2-2 ―Side: Y―
* * *
放課後、ホームルームが終わると、私は一人でさっさと教室を出た。と言っても、行く先は図書室だ。士郎君だって後からやって来る。それに今やっている作業は士郎君と一緒だから、少ししたら嫌でも顔を合わせることになってしまう。
今更、どんな顔をして士郎君の前に立てばいいのかわからない。かといって、仕事をサボって帰るような度胸もない。
こんな憂鬱な気持ちで図書室へ行くのは、図書委員になって以来初めてだ。先週までは図書室へ行くのがあんなに楽しかったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
「……ん? 樋上姉か。早いな」
「お疲れ様です、黒部先輩」
図書室に入ると、すでに黒部先輩が来ていた。文庫本から目を離してこちらへ振り返る先輩に、小さく頭を下げる。
「珍しいな。今日は宮野と一緒じゃないのか?」
「宮野君は……掃除当番なので……」
一応、嘘ではない。士郎君は、今頃教室の掃除をしているはずだ。もっとも、一緒に来なかった本当の理由は別だけど……。
黒部先輩は特に気にするでもなく、「そうか」と頷いた。
「それじゃあ、引き続き年表の作成を頼む。俺も手伝いたいところなのだが、不甲斐無いことにまだレビューが終わっていなくてな……。後輩にばかり苦労をかけて申し訳ないが、もう少し宮野と頑張ってくれ」
「わかりました。こちらは大丈夫ですから、ゆっくりレビューを書いてください」
言葉通り申し訳なさそうな様子の黒部先輩に、精一杯微笑み返しておく。
先輩は自身のことを不甲斐無いと言っているが、そんなことないのは私もよくわかっている。イベント班の準備に加えて図書委員長として文化祭の会議にも出ているのだから、私たちよりも進みが遅くなって当然だ。
むしろ、ここは私たちが先輩をフォローすべきだろう。
「では、私は奥の準備室で年表作りの続きをしていますので……。何か御用がありましたら呼んでください」
「準備室でいいのか? あそこは狭いし、別にこちらで作業してくれても問題ないぞ」
「いえ、大丈夫です。あっちの方が……その、落ち着きますので。失礼します」
先輩にもう一度お辞儀をして、すぐに踵を返す。後ろから、「おい、樋上姉」という声が聞こえたが、聞こえなかった振りをした。
今は少しでもいいから、プライベートスペースとなる場所に一人で籠りたかった。
カウンターの脇を抜けて、準備室に入る。扉を閉めたところで、その場でくずおれてしまった。扉に背を預けたまま体育座りし、膝を抱えて顔を伏せる。
士郎君だけでなく、黒部先輩にもすごく失礼なことをしてしまった。今日はこんなことばかり。私は……本当に最低だ。
「……仕事、しないと」
先輩のフォローをしないと、と誓ったばかりだ。いつまでも膝を抱えてはいられない。気力が湧かない体と心に鞭打って、テーブルの上に年表の模造紙を広げる。
そこに書かれているのは、士郎君と私の字。この年表は私と士郎君の二人で調べ、相談しながら作ってきた。私にとって楽しかった時間の結晶だ。
「……あれ?」
広げた模造紙の上に、どこからか水滴が落ちてきた。紙に水が浸み込んでいく。このままでは、文字が滲んでしまう。私は慌ててポケットティッシュを取り出し、水滴を拭った。
しかし、拭った傍から別の水滴が落ちてくる。しかも、その量は次第に増えていく。
そこでようやく私は、水滴の正体に気が付いた。それは、私の目から流れ落ちた涙だ。
いつの間にか、私は泣いていたのだ。
「あれ? どうして……? 涙、止まらない……」
拭っても拭っても、涙は次から次へとあふれてくる。
仕方ないので、模造紙から距離を取る。
すると、無意識にもう我慢する必要がないと判断したのか、涙の勢いが増した。
「う……っ! く……っ!」
涙に加えて肩が震え、喉の奥から嗚咽が漏れてくる。
心の奥の防波堤が決壊し、今まで溜め込んでいたものが爆発するよう流れ出してきた。
「なんで……こんな風になっちゃうのかな……」
私は、どこで間違えたのだろう。どこから間違えていたのだろう。
悪魔の賭けに乗った時から?
士郎君の告白を受けた時から?
転校してきた時から?
いじめから逃げた時から?
中学の図書室で士郎君から逃げた時から?
それとも……士郎君と出会った時から?
私が士郎君と出会ったことが、そもそもの間違いだったの?
他の誰でもない。私が……士郎君の人生を狂わせてしまった張本人だったの?
「全部……私の……せい……」
口を突いて出た言葉に、体を切り刻まれたような気がした。
私がいなければ、あの日あの場所に士郎君がいることはなかったかもしれない。そうしたら、士郎君は事故に遭わなかった。死ぬことはなかった。
全部全部、私のせい。私いたから士郎君を死なせてしまった。私さえいなければ、士郎君は生きていられた。平和な世界で笑っていられた。
もう……そうとしか思えない。
「ごめん……なさい……」
震える体を掻き抱き、再びその場でへたり込む。
「ごめんなさい。ごめん……なさい」
何度も何度も、謝罪の言葉を繰り返す。まるで壊れたラジオみたいだ。けれど、止められない。謝って済む問題でないことはわかっている。でも、私には謝ることしかできない。
放課後のオレンジ色に染まった準備室で、私は延々とここにはいない士郎君に謝り続けることしかできなかった。