厄介払い
朝起きると、俺はレイラになってしまっていた。
なら、俺の身体は?
「っ! 俺の身体、今日から学園に連れて行かれる! い、いま何時だ!?」
外を見るとすでに日が高い。
予定では今日の昼に出発するはず。
早くしなければ俺の身体と引き離されてしまう。
「着替えとかわからないし、いっそこのまま――ッ!」
視界に入ったのは、俺が昨日まで着ていた服。
しかし今は緊急事態だ。
頭を振りかぶり、俺はレイラの寝間着のまま廊下へと飛び出る。
「ここがレイラの部屋だとすると、本館は向こ――ヒィッ!」
「……レイラ、さん?」
廊下を走って、角を曲がった先。
そこには、見たことのない形相でこちらを睨みつけるメイド長の姿があった。
「あ、マリアンヌさん! 今は急いで――」
「メイド長と呼びなさい。貴女、そんな格好で人前に出る気かしら? はしたないとは思いませんの?」
「い、いや! 今はそれどころじゃなくてっ!」
「部屋へお帰りなさい。ちゃんと身支度するまで許しませんよ」
有無を言わせぬプレッシャーにたじろき、説明する間もなく部屋に押し込まれる。
こんなことしているヒマはないのに、ちくしょう。
いくら抗議しても扉は開かない。
仕方ないので素早く着替えようとして、そこで気づいた。
「俺が……メイド服を着ないといけないのか?」
クローゼットの中には、新品同様のメイド服がかかっている。
でも、男の俺がメイド服を着る?
鏡台には昨日まで俺の着ていた服がある。
どちらを着るか、考えるまでもなかった。
「ぐっ! 胸がっ、きついぃ……」
肌着の上からということもあるが、レイラは俺より体格が小さいはずなのに服がパツパツだ。
ズボンはまだいい。
ちょっとお尻の部分がひっかかったが、何度も持ち上げてようやく押し込めることができた。
お尻が窮屈で動きにくいが、この際仕方のないことだ。
しかし、問題は上だ。
袖が余るのは仕方ないが、シャツのボタンが止まらない。
母性の象徴を潰して無理やりボタンを止めようとするも、なかなか押し込まれてくれないという誤算が発生した。
「もう、時間がないっていうのに……ぁっ!?」
何度も引っ張っていたからだろう。
ブチ、という嫌な音とともに、ボタンが弾け飛んだ。
「俺のシャツが……」
あまりの出来事に、しばし呆然とする。
この際、シャツのボタンが止まらなくなったのは仕方ない。
だらしなく開いた胸元は無視して、さっさと他の着替えを済ませて扉の前へと向かう。
「着替えたぞ。だから早く開けてくれ」
声をかけると、何か動かした音と共に扉が開く。
そしてその隙間から、メイド長が姿を見せる。
「随分と時間がかかりましたね。それでは――――」
おそらく、このときのメイド長の顔を忘れないだろう。
メイド長は俺の格好を上から下へと、ゆっくりとなぞるように確認し、もう一回見間違いではないかと確かめるように動かした。
その後一瞬目を瞑って倒れそうになっていたのは、きっと気のせいだ。
「ああ。はやく俺の身体がどうなっているか確かめに――」
「レイラ、さん……?」
「え? ……ひゃんっ!」
動かないメイド長を置いて立ち去ろうとしたら、俺のひらいた胸元に、いきなり手を突っ込まれる。
ボタンが閉じていなかったせいもあるが、今まで触られたことのなかった部分を触られ。
そして感じたくても経験することができなかった感覚に翻弄され、思わず変な声が出てしまう。
その声が自分の喉から出たものだとは到底信じられない。
「ななな、なにするんだ!」
「レ・イ・ラ・さぁ~ん?」
メイド長が、ニッコリと気持ち悪いほどの笑みを浮かべる。
……無言の圧力に、俺は屈することしかできなかった。
「うぅ……辱められた」
あれからあれよあれよと言う間に着替えさせられてしまった。
もちろん、メイド服に。
慣れない服装に、スースーするスカートが歩きづらい。
動くたびに服で強調された胸が揺れ、腕に当たったりもして変な気分になってくる。
「お、俺がこんな格好をするなんて……」
「ほら、シャキっとしなさい。今日はアレク様のお見送りの日ですよ」
「っ! そうだった、俺の身体はっ!?」
すっかり飲み込まれてしまっていたが、俺がレイラになっているなら、レイラも俺になっている可能性が高い。
まだ違和感だらけの身体で急ぎ、メイド長と共に玄関先へと駆けつける。
「はぁ……はぁ……!」
「ほら、そんなに息を切らして。貴女は自分の体力を忘れたのかしら?」
そんなこと言われても、レイラの身体がここまでひ弱だなんて。
慣れない身体で走り、揺れる部分も気にしないようにし。
ようやくたどり着いた時には、ちょうど馬車が出発するタイミングだった。
「ッ! れ、レイラ!」
「え? あっ、アレク様!? あの、どういうことか説め……っ!」
「待ってくれ、馬車を止めてくれ!」
「何やっているの! 当主様も見ているのよ、静かに見送りなさい!」
メイド長の指示で、俺は動けないように他のメイドたちに腕を拘束される。
いくらもがこうとも、レイラの身体では振り払うことができない。
そうして俺が暴れている間にも、どんどん馬車は遠ざかっていく。
「放せ! 俺はレイラじゃない! 俺……俺はっ!」
「どうやら、頭を冷やさせないといけないようだな。行動を早める、準備しろ」
「はっ!」
近くにいた親父が、何か喋っている。
そうだ。親父に事情を話せば、馬車だって戻ってくるはず!
「親父! 本当は俺がアレクで、あの馬車にはレイラがっ!?」
「お前に親父などと呼ばれる筋合いはない。連れて行け」
「おい、何を……っ、やめっ、はなっ、きゃっ!?」
女の身体は、どうしてこんなにか弱いのだろう。
必死の抵抗もむなしく、俺の身体が乗った馬車はやがて見えなくなってしまった。
◇◇◇
……それから先は、あまり覚えていない。
気づけば俺はメイド服のまま馬車に乗せられ、護衛に雇われた男と2人で馬車に揺られていた。
持たされたのは、予め用意してあったとしか思えないトランクが1つ。
「嘘だ……きっと悪い夢だ。いっそ逃げ出せば」
「あきらめろ嬢ちゃん。俺は監視も兼ねているんだ。向こうではきっといい暮らしが待っているさ」
護衛の話では、俺はレイラの実家に帰されるらしい。
もちろん、俺は行ったこともないしどこにあるのかも知らない。
慣れない身体で知らない場所に飛ばされるだなんて、もはや絶望しかなかった。
「俺、もうレイラに会えないのかな」
「鏡見ろ鏡、いつでも会えるぞ? どうした、屋敷から追放されたのがそんなにショックだったか?」
「追放……そうか、そうか……」
親父は最初から、レイラを追い出すつもりで。
理解して、涙がこぼれそうになった。
どうもレイラの身体は、涙腺が緩くていけない。
「ま、元気だせや。嬢ちゃんがその気ならいくらでも稼ぎようは――なんだ!?」
「きゃっ!」
護衛の言葉に反論しようとしたとき、急に馬車がストップした。
壁に勢いよくぶつかったこともだが、思わず出てしまった悲鳴のほうがショックだ。
「おいこら! 何しやがるんだ!」
「す、すみません! け、けどあれ……」
「あ! おい……嘘、だろ」
御者と護衛の揉め事に便乗して外に出る。
馬車が止まった原因はすぐにわかった。
だってそこには。
大きな牙を煌めかした猛獣がいたから。
「どうしてこんな場所に狼が?」
「だが手負いみたいだぞ! 今なら倒せる!」
よく見るとその狼は片足を引きずっているようだ。
そしてこちらを、今にも襲いかかってきそうな鋭い眼光で睨みつけてくる。
だがしかし。
俺にはその瞳の奥に、知性が垣間見えた気がした。
「よし、下がってろ。いくぞ!」
「グルルルルル――ッ」
護衛が構え、狼が威嚇する。
こんなとき、この身体の持ち主……レイラならどうする?
「やっ、やめてくれ、待ってくれ!」
「!? な、何するんだ、はなせ!」
きっとレイラならこうする。
そう思ったときには、既に身体が動いていた。






