調教とは、自戒の綻びを撫でる技術
調教とは、自戒の綻びを撫でる技術。
理性で塗り固められた自戒には、肯定し難い欲が潜む。
欲を自戒で守るのは、未知の変化を恐れるから。
守りを溶かすのは、赦す優しさ。
赦しとは、思考の制約を優しく強引に外すこと。
赦すために必要なものは、心の隙間を埋めるもの。
心の隙間を埋めるのは、理想郷という名の錯覚のビジョン。
理想郷という出口のない小さな箱は、五感を最上の快楽で支配する。
五感を心地良く翻弄し、欲を赦すことで自戒には綻びが生まれる。
その綻びを、指摘せず、愛でるように撫でるのが調教という名の洗脳。
綻びを撫でられた自戒は、欲を隠す硬さを、快楽と引き換えに失う。
調教とは、欲に正直な自分を受け容れさせること。
調教とは、考えることを放棄させる技術。
調教には、欲を歪める、強大な支配力が宿る。
調教とは、依存という名の、思考停止の甘美な底なし沼へ誘う技術。
依存とは、自己の視界を捧げる決断。
依存するための決断は、棄てるものが大きいほど、抗えぬ快楽を伴う。
視界を失い支配された自我は、飴と鞭にとことん弱い。
快楽を求めるように、痛みを求めるようになった心は、二度と元には戻れない。
もっと快楽を。
もっと痛みを。
もっと気持ちいい痛みが欲しい。
痛みの伴わない愛など、愛だと感じられない。
調教の本質とは、愛の痛みを与え続けること。
与え続けることは、圧倒的な信頼を生む。
この痛みじゃないとダメ。
この痛みじゃないと、愛を感じられない。
この痛みを、一生与えてほしい。
一生与えて欲しいなら、一生を捧げればいい。
一生を棄てる決断は、無上の快楽。
調教の真髄とは、変化を受け容れた心を褒め称え、全力で愛情を与え続けること。
調教の真骨頂とは、一生を棄てる快楽を凌駕するほどの愛の深さで、互いの生きる意味をこの上なく強め合うこと。