装備を調えよう5
「……待ってください! おババさんはパヴェリア様なんですか!?」
「そう呼ぶことを許した覚えはないよ、小娘」
そしてここまでの急な展開について行けず成り行きを見守っていたルース達の中で、パヴェリアの名前に反応したメルフィエが思わずと言った様子で大声を上げ、そして呼ばれた当人にチラリと一瞥を向けられただけでバッサリと斬り捨てられて鼻白む。
「……え、パヴェリア? まさか、『錬金の賢者』のパヴェリア?」
「うっわー、アタシですら聞いたことがあるんだけどその名前……」
そしてメルフィエに遅れてその名前に思い至ったルースとライラが驚愕に目を剥いた。
この世界において、有力な魔術師に付けられる称号には『大魔導』と『賢者』がある。前者は単に魔術師として強力であることを示しているのだが、後者に関しては世間にとってめざましい貢献を行った者に対して贈られる一種の尊称であった。
中でも『錬金の賢者』パヴェリアは、その称号に冠するとおり希少な上位魔術である錬金術の使い手であり、彼女の生み出す霊薬は万病を払い、作り出す魔具はあらゆる苦難を取り除くと言われている。
しかしながら同時に大変偏屈かつ気まぐれであることも知られており、近年では忽然と行方をくらまし生死さえ不明とされていた。
「この店の品揃えは素晴らしいものだと思っていましたが、まさかあのパヴェリア様が構えていらっしゃったのだとは……」
「ふん、言いふらすんじゃないよ、小娘共。おれはやかましい連中に追い回されるのはいい加減うんざりなんだ。……もし口を滑らし出もしたらただじゃおかないからね」
驚愕醒めやらぬ様子で漏らすメルフィエだったが、当のパヴェリアは視線を結晶に向けたまま釘を刺す。端から見れば期待していないような物言いであったが、最後の一言は十二分に過ぎる魔力を乗せての威嚇であった。魔導言語でもないただの声に魔力を乗せて放つという『賢者』ならではの高等技術を使った脅しに、魔術師でないルースやライラは当然、メルフィエですら圧倒的な圧力を感じて反射的に首を縦に振っていた。
一方で同じ言葉を聞いたはずのセレスティナ達には特に影響は見られず、加えて目の前の老婆がどれほど著名な人物であるかを知るよしもないため、セレスティナはメルフィエ達とパヴェリアのやりとりを不思議そうに見守っており、下僕二人はなんとなく事情を察しつつも無難に口を挟むことはなかった。
そんな周囲の反応に頓着するでもなく、見入るように結晶を凝視していたパヴェリアがポツリと呟く。
「……特大の魔測り水晶をあの短時間で満たすのもなかなかないが、偏向の仕方も珍しいもんだ」
「やはりそうなのですか。わたしにも読ませてもらえませんか、パヴェ――おババ様」
「ふん、読み取れるのかい、小娘?」
それに興味を持ったメルフィエがパヴェリアの名前を口にしかけ、途端にギロリと睨まれたために慌てて言い直し、挑発にしか聞こえないが一応許可が出たためパヴェリアが掲げる結晶をのぞき込んだ。
「……『固着』でしょうか?」
「はん、その程度かい。『締結』にも寄ってんのが見えないのかい?」
難しい顔でしばらく結晶内の光を見つめていたメルフィエが読み取った魔力の性質を口にすれば、パヴェリアはその未熟さを鼻で笑う。
彼女達が話題にしているのは、セレスティナの魔力性質の偏向についてだ。魔術の根幹を成す魔力であるが、炎や氷を操る操理術なら『放出』、傷を癒す治癒術ならば『回復』と、その扱われ方は魔術系統によって一定の方向性がある。特定の魔術に習熟すれば習熟するほど魔力の性質が適したものへと徐々に偏っていくため、魔力の性質の偏向具合を見ればその術師がどの魔術を使うかがわかるのである。
そして先ほどパヴェリアがセレスティナに渡して魔力を込めさせた多面体の結晶は、『魔測り水晶』と呼ばれる魔力の偏向を調べるための魔具であった。しかしながら対象が今は隔絶された世界にしかいない魂霊術師のセレスティナである。可視化された魔力性質は当然のように極めて珍しい偏向を示していたのだった。
「おれも見たことねぇ偏向の仕方だ。セレスティナ、お前さんいったいどんな魔術を修めてるんだい?」
「えっと、こんれいじゅつです」
「……《汝が身に宿す魔の系譜、いかなるものか》」
「《我答えん、親しむは魂霊の術なり》」
「魂霊術……何か引っかかるね。どこで聞いたか……」
まだつたなさの残るセレスティナの発音が要領を得なかったのか、魔導言語で問いかけ直したパヴェリアは即座に応じられた答えを聞いて首を傾げる。
「彼女の話を聞く限りだと、我々の間では死霊術と伝わっているものの本来の名称だそうです、おババ様」
「……ああそうか、思い出した。確か恐慌の時代以前のことを記した古い文献にそんな魔術系統のことが載ってたね」
メルフィエがそっと補足を入れると記憶が繋がったらしく、合点がいった風に何度も頷くパヴェリア。死霊術と伝わる魔術の正式な名称を載せる文献を、片隅とはいえ記憶していたことから彼女の見識の広さがうかがえた。
「おババ様、やはり死霊術と証されるような魔術は危険なのでは――」
「セレスティナ、《そこな二名は汝が従卒か?》」
「《肯定する。彼の者ら我と共に歩む忠実なる従卒なり》」
「ふん、やっぱりそうかい。ふむ……」
小声で耳打ちしようとするメルフィエを遮ったパヴェリアがアレイアとグウェンを示しながら魔導言語で尋ね、どこか誇らしそうにセレスティナが答えるのを聞いて鋭い目つきで下僕二人をじっくりと観察する。しかもどうやらただ見るだけでは足りないようで、回り込んだりのぞき込む角度を変えたり、果てには「触ってもいいか?」とセレスティナに許可を求めた上で無遠慮に触れてみたりと一切の遠慮容赦が見あたらない。観察対象となったアレイアとグウェンは、小さな主が笑顔でなんの屈託もなく「どうぞ」と許可を出した手前おとなしくしているものの、居心地の悪さを感じて身じろぎをするほどであった。
「――なるほどねぇ……使役系、しかも自我はあるが物自体は無生物が基本と見た。魂霊術、仮に位置づけるなら操形術の上位魔術と言ったところかね」
やがて一通り満足がいったのか、鼻を鳴らしたパヴェリアは一つ頷き、それまで様子を見守っていたセレスティナと目を合わせると不敵な笑みを浮かべた。
「要り用な物があればおれに言いな。望み以上の物を揃えてやんよ」
「えっと……ありがとうございます、パヴェリアさま」
よくわからないながらも、とりあえず友好的な様子のパヴェリアを見て笑顔で慇懃に応えるセレスティナ。対して小さな怪物を認めた上に気に入ったらしい、気難しいはずの錬金術師の様子を見て天を仰ぐメルフィエ。もとより望みが薄かったとはいえ、結果として余計に手に負えないことになりそうな未来を思って吐き出しそうになった盛大なため息をなんとか飲み込んでいた。
その後、パヴェリアはセレスティナが必要とする物を微に入り細に穿ち聞き出した。その勢いは聞き取りではなくもはや尋問でないかと思われるほどであったが、そこに込められた尋常でない熱意を感じ取ったセレスティナは故郷で使われていた魔材から語り継がれる伝説にしか痕跡のない魔具まで、思い出せる限りの物を挙げていった。交わされる言葉は魔導言語のため魔術の素養がない者は完全に置いてけぼりにされ、通じるメルフィエも時間を経るにつれ高度になっていく内容に顔を引きつらせながら必死の思いで理解しようと試みる。
「――ふん、まあ今はこんなところかね」
どれほどある種の魔術談議が続いたのか、やがてパヴェリアは帳面に書き出した物を見ながらそうこぼした。その目は好奇に爛々と輝き、顔には年齢には不釣り合いなほどにふてぶてしい笑みが浮かんでいた。それは正しく、未知に挑む魔術師の顔であった。
「久々に腕が鳴るってもんだ。まずは用途の似通った物から手を付けるとするか。そっから試作を重ねて、いずれはお前さんが言った物全部揃えてやんよ、セレスティナ」
「ありがとうございます、パヴェリアさま」
「かかっ、礼を言われることじゃないよ。この歳になって途絶えた魔術に関われるなんざ早々あることじゃないからね。むしろこっちが礼を言いたいくらいさ。ほれ、とっとと出て行きな。おれはすぐにでも取りかかりたいんだからね」
そうして追い出されるように店を出た一行。途中から全くついて行けなくなっていたルースとライラはあからさまにホッとした様子であったが、色々と衝撃的なことが重なったせいか、メルフィエはどこか心あらずと言った様子で虚空を見つめながら何かしらをブツブツと呟いていた。
「だいじょうぶですか、メルフィエさん」
「……ええ、大丈夫です、大丈夫ですとも。元から想定していたことですから。未知を切り開くことこそが魔術の本分であるのですからおババ様がああも張り切られるのは当然ですし、あなたがわたしよりも優れた魔術師であることもうすうすではありますが知っていたことですし、より手が付けられなくなったとか強力に過ぎる支援者を紹介してしまったとかわたしは未だ名を呼ぶ許可すらもらえなかったとかあれもこれもそれもただ最悪のパターンの一つでしかないのですから大丈夫に決まっていますよ、ええ」
心配そうに尋ねるセレスティナに答えたメルフィエであったが、虚ろな視線を頑なに合わせまいとしながら早口にまくし立てる様子は言葉通りというわけにはいかないだろう。ここまでのことで一気に心労が溜まったようで、ルースとライラも普段から落ち着いた振る舞いしか見せない彼女の疲弊しきった様子に気がかりな視線を向けている。
「……アレイア、どうしたらいいですか?」
「おそらくは知り得た情報を整理し切れていないのでしょう。区切りが付くまでは触れずにおくのが賢明かと思いますよ、セラ」
明らかに大丈夫でなさそうなメルフィエを見て途方に暮れたセレスティナが忠実な下僕に助言を求めるも、メルフィエの状態をある程度察したアレイアは適当な理由を挙げてそっとしておくことを推奨。それを素直に受け取ったセレスティナはそんなものなのかと納得しつつもやはり心配げな目を向けて――
クゥ――と不意に可愛らしい音が鳴り、思わずといった風に一同が音の源に視線を向け、腹の虫に鳴かれた当人であるセレスティナは頬を赤らめると決まり悪げに俯いた。
「……あー、そう言えばそろそろ昼時だよね」
気まずげに視線を逸らしながらルースがなんとはなしに口にする。朝から街を見ていた一行であったが、彼の言う通り太陽はすでに中天に差し掛かっており、セレスティナでなくても皆が空腹を感じ始めている頃合いである。もちろんのこと、食事を必要としない下僕二人を除いてであるが。
「いったん大通りに出てどこか適当なところで昼食にしよう。それでどうかな、アレイアさん?」
「そうしましょう。セラ、お辛いかと思いますが、もう少しご辛抱ください」
「……はい。すみません」
ルースの提案に対して、アレイアからの無自覚な追撃にますます顔を俯かせたセレスティナが蚊の鳴くような声で承諾を伝えたことで方針は決まり、大通りの方へと向かう一行。やがて人通りが増えてくるのと前後するように食欲をそそる臭いが漂い始め、俯きがちだったセレスティナの顔が自然と上げられていき、臭いの元を探すかのように忙しなく周囲を見回し始めた。
「……おいしそうな、においがします」
「大通りは屋台も多いからね。アタシも時々巡ったりするけど、辺りの店はホントに美味しいのよ?」
「やたい……」
今まさに嗅いでいるような香ばしい臭いを放つ食べ物にセレスティナが想いを馳せたまさにちょうどその時、クゥ~――と再び自己主張する腹の虫。先ほどよりも長く明確なそれは待ちきれないと言わんばかりだが、同時にセレスティナに再びの羞恥を抱かせる程度の威力は秘めていた。
「ああもう、セラちゃんは可愛いわね――ってぎゃああああ!?」
『むっはっは、この頃のおなごは積極的で良いのぅ』
それを見て別の意味で辛抱堪らんとなったらしいライラが思わずと言った様子で抱きつこうとしたが、その前に一瞬で間に入ったグウェンへと飛びつくはめになり、気づいた途端に悲鳴を上げながら飛び離れた。
そして束の間ではあるもののライラの引き締まった健康的な身体に抱きしめられたグウェンは鼻の下を伸ばしており、そんな相方の後頭部を無言でアレイアがどつくもさして堪えた様子はなかった。もとより痛覚とは無縁な身体なのだから当然と言えば当然だろうが。
無邪気で素直な人間ほど偏屈な老人に好かれる法則。そして本人以上に正直なセレスティナの腹の虫。




