走馬灯 2
現代人の価値観にマッチした教義は瞬く間に受け入れられた。
私と同年代の若い世代を中心にして、1万人もの信者が1年後には出来ていた。
その後、その1万人の若い信者と共に、度重なる災害での救援活動や、世界での難民・貧民救済を無償で行った。
人の幸せのために汗を流す若者たちの姿は輝いていて、その表情は充実感に満ち溢れていた。
そうした活動がだんだんと話題になるにつれて、信者の数も増えていった。
また、「私が稼いだお金をぜひ善行に使ってください」と、支援を申し出るパトロンも多く現れた。
次に、他宗教との対話を積極的に行っていった。
全て同じ神なのならば、宗教同士が争い合うことほど無意味なことは無い。
宗教同士は手を取り合えるはずだと、多くの宗教家たちと話し合った。
結果は上手くいかないことの方が多かったが、その過程で、形骸化してしまった宗教の在り方に疑問を感じていた、他宗教の信者たちが続々とVeritasの方に宗旨替えをするようになっていった。
実家の両親も、私の活動を喜んでくれるようになり、実家の神社は神道をやめて、新宗教Veritasの聖地となった。
Veritasを創始して10年後、信者の数は気付けば300万人にも上っていた。
活動が軌道に乗った頃、私は次に神を求めるようになった。
「神は力を貸してくれない」と説いてきたが、本当にそうなのだろうか。
300万人もの人が信仰するまでに大きくなった宗教を導いてきた私の姿は、いくら小さいことは気にしない傍観者である神の目にも届いたはずである。
ならば、神はそんな私の行動をどう思っているのだろうか。
私のやってきたことは、これで正しかったのだろうか。
そして、もし神が私の行いを喜び、力を貸してくれるのならば、これほど素晴らしいことはない。
正直、Veritasの教勢も伸び悩んできている。
しかし、私が神に触れ、奇跡を行うことができるようになったならば、より多くの人がVeritasを信じるはずだ。
より多くの人を救えるはずだ。
そう考えた私は、大学時代からの同窓生であり、Veritasの創設当時から私の右腕となって動いてくれている親友に教団を任せて、一人、山奥にこもって修行に明け暮れた。
ヨーガ、断食、スーフィズムなど、今まで学んできた古今東西の宗教の修行方法を、片っ端から全て試し続けた。
3年後、ようやく修行にひと段落を付けた私を出迎えてくれたのは、信者たちではなく、警察官だった。