森を出よう5
軽い調子で肯定されたルースは絶句していた。無理もない。目の前にいるのはもはや二度と生きて会うことはないだろうと覚悟していた親しい相手を名乗る見知らぬ仮面の人物。しかしどうあがいてもお互いしか知ることのない情報を持っていることから本人であるとしか思えないという矛盾する状況なのだから。
だがそんな状況をあっさりと作り上げてしまうのがセレスティナの用いた魂霊術だ。死んだ本人を依り代に憑依させて擬似的に蘇らせているのでなんの不思議もない。
そして元々アレイアは――正確には普段アレイアが動かしている身体は非生物型の下僕である。これの中にはセレスティナが契約を交わした魂霊を集めておくための機能が存在しており、憑依体自体はそのうちの一つが主体となって動かしているのだ。普段は最古参の魂霊であるアレイアが憑依しているものの、魂霊同士の合意があれば主導権を移し替えることは容易い。
今回はそれを利用してつい先ほど契約を交わしたばかりの魂霊――目の前にいる意思疎通を図りたい相手と親しかったガウルと入れ替わったのだ。なにせ同じ時代で生きる仲間であったのだから、言葉が通じない方がおかしい。この憑依体には発声機能があるものの、それをどう使うかは魂霊自身の知識や経験に基づくからである。先ほどアレイアが適任と言ったのはそういう意味だ。なので逆にガウルではセレスティナやグウェンに通じる言葉を話すことはできない。
ちなみにだが、普通の魂霊術師でも同じ機能を持つ憑依体は存在するが、従える魂霊が勝手に憑依を入れ替わることはあり得ない。憑依する魂霊を入れ替えたい場合はいちいち指示を出さなければならないのだが、ほぼ完璧な自我を保つセレスティナの魂霊達にとっては単に場所を替わるだけの感覚であり、セレスティナもそれが当然だと思っているので自身の異常性にはまったく気づいていない。
「ま、お前が驚く気持ちもわかるぜ。なにせオレも確実に死んだ自覚があるんだからな。まさか仮初めにも生き返るなんて想像の埒外だ」
「……本当に、ガウルなのか?」
「なんならネルやライラにお前が言った誘い文句でもそらんじてやろうか? あんなこっ恥ずかしいセリフを真顔でよくも言えたもんだぜ」
「な、恥ずかしいなんて、そんなことないだろ!?」
からかい混じりの一言に反射的に言い返したルースはなんとも言えない表情になった。今のはよくガウルにからかわれたネタなのだ。ルース本人としてはどこが恥ずかしいのか本気でわからないのだが、その話を聞くたびにまわりの連中が囃し立てるので彼としてはあまりありがたくない話題であった。
「……ガウルなんだな」
「おう」
「……死んだって言ったよな?」
「おう」
「……」
「……お前が気に病むことじゃねぇぞ。オレらじゃ災害級の魔物に出くわした時点で犠牲が出るのは決まってたんだ。むしろオレが不甲斐ないばかりに、お前らが逃げ切れるほどの時間を稼げなかったんだ。すまなかった」
「……いや、俺こそガウルの犠牲を無駄にした。この人達が来てくれなければ俺達も全員死んでた。あんたに会わせる顔がないよ」
「だからお前がそれを気にするのは――え? あ、はい、すんません! いや、わかりました、今から話しますって!」
覆しようのない事実を突きつけられた二人の間でネガティブループが発生しかけたが、不意にガウルが虚空と会話しだしたことでそれはいったん中断することとなった。これは何もガウルが幻覚を見たわけではなく、今は魂霊の待機場所に引っ込んだアレイアから催促が入ったためである。
魂霊同士は同じ憑依体の中に存在するならば、思考のやりとりは会話以上の円滑さで行える。先ほどアレイアが単語の羅列ながらルース達が使う言葉を話せたのもこのやりとりでガウルから直接教わったからであり、さらには主体となっている魂霊が憑依体を通して見聞きしたことは中の魂霊達にもほぼリアルタイムで伝わるのだ。
欠点としては、慣れない魂霊では今のガウルのように見えない相手と話しているように見えて少し痛々しく見られるくらいである。なお、当然のことながらセレスティナが契約する魂霊特有の現象であることはあえて記しておく。
――蛇足ではあるが、別の憑依体を動かしているグウェンも憑依体同士が触れ合っていれば同様のやりとりを行えたりする。先ほどアレイアがグウェンに触れたのはそのためだ。
「その話は後にするとして、だ。オレがこうやってお前と話をさせてもらってるのは、言葉が通じるってことでこの人達の事情を説明するためなんだよ」
「この人達の、事情……?」
そうして本題を切り出したガウルの言葉を聞き、ルースは釣られたようにセレスティナの方を向いた。
すると今までガウルとルースのやりとりを見守っていたセレスティナと目が合い、彼女はふんわりとした邪気のない笑顔を向けた。
もちろん、セレスティナにはそれまでの会話は一切通じていない。単に視線が合ったから親しみを込めて微笑んでみせただけだ。そう、自分の下僕にするように。彼女としては旅立ちの時、母親に教えられた通りに実践しているだけなのだ。
それを真っ正面から受けたルースは一瞬ドキリとしたが、直後に向けられた殺気に身体が強張った。発生源は天使のように微笑むセレスティナのすぐ横、護衛よろしくたたずむグウェンである。その細められた視線は『うちのお嬢様に手を出したらただじゃおかない』といったようなことを雄弁に物語っている。そこに言語の壁は存在しなかった。
殺気が向けられたのはほんの一瞬であったとはいえ、目の前で比べるのがおこがましいほどの実力を見せられた直後である。影皇豹と対峙したとき以上に死を間近に感じたルースは慌てて視線をガウルの方に戻した。
「な、何か知ってるのか? それに、あんたは死んだんだよな? ならなんでそんな姿になったとはいえ今話してられるんだ?」
「焦んな。その辺も含めてきっちり説明してやるからよ」
次々と疑問を投げかけるルースを手で制したガウルは一拍を置いて語り始めた。
「まず、お前ここが『死の樹海』って呼ばれてる理由を知ってるか?」
「ああ。確か三百年くらい前に君臨していた『死人の魔王』が勇者に討たれて、その眷属だった死霊術師が最後に逃げ込んだからだ場所だったって話からだろう?」
ここでルースが言った『死霊術師』とは、魂霊術の死者を支配し操る部分が誇張されて今に伝わったもののことである。その恐怖の象徴であった一門が最後に落ち延びた場所として語り継がれているからこそ、この魔境は『死の樹海』と呼ばれているのだ。
「ああそうだ。で、その話には『今も樹海の奥地では生き残りの死霊術師が樹海で死んだ者を従える』ってのがあっただろ?」
「確かにそんな伝承みたいな話を聞いたことが――え、まさか!?」
姿は変われど目の前にいる死んだはずの仲間と、死者を支配した魔術師の伝承がある土地。多少の知恵があればこの二つを結びつけることは容易いだろう。
驚愕の表情で再び視線を向けるルース。その先には目をパチクリとして小首をかしげるセレスティナの姿があった。
ルース達の窮地に駆けつけた三人。その中でも他の二人に傅かれていることを思わせる、ルースが見たこともない魔術を操る少女。他の二人もそうでない保証は全くないが、少なくともこの状況ではこの幼さの残る愛らしい少女が、死者を支配するという不気味で邪悪な魔術師であると言っているようにしか思えなかったのだ。そして彼の想像は、偏見が入っていることを除けばまったくもって正しい。
「この子がその死霊術師だって言うのか!?」
「そういうところは相変わらずよく頭が回るよな。その通りらしいぜ。で、オレはその子に喚び出されたって訳だ」
そうあっさりと告げられたルースは顔を強張らせた。その話が本当ならガウルは死してなお目の前の少女に支配されていることになる。それは到底看過できることではなく、ルースとしては仲間であり恩師でもあるガウルを解放したいと考えてしまう。
しかし彼の知る伝承通りなら囚われた死者を開放するには術者を殺すしかない。そして目の前の死霊術師と思われる少女は彼らの命の恩人である。ガウルを助けようとすれば、彼女から受けた恩を最悪の形で返すことになる。そんなことはルースという青年には到底できないことだ。
よしんばその辺りの葛藤を無視できたとしても、影皇豹に手も足も出なかった彼がそれを歯牙にもかけずに屠ったグウェンの守りを突破できるとは到底思えないのだが。
「ああ、安心しろ。オレは別に支配されてるとかそんな訳じゃねぇからな?」
そしてそんなルースの葛藤を見透かしたかのようにガウルがことのあらましを話した。死んだと思ったところでセレスティナに召喚されたことや仲間を助けてもらう代わりにと望んで契約を交わしたこと、そして約束を果たし、通訳のためとはいえこうして言葉を交わす機会をくれたことを。
「――オレとしちゃぁ、むしろものすごい幸運だったって感じだな」
「……そういう風に言うように支配されてるっていうのは?」
「そいつを疑われてちゃぁもうどうしようもねぇが、お前は今のオレが誰かに支配されてるように見えるか?」
おどけたように両手を広げるガウルを見たルースは首を横に振った。見た目は全くの別人になっていても、その仕種や口調は慣れ親しんだ兄貴分そのものだった。仮に支配を受けていたとしても、ルースの知るガウルならあの手この手を使って自分の置かれた本当の状況を伝えようとするはずだ。
「いや、オレにはあんたはガウルに思えるよ。見た目がすごい落差だけど」
「ありがとよ、ルース。で、この人達の事情なんだが、どうにもオレらが聞いてた死霊術師の話とはだいぶん違う状況らしいぜ」
そうしてガウルはアレイアから聞かされ、さらには途中途中で補足を受けながら語った。
いわく、かつて世界中から追われた死霊術師達は震え上がり、魔境の奥深くに辿り着けたのを幸いにそこで世界から忘れられることを望んだ。恐怖の根源である死霊術も自分達の暮らしを守れる程度にしか扱わず、禁忌を犯す秘伝はことごとく封じられた。
そうして平穏に年月が過ぎていったが、十四年前に一人の少女が生まれた。彼女は息をするように死者と言葉を交わし、禁じられていたはずの術をいつの間にか身につけてしまっていた。
まるで『死人の魔王』の再来かのような存在に死霊術師の末裔は震え上がり、つい先日、とうとうその少女を追放したのだと。
「――で、その『追放された少女』っていうのがそこにいるお嬢ちゃんのことらしい。しかも本人には『その力で世界を征服すれば、自分達に安寧が訪れる』っていかにもなことを言ったんだとよ」
そう結んだガウルの声にはどこか憐れみが含まれていた。それも当然だろう。今の話を聞けばたいていの人間は『自分達の不安を払拭するために、力を持っていると言うだけの少女を追い出した』ように聞こえる。
「そんな……こんな成人してもいないような女の子を魔境に追い出したのか!?」
「実質的に死刑だったんだろ。まあ、連中の予想以上に……下僕っていうのか? そこの剣士と、今オレが借りてる身体の持ち主が強かったおかげでなんとかここまで来れたんだとよ」
愕然として叫ぶルースと、少女を追放したという連中に憤りを見せるガウル。
……もちろん、事実は異なる。魂霊術師達はかつての栄光を取り戻すことを悲願に日夜研鑽に励んでいるし、セレスティナのことは英雄である『死人の魔王』の再来と狂喜したし、一門の悲願を託した上でセレスティナを送り出した。
が、そんなことを馬鹿正直に外の世界の人間に話せばどうなるかは灯を見るよりも明らかである。少なくともセレスティナと契約している、世間一般的な感覚を持ち合わせる魂霊達にとっては。
なので、事前に魂霊達の間で協議が重ねられ、真実は隠しつつもつじつまが合うように丹誠込めて練り上げられたのが、先ほどガウルが述べたカバーストーリーなのだ。本来堂々と聞かせればセレスティナ本人に異議を挟まれそうな内容なのだが、今この場では互いの言葉が通じなかったことが逆に都合良く働いていた。
ちなみにだが、つい先ほど契約を交わしたばかりのガウルには当然のごとくこのカバーストーリーしか伝えられていない。同じ魂霊とはいえ、意思の統一が図られていない新入りに真実を伝える愚か者はいないのだ。
「で、追放されたわけだから戻るに戻れない。だからひとまず魔境を脱出しようとしている途中でオレらに出くわしたってことらしいぜ」
そうガウルが語り終えたところで二人は揃ってセレスティナを見た。相変わらず会話の内容がわからないため純真無垢な笑顔を浮かべている彼女は、端から見れば何も知らされずに一族の者のためと健気に旅立った哀れな少女に見えることだろう。
「そうなのか……それを俺に話すってことは、この子を保護して欲しいってことなのか?」
「さすがにそこまで望んじゃいないらしいが、森の外の地理がわからないから近くの街まで案内して欲しいんだと」
この辺りのことは事実である。元々樹海奥地で三百年の間引き籠もっていたのだから森の外に疎いのは当然で、契約している魂霊の中には比較的最近死者となった者もいるにはいるが、魔境の深部からどの方向に行けば街があるかが判断できるはずもない。ゆえに元々樹海を出るに当たって人を探し、近くの人里を聞き出すのは元からの予定であったのだ。
ただし、その場合は特に事情を話すことなく行きずりの旅人として接するはずだった。しかし実際には災害級の魔物をあっさり葬ったり瀕死の重傷を治したり、普段使いの言葉がまるで通じなかったりと予定外の事態に連続して遭遇したため、早々に怪しまれることを避けるために都合良く事情を語ったのだった。
「わかった。その程度、喜んで引き受けるよ。命を助けてもらったのに比べるとまるで大したことはないけど、少しでも恩返しができるようにするって伝えてくれないか?」
「よしきた、任せろ――っつってももう届いてるみたいなんだよな。『感謝します』だと」
「……その身体、借りてるってあんた言ったよな。どうなってるんだ?」
「オレに聞くな」
首をかしげて尋ねるルースにお手上げだとばかりに両手を挙げるガウル。実際問題、憑依体の仕組みを把握しているのは術者であるセレスティナと古参の魂霊達くらいである。つい先ほど仲間入りしたばかりのガウルに説明できることではない。
「――っと、そうそう。そこのお嬢ちゃんが使うのは、えーっと、魂……霊術? そう言うらしい」
「魂霊術? 死霊術とは何か違うのか?」
「いや、どうなんだろうな――え? あ、はい。えー、なんでも魂霊術が本来の呼び方らしいぞ。『死者を操ることが強調されて伝わるうちに変質した』んじゃないかだとさ。死霊術なんて外聞が悪いから本来の呼び方で呼んでくれってさ――あ、お嬢ちゃんに話を伝えるから替われって言われたわ。いったんオレは引っ込むぜ。じゃあまたな!」
唐突に持ち出された話題にルースが聞き返し、ガウルがそう伝えたところで再びその身体から一瞬力が抜けた。そして主導権が戻ったアレイアが、今までずっと見守っていたセレスティナに向き直る。
『セラ、この方にある程度事情を伝えたところ、近くの人里までの案内を快く引き受けてもらえましたよ』
『まあ、そうなんですか。ありがたく存じます、本当に助かります』
ようやく聞き慣れた言葉でやりとりの結果を伝えられ、心の底から嬉しそうな表情を浮かべてルースに頭を下げるセレスティナ。言葉はわからずともその様子から感謝を伝えていることは伝わってきたルースは、慌てた様子で「いや、感謝するのは俺達の方だよ」と同じように頭を下げる。
〈近衛殿、いかようになった?〉
〈例の話を伝えました。ボロを出さなければしばらくは協力してくれそうです〉
青年と少女がお互いに頭を下げ合うというなんとも奇妙な光景の横で、下僕達は魂語りで素早く意思疎通を行う。魂語りは慣れれば指向性を持たせることができるので、内緒話にはもってこいなのだ。
こうして小さな魂霊術師は、新たな道連れを得て外の世界へと踏み出したのだった。
今回、主人公であるはずのセレスティナがかなり空気ですが、言葉がわからないのでシカタナイデスヨネ。