14. 追跡
天音とイテナは見つめ合ったまま動かない。
「確かに怪しいけど、俺はイテナがしているとは考えられない」
そう言って、ルヴィリアは天音を優しく押し退けて、イテナの前に立つ。イテナは「ほう」と、ルヴィリアの動きを見守っている。
「だが、何か知っているんだろ?」
「何故そう思う?」
「イテナが無意味に、わざわざ時間を割いてまで声を掛けるとは思えないからだ」
「時間を操れる魔術師にそんな感覚があるとは─」
「ビデオを早送りしたり、巻き戻したりするだけじゃ、何も変わらない。イテナが、関わるってことは、何かを変えるためじゃないのか?」
イテナは、天音の言葉を遮ったルヴィリアの仮説を鼻で笑った。
「違ったか?」
「いや」
イテナは、コートのポケットに両手を突っ込み、2人に近づく。天音は緊張感のある面持ちで、イテナの様子を見つめていた。
「最近、魔術を持たぬ体に魔術を植え付ける計画あるという噂を耳にした」
イテナは表情一つ変えずに言う。しかし、ポケットの中の手は強く握りしめられ、コートが微かに揺れた。
「でもそれ、成功したら魔術師にとっては─」
「人の命を代償にしてもか?」
「……っ!」
命を代償にする。その言葉にルヴィリアと天音は青ざめた。
(魔術師は、その生涯を魔術の為に使い果たす。しかし、そこに人の命を使っていいわけがない。魔術師は自らの手で、魔術の道を切り開くのではないのか?)
ルヴィリアが思索にふけっていると、隣で天音が声を荒らげた。
「そんなのもはや“禁忌魔術”じゃない‼……もう1つ聞いていいかしら」
「良いだろう」
「誰が、どこが計画しているかは知っているの?」
イテナは首を横に振った。天音は「そう」とだけ答えて口を閉じる。ルヴィリアは、考えるのを止め、2人のやり取りを聞いていたが、聞き覚えの無い単語が引っ掛かり、天音の方へ顔を向ける。
「すまん、禁忌魔術ってなんだ?」
「ああ、授業で禁忌魔術に触れるのはまだ先だったわね。……禁忌魔術っていうのは魔術の代償として、人の命や血などを捧げる魔術のこと。協会は”禁忌”として使用を厳しく制限、いえもはや禁止しているわ。だからこそ、そういった魔術師たちは協会を抜けて、魔術同盟を作ったの」
「禁忌魔術を主魔術としながら、魔術協会に所属している人はいるのか?」
「いるにはいるけど、少数ね。魔術師としては生きる意味を失っているようなものだもの。離れる人が多いのは理解できるわ。……許すわけにはいかないけど」
イテナは天音の説明を聞き届けると、ルヴィリアに近づき、天音に見えないようにそっと何かを渡した。渡しながら、ルヴィリアの耳元で「時には自ら痛みを選ばなければならない」と囁く。天音は一連の様子をじっと見つめていたものの、何も言わず、イテナの用が済むのを待っていた。
イテナは用が済むと、くるりと後ろを向き、2人から離れるように歩き始めた。天音は、イテナがただ距離を取るために動いたのではないと気が付き、咄嗟に追いかける。
「ちょ、ちょっとまってどこに─」
「貴様の小細工が通じなかったときは助けてやらんでもない」
イテナは建物に近寄ったかと思うと、サッと跳び上がり、建物の上へと消えた。天音は追いかけていたものの、イテナの言葉を聞いた瞬間に立ち止まった。跳び上がるイテナを見つめながら、天音がグッと拳を握る。
イテナの姿が消えた後、天音とルヴィリアは一先ず商店街の方に戻ろうと歩き出す。
「あくまですべて想像だけれど、もし禁忌魔術だとして、協会は何故それを黙認しているのよ。会長や副会長が許可するとは到底─」
「そもそも禁止したのはいつで、誰なんだ?」
「まだアースクロウが王国であった頃、人間の居住区へと移住する魔術師が増加したことにより禁止されたらしいわ。誰がしたかまでは……」
「そうだよな」
ルヴィリアは「難しい質問をしてすまん」と謝りながら、商店街へ出る。路地が暗かったせいで、余計に太陽がまぶしく感じられ、2人は目元を手で覆う。
「ともかく、まだ作戦は続行するわ」
ルヴィリアが頷くと、天音は再び物陰へと姿を隠す。ルヴィリアはふらふらと商店街を彷徨い始めた。ときどき修学旅行の中学生や、観光客に話しかけられる。
(魔術師に興味がある人間って意外と多いのかもしれないな)
作戦開始から約1時間が経った頃、ルヴィリアは路地で異臭を察知する。咄嗟に口元を覆うと、足元が揺らいだ気がした。天音はその様子を物陰から注視している。
『抵抗をしなければ危害は加えない。一歩でも動けば足がなくなる』
不気味な若い男の声。どこから響いているかもわからない声に、ルヴィリアは気味の悪さを感じるも、冷静に、その場に留まっている。
『そのままおとなしくしていろ』
すると、どこからか女性の歌─声が、ただ一定の音域を行ったり来たりしているだけのもの─が響き、ルヴィリアの足元から囲うように黒い何かが生えてくる。足元と同じ色をしていて、”影”という名前がしっくりくるそれは、不規則に蠢きながらやがてルヴィリアの身長を越した。
天音はルヴィリアの姿が見えなくなったものの、物陰にとどまり、蠢く影を観察している。影は一瞬、僅かに膨張した後、中央に向かって収束し、消えた。天音は、路地に魔術師がいた気配を感じられないまま生じた現象に眉をひそめながらも、改めて周囲に人がいないことを確認する。
確認を終え、この路地が誰にも見られていない場所であると確信すると、右腕をゆっくりと前方に伸ばす。手のひらを天に向け「かの者の縁をここに示せ」と呟くと、手の上に小さな青色の炎が浮かぶ。天音は揺らめく炎を見つめている。
(所詮真似事。私本来の魔術ではないけれど……)
天音は瞼を閉じる。天音の視界から路地の姿は消えるが、炎は視え続けている。青い炎はぽつりと暗闇に浮かんでいる。
(あの影がどう移動しているかわからないけれど、まだ移動中なのかしら。なにも見えないわね)
やがて炎は赤色に代わり、大きく揺れたあとふっと消える。消えるその刹那、天音の頭には女性の「ふふっ」というやわらかい声が響く。天音はすぐさま目を開け、周囲を確認する。
「まずったかしら……でもまだ手は─」
「あるのか」
「あるわ……って、えぇ!?」
天音は突然背後から現れた気配に驚いて、体を僅かに跳ねさせる。後ろを振り返ると、先程別れたはずのイテナがいた。
「あ、貴方、見て─」
「ああ、真似事にしては見事な魔術だったが、あれ相手では通じんな」
天音は、イテナが立ち去るとき既に式神系の魔術の真似事をしていたことまで見抜いていたのだと確信し、顔を真っ赤にして反論する。
「じゃ、じゃあ!貴方は何らかの手を打っているとでもいうの?」
やや息を荒げながら、イテナに詰め寄る天音に、イテナはハハッと笑い「貴様もまだ幼いところがあって安心したよ」と返す。返答が不満だったのか、天音は仏頂面でイテナを見つめる。
「馬鹿にしているの?」
「いいや、むしろ貴様の力には驚かされている。もう父と同等、いや越したんじゃないか?」
「お褒めに預かり恐悦至極。それで、どうなんです?」
天音が単調な声で、イテナに問い掛けると、イテナは口角を上げる。
「取引をしよう。タダとはいかん」
「……内容にもよるけれど」
イテナは「大したことではない」と言いながら、近くの壁にもたれかかる。
「むしろ、貴様にとっては利益しかないだろうな」
「勿体ぶらず、端的に」
天音は、やや苛立ちを浮かべながらも、イテナの提案を聞き逃さないように傾聴している。
「協力関係を結ぼうじゃないか」
「何に協力しろというのかしら。悪いけれど、協会としては─」
「協会を離れたのは事実だが、貴様と協力関係にあるとしたら、実質的に協会の支配下とも言えるのではないか?」
天音は口を閉じたまま、何も言わず、口元に右手を当てた。
「そもそも、協会ではなく貴様と取引しているのだ」
「……協力って、何をすればいいのかしら。そして貴方は何を協力してくれるというの?」
イテナは、天音は取引に応じる気があると分かり、壁から離れ、天音の正面に立つ。
「一先ず今回は、私がルヴィリアの居場所を教える。貴様は、私のことを協会に報告しない……というのでどうだ」
「良いでしょう。但し協力関係を保証できるのは、私が副会長になるまで。副会長になれば私は会長の意向に従う。会長が貴方を殺せと言えば、殺しにかかるわ」
「構わんさ。……しかし、貴様はいつ副会長になるのだろうな」
そう言うと、イテナはゆっくりと天音の周りを歩き始める。
「……その資格を持ち、そうなるために生きてきたわ」
「貴様の父はそろそろ魔術師としての寿命を迎えるだろう、いや迎えているかもしれんな。あれも若くは見えるが相当な歳だろう」
「貴方ほどではないわよ」
イテナは足を止め、天音を睨むように見る。天音はそっと視線を逸らした。
イテナはあまり表に出ないため、その姿の記録も殆ど残っていないが、姿の変わらない魔術師として有名であり、不老不死と言われている。その見た目から推測される年齢は20代後半である。
「それで、何が言いたいの」
天音が話を戻すと、イテナは再び天音の周りを歩き始める。
「副会長は会長が居なければ成り立たないだろう?魔術師の歴史は1人の王に、1人の絶対の従者が連れ添って守られてきた。そして桔流の家は、1代に1人の主しか持たない。……さて、貴様の主は一体誰なのだろうな?貴様は誰に仕えるというのだ」
「……会長に子供がいないのは知っているわ。そして今までこのような事態は無かった。前例のない事態に、協会も混乱しているの。次をどうするか」
「パーツが欠けたままでは、上手く世界は回らないからな。それも要がとなると」
イテナは天音の背後で足を止める。天音は振り返り、イテナを見る。イテナの背後からは光が差し込む。天音は光に目を眩ませながらも話を続ける。
「現会長の今の状態では子供を望むのは難しい……。過去に違う血筋の魔術師が王になったことはあるの?」
「それは記録に残っているだろう」
魔術師の歴史、魔術史に残された記録には、違う血筋の存在が王になった事例は存在しない。
「原初の記録に空白期間があったはずだけれど」
魔術史では、初めの王と次の王の間に数年空白の期間が存在する。このとき誰が王であったかというテーマを研究する学者も多い。アースクロウの場所と並ぶ重大なテーマである。
「さあな。……で、貴様はどうするんだか」
イテナが天音の瞳を見つめる。金色の髪が光に照らされて輝き、瞳はじっとイテナを捉えている。
「信じるわ」
「何を」
「未来を。魔術師の世界は細かな法則で出来ている。きっと、例外にも相応の未来が用意されているわ。変わりゆくこの時代に例外の1つや2つ、大したことではないわ」
天音が自信ありげに胸を張ってこたえると、イテナは笑いながら天音に近づく。イテナの影が天音を覆うと、イテナは口を開いた。
「そうか、では貴様の信じる未来とやらに応えるために、ルヴィリアを探すとするか」
「そ!そうよ、早く教えてもらえるかしら」
天音はイテナとの話に夢中になってしまい、本来の目的を忘れかけていた。
「探すと言っただろう。心配するな、貴様は探しに行ったことすら気が付かん」
「それって時を止めて……、って別れる直前にルヴィに渡したものを使うとかじゃないの!?」
イテナは天音の疑問にぽんっと手を打ち、答える。
「あれはただのナイフだ。なんでもないぞ。それで居場所だが─」
イテナが居場所を告げようとすると、天音は「本当に気が付かなかった……」と感心する。
「アースクロウ内だ。大昔に罪人が捕えられていた地下牢獄に捕らえられている」