9.見学希望
「ありゃ?」
甲高い声が聞こえた。こんなバカでかいくせに、声がやたらと可愛すぎてアンバランスだ。
「にんげん以外で、死んだふりする動物、はじめてだ」
さっきの声とは違って、野太い声も聞こえてきた。
二頭か? まさか二頭もいるのか。
そして、そいつはオレの体くらいはあるバカでかい手のひらで、オレをゆっさゆっさとゆさぶりはじめた。全身の毛が逆立つのを感じる。
「あ……ん……ころ、もち……」
なぜあんころもちかわからないが、とにかくオレはそうつぶやいた。何か言葉を発しないと、恐怖で身が持たないと思ったのだ。激しく波打つ心臓が、耳から飛び出そうだ。
「あん、ころ、もち? なんだ、それ?」
野太い声が声を上げた。
「……もちを、あんこで包んだ和菓子……とても、おいしい……ばあさんの……大好物……」
オレは息も絶え絶えに、返事をする。
「へー、さすが街から来たネコは、グルメですね」
甲高い声の主はそう言うと「チッ」と短く鳴いた。
「あの、おどかして、ごめん。でも俺、お前、食わないから、安心しろ」
野太い声の主は、オレの顔を大きな舌でべろりとなめあげた。オレは思わず身震いをした。
甲高い声の主が続ける。
「まあ、とにかく顔をあげてくださいよ。僕たち、動くサクラの木を見に、となりの森からやってきたんです。そのもさもさしたとした白い毛、あなたモリオさんでしょ?」
なんでオレの名前を知ってるんだ? そう言って油断させる作戦か?
オレは薄目を開けて、ちらっとそいつらに目を向けた。
丸太のような太い手足に、むくむくとした大きな茶色い体。これはまぎれもなくクマという動物だ。オレが森の中で、最も出会いたくなかった動物だった。そのぶっとい腕のひとふりで、オレなんかあっという間にあの世行きだ。
「うわさでは、かなりの豊満な体つきのネコだと聞いていたのですが、ずいぶんとスマートですねぇ」
そのクマの頭の上に、ちょこんと座りながらそう言ったのは、小さな白ネズミだった。いやネズミにしては、やけにふっくらと丸い体をしている。
「俺、お前は、食わない。もう動物は、食わない」
クマはそう言うと、口の端をぐいっと上げて歯をむきだしにした。あれは笑顔のつもりなんだろうか。笑顔にしては、怖すぎる。
「お、おう……」
オレはゆっくりと体を起こすと、耳をふせたまま、注意深くそいつら観察した。なんにせよ、変なやつらには違いない。
「うーん、まだ笑顔がぎこちないですねぇ。ほら、モリオさんが怖がってる。まだまだ、練習の余地がありますね」
白ネズミはクマに向かってそう言うと、はっと顔を上げてオレを見た。
「あ、自己紹介するのを忘れてました。僕はハムスターのしもぶくれ、このクマは、十兵衛と言います」
しもぶくれと名乗った白ネズミは、ピンク色の小さな鼻をヒクヒクと動かした。
そうか、あれはネズミではなくハムスターだ。
しかし、ハムスターがなんでこんな森にいるんだろう。しかもクマの頭に乗って。
どう考えても、おかしな二人組だ。
「ネコのモリオ、ウルシハラ・モリオです」
オレは軽く頭を下げた。
「モリオさんのお名前は知ってますよ、それとカピバラのカピンチョさんも。おふたりで、動くサクラの木の下に、暮らされているのですよね?」
しもぶくれは、十兵衛という名のクマの頭から、身を乗り出すようにして言った。
「ま、まあな」
オレはその十兵衛の威圧感に、身をすくめながらうなずいた。こいつはさっきから、ずっと不自然な笑顔で、オレを見ている。
「あの、ぜひそのサクラの木を、見せていただきませんか?」
しもぶくれがそう言うと、十兵衛はさらに口角をめくりあげて、こちらを見た。
「う、うん、まあそれくらいならいいと思うけど……」
こいつら、わざわざサクラの木を見にやってきたのか。
「じゃあ、行こうか・・・・・・。案内するよ」
とにかく身の安全を確信したオレは、ほっと息をつくと、サクラの木に向かって歩き出した。後ろからヒタヒタと、十兵衛の足音が聞こえてくる。正直、あまりいい気分はしない。
「いやぁ、楽しみですねぇ。ようやく、あのサクラの木が見れるなんて」
しもぶくれがひときわ甲高い声を、十兵衛の頭の上であげている。
空はいつのまにか群青色に染まり、銀色の月がうっすらと輪郭をのぞかせはじめた。
「あのさ、しもぶくれ君。君はオレのこと怖くないの? 食べられないとか思わないの? いや、まあ、食べる気はさらさらないんだけど」
「僕には十兵衛がいますので、とくに心配はしていません」
しもぶくれはそう言うと、十兵衛の耳に前足を置いた。
確かにあのクマは最強のボディガードだ。そもそも、なぜハムスターとクマが一緒にいるのか気になったが、今は立ちいった話をしないほうがよさそうだ。
やがてサクラの木が見えてくると、しもぶくれが歓声をあげながら、十兵衛の頭の上で飛び跳ねだした。
「うーん、カピンチョになんて説明をしようか」
オレは頭をひねりながら、サクラの木の根元まで歩いていく。そのあとを、十兵衛たちがついてきた。
「あ、おかえりなさい、モリオさん」
カピンチョが口を、もにょもにょと動かしながら、木の中から出てきた。きっと木の実を食べていたに違いない。そしてオレの後ろにいる十兵衛に気付くと、急に動きを止めた。
「カピパラですよ」
カピンチョは体を硬直させたまま言った。
「ネズミじゃないよ。カピバラですよ。だから食べないで」
カピンチョは体をかすかにふるわせながら、十兵衛を見た。
「食べるなんて、とんでもない!」
しもぶくれが声をあげると、カピンチョは「あれっ?」という風に目を見開いた。
「俺たち、サクラの木を、見に来た」
十兵衛が例の不気味な笑顔を浮かべている。
「サクラの木を?」
カピンチョの表情が一瞬曇った。
「ええ、歩きたがっているサクラの木がいると聞きまして、ぜひその光景を見学させてもらいたいと思い、となりの森からやってきました。僕はハムスターのしもぶくれと言います。これはクマの十兵衛。図体はでかいですが、とても気のいいやつです」
しもぶくれは、十兵衛の耳をつかみながら立ち上がると、「チュッ」と短く鳴いた。
「ぜひ、見せて、ほしい。サクラの木が、動くところ」
十兵衛が低い声でそう言いながら、さらに口をめくりあげるようにして笑った。その奥にするどいキバが、見え隠れしている。
「まあ、そういうわけなんだ」
オレがカピンチョを見ると、カピンチョが珍しく鋭い目つきで、しもぶれと十兵衛をにらんでいた。
「帰って」
カピンチョは全身の毛を逆立てると、二匹に向かって言い放った。
「えっ、あの、えっ?」
しもぶくれは、口をもごもご動かしてうろたえた。十兵衛も、オロオロしながら、もともとひきつった笑顔を、さらにひきつらせている。
「サクラの木は見世物じゃないよ。そんな風に、面白半分に、サクラの木を見るのはやめて」
カピンチョの口元が、わなわなとふるえだした。
オレはカピンチョの意外な反応を見て、しまったと思った。コイツはサクラの木がバカにされるのを、誰よりも嫌がる。
「なあ、カピンチョ、別にコイツらは面白半分というかさ、サクラの木をバカにするとか、そんな感じじゃないと思うぜ」
オレがそう言うと、しもぶくれも首をカクカクと上下させて、うなずいた。
「そ、そうです。僕たちは真剣にサクラの木を見たいと思って、はるばるやってきたのです。その、木が動きたいだなんて、歩きたいだなんて、きっとすごい理由があるに違いないと純粋に、そのなんというか……」
しもぶくれはしどろもどろで説明しだしたが、カピンチョは顔をこわばらせたまま、口を一文字に結んでいる。
「ごめん、カピンチョ、おこらせた。でも別に、バカにするつもりは、ない」
十兵衛はか細い声でそう言うと、頭をうなだらせた。
「帰って」
カピンチョはもう一度繰り返した。
それにしても、こんなバカでかいクマ相手に、キッパリNOと言えるなんて、たいした奴だ。
「とりあえず今日のところはさ、引き下がってさ、また日をあらためて来るといいんじゃないかな」
オレはカピンチョを横目でうかがいながら、ヒソヒソ声で言った。
「は、はい、そうします。なんかご機嫌を悪くされたようで、すいませんでした」
しもぶくれは申し訳なさそうにそう言うと、十兵衛と共に、夜の森に消えていった。
二匹がいなくなってしまうと、カピンチョは何も言わずに、サクラの木の中へと入った。オレもその後に続く。
「前もあったんだ。アライグマの家族が、サクラの木を見せてくれって、やってきて」
カピンチョがぼそりとつぶやいた。
月明かりが、幹の割れ目からさっともれて、カピンチョの横顔を照らした。リルリルと平和な虫の鳴き声が響いてくる。
「そのときは、ボクは別に何も思わなかったんだけど、サクラの木が動き出すとね、その家族は木の実とか食べながら、ワーワー騒いで、それでいいもの見れたねぇって、みんなで言い合いながら、帰っていったんだ」
カピンチョはサクラの木を見上げた。
「それで、その家族が残していった木の実の殻とか見てたら、なんだか、ボクくやしくて。なんだか、サクラの木をバカにされたような気がして。でね、それからちょっとしたら、またアライグマが、今度はもっと大勢つれて、見物させてくれってやって来たから、ボク、怒って追い返したんだ」
カピンチョはそこまで言うと、大粒の涙をぽろりとこぼした。
「ボク、間違ってるかなあ? ひどいことしちゃったかなあ?」
カピンチョは、体をふるわせながら泣きだした。
「いや、間違ってはないぞ。お前の言うとおり、サクラの木は見世物なんかじゃないさ」
オレがそう言うと、カピンチョは「ありがとう」とだけつぶやいて、目を閉じて、寝息を立てはじめた。オレもカピンチョの横にそっと寝転ぶ。
ふとサクラの木が、かすかにふるえているのに気づいた。オレはその振動を、苔を通して感じる。なんとなくだけど、サクラの木の気持ちが、わかるような気がした。