森を出よう2
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――時は少し遡る。
故郷の集落を後にしたセレスティナは、かつて祖先がやってきたと伝えられている方角を向いて歩を進めていた。しかし、一門の皆に盛大に見送られて気合い十分に旅立ったのはいいのだが、その出だしはお世辞にも順調とは言い難かった。
「――あっ!」
絡んだ草に足を取られてあっけなくバランスを崩し、上体を泳がせるセレスティナ。しかし次の瞬間差しのばされた腕に支えられ、なんとか地面との抱擁を回避した。
今のように、森歩きに慣れていない上に体力的にも心許ないセレスティナのおかげで、彼女達の歩みはそれほど速いとは言えないのだ。
「危のうございましたな姫様」
「ありがたく存じます、グウェン。何度もお手数をおかけいたします」
「なんのなんの、この身姫様の助けとなることこそが喜び。この程度いくらでも手数をかけましょうぞ」
主としてはいささか丁寧すぎるきらいのあるセレスティナの感謝に、呵々と笑って応えたのは下僕である銀の髪を持つ美丈夫、グウェン。剣士として理想と言っても過言でない体躯に旅道具の詰まった大きな背嚢を背負いながらもきびきびと身体を捌きつつ、腰に履いた細身の直剣の柄頭を片手で撫でる。
集落にいた時は下僕らしい表情が抜け落ちたような顔をしていたのだが、今は言葉に含む感情のままにニカリと笑みを浮かべて見せており、よく回る口とも相まって妙に軽い印象を見る者に与えている。しかしながらその身に宿した戦闘力は他の追随を許さず、旅立ってより遭遇した魔物のことごとくを瞬く間に切り伏せていた。加えて今のようにあまり機敏とは言い難い主にも気を配り、その身体能力を使って素早くフォローに回れるように備えてすらいる。
旅立ってからの短い間ですでに幾度も繰り返したやりとりをしている最中、ふと視線を感じたグウェンは気負いなくその源を見やった。そうすれば案の定――というよりも元々この場には三人しかいないのだから、必然として辿り着いたのは同じく下僕としてセレスティナに仕える立場にある相方であった。
グウェンよりもやや低い位置には同質の長い銀髪が流れ落ちる頭部があるが、グウェンの方を向いている顔からは表情を読み取ることはできない。目を閉じ黙する意匠が施された仮面で覆われているからそれは当然なのだが、そんなものよりも雄弁にある種の波動を放っているせいで、何を言いたいのかは未だに短い付き合いであるグウェンにも容易に察することができた。
「そうむくれなさるな近衛殿。そもそもからしてワシの身体は剣士として極限を突き詰めたもの、対して近衛殿の身体はその事情により汎用に扱える機能性を重視したものと聞き及んでおるぞ。どちらがより素早く動けるかなど自明の理であろうに」
「……ええ、その通りです。そのくらいは重々承知していますとも」
淡々と返事をしたもう一人の下僕――アレイアは視線を前に戻すとグウェンのものとほぼ同じ背嚢を背負い直した。そのあからさまに不必要な仕種に収まりきらない不満を感じさせられ、グウェンと同じく、集落にいた時の他の下僕と同じような機械的な動きとはまるで違うことをうかがわせる。
「なればこそ適材適所というものよ。姫様の危難には身軽なワシが、その他の世話ごとなどは長く同じ時を過ごした近衛殿らが妥当というもの。互いの得手には及ばぬからといってそうひがみなさるな」
苦笑混じりにグウェンが言い諭せば、それがしゃくに障ったのかアレイアは鋭く振り返ると仮面の上からでも想像できそうな険しい視線を向けた。
「聞き捨てなりませんね、翁。誰が誰をひがんでいると?」
その明らかに苛立ちを押し隠している様子に、グウェンの顔がニヤリと意地悪げな形にゆがんだ。
「むろん近衛殿がワシをに決まっておろうに。まったくもって、ワシが姫様とよろしくすることのどこに問題があると言いたいのだね?」
「大いに問題ありましょうが!! 幼いとはいえセラはれっきとした『女』です! 喚ばれたとはいえ翁のような男の身体を持つ者が頻繁に身体的接触を行えば、セラの慎みに対して悪影響を及ぼすことは灯を見るよりも明らかです!」
グウェンの言い分に対して妙に建前臭いことを並べ立てつつ食って掛かるアレイア。こんな形でも一応は女の身であるため、同姓の主の将来を気遣っているのだと主張した。そしてそれを見たグウェンはますます愉快そうに笑みを深める。
「その時は男を誑かす術を磨けばよいだけではないか。今ですらこの器量、長ずれば傾国の姫君もかくやとなることは想像に難くないぞ?」
「それはあなたの願望でしょう! それに、セラにそのようなことができると本気で考えておいでですか!?」
「才はなきにしもあらずと思うがなぁ。ワシらとてその手口にコロッとほだされた口ではないか」
「それは――まあ、否定はできませんが……」
「良きおなごに誑かされるは男冥利に尽きるというもの。そして男泣かせは良きおなごの勲章。あわよくばワシも姫様に泣かされてみたいのぅむふふふふ」
「……やはりそれがあなたの本音ですね、翁」
なにやら空想して悦には入るグウェンを見て、アレイアはその手を戦慄かせた。まさに衝動のままに殴りかかりそうになる自分を抑えているといった風情である。
そんな下僕達のやりとりをおろおろと見守っていたセレスティナは、何を思ったのかやおらシュンとうなだれる。
「……主たるわたしが不甲斐ないばかりに、二人に諍いをさせてしまうなんて……」
どうやら会話の内容自体はほとんど理解できていなかったようで、彼女にしてみれば『自分が手助けを受けたことが原因で下僕の二人が激しく言い合っている』という状況に捉えてしまったらしい。世界を征すると大言を放って旅立った矢先に自らの力不足を痛感したせいか、かなりの落ち込みようであった。
そんなセレスティナの沈み具合を見たアレイアは即座に怒りを引っ込めると、慌てて主のフォローに回った。
「セラ! 違います! 私達は決していがみ合っていたわけではなく……そう、今後の方針についての極めて重大な話し合いを行っていただけです! 少々熱が入りすぎて声が荒くなってしまっただけで、決してセラの責任ではありません! 翁、あなたも何か言ってください!」
「そうですぞ姫様、姫様に責など塵ほどもございませなんだ。ただ近衛殿がちぃとばかり素直に『新参者に役目を奪われて嫉妬している』と認めればこじれる話ではなかっただけでしてな――」
「翁ぁっ!? い、言うに事欠いてそのような妄言をのたまっている場合ではないでしょう!?」
「はっはっは、妄言か。本当に妄言かのぅ?」
「き、貴様……セラに直接呼びかけられた英霊だからとて図に乗るのも大概にせんかぁあああっ!!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて煽り立てるグウェンに対して、セレスティナを落ち込ませてしまったと冷静さを欠いていたアレイアはとうとうキレた。
「おや近衛殿、まさかワシと諍いを起こすつもりではあるまいな? 類い希なる使い手である姫様の忠実なる下僕たるそなたが、姫様を悲しませるようなことをするはずがなかろうよな?」
しかしながら跳びかかる寸前、含みを持たせたグウェンの一言で理性を総動員してかろうじて踏みとどまり、しかし収まりがつくわけもなく全身を戦慄かせる。
「グウェン、アレイアに失礼ですよ。今までずっとわたしに尽くしてくれていたアレイアが、わたしを悲しませるようなことをするはずがないではありませんか」
「はは、これは失礼をば姫様。なにゆえ新参の身でありますれば、一つお叱りにてお目こぼし願えればと」
相変わらず会話の内容自体はいまいち把握し切れていないようだが、どうやらグウェンがアレイアに対して何か失礼なことを言っていたらしいと察した様子のセレスティナが困り顔で諭せば、グウェンは慇懃な態度で主に許しを請うた。その様子を見て、さらには主であるセレスティナからの全幅の信頼を確信させる言葉を聞いたアレイアはすぐに平静を取り戻して頭を下げた。
「見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません、セラ。少々取り乱してしまったようです」
「少々のぅ……」
ぼそりと反駁したグウェンにアレイアはキッと仮面の目を向けるも、その時に当人はあらぬ方向を向いて素知らぬふりをしている。
「わたしの方こそ申し訳ありません、アレイア。未熟な主ですが、これからも共にいてくれますか?」
「この魂、安寧へ至るその日まで、あなたのそばに」
少し不安げな様子で尋ねるセレスティナに対してアレイアはすぐさまその場に跪き、広げた右の手の平を上にして左胸の前に、握った左手を腰の後ろに回して頭を垂れる。彼女自身が知る最大限の敬意を示す騎士の礼であり、それをなんの逡巡もなくとって見せたことでセレスティナに対するアレイアの忠誠度合いが知れだろう。もっとも、忠誠を示された当人であるセレスティナはそんなことなど露知らず、自らの下僕がよく使う敬意を表すポーズという程度の認識なので、今も安心したように微笑む程度ですませているのだが。
そしてここまでの推移を予測して言動を誘導し、下僕としての先達をからかうことを存分に楽しみながら被害を軽いお叱りだけにして見せたグウェンは、幼い主とその忠実な下僕の様子を満足そうな笑みを浮かべながら見守っていた。
――主従の線引きがあるとはいえ、気安く言葉を交わす一行。しかし実のところ、これは本来あるべき魂霊術師とその下僕という関係とは大いに逸脱している。
そもそもからして、魂霊術というのは死者の魂を捕らえ、支配し、従わせることを体系立てた魔術である。当然、捕らえられた魂は術者を主として隷属させられるものであり、結果として術者の命令に何の疑問も差し挟まず行動する人形になる。高度な術になれば自己判断のためにある程度の自意識を残しはするものの、会話が可能なほどの明確な自我を残すことはまずない。
あえて残そうとしても死者の意志は曖昧であるのが常であり、それを確かな自我になるまで整えるだけ手間な上に支配に抗う可能性まで出てくるため、わざわざ自我を持つ下僕を作ることは今まで皆無であった。
魂霊術師の集落ではそれが当たり前であり、事実他の術師の下僕は例外なく文字通りの生ける屍でしかなかった。そしてだからこそアレイアとグウェンは他者の目がある場では他の下僕と同じように取り繕い、主であるセレスティナにすら言い含ませて彼女の特異な本質を隠し通したのである。それは本来の魂霊術師を根本から覆しかねない、しかしセレスティナを主と定めた魂霊達にとってはとても好ましいものなのだ。
そして集落を離れた今、人目をはばかる理由はなくなった。だからこそ彼女達にとっての『当たり前』の状態が表面化したのであった。