装備を調えよう3
「……あ。え、でも――ほら、格好を抜きにしたって見た目厳ついじゃない? それでも全然大丈夫だったの?」
異常を異常として認識していなかったというまさかの事実に未だ愕然としながらそんなことを尋ねるライラに、先ほどとは逆の方向に首を傾げたセレスティナが答えた。
「すんでいたところのまもののほうが、ずっとこわいですよ?」
セレスティナの暮らしていた場所――『魔境』と呼ばれる森の奥地であり、そんな場所で出没するような魔物――つまりは影皇豹のような災害級や、下手をすればそれ以上の魔物が比較対象になるならば、確かにクリスティーナ程度の存在であれば可愛い部類に入るであろう。
付け加えるならば、人の根源とも言える魂に日頃から頻繁に触れるセレスティナは、他者と接するに当たって身体的特徴による印象を無意識的にではあるが低くしている。それは例え魂霊が相手であっても自らと対等に扱うという、魂霊術師として異質の存在であることも理由であろう。
「……今はそれよりも、早く目的の店に向かいましょう」
とにもかくにも、セレスティナの持つ基準の突拍子もなさと、そうならざるを得なかったすさまじい環境を思わせる言葉にルース達が二の句を継げずにいる中、どこか諦観を漂わせるアレイアが促すことでようやく止まっていた歩みを進める一行。
なお、あまりの衝撃に気を取られた結果としてクリスティーナの女言葉に言及する者はいなかったが、もとより西ラーブル語を習熟途中であるセレスティナにはそちらの区別も明確ではなかったため、違和感に気づかずスルーしていたりする。
「……ここですね」
なんとか再開された街の案内をする内に何度か路地を曲がり、気がつけば人通りの少ない裏通りを歩いていた一行は、確信を持って足を止めたメルフィエに倣って立ち止まり、彼女が正面に見据える一軒の建物へと視線を向けた。かなり傷みが進んでいる木造の家屋は、扉に何も書かれていない吊し看板が掛かっている以外は特にこれと言った特徴はない。むしろしっかりと修繕が施されている周囲の建物と違って貧相にも見える、店だと言われたところで疑問を抱くしかないような構えであった。
「……メル、本当にここが店なのか?」
「……どう見ても廃屋寸前じゃない」
共有される物資はともかく、専門性のある買い物は全て個別に行っていたルースとライラはひたすらに首を傾げていたが、それに対して「そう見えてもしかたありませんね」と軽く肩をすくめたメルフィエが吊し看板を指さした。
「セレスティナさん、あなたならそこに書かれている文字が読めますよね?」
「いや、メル、何言ってんのよ。文字も何も、なーんも書かれてないじゃん」
いきなり何を言い出すかとライラが呆れたように声を出したが――
「えっと、《よろずの魔具魔材あり。読めぬ者は去れ》です」
「……へ?」
あっさりとセレスティナが――魔導言語ではあるが――読み上げたのを一瞬呆けたように見て、念のためにと吊し看板を見やって文字どころか絵図すら描かれていないことを再度確かめた。
「やはり読めましたか」
「……どうゆうこと、メルちゃん?」
眉根を寄せつつも納得したように頷くメルフィエにライラが疑問を投げかければ、ルース達の中で唯一の魔術師は丁寧に解説する。
「あの看板には、ある無色透明の薬剤で魔導言語が書かれています。それだけならなんの意味もありませんが、その薬剤は性質としてわずかに魔力を蓄えているのです」
元来、魔力というものはよほど高密度に集まりでもしない限りは目に見えることはない。しかしながら魔術師を初めとした魔力に親しい人間は、視認できない程度の魔力でも『ぼんやりとした光』として認識できるのである。そしてどれほどの量の魔力であれば見えるかは個人の能力に依存し、一般的には魔力の制御に長ければ長けるほど少ない魔力でも視認が可能になる。
「――あの看板は、いわばある種のふるいですね。あの程度の魔力ではクランバートに来た当時のわたしでは気づくことがでなかったでしょうし、ここを利用できるようになったのは比較的最近です」
「え、メルでも最近なのか?」
「……この店に気づいたのは偶然でしたが、事前に知っていればもう少し早く利用できたはずです」
「うっわー……じゃあこの街にいる魔術師でも、ここがお店だって知ってるのは半分もいないわけ? それで商売になるの?」
「店主の方が少々気難しい方で、ご本人が『おれが物を売る相手はおれが決める』と普段から口癖のようにおっしゃってるんです。おそらく儲けを出すことは度外視しているんでしょう」
若いながらも魔術師としては上位の実力を持ち、精鋭の集うクランバートでも平均以上だと事実として認識しているメルフィエとその仲間二人は、それぞれに驚きやら呆れやら思い思いの感想を口にする。が、ふとそのことに気づいたルースが目を見開いてセレスティナを見やった。
「え、じゃあそれを普通に読めたセラって……」
「ええ。セレスティナさんはすでにここの店主が示す最低限の基準を満たしていることになります」
どこか複雑そうな表情で押されたメルフィエの太鼓判に絶句し、あらためてセレスティナを凝視するルースとライラ。無理もないだろう。連日の再生依頼をこなしてケロリとしているセレスティナを見て知ってはいたが、それは彼女の修める魔術系統がそういうことに特化しているおかげであると考えていた。系統によって得手不得手が明確に別れる魔術は、扱う術を単純比較して優劣を付けることができないのだ。
だが、魔力の扱いは全ての魔術に――どころか一部の戦士が戦闘技術にすら取り込むほど万人に共通する基礎である。これの習熟は様々な要素に直結するため、こと対象が魔術師であれば純粋に力量として基準にされるほどだ。
それがセレスティナは、少なくともメルフィエと同等以上にはあると証明されたわけだ。ちまたでは『天才』とも言われながら日々の研鑽を怠らないメルフィエと、目の前の成人に満たないようなセレスティナが、だ。
「――実際、セレスティナさんの魔力制御は見事の一言です。魔術師としては敗北宣言にも等しいですけど、そうだと言われなければ気づかないほど漏れのない統制された魔力はわたし達の理想とする形に限りなく近いです」
さらには格上だとほのめかすような台詞に、もはや開いた口が塞がらないルースとライラ。しかしながらセレスティナは自身が高評価を受けていることに対してゆるゆると首を横に振った。
「わたしでは、まだまだです。もっとがんばらないと、いけません」
それは謙遜でもなんでもなく、生まれた頃より一門の英雄たる『死人の魔王』の伝説を寝物語に聞かされて育ってきたセレスティナにとっては、今の自分は遙かに劣るという認識に基づいた――本人としては――正当な自己評価であった。事実、瞬く間に万を超える軍勢を生み出すことも、自らを死の束縛から解き放つことも未だできていないのだから間違いではない。
そんな風にセレスティナが高すぎる目標を内心に抱いていることを感じ取ったのか、大きくため息を吐き眉間を指で押さえるメルフィエ。彼女としてはすでに脅威である少女が慢心することなくさらに上を目指していると言う事実は頭の痛い問題であった。今でさえよほどの手練れすら手が付けられそうにないというのに、これ以上になっては万が一の時にいったい誰が止められるというのだろうか。
なまじ魔術師としては才にあふれるだけに、自分以上才を持ちながらひたむきに上を目指す小さな怪物には恐怖しか感じないメルフィエであった。
ちなみにだが、憑依体というある意味統制されきった魔力で動く身体を持つ下僕にも看板になにかしらの文字が書かれているのは見て取れていたのだが、本人達には魔導言語に対する理解がなかったために内容までは読み取れていなかった。その辺も魔力を扱う適正はあるが魔術師でない人間をふるい落とすための細工なのだろう。
これ以上力を付けられるのも怖いが、かと言って要望を断って機嫌を損ねた時のことも怖いメルフィエは、ここの店主の偏屈さに一縷の望みをかけてみすぼらしい扉をくぐった。それを見たセレスティナは一度絶句したままのルースとライラを見て「さきにいきます」と断りを入れてから続き、当然のように下僕二人も追随するのを見送ったところで我に返った二人は慌てて後を追った。
中は意図的に小さく取られている窓によって薄暗く、あちこちに陳列用の台が配置されているせいで六人もいると少々手狭に感じられるほどであった。陳列されている商品も乾燥させた薬草や種々の鉱物から多種多様な魔物の素材、果ては用途不明な道具類などとどこか混沌としており、雑然とした様子も相まっていっそ不気味と言っていいくらいである。
「おババさん、いらっしゃいませんか?」
店の様子に気圧されるルースにライラと、逆にここも興味深そうに見回すセレスティナ達と反応が分かれる中、メルフィエは大きくはなくとも良く通る声を奥へと投げかけた。しばらくはなんの反応もなかったが、再度メルフィエが呼びかけるとギィと奥へ続く扉が開き、矮躯の老婆が姿を現した。
「……ふん、誰かと思えば小娘かい。しかもぞろぞろと……何の用だい?」
そこにいる面々をざっと見渡すと顔をしかめながら不機嫌そうに口を開く。年季の入ったローブを纏う姿は魔術師のそれであるが、同時にあちこちに後付けされたとおぼしきポケットから様々な道具や乾燥した何かしらの草花、色鮮やかな薬品を覗かせているところは技師や研究者といったものに通じるところがある。加えて出会い頭の言葉と態度からすれば、枕詞に『気難しい』や『偏屈な』といった形容がふさわしいであろう。
「しばらくぶりです、おババさん。今日は――」
「ふん、そこのおチビ」
そして用向きを伝えようと口を開いたメルフィエを遮って――より正確に言うならばその存在がないかのように、『おババさん』と呼ばれた老婆が呼びかけを発した。その視線がしっかりとセレスティナへと向けられていたため、人によっては蔑称と捉えられかねない呼称の意味を認識していなかった当人にも、目の前の老婆が自分のことを呼んだのだということは容易に察せられた。
「わたし、ですか?」
「お前さん以外に誰がいるかね? ――ほれ」
呼ばれたことはわかってもその理由に心当たりがなく首を傾げるセレスティナに、老婆は手近な陳列台に歩み寄り、その上にいくつか置いてあった多面体の結晶から特に大きい物を一つ掴むと無造作に投げてよこした。見事な弧を描いてセレスティナへと迫る結晶を、いつの間にか回り込んだグウェンが片手であっさりと受け止める。
グウェンの手の平に収まったそれは大部分が無色透明な結晶だが、少し見れば多面体の各頂点にそれぞれ小さな結晶が付いているのがわかる。それらの結晶は一つ一つが異なる色合いを持っており、光を受ければ不思議なきらびやかさを見せるだろう。
「それに魔力を込められるだけ込めてみな。ただし、くれぐれも壊すんじゃないよ」
『ふむ……どうぞ、姫様』
ぶっきらぼうに続く老婆の指示を聞いたグウェンは一見して危険がないことを確かめると、主に対する無礼に身体を震わせるアレイアを反対側の手で押し止めつつ、結晶をセレスティナへと差し出した。
「ありがとうございます、グウェン」
そして結晶を受け取ったセレスティナは特に疑問を挟むことなく、老婆の言った通りに結晶へ魔力を流した。そうすれば彼女の感覚としては布が水を吸うように、流す端から飲み込まれる魔力に少し驚きを表しながらも続けること数秒。結晶は中心に淡い輝きを宿し、セレスティナが魔力を込めるのに呼応するように、しかしある方向に偏って大きくなっていく。
「――ふぅ、できました」
やがて魔力で満たしきった実感を得たセレスティナが、思った以上に魔力を使ったために一息つきつつ、しかしそれだけで済ますとニッコリと笑顔を浮かべながら老婆へ報告を行った。
「……ふん、よこしな」
「はい、どうぞ」
スッと眼を細めた老婆の伝法な物言いに、しかし欠片も笑顔を崩さず結晶を差し出すセレスティナ。その手から奪うように受け取った老婆は結晶を掲げて検分するようにじっと見つめていたが、すぐに「ふん」と鼻を鳴らすと視線を再びセレスティナに向けた。
「いいだろう。おれのことはパヴェリア様と呼びな」
「わかりました、パヴェリアサマさん。わたしは、セレスティナと言います」
「……お前さん、おれをバカにしてるのかい?」
「?」
急に不機嫌になった老婆――パヴェリアを見て首を傾げるセレスティナに、今のやりとりで溜飲の下がったアレイアが間違いを指摘した。
「セラ、今回の場合『パヴェリア』が名前に、『様』が敬称にあたります。ですので先ほどのセラの発言では敬称が重複し、不自然なものになってしまっているのです」
「あ、そうなんですか……たいへんしつれいしました、パヴェリアさま」
「……ふん、わかりゃあいいんだよ」
自らの失態に慌てて謝罪するセレスティナを見て、パヴェリアもそれ以上は特に言うこともなく結晶へと視線を戻した。
人は中身の究極系を地でいくセレスティナ。そして魔術師としての格が判明。




