装備を調えよう1
辺境の都市、クランバートに朝がやってきた。
地平線から差し込む朝日が外壁を越えて宿屋《晴天の白麦》の二階にある一室に差し込むと、そこで眠っていた少女のまぶたを照らす。
「ん……」
光の刺激を受けて目をいっそう強く瞑りしばらくは寝具の中でモゾモゾと動いていたが、少ししてゆっくりと目を開けると緩慢な動きで上体を起こす。
「――おはようございます、セラ」
『おお、お目覚めですかな、姫様』
「ふぁ……おはようごじゃいまひゅ」
主の起床を察知した下僕二人に滑舌の怪しい挨拶を返す寝間着姿のセレスティナ。そのまま何をするでもなく、半分まぶたの落ちた目でぽーっと虚空を見つめたまま動き出す様子を見せない。これは別段体調が悪いというわけではなく、単に彼女が朝に少々弱いだけである。
いつも寝起きはだいたい似たような状態であるため、慣れたアレイアは手早く着替えを用意した上で櫛を持つと、完全に形式でしかない断りを入れてからセレスティナの髪の手入れに取りかかった。横になるために一つの三つ編みにまとめていた髪を解くと、毛先から少しずつ丁寧にくしけずっていく。
やがてセレスティナの長い髪は見事な闇色の流れを取り戻し、それを確かめて仮面の顔を満足げに頷かせたアレイアは鼻の下を伸ばして見守っていたグウェンを部屋の外に叩き出した。そしてまだ覚醒しきっていないせいでフラフラと足下の危うい小さな主を支えながら、実に手慣れた動きで着替えさせていく。
ちなみに憑依体の中にはガウルを初めとした男性の魂霊も多いが、都度団結した女性の魂霊達が全力で妨害を行うため一連の光景を認識することはできない。乙女の身支度は、例え忠実な下僕といえども異性に晒すべきではないというのが女性陣の一致した見解であった。そこに男共が異論を挟む隙は一切ない。
そうして普段着に袖を通し、少し乱れた髪を再度アレイアが整え終わる頃になってセレスティナは一度ぎゅっと目を瞑ると、数度ぱちぱちと瞬きを繰り返した。この段階になってようやく完全に目が覚めたのである。
「あ――おはようございます、アレイア」
「おはようございます、セラ」
「グウェンは、どこにいきましたか?」
「いつも通り、部屋の前で目を光らせております」
「そうですか、わかりました。みなさんも、おはようございます」
しっかりと目覚めたため、改めてアレイアとその中にいる魂霊達に笑顔で挨拶を送るセレスティナ。そしてアレイアに促されて部屋を出るとグウェンと合流して再び挨拶を交わし、階下へと降りていった。
宿屋兼酒場である《晴天の白麦》 では、一階フロアは食堂を兼ねている。日が昇ってそれほど経ってはいないが、朝早くから活動するのが日常の冒険者が利用するおかげでそこはすでに多くの客が席を埋めている。
「あ、セラちゃんおっはよー! こっちよ、こっち!」
そんな食堂の一角で真っ先にセレスティナ達に気づいたライラが声を上げて手招く。彼女達もこの宿を定宿にしている――というよりその紹介でセレスティナ達も同じ宿に宿泊することになったのだからここにいるのは何の不思議もない。遅れて同じ席で朝食を摂っていたルースとメルフィエも自分達の元へ来るように身振りで促した。
ライラの呼びかけで三人に気づいたセレスティナも笑顔になってルース達の席へと向かった。当然のようにアレイアも、給仕をする娘に鼻の下を伸ばすグウェンの耳を鷲掴みながら続く。
「おはようございます、ルースさん、ライラさん、メルフィエさん」
「ああ、おはよう。昨夜もよく眠れたかい?」
「はい。きもちよく、ねむれました」
「ああもう、今日も可愛いわねセラちゃん!」
「あ、ありがとうございます」
セレスティナ達がクランバートにやってきてから早六日。そろそろお馴染みになりつつある朝のやりとりを経て運ばれてきた朝食を口にするセレスティナ。初めの二、三日は出された料理にことごとく驚愕を見せていたが、ようやくそれらが一般的な物だと理解してからは驚きを見せなくなった。
ただ、それはそれとして多種多様な味のある料理が彼女にとって上等であることには変わりなく、今もパンとスープという朝食にはありふれたメニューを実に美味そうに食べている。そんな様子を周囲が微笑ましげに見守るのも定番となってきた光景であった。実のところ、この場にいる常連客のほとんどがセレスティナの様子を見て頬を緩ませていたりする。
「えーっと……今日は買い物のついでに街の案内でいいんだよな、セラ?」
「はい。おねがいします、ルースさん」
全員が食事を終えるの見計らい、事前に聞いていた予定の確認を取るルースに対して笑顔で肯定するセレスティナ。その顔はこれから訪れる楽しみを思ってか、いつも以上に輝いていた。
到着初日に再生騒ぎを引き起こした翌日、案の定話を聞きつけた人間がギルドに詰めかけた。押し寄せたのはノルドと同じように体の一部を失い脱落を余儀なくされた元冒険者達であり、対応役として待ち構えていたノルドにこぞって詳しい話を求めた。
そしてこうなることをおおよそ予測していたギルド側は、事前の打ち合わせ通り《晴天の白麦》に宿泊しているはずのセレスティナの元へと使いを走らせた。すでに従僕でありながら保護者のような立場にいるアレイアと話し合いの末に契約を取り付けていたため、その後の対応は迅速だった。
アレイアに昨日と同じように失った四肢を取り戻したいと願う者が集まり、友人を増やす絶好の機会だと進言されたセレスティナは嬉々としてギルドに向かった。そしてあらかじめ整えられていた一室に案内され、そこで求められるままに新たな手足を繋いでいった。
その際のギルド側の手際も大したもので、我先にと争いかねない元冒険者達に対してまず術者から求められた料金として金貨三枚の提出を示し、引き替えに割り符を発布。さらには施術者であるセレスティナと友誼を結ぶことを了承した者から順に部屋へと通していった。当然料金を払えないような者もいたが、そういった相手には惜しまず貸し付けも行う。魔境へ挑む者の集うクランバートは優秀な冒険者の数こそが生命線であることを百も承知なギルドの本気度合いがうかがえる対応力であった。
中にはそんなものは知ったことかとばかりに手続きを無視して押し入ろうとする愚か者も若干名いたりはしたが、そんな手合いはノルドとその仲間を筆頭とした臨時の警備部隊に取り押さえられ、さらにはしばらくの間ギルドへの出入りを禁じるという手厳しい処置が成された。
おかげで混乱も少なく、割り符を握りしめ自分の順番を心待ちにする元冒険者達の列という、荒くれ者の集うギルドにしては珍しく秩序だった光景がしばらく見受けられた。
途中で素材となる新鮮な肉類の在庫が怪しくなったため、『なんでもいいから魔物の肉を狩ってこい』というふざけた緊急依頼がギルドから出されて現役の冒険者達が奔走するなどという事態も発生したが、そんなお膳立てが成されていたとは露ほども知らされなかったセレスティナはせっせと持ち込まれる身体欠損の修復にいそしんだ。最初は世界征服などどうなることかと不安を抱いていただけに、日々順調に増えていく友人の存在は彼女の心を普段以上に明るくさせたものだった。
そんなこんなで連日ギルドの用意した施術室に籠もっていたのだが、さすがに怪我人も有限である。昨日とうとう現時点で修復を望む最後の一人に施術を終え、時間と友人とついでに大量の資金――小さな主人にはまだ早いとあえて知らせずにアレイアが管理している――を手に入れた今日、改めて初めての街を見て回ることにしたのであった。案内人はもちろんルース、メルフィエ、ライラの三人。ちなみにルースとライラに限ってはすでに『お友達』宣言済みである。
一度部屋に戻って外出の準備を整えてから宿を出た一行。何気なく顔を上げればセレスティナの内心を映したかのように澄み渡った青空が広がっている。
「それで、どこから行こうか?」
「まずは衣類を扱う店をお願いいたします」
ルースの問いかけに応えたのはアレイア。その仮面は未だ集落を出た時の旅装を普段着として纏っているセレスティナに向いていた。一見しただけでは簡素な装い旅装なのだが、よく見れば魔物の毛皮をなめした物を丈夫な植物の繊維で寄り合わせた糸によって継いでいるだけの代物。更に言えばその縫製も粗の目立つ拙いものである。
魂霊術師の一門は魔術師の集団であり、支配階級の末裔だ。儀式用の刺繍などは行えても実用的な縫製技術など二の次であり、むしろこの旅装を用意できただけでも御の字であろう。だが、例え旅立つ際に一門の総力を結集して用意された一種の晴れ着であったとしても、年頃の娘が着るものとしては少々どころでなく野卑に過ぎる。ましてや生前とはいえ着飾る人々のことを知るアレイアとしては、この小さくも愛らしい主をこのままにしておくなど看過できないことであった。
「我々の荷は必要最低限でした。無事に街へとたどり着けたのですから、こちらに馴染むためにもまずは装いを整える必要があるでしょう」
「服ね! それなら任せてよ、アレイアさん! いい店知ってるんだ!」
そう言って自信ありげに胸を叩いて見せたのはライラ。今日は街から出ないとわかっていたため普段着姿なわけなのだが、シンプルで動きやすいながらも所々にアクセントを置いて女性らしさを演出している。どうやらたった今口にした贔屓にしている店の品のようで、素人目にも確かな縫製技術と光るセンスをうかがわせる装いであった。ひとまず悪くはなさそうだと判断したアレイアが案内を促せば、ライラは意気揚々と先頭に立って歩き出す。
「――っと、着いたよ!」
途中好奇心に目を輝かせるセレスティナにルースが街の案内をしつつ通りを歩いていくと、ライラが一軒の店の前で立ち止まった。《クリスティーナの冒険ブティック》とどこか女性的な書体が踊る看板を目にし、さっとルースとメルフィエの顔が青ざめる。
「ちょ、ライラ、まさかここで服をあつらえてたのか!?」
「ライラさん、いくらなんでもにこの店は危険です!」
「あー、言いたいことはわかるけど、少し話せば警戒するような相手じゃないってわかるわよ?」
覿面に狼狽える仲間二人に苦笑を隠せない様子のライラ。そのまま急変した二人の様子を見て不思議そうに首を傾げるセレスティナに言い聞かせるように話しかける。
「ここの店主のクリスティーナはちょっと……かなーり個性的なんだけど、根はいい人だし腕も確かだから安心してね」
「? わかりました」
よくわからないながらもとりあえず友人の言うことなので頷いておくセレスティナ。そして青ざめた顔のまま「外で待っているよ」と言うルースを残して店内に足を踏み入れた。
ドアベルが響き渡ったのは狭すぎず広すぎずといった程度の空間。適度な間隔を置いて立ち並ぶ等身大の人形に着せられている服は見本なのだろう。素人目にも丈夫そうだと感じられる生地を用いた、動きやすそうで全体的に目立たない色合いのものばかりだ。実用性に重きを置いた、実に冒険者が好みそうな品々である。
ただ、よくよく見れば袖口に蝶結びにした革紐があしらわれていたり、シャツの裾にフレアが入れられていたり、襟にレース飾りが付いていたりと、動きに対して支障が少ない位置にさりげなくアクセサリーが加えられていることに気づける。一見するだけでは意識することはなくとも、そこに気づけば途端に女性的な印象を与える絶妙な造りである。男性であるルースが入店を遠慮したのも、一応は頷ける品揃えだった。
「――いらっしゃ~い!」
飾られている服を興味深げに眺めているセレスティナ達三人の耳に、どこか裏返ったかのような違和感のある声が店の奥から届いた。同じものが聞こえたメルフィエはなぜか悲壮な覚悟と使命感で強張っていた顔をさらに青ざめさせ、その様子をチラリと見たライラは苦笑をこぼした。
「クリスティーナ、特上のお客を連れてきたわよ!」
「あら、その声はライラちゃんね」
そんな声と共に店の奥から姿を現した人物へ自然に目を移したアレイアとグウェンは、その瞬間あたかも本来あるべき下僕の姿に戻りでもしたかのように硬直した。
「その言い方だとご新規さんかしら? 助かるわ~、最近ちょっと行き詰まってたのよ」
「それはゆゆしき事態ね。でも大丈夫! 今回はとびっきりの素材よ!」
「あらあら、ライラちゃんがそう言うなんてよっぽどね」
そう言った相手の視線が何かを探すようにスイッと横へ動き、そしてセレスティナの姿を認めた途端にその目を見開いた。同時、反射的に動いた下僕二人が庇うようにして小さな主をその背に隠す。
「……まあ、まあまあまあ!!」
そんな歓声を上げながらドシドシドシと急迫する姿にアレイアはいよいよ迎え撃つ体勢となり、スッと眼を細めたグウェンは間合いに入った瞬間に抜く手も見せずに腰の剣を抜きはなった。
しかし、勢いよく接近したその人物は下僕達の手前で急停止すると、一瞬で首にあてがわれたグウェンの剣など眼中にないといった様子で下僕二人の頭越しに、その背後にいるセレスティナをのぞき込んだ。対するセレスティナも驚いたようにパチクリと目を瞬かせながら、自分より遙かに高い位置にある相手の顔を見上げた。
店の奥より現れたその人物は巨躯であった。決して低くないはずの天井に届きそうな体躯に、極限まで鍛え上げたかのようなたくましい筋肉を纏っている。しかしながら艶めく金髪はお下げに結わえられ、その身を飾る衣装は鮮やかな桃色の生地を基本にレースやフリルがふんだんに使用された、着る者が着れば非常に可愛らしいと評価されそうな代物である。極めつきに割れた顎を持つ精悍な顔は口紅に頬紅が激しく自己主張し、不自然なほど瞼に陰影がつけられているなど、明確に化粧を施されている。中身と装いの落差があまりにも著しい、いっそ視覚への暴力と言ってしまえそうな人物であった。
マジマジと見下ろすその人物と、マジマジと見上げるセレスティナ。突きつけられたグウェンの剣は揺るぐことなく、万一に主をかばえるようにアレイアは身構え、標的は違えど視覚の暴力に急迫されたメルフィエは今にも倒れそうで、そんな周囲の混沌とした様子に顔を引きつらせるライラがなんとか気を取り直して声をかけようと口を開きかけ――
「……奇跡よ」
ほぅ、と感動を露わにするかのような吐息と共に、裏返った声の西ラーブル語における女性言葉が漏れ出た。
「ええ、これこそ奇跡に間違いないわっ! 夜を降ろしたような黒髪! きめ細かな白磁の肌! 小作りで無駄のない顔立ち! つぶらなのに気品と艶をもつ紫の瞳! ああ、アタシの求めた理想の素材が……今! まさに! 目の前に!」
著しい感動を吠えるように言葉にして、それでもなお足りないと言いたげに大きく腕を開いて天井を振り仰ぐ人物。合わせて力みが入ったのだろう、隆起する全身の筋肉が身に纏う衣装を押し上げるが、意外にも見た目の可憐さに反して急激な膨張をきしみ一つあげずに受け止める。なお、首元の筋肉も膨張して皮一枚のところにあてがわれていたグウェンの剣に触れたのだが、薄皮一枚切れはしたもののそれ以上の侵入を許すことなく押し返していた。
「えっと、ほめていただき、ありがとうございます」
感心したように目を見開くグウェンの後ろでどうやら自分が褒められたらしいことを察したセレスティナが、初めの驚きを引っ込めると満面に微笑みを浮かべて丁寧に礼を返す。その声が届いたのか、感激に浸っていた様子の人物はハッと我に返ると慌てた様子で再びセレスティナに視線を向けた。
「あらヤダアタシったら、お客さんをほっぽり出して浸っちゃうなんて……お見苦しいところを見せちゃったわね」
「だいじょうぶです、きにしていません」
筋骨隆々な偉丈夫がワタワタとどこか滑稽に取り繕おうとするのにニッコリと笑顔を向けて取りなすセレスティナ。その様子を見たグウェンが差し迫った危険はないと判断してスッと剣を引いたが、今だ警戒を解かないアレイアからどこかとがめるような気配を向けられて、軽く肩をすくめて見せながら手は剣の柄に添えたままにした。
定番に挑戦してみました。




