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最近のゾンビは新鮮です ~ネクロマンサーちゃんのせかいせいふく~  作者: 十月隼
一章 せかいせいふくの第一歩
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森を出よう1

 ラーブル大陸の辺境に位置する小国の、さらに辺境にある深い森。そこは強力な魔物が闊歩する、人の手が入ることを拒む土地――『魔境』と呼ばれる場所の一つであり、ある伝承が伝わることもあって一般に『死の樹海』と呼ばれている特一級の危険地帯である。奥地は言うに及ばず、比較的脅威度の低い外縁部付近に生息する魔物ですら腕利きの戦士が相手取ってかろうじて勝利をもぎ取れる代物で、そんな場所に自ら赴きたいと考えるような人間はよほど酔狂な性格か、ただの自殺志願者かのどちらかだろう。

 そして世の中にはそんな超弩級の危険地帯に赴き、自らの体力と技能と才覚とでもって貴重な資材を持ち帰ろうとする命知らずの大馬鹿者――『冒険者』達がいた。

 文字通りにあえて危険を冒し、その見返りとして莫大な財を得ることのできる彼らは一攫千金を夢見るものにとっては憧れではあるが、実際にそうなれるのはほんの一握りである。そして『死の樹海』はそんな一握りの精強な者達だけが訪れることを許されるような場所なのだ。

 ――しかしながら、だからといって訪れる全員が必ず生還できるというわけではないのだが。



『死の樹海』の外縁部より幾分奥へと踏み込んだ場所、そこを必死の形相で駆ける人の姿が三つあった。

 先頭を行く一人は短くそろえた栗毛をした軽装の女。引き締まった身体の要所要所を皮鎧で保護し、腰には形状の違う短剣をいくつかぶら下げており、見るからに斥候といった装いだ。それは森という決して良くない足場でありながら軽快さを損なわない身のこなしからもうかがえる。

 その手に引かれているのは長い赤毛を三つ編みで一つにする少女。発育のいい身体をゆったりとしたローブで覆い、反対の手には彼女自身の身の丈ほどもありそうな節くれ立った杖をしっかりと握っている。こちらもよく見る魔術師の装いであり、手を引かれるままに走ってはいるものの足運び自体は危なっかしい。魔術師の例に漏れず、身体を動かすことを不得手としている質なのだろう。

 そして最後尾が適当な長さの金髪を方々に跳ねさせている青年だ。抜き身の剣を引っ提げ、しっかりとした造りの皮鎧を着込んだいかにも剣士といった出で立ちをしている。先頭を走る女ほどではないが、その体捌きに迷いがないことから相当の練度がのぞいている。

 それぞれが一目で冒険者の出で立ちとわかる彼らは、しかしその装備をあちこち汚し、頻繁に後ろを振り返りながら可能な限りの全力を振り絞っていた。ただでさえ足下の悪い樹海の中でかれこれ四半刻はこの状態が続いており、それなりに体力に自信がある女と青年ですらとうに息は上がっている。少女に至っては顔は青ざめ足取りもどこかおぼつかなく、もはやいつ倒れても不思議ではないほどだ。

 それでも様子の最も危うい少女ですら休もうとする気配もなく、時折下草に足を取られながらも懸命に走り続ける。その鬼気迫る様子はまるで少しでも足を止めたが最後、自分達の命はなくなってしまうとでも言わんばかりであり――事実、現状はほとんどその通りであった。

 少し訂正する必要があるとすれば……それ(・・)は足を止めなくとも、遅かれ早かれ追い縋ってきていたという覆しようのない絶望があったことだ。


「――クソっ!」


 振り返った視界に迫り来る姿を捉えた青年は絶望に顔をゆがめながら思わず悪態を吐いた。せめて前を行く二人を庇おうと死力を振り絞って足に力を込め――しかしそれよりも早く三人の頭上を飛び越えたそれ(・・)は自らの巨体で行く手を遮った。


「――っあぎゃぁっ!?」


 すかさず振るわれたそれ(・・)の爪に持ち前の素早さで反応した女だったが、今まで全力疾走を続けていたこともあり身を翻すのが遅れ、身体を庇おうと動かした空いている腕の肩下辺りからが引き裂かれて宙を舞った。

 その衝撃に女ははじき飛ばされ、少女を引いていた手も引き離された。そして少女は急に支えを失い、勢い余ってもつれ込むように倒れ伏す。一瞬放心しながらも最大限の警鐘を鳴らす生存本能の通りに慌てて起き上がろうとするも、すでに限界を超えていた身体は微かに震えるだけに終わり――


「――がふぇっ!」


 そんな与しやすい獲物を捕食者が逃すはずもなく、巨体を支える強靱な前肢によって押さえつけられた。巨体の重量が載った慈悲の欠片もないそれは容易く少女の胸骨を砕き、その口から鮮血を滴らせる。


「――ぉああああああっ!!」


 あわや少女が完全に潰される寸前、半ば自棄じみた絶叫をほとばしらせながら青年がそれ(・・)の巨体に向かって吶喊し、手にした剣を振り抜いた。その一撃は極限の緊張と疲労が身体をむしばむ中、しかし青年が今まで練り上げてきた才と技によって確かな致命の閃きとなる。

 受ければ自身もただではすまないということを本能的に悟ったのか、それ(・・)は大きく飛び退ることで青年の一撃を回避すると警戒するように対峙する。対して素早く剣を引き戻した青年も乱れに乱れた呼吸を懸命に整えながら構えを取り、頭の中でこの状況を打開する術を必死になって探した。

 現在まともに動けるのは青年ただ一人。足下で伏したままの辛くも圧死を免れた少女も、少し離れたところで意識を失っている片腕を失った女も瀕死の状態だ。とてもではないが戦うことはできないだろう。本来ならばもう一人頼れる仲間がいたのだが、彼は青年達を逃がすためにあえて残ったのだ。しかし彼がおさえていたはずの相手が目の前にいる以上、その安否は推して知るべしである。

 そして対峙するのは民家と並んでも劣らないであろう巨体を誇る漆黒の豹、この『死の樹海』に生息する桁外れて強力な魔物の一種、影皇豹(アルモパゥル)だ。人間の社会では災害級――存在が自然災害と同程度とされ、超一流の冒険者が複数人がかりで、あるいは統率の取れた大国の軍隊が相手取らなければならないような危険度の魔物で、本来なら樹海のもっと奥深くを縄張りにしているはずだが、なんの偶然が重なったのか比較的浅い場所で青年達と遭遇したのだった。

 彼らとて無力ではなかった。むしろ若いながらもこの魔境に踏み入ることを許されるほどの実力があったのは確かなのだ。現にこれまで何度か『死の樹海』外縁部に踏み入れてはそのたびに無事生還を果たしていたことで、魔境の探索を生業にしている猛者達からも認められすらしていた。そこに驕りがなかったのかといえば、満場一致で外縁部よりも奥へと踏み入れた途端に影皇豹に出くわしたことが答えだろう。

 行く手を阻むのは災害級の魔物。対する青年は実力があるとはいえようやく超一流の領域に足をかけた程度、たった一人で対抗できるはずがない。瀕死の二人を見捨てれば逃げ延びる可能性が出てくるかもしれないが、それは青年の矜持が許さなかった。ただでさえ苦渋の決断で一人の仲間を失っているのだ。我が身可愛さに残った二人まで見捨てれば、例え生き延びたとしても青年は青年でなくなってしまう。


「――うおおぉっ!!」


 圧倒的な膂力と敏捷性を兼ね備える格上の存在に対して受けに回れば死は明らか。そう結論付けた青年は自らを鼓舞するように雄叫びを上げると、決死の覚悟と共に影皇豹へと斬りかかった。絶体絶命の危機に肉体が限界を超えたのか、その動きは疲労を感じさせぬほど素早く、その剣閃は常よりも鋭い。

 青年のこれまでの人生でも文句なしに最高の一撃は、しかしその巨体に似合わぬ身軽さでもってかわされてしまう。それでも青年は二撃三撃と技術に裏打ちされた流麗な剣捌きで攻撃を繋げるも、災害と認められた強さを持つ影皇豹を捉えるには至らない。

 そして青年が呼吸を継いだほんの一瞬、常人なら知覚できるかどうかというほどの鈍りを的確に捉えた影皇豹が岩をも切り裂く爪を振るった。反射的にかざした青年の剣をへし折り、その胴体を深々と切り裂く。


「――ぐはっ!?」


 剣の折れるわずかな合間に後ろへと飛び退ったことにより、青年はかろうじて致命傷を避けていた。しかしそれでも負ったのはわずかに命に届かなかっただけという重傷。灼熱の痛みに意識が飛びかけた青年は死にものぐるいでつなぎ止めるも、力の抜けた脚は対峙することすら許さなかった。

 だがしかし、例え踏みとどまることができたとしてももはや動くことすらままならず、これまで頼りとしてきた愛剣も半ば以上を失って役に立たない。加えて影皇豹は未だなんの痛痒もなく健在のままだ。

 万策尽きた青年はここが自らの人生の終わりであると悟り、誰一人として仲間を守ることができなかった己の無力を嘆き、歯を食いしばって激痛をこらえながらせめてもの抵抗として今まさに躍りかからんとする影皇豹を睨み付けた。

 ――だからこそ、彼にはそれがしっかりと見えた。

 自身の知覚するあらゆるものがゆっくりと感じられる中、身体をたわめていた影皇豹がふとその動きを止め、その視線をあらぬ方向に向けた。そして青年に跳びかかろうと溜めていた力をなんの躊躇いもなく今見ている方向とは逆への跳躍のために解放しようとして――

 その懐になにかが飛び込んできたように見えた瞬間、前肢の一つがなんの前触れもなく断ち切られた。

 突然前肢を切り落とされた影皇豹は、体勢を崩し悲鳴を上げつつもなんとか跳躍。大きく飛び離れたところでたった今自分が前肢を失った場所へと威嚇のうなり声を上げる。そこには振り抜いた剣を流然と構え直す人影が一つ。


『ふむ、事前にワシの接近に気づいたのは褒めてやるが、いかんせん速さは及ばなかったようだの』


 まさに忽然ととしか言いようのないほどの唐突さを持って姿を現したのは、硬質な銀色の長髪を後ろで一括りにした見た目二十四、五の美丈夫だった。均整の取れた無駄なく引き締まった体躯を簡素な衣のみで覆い、腰に剣帯と鞘を吊るしている。


『まあそれでも脚一本しか獲れんとは、まだまだこの身体に慣れておらぬ証拠か。わずかな間ではあるが、慣らしのために少々付き合ってもらおう』


 何事かを呟いた闖入者は片手で保持している抜き身の剣をゆらりと動かす。それを見た影皇豹がピクリと身じろぎし――

 ゴトリ――と重たい音を立ててその首が地面に落ち、一拍を置いてその巨体が地響きを立てて崩れ落ちた。そのかたわらには無造作に剣を払って刃に付いたわずかな血を飛ばす闖入者。まるで途中の経過を全部すっ飛ばして結果だけが提示されたかのような光景である。

 呆然となる青年の目にも一瞬で距離を詰めた闖入者が、手にした剣をなんの気負いもなく影皇豹の首へと振り下ろす様子がコマ送りのように映っただけだった。その微かな静止の瞬間すらなければ認識すらできなかったであろう、あまりにも常軌を逸した速度と技の冴えだ。


『まあこんなものかの。他にもおらぬようであるし――(ひい)様、近衛殿、近くば至急に参じ願う! 今にもその命散りかねぬ者がおりますゆえ!』


 災害級の魔物をたった一人で圧倒――いや、歯牙にすらかけなかった闖入者は剣を鞘に収めつつ辺りを見回したかと思うと、彼自身がやってきたのであろう方向へと大きく声を張り上げた。

 しばらくの間を置いて、その声に応えるようにガサガサと派手に音を立てつつ現れた人影が一つ、厳密に言えば二つ。

 一人は闖入者と同じ銀の髪を腰を越えて垂らしている人物。奇妙なことに目を閉じ黙する意匠の仮面で顔を隠し、ゆったりとした衣と手袋で以て全身を覆い隠した性別をうかがわせない痩身で、その背には身に余りそうなほど巨大な背嚢を二つも背負ってなお平然とした様子を見せている。

 そしてその人物の腕の中、邪魔にならないように身体を精一杯小さくして抱えられている夜色の髪をした娘。幼さを残す顔立ちながら、闖入者とも仮面の人物とも違い比較的しっかりとした旅装を身に纏い、おそるおそるといった様子で周囲の様子をうかがっている。


『ご苦労さまです、翁。セラ、重傷者の修復をお願いします。私も応急処置を行います』

『あ、はい! わかりました!』


 仮面の人物にまるで壊れ物でも扱うかのような丁寧さで降ろされた娘はもう一度ぐるりと辺りを見回し、呆然とへたり込んだままの青年に目を止めるとその傷に目を見開き、大急ぎで駆け寄った。


『今から傷を修復します! 動かないでください!』


 旅装が汚れることに頓着する様子もなく青年の前にひざまずいた娘の名前はセレスティナ・ヴォルフシュトラ・グルーツェンラッド。つい先日、生まれ故郷を旅立ったばかりの幼き魂霊術師(ネクロマンサー)だった。


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