺たちはこの街の中にいることを好んでる。それは安全が壁の向こうには無いのを知っているからに他ならないだろう? ソフィーもその辺弁えているとは思っていたが、それ以上に……」
「――それ以上に、望むのは、高望み。という言葉は、耳にタコが、できるほど、聞いて、ますけどね。わたし達以外の職員は、きっちり、朝八時から、夜五時で仕事が、終わっているのは、なぜでしょう、メトカーフさん?」
一息ため息をつくソフィア。
しかしアレックは、再び肩をすくめるだけにとどまった。
答えがないことを特に咎めることなく、ソフィアは煙草を吸いきると、灰皿に押し当てて火を消す。小さな消滅音が聞こえた後に、残るのは残骸だけだ。
ソフィアが少しその灰で遊ぶように山を作る様を見て、アレックは口を開く。
「それよりソフィー。モーニングコーヒーでも淹れてもらえるか?」
ソフィアは仕方ないという様な様子で、小さくため息をつくと、応接用の棚に入っているカップを一つとる。彼のお気に入りの薄いカップを手に取ると、その上にドリッパーを付ける。そして、その上からペーパーフィルターをかぶせた。
一番安いコーヒー豆の袋をとると、少し湿気ている様な感じを受けつつも、二匙とってフィルターに載せ、入口に近い暖房機の上に載せられた薬缶に手を伸ばし、ゆっくりとお湯を注ぎこんだ。
泡の立つ音が聞こえ、ゆっくりとドリップされているのが聞こえる。
その音をアレックは楽しむように、表情を明るくしながら待っている様は、まるで子犬の様な印象を受ける。しかし、それを三十も近い男がやっているとなると、気が滅入るような気がして、ソフィアは軽い頭痛を抑えるように、額に手を当てた。
かすかに立ち昇るコーヒーの香りに軽い新鮮味を感じながら、ソフィアはコーヒーを淹れ終わる。
それをアレックに差し出すと、軽い感謝の言葉をソフィアに伝えた。しかし、すぐさまに匂いを堪能し始める。
「安い物です、から、そんな楽しむ、ものではないと、思いますけど?」
「――どんなものでも、香りは楽しまなければもったいないじゃないか」
そうですか、とソフィアは小さく云うと、自分用にもカップを取り出して淹れていく。
立ち昇る香りはそれほど奥深い物ではないなと自嘲気味に笑みを作るが、アレックには見られないように首を動かす。
その奥では、アレックが肩を鳴らしながら伸びをしていた。
「あー……、よく寝たというのが正しいのか……。でも寝たのも昼時くらいだしな……。大して寝てないのか」
「せめて、書類を整理する、など指示が、欲しかったの、ですけどね」
「――暇な事を恨むなよ。俺はまともに寝れないほど忙しかったんだぞ?」
「それは、メトカーフさんの、仕事が遅いから、ではなくて、ですか?」
その言葉に、すねた様に口をとがらせて、アレックはコーヒーを一口含む。口内から鼻腔に抜けるコーヒーの香りを楽しむ様にゆっくりと嚥下した。
そして逡巡。
視線を虚空に彷徨わせた。
「仕事が遅いわけではないさ。あれは物が良くない。うん。俺の手に余るものではあったが、どうにかやり切るために夜中を待たざるお得なかったんだな。うん」
「たかが、ドーゾンの酒場、の経理簿の、入手で、正面からでも十分、手に入る物を、『人に会うのが嫌』、という、個人的事情で、夜中にわざわざ、忍び込む必要が、あったんでしょうか?」
「……ソフィー。そんなに云うならお前がやればよかったんじゃないかね?」
「それを云ったら、メトカーフさんは、なにをする、んですかね?」
「――疑問を疑問で返して悪かった。あぁそうだよ。俺は人と会うのがあまり好きじゃないんだよ。だけど所長もその辺知っているはずだろう? なんで毎回こんな……」
期待しているのでは、という言葉をソフィアは飲み込む様に、コーヒーを一口飲むと喉を鳴らした。
その言葉でアレックを乗せてしまうと、後々面倒だと思ったからだろう。
ソフィアが言葉を発していなくても、この探偵社にいる者ならば誰でも、アレックが所長のお気に入りの探偵の一人だということは知っていた。
五年前――アレックがまだダウンタウンのスラム地区で路上生活をしていた時――に、街の不法酒を取り扱う組織同士でちょっとしたいざこざがあった。スラムで勢いをつけていたメイカーファミリーが、アップタウンで上手く商売をしていたバルブファミリーの縄張りにちょっかいをかけたのだ。
当然喧嘩を売られたバルブファミリーはメイカーファミリーを潰そうと躍起になるが、その時、ウィリー所長は『メイカーファミリーの会計係の居場所を探る様』に依頼をバルブファミリーから依頼を受けたのだ。
街に長く住んでいたウィリーとしては、どちらかに加担することはしたくなかったらしいが、バルブファミリーの四十八時間に及ぶ『説得』の所為もあり、会計係を調べる事になった。
普段は手下に行わせる仕事ではあったが、こうきな臭い場合にはと、所長自ら手を汚すことにしたらしいと嘯いていたのを署員たちは聞かされていた。
メイカーファミリーの会計係は週に三度も居場所を変えるため、その場所を移動する時、時間、場所を取り決めた『行程表』が組まれていた。
それを手にするために、現地の『調達員』として、スラムの手癖の悪い若者を雇った。それがアレックだった。
アレックは、ウィリーの思っている以上に手癖が悪く、狙った相手以外からも金品をうまく引き出す才能があったため、経費がすごく浮いたとウィリーは上機嫌だったらしい。
それくらい図太くなければ、酒がらみの仕事はできないといわんばかりに、ウィリーがターゲットを決めて、その懐から奪えるだけの物を奪う事をして、なんとか『会計係』の居所をつかむことができた。
その後、バルブファミリーはメイカーファミリーの『会計係』を情報をもとに拉致すると、資金を全部バルブファミリーに流させ、メイカーファミリーを資金的に取り潰してしまった。
尤も、その後には、治安紊乱行為があったが、資金的に優位に立っていたバルブファミリーはトラに翼であり、喜々として相手をなぎ倒したらしい。それにウィリーは、『関係していない』と職員たちに云っていたが、そういった経緯もあり、<狼>に目を付けられている事になっていた。この事は、街の者だったら誰でも知っている。
そのため、えらく気に入ったアレックを自分の後任にしようと、ウィリーは探偵社に引き立てかつ、自身の技術を惜しみなく彼に教えていた。
アレックもスラム街からの脱出ができた事、それにより家族――両親、弟と妹――をきちんとした家に住まわせることができた事で恩義があり、快く彼の教えを受けていた。
しかし、才能はスリ以外に目立ったところがないため、万年二流だとよく陰口――半分は嫉妬で半分は慰め――をされていた。
◆◆◆◆◆
時計の針が六時になろうかというところ、部屋に甲高いノックの音が響いた。
ソフィアはもう帰ってしまおうかと荷物を纏めている時だったため、ビクリと体を強張らせた後、小さなため息をついて扉へと向かっていった。
この時間に扉が叩かれるということは、決まって厄介な事だと分かっていたからだろう、そのため息は重い錘を付けて地面を這う。
他の職員は大方もう帰った時分で、いつも居るのはアレックと所長くらいな物で、この扉を叩いているのが所長で、何か問題か、仕事を持ってきたことはすぐに察しがついた。
そのことはアレックも分かっていた様で、しまったと顔をしかめていた。
「アレック、失礼するよ。――おや、まだソフィア嬢もいたのかね」
「所長、おつかれさま、です」
ソフィアは扉をゆっくり開けてウィリーを招き入れる。
その扉からは体のがっしりとした中背の中年男性が入ってきた。茶色の髪は短く整えられ、しかしうっすらと白髪が見えるのは苦労の所為だろう。
細かいチェックの入った灰色の上下は、彼の几帳面さをうかがわせ、ぴっしりとした印象を与える。
足の運びから何等かの運動をやっているのか、あるいは武道の心得があるのではと思わせるほど静かに動かされていた。
表情は非常に穏やかで人懐っこい笑みを浮かべ、その笑み体躯が相まって、俊敏とは逆の印象を与えることだろう。
遠慮なく室内に入ってくると、ウィリーはソフィアを一瞥した後、アレックの前に来客用の椅子を持ってきて眼前に座った。
そして自分の懐からシガレットケースを取り出すと、一本タバコを取り出して、さっさと火を付けた。
一口美味そうに味わうと、煙と共におもむろに口を開く。
「アレック、丁度この時間に残っている君に、どうしてもという客が来ているんだ。どうだ? 少し話しを聞いてくれないだろうか」
「……所長。『丁度』とか『どうしても』という言葉はこの場合、嫌味じゃないかと思うんですが……」
「――ハハッ。まぁそう云うなよ。こんな時間まできっちり仕事する奴は、手が埋まっている者がほとんどだ。新しい仕事をそうそう渡せるものじゃないさ。
……しかし、アレック、君の場合は違うだろう。この間の件も終わっているし、ちょっとしたお使いも昨日済んだらしいじゃないか。
となれば、君に白羽の矢が立つというのは自然なことだろう? 丁度、ソフィア嬢もいることだし、少し残業と洒落込んでくれると助かるのだが?」
ソフィアは大きなため息を、わざとらしくついた。
そのため息につられるように、アレックはむっとした表情をウィリーに向けた。そして口をとがらせたまま、恨めしそうな視線を向けた。
しかしその表情のままで何か言うことはない。
それをウィリーはにこやかな表情のまま、肯定と受け取ると、言葉を続ける。
「なに、そんな難しい話じゃない。私も仕事を抱えているので、動くことができない中で、丁度、君の様な『有望な』担当がいるじゃないか。――ということで、人探しをしてほしい」
「人探し? この狭い街の中で誰を探したいっていうんです?」
「それは依頼人に直接聞いてくれたまえ。私も詳しくは聞いていないからな」
「……で、その依頼人というのは?」
「外で待ってもらているよ」
そう云うと、ウィリーは一息、煙草の煙を吐いた。
「ということで会ってもらえる、のだね?」
「……それ以外ないのでしょう?」
「――ハハッ。悲観的になるなよ、アレック。これはちゃんとした仕事で、この間のお使いとは訳が違うぞ?」
「……善処しますよ」
よろしい、とウィリーは頷くとゆっくりと席を立ち、入口へと歩み寄る。
そして右手で扉を開き一人の男を招き入れた。
その様子をみて、ソフィアは来客用のカップを取り出すと、金色の格調高い缶に入ったコーヒーを取り出した。
入口から入ってくるのは一人の青年。
「アレック担当、紹介しよう。フィル・クレメンス君だ。今回君の担当案件になる依頼者だ。 なに、君ならできるだろうから、よろしくやってくれたまえ」
「……アレック・メトカーフです。気軽にアレックと呼んでもらって構いません」
「フィル・クレメンスです。よろしくお願いいたします」
アレックは渋々といった感じに――それはにじみ出た感じであり、表面上は笑顔を作って――握手を交わした。
フィルはまだ幼さの残る黒髪の青年で十八、九ほどに見えた。
身長はアレックから頭一つ分小さいほどだ。
教会の敬虔な信徒なのだろう、一般の信者を示す黒を基調としたキャソックに似た、縦えりの背広服を纏い、その襟首に信者を示す八柱の神の内、神ケレスを示す牡鹿を象った首飾りをしていた。
アレックは、フィルの細い体に視線を動かしていたが、しかししっかりと握り返されるその手は、壁外での作業を行ったことを感じさせるほどに皮の厚さを感じ、少し驚いたように目を見開いた。まるで研究者の――あるいはその姿から神官と言われても――それであったが、その実は違うことを感じ取り、己の認識の甘さを悔いたのだろう。
その様子の横から、コーヒーを淹れたソフィアがフィルに席をすすめ、フィルの前になる様に――尤も机は一つしかないため、アレックの目の前になるが――コーヒーを置いた。
「助手の、ソフィア・プガチョア、です」
「これはどうも」
フィルは、ソフィアに握手を求め、それにソフィアは応えた。
そしてソフィアは、二人の脇の西側の壁にある自席にちょこんと着座した。
その様子を嬉しそうに見ていたウィリーは、自身も入口に近い壁に背を預けて、煙草を堪能していた。
フィルが着席したと共に、アレックは営業用の口調のまま、彼に問いかける。
「さて、クレメンスさん、今回はどういった内容で起こしになられたのでしょう?」
「私はこのような姿をしている通り、教会の信徒ではあります。一般的に神へ身をささげる信者、出家者は共用の宿舎にて生活を共にすることになっており――教会区の外れですね、そこにある宿舎の一室に若輩ながら二名の部屋で生活をしておりました」
二名という言葉に、アレックは再び驚きを隠せない様子で、両手を開いて感嘆を表した。
教会の宿舎と言えば概ね六人部屋での共同生活というのが相場で、人数が少なくなればなるほど、『教会の神官として高位になる』というのが一般常識だった。
司祭などになれば、一人の部屋が割り当てられるということもあった。
アレックの表現は、アレック自身より低い年齢であろうこのフィルが、神父の称号を持っていると暗に示しているというのが驚きだったのだろう。
しかし、言葉の腰を折ることはせず、言葉を続けさせる様に右手で促す。
「その様な訳で、貴重な部屋の同居人がいるわけですが――あぁ、結婚相手ではありません。同性の私より十は上の方になりますが、非常によくできた方であり、名前をランドルフ・レスリー・ダフ神父と言います。
私は壁外への開拓などにも積極的に参加しているため、たまに部屋を空けることはあるのですが、ダフ神父はその様なことはいたしません。
ですが少しおかしな事が起きておりまして、ここ二週間になりましょうか、一度も彼の姿を見ない状況が続いております。
外出などそのような事由に際して宿舎は記載をすることになっておりますが、何分肩書を持っている身ともなれば、そのあたりは……省略されることもしばしばで、親しい方々にも聞いてみたのですが、外に出たとも証言が取れないのです。
過去にも一週間くらいは会わないこと――私が外にでているためではありますが、そのような事はありましたから、最初は気にも留めていなかったのですが、二週間一度も戻ってきている気配がないのです。
シーツも変えられず、彼の鞄もそのままでして、司祭様などにも相談をしてみたのですが、正直分からないままもうすぐ三週間が経とうとしています。
そこで、人探しをできる者をと思い――司祭様の助言もあったので、本日の……壁外の作業が終わった足でお訪ねした経緯となります」
なるほどと、アレックは頷いた。
卓上に置かれていた茶色のメモ用紙に、おもむろに気になった点をかき出すと、アレックはフィルに問いかける。
「いくつかお聞きしたいのですが、なにかその、ダフ神父の姿が分かる物をお持ちだったされますかね? 人探しともなれば一番いいのは写真ですが……一般的で無いものは無いでしょうから似顔絵とかでもいいんですが」
「あぁ、それでしたらこちらに――似顔絵になりますが」
そういってフィルは小脇に抱えていた鞄から一枚の肖像画――といってもポストカードほどの大きさだが――を取り出す。
荒い紙に書かれたそれは、緻密な似顔絵だ。温和そうな男性で少し神経質そうな印象をうける。
「教会の方は常にこのようなものをお持ちなのですか?」
「いえ、神父になった時に一人づつ贈られるのですよ」
「そうですか。これは預からせていただいても? ――ありがとうございます。……ええっと、ダフ神父の身長や背格好なんかを教えてもらえると」
「そうですね。身長は私より少し高い程度、おそらく5,5フィート程の身長だろうとおもいますが……何分正確に測ったことは無いので。体重は140ポンド程度でしょうか、私よりもより細く見えると思いますよ」
メモを取りながらアレックは言葉を促す。
「髪色や瞳の色はどうでしょう?」
「金色の髪に茶色の瞳ですね。あぁそうだ、その似顔絵にはないのですが、事故で怪我をしておりまして、額を少し切っているので――そう、こめかみより少し右よりに一インチ程の怪我の痕があったとおもいます」
「話し方、歩き方などのその他の特徴はあります?」
「口調は……、ヨーロッパの流れらしく、かすかにドイツ訛りがありますが、身体的になにか特徴的なところは……。すいません。思い出すことができないですね」
アレックは頷きながらメモを取る。
その様子を見ていたソフィアは、アレックが思いのほか、他者ときちんとコミュニケーションができている事に違和感を覚えたのか、怪訝な表情をしていたが、彼の言うところの『苦手』というのが表面上でないことで、その心の中では汗を流しているのではないかと思い至ったのだろう、すぐさま静かに笑いを堪える様に唇の端を引きつらせた。
ウィリーも同様に見えない程度に肩をひくひくさせていた。
「なにか気になる事とかはあったのでしょうか……? これがただの失踪なら――失礼、尤も失踪であっても問題は問題なのですが、――事件の様なものに巻き込まれる……とかそういうきらいはあったのでしょうか?」
「いえ……そのような事は……。ただそうですね。――昨今のシリウスの街に出るといわれる魔物。それが関係しているのではないかと信者達はおっかなびっくりになっておりまして、正直そのような魔物が街の中にいるとは考えられないのですが……」
魔物という言葉に、アレックは一瞬――分からい程度に――顔をしかめた。
魔物というは正しい表記ではない。共通歴五十四年にあった出来事から、『獣』といわれる特定の巨大な生物が確認された。
人間よりも巨体をもち、その体躯には個体差はあるものの、奇怪ともとれる器官がいくつも備わり、それでいて人間のいる空間にはあまり近寄ることは無かった。
壁外の作業が危険と言われる所以はこの『獣』にあったが、それを街の中では恐怖の代名詞として『魔物』という風に呼称することが多々あった。
そのことから、アレックもその魔物という単語に並々ならぬ恐怖心を持っているというのは想像するに難くない。
たった数匹でマーロの街が崩れたのは記憶に新しい。それはマーロにとって新たな段階への導きだったとは思われていたが。
「ソフィー、何か聞いておきたい事はあるかい?」
「……そうです、ね。ご友人や、家族などは、いたのでしょうか?」
「ええ、確か友人の……、ブルノ・ウィルソン……だったかな、酒場をやっている方が友人だと聞いたことがあります」
「その酒場は、どこの、です?」
「うーん……恥ずかしながら私は酒を飲まないので場所までは……」
謝辞を述べてソフィアは考える様に唇に右手の人差し指を当てた。
彼女の癖ではあったが、その様子が色っぽさを増長させることで、職員の間では密に人気があった。
「そうです、ね。一度、部屋を見せて、いただくことは、できますか?」
「――あぁ、そんなことならお安い御用ですよ。司祭様に話しさえすれば……そうですね、明日には大丈夫でしょう」
「では、そのように、していただけると、たすかります」
「そうですね……。明日の朝一度こちらに寄って司祭様の許可を記した書簡をお持ちしましょう。そうすれば気兼ねなく宿舎に入る事ができると思いますので」
「助かり、ます」
ソフィアはにこりと微笑みをフィルへと投げた。
他に質問がなさそうだと感じたのだろう、ウィリーは壁に預けていた体重を足へと移し、アレックとソフィアに伝える。
「さて、色々ある様だから私はここで失礼しよう。なにせ、『私の仕事』がまだあるのでね。もしほかに質問がなければフィル君も送るとしよう」
「あー……大丈夫でしょう。正直一度宿舎を見てから考えますよ」
「そう、ですね」
二人の答えに頷くウィリー。
そして、フィルを見ると、
「何か伝えておきたいことはありますか?」
「……ぱっとは出てこないのですが。あっ、そうだった。調査費として教会から……」
そうフィルは言うと、鞄から少し――一般的な調査にしては多すぎる量の――硬貨――袋に入ってはいるが音がそれで――を取り出して卓上に預けた。
「それから、この度は何とお礼を言えば……」
「それはランドルフさんが見つかった時に。今は、まだその時じゃないでしょう」
「……そうですね」
そう云うと、ウィリーは軽い足取りで扉を開ける。
そしてフィルに示すように左手で誘導した。
軽くフィルは会釈をして部屋を後にする。
その様子が扉に吸い込まれると同時に、アレックはまるで穴の開いた風船の様な音を音を立てて椅子の背もたれに体重を預けた。
「……ソフィー」
「なん、でしょう?」
「――疲れた」
稚拙な文書ですが読んでいただきありがとうございます。
3月頭には続きを投稿できればと思っております。