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「それじゃあ各自、自分の担当分を読んでレビューの作成に当たってくれ。作成期限は、五月末までだ。では、今日は解散」
会議終了を告げると、黒部先輩はさっさと荷物をまとめて準備室から出ていった。先輩も受験生だからな。勉強が忙しいのだろう。ここは、先輩に次ぐ経験者として俺がしっかりしなければ!
「ねえ、先輩」
「ん? どうかしたか、夏鈴」
俺が決意を新たにしていると、夏鈴が指でトントンと肩を叩いてきた。
振り返ってみると、夏鈴は満面の笑顔を俺に向けていた。間違いない。何か企んでいる時の顔だ。ということは、やはりこのテーマ決めにも裏があったということか。手放しに喜んでいた数分前の俺が、早くも懐かしい。
俺が内心で嘆いていると、夏鈴は「お願いがあるんですけど」とご機嫌のまま言った。
こうなっては仕方ない。先を聞くのがすこぶる怖いが、俺好みのテーマを出してもらった恩もある。俺は努めて冷静に、夏鈴へ応対する。
「お、お願いって……な、なんだ?」
訂正しよう。思いっきり尻込みしながら、いつでも逃げられる態勢を整えて応対した。
そんな俺の姿をくすくす笑いながら、夏鈴は「大したことじゃないんですよ」と続けた。
「わたしが担当することになったラノベなんですけど、先輩が持っているのを貸してくれませんか?」
「……俺の持っている本を? なんで? 図書室にあるのを借りていけばいいじゃんか」
「図書室の本は、読みたい人がいるかもしれないじゃないですか。それを図書委員の仕事のために借りていくのは、ちょっと気が引けちゃって……」
意外と普通の要求に拍子抜けしながら訊き返すと、夏鈴は困り顔でその理由を答えた。
確かに、図書室の本を委員会の為に借りるのは忍びない。夏鈴の懸念はもっともだろう。それに俺も、自分の本を誰かに触らせたくないというほど狭量ではない。本は読まれてなんぼのものだ。図書委員会のため、そしてあわよくば新たなファン開拓のため、ここは先輩として後輩の頼みを聞いてやることにしよう。
「ああ、いいよ。それじゃあ――」
「わぁ! いいんですか? ありがとうございます。じゃあ、これから取りに行きますね――先輩のおうちまで!」
明日持ってきてやる、という俺の言葉を遮り、夏鈴がはしゃいだ声を上げた。
あれ? 今、この子、なんて言ったかな? 家まで取りに来る、って仰いましたか? ハハハ。どうやら俺、ちょっと疲れているみたいだな。そんなおかしな幻聴が聞こえるなんて――。
「じゃあ、早速行きましょうか。先輩、確か自転車通学でしたよね。わたし、電車通学なんで、後ろに乗せていってください!」
幻聴じゃなかった! まずい。夏鈴のヤツ、家まで来る気だ!
女の子が家に来たいとか願ってもないうれしい申し出だが、相手がこの後輩とあっては話が別だ。夏鈴を家に上げるなんて、危険の香りしかしない。
しかも、それだけじゃない。今こいつ、サラッと追加要求してきましたよ。自転車の後ろに乗せていけとか、この後輩、俺に「死ね」とでも言うつもりですか!? そんなことした日には、三年生からの辻斬り待ったなしになるよ!
「ちょっと落ち着こうか、夏鈴。ほら、今日はもう遅いしさ。本なら明日必ず持ってきてやるから、今日はおとなしく……」
「何言っているんですか、先輩。遅いって、まだ五時前ですよ。今時、小学生だってまだ家に帰りませんって。それにうち、門限もないのでまったく問題なしです!」
「それでも、帰る頃には日も沈んでるだろうしさ。夜道の一人歩きは危険だぞ」
「じゃあ、先輩がうちまで送ってください。同じ町内ですし!」
「いやさ、そもそも付き合ってもいない男の家に行くとか、普通にダメだろう。万が一にも何か間違いがあったら……」
「『間違い』だなんて、そんな……。これはわたし、ちょっと期待しちゃっていいってことですか!?」
何とか思い留まらせようと説得してみたら、より危険な剛速球が返ってきた。というか、「間違い」と聞いて目を輝かせるな! お前、仮にも女子だろう!
さっきから夏鈴のフリーダムさに、翻弄されまくりだ。今のやり取りで、抵抗するための精神力をごっそり持っていかれた。気力が萎えたせいか、これ以上の説得材料が思いつかない。
俺の残弾がゼロと見て取ったのか、夏鈴がドヤ顔で俺を見つめている。これはさすがに万事休すか。さようなら、俺の平和なスクールライフ……。
「い、いい加減に……しなさい!」
俺が諦めの境地で天井を仰いでいると、横から控えめな声で待ったがかかった。樋上だ。
瞬間、俺の眼前で夏鈴が面白くなってきたと言いたげに笑みを深めた。
必死に怒りの形相を見せる樋上と、余裕しゃくしゃくといった様子の夏鈴。対照的な表情を見せる姉妹が、至近距離で睨み合う。
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
「どうかした……じゃない。宮野君を困らせるなって……何回言えばわかるの?」
「別に困らせてないよ。本を借りる話をしていただけだもん」
「本なら、私のを貸してあげる。私も全部、持ってるから……。あなたが、宮野君の家に行く必要は……ない」
白を切ってとぼける夏鈴を、樋上がピシャリと切って捨てた。
さすがにこれは反論の余地がないのだろう。夏鈴が余裕の態度から一転、「む……」と唸った。姉が「貸す」と言っているのに、他人の俺から借りる道理はないからな。
すごいぞ、樋上。正に大逆転ホームラン。ナイスな反論だ。超かっこいい!
「……なるほど、そうきたか。さすがお姉ちゃん」
ここまで鮮やかな一手を打たれ、今回は負けを認めたのだろう。夏鈴は肩をすくめた後、参ったとでもいうように小さく両手を上げた。
そのまま、肩越しに俺の方へ振り返る。
「ごめんなさい、先輩。お姉ちゃんが貸してくれるって言うんで、今日は帰ります。確信犯的な『間違い』は、またの機会ということで」
「いや、『また』なんてないよ。『間違い』なんて、死んでも起こさないよ!」
どさくさ紛れにとんでもない約束を取り付けようとしてきた夏鈴に、しっかりと釘を刺しておく。転んでもただでは起きない後輩だ。油断も隙もありゃしない。
なお、夏鈴は俺のツッコミなど軽く聞き流し、さっさと帰り支度を始めた。本当に自由奔放な後輩様である。
何はともあれ、とりあえず今日のところは本当に諦めてくれたようだ。助かった……。
身の安全を確保して安堵の吐息をついていると、樋上が俺の方に歩み寄ってきた。




