7.マルオ誕生
体に何かが乗っている。重い。それはぐいぐいと執拗に、背中のあたりを押してくる。
オレは無理やりまぶたをあけた。すると、目の前には鼻の下をのばした、眠たそうな瞳をした生き物がいた。その生き物は、前足でオレの腰のあたりをぐいぐいと押していた。
「なにしてんだ?」
「マッサージですよ」
カピンチョは相変わらずとろんとした目を細めると、オレの背中をぎゅっぎゅっと押した。
「マッサージ?」
「うん、モリオさん、ずいぶん疲れているみたいだから」
カピンチョはさらに体重を乗せると、オレの体を押していく。
「気持ちいいよね、マッサージって。よくお兄さんがしてくれたんだ」
確かに思わず声をあげそうになるくらい気持ちいい。オレは目を細めながら、気づけば喉をゴロゴロとならしていた。
「嵐は去ったみたいだな」
「うん、もう大丈夫だよ」
ブナの木の割れ目からは、太陽の光がキラキラともれている。鳥たちの平和な鳴き声が聞こえてきた。
あたりを見回すと、ブナの木の中にはもう誰もいなかった。あのぎゅうぎゅう詰めだった期の中が嘘のようにがらんとしている。
「お客さん、こってますねぇ」
カピンチョは体重を乗せて、オレの背中を円を描くようにもみはじめた。
「そうですか……」
オレは、ぼんやりした頭を無理やり回転させて、色々と思い出してみた。
確か、カピンチョを探す旅に放り出されて、まずいゼリーを食って、ええと、それからトゲ野郎が尻に突き刺さって、そうだ、そしてブナの木に避難したんだ。それで、えーっと、トゲ野郎を抜いてもらって……。
そこまで思い出すとオレは、はっと首をあげて、尻のあたりを見た。トゲ野郎の姿は影も形もなくなっていて、代わりに草をすりつぶしたようなものが塗られていた。
「これはお前がやってくれたのか?」
「うん、ブナじいがね、傷によく聞く薬草を教えてくれたんだよ」
カピンチョはそう言うと、むふーんと笑った。
「ブナじい?」
オレがそう聞くと、カピンチョは「ウンウン」とうなずいた。
「うん、このブナの木とね、サクラの木は仲良しなんだ。お互いの姿は知らないけど、鳥たちを通してお話をしてるんだよ」
「へぇ、そいつはすごいな」
オレは素直に感心してうなずいた。オレが思っている以上に、この森のネットワークは発達しているらしい。
オレのこともすでに噂になっていたようだったし、案外、街の動物たちより森の動物たちのほうが、いろんなことを知っているのかもしれない。
「ブナじいはね、ボクよりもずっとずっと何百年も前からね、サクラの木とお友達なんだ」
カピンチョは満面の笑みを浮かべている。こいつは本当によく笑うやつだ。
「あ、そうそう、モリオさんのお魚があるんだよ」
カピンチョはそう言って、ブナの木の隅へ行き、大きな魚をくわえてくると、オレの前にドサリと置いた。
淡いピンク色の魚が、体を光らせながら横たわっていた。
「これは……まぎれもなく鯛!」
腹がへりきっていたことを一瞬で思い出したオレは、鯛にかぶりつこうと、体をがばっと起した。
「いてっ!」
しかし次の瞬間、尻のあたりにずきんと激痛が走った。
「ああ、傷がまだ完治していないから、無理しないで」
カピンチョはそう言いながら、鯛をオレのすぐ前まで鼻先でぐいっと押した。オレは上半身だけを起こして鯛にかぶりついた。
「う、うまい」
噛めば噛むほど弾力のある身が口の中ではじけて、ほんのりとした甘みを残していく。
カピンチョはうれしそうに目をふにゃりと細めた。オレはしっぽから頭まで、なにひとつ残さずに平らげた。
「あ、モリオさん、ボクを探してくれたみたいで、ごめんね」
カピンチョが申し訳なさそうに言った。オレはふぅっと一息つくと、「いやいや」と首をふった。
「まあ、お前が無事でよかったよ。あと、こんなごちそうをありがとな」
「とんでもないです!」
カピンチョは恥ずかしそうにうつむくと、「ドゥヘヘッ」と妙な笑い方をした。
「でも、よくこんな魚が捕れたな。大変だっただろ?」
「うん、まあ、実はね、トンビたちが手伝ってくれたんだ」
カピンチョは前足をもじもじさせながら、そう答えた。
「でね、嵐が来るから戻れって言うんだけど、ボクまだモリオさんのお魚をとれてなかったから、ちょっと待ってって言ったんだ」
「それで?」
「それでね、しばらくお魚取ろうと潜ったんだけど、波が強くって、なかなか湖みたいにうまく泳げなくて。それでトンビさんたちが協力してとってくれたんだ」
「トンビたちめ……」
あいつらオレには厳しいくせに、カピンチョには甘いのか。そう思ったら、怒りがフツフツと湧きあがってきた。
「結局、ボクだけじゃ、お魚とれなかったんだ。ごめんね」
「いや、そんなことはいいんだ。それよりさ、なんでここがわかったんだよ?」
「あ、それはね、サクラの木に教えてもらったんだよ。ブナじいがね、サクラの木に伝えてくれたんだ」
「そうだったのか……」
「ブナじい、モリオさんを守ってくれて、ありがとう」
カピンチョはブナの木に鼻をごしごしとすりよせた。そのとき、カピンチョの尻に、見覚えのあるものがくっついているのが見えた。
「おい、カピンチョ、尻の上に乗っかっているそれ……」
それはまぎれもなくトゲ野郎なのだが、そいつの全身を覆っていたトゲはいつのまにかきれいさっぱりなくなって、まん丸になっていた。
「えっ?」
カピンチョが驚いたようにふり向いた。
「ああ、マルオさん? なんかね、トゲを折ってくれって頼まれたから、前歯で折ってあげたの」
「……マルオって誰?」
「ウニのマルオさんだよ! 丸くなったから、マルオさん! ボクが名付けたんだよ!」
カピンチョがそう言うと、トゲがなくなったトゲ野郎は、全身をプルプルとふるわせはじめた。
「モリオ様、聞いてください! 私は生まれ変わったのです! 願いの通り、丸くなれました! 本当にすばらしい! 世界が輝いてみえます!」
「あーあー、やっちまったな」
せっかく生まれもった鉄壁の鎧を自ら捨てるとは。丸腰のまま、果たして生き抜いていけるかどうか。オレはしっぽを左右にパタパタとふった。
「モリオ様、サクラの木様のことも、聞かせていただきました。どうか、そのサクラの木様にもお伝えください。諦めなければ、辞めてしまわなければ、願いは叶うのです。願いが叶うまで決してやめなければ、何度もでもチャレンジすれば、叶うのです。どうかお伝えください」
「はぁ」
オレはあいまいにうなずいた。
「うん、ボクもサクラの木に伝えるよ! あきらめないでって伝えるよ!」
カピンチョは目を輝かせながら、何度もうなずいた。どうやら、カピンチョとマルオは気が合うみたいだ。
「これからが本当の始まりだろ。せいぜい捕食されないように気をつけて、お友達をいっぱい作るこったな」
オレが投げやりに言い放つと、マルオはうれしそうにカピンチョの背中の上を、ゴロゴロと転がった。
マルオは何度も何度もお礼を言うと、波にのまれながらコロコロと海の中へ消えていった。
空は真っ青にすみわたって、地平線上で海と重なり合っていた。こんもりと盛り上がった雲に、灼熱の太陽がジリジリと照りつけてくる。
「また、マルオさんに会えるよね」
カピンチョは浜辺に立ちながら、なごりおしそうにつぶやいた。
オレはカピンチョの背中におぶさりながら、「ああ」と返事を返した。今思えば、真っすぐすぎて、色々と面白いやつだった。形はどうであれ、結果として、あいつは自分の願いを実現させたのだ。それだけでも大したものだ。
「なんとか、生きのびてほしいものだな」
オレは、ぼそりとつぶやいて、マルオが消えていった波打ち際をながめた。
海は昨日の嵐とはうって変わって、おだやかに波を打ち寄せていた。太陽の光を受けて、はるか遠くの地平線のかなたまで、キラキラと輝いている。波の音を聞いていると、なんだかとてもリラックスできた。時おり、さわさわと吹きつける風が気持ちいい。
「ああ、この光景を早くサクラの木にも、見てもらいたいなぁ」
カピンチョはくんくんと鼻を鳴らして、海の匂いをかいだ。
「じゃあ、そろそろボクらも帰ろう」
カピンチョは最後に大きく息を吸い込むと、満足そうに短い尻尾をふるふるとふった。
「うむ、帰ろう。でもまだ脚が痛むからゆっくりと歩いてくれないか?」
「モリオさん、ボクの背中に乗って」
カピンチョはそう言うとオレの前にしゃがんだ。
「いや、さすがにそこまでは・・・」
「いいから! お友達なんだから当たり前だよ!」
「そ、そうか、すまんな。じゃあちょっと失礼して・・・」
オレは素直に甘えることして、カピンチョの背中にゆっくりと乗った。
「じゃあ行くね!」
カピンチョはオレを背中に乗せたまま、てくてくともと来た道を戻りはじめた。
「なんだか悪いな。色々としてもらって」
オレがそう言うと、カピンチョは嬉しそうに首を振る。
「大丈夫! モリオさんとお散歩できて楽しいよ! 誰かとお散歩できるだなんて夢のようだよ!」
「そ、そうか」
「ずっとボクだけだったから。サクラの木はまだ歩けないし。誰かとお話しながらお散歩できたらなぁってずっと思ってたんだ!」
オレたち猫は群れないから、そういうのはよくわからない。でもカピンチョの背中は不思議と心地よかった。
「まあ、オレでよければ話相手になるぜ」
「ありがとう! たのしいなぁ、うれしいなぁ」
カピンチョはフゴフゴと鼻を鳴らしながら上機嫌で歩く。
オレは海風と雨でゴワゴワになった毛を舌でブラッシングした。ふわふわだった自慢の毛があっというまにノラ猫みたいになってしまった。
砂浜を抜けて、森の中へと入ると、セミの声がけたたましく聞こえてきた。
森の中は、木の枝やら葉っぱがそこら中に散乱していて、嵐の爪あとがまだ残っていた。カピンチョは、ところどころ地面にできた水たまりを、避けながら歩いていく。
「あのモリオさん、ひとつだけお願いがあるんだけど……」
「なんだ?」
オレはカピンチョの背中で、ウトウトとしながら返事をした。カピンチョの背中を通して伝わってくる、ほどよい振動が心地いい。
「ボクのことをニックネームで呼んでほしいなって……」
「は?」
オレが返事を返すと、カピンチョはあわてて首を左右にふった。
「あ、イヤだったらいいよ! ごめんね、変なこと言って!」
「イヤまあ別にかまわないけど。なんて呼べばいいんだよ」
「えっとね、えっとね……カピリン!」
「カピリン? ああ、うん、まあ、わかったよ……」
いろいろとめんどくさいやつだ。オレは大あくびをした。
「ありがとう、モリンチョ!」
カピンチョは、その場でぴょんぴょんとび跳ねた。オレはさっとカピンチョの背中にしがみつく。
「おい! オレをその名前で呼んだら、ぶっ飛ばす!」
「えー? じゃあ、モリモリは?」
「え、なんだよ、それ……。普通にモリオって呼んでくれればいいから」
「えー? せっかくだから、あだ名で呼び合おうよ」
コイツのこういうところは苦手だ。オレは何も答えずに、寝たふりをすることにした。
カピンチョは「モリーヌ」とか「モリシャス」とか、ひとりであだ名の候補をあげていった。
オレはカピンチョの背中でゆられながら、もうひとつ大あくびをした。なんだか、ばあさんの胸に抱かれている気分だった。オレはカピンチョの背中でゴロンと横になると、目を閉じた。
「じゃあ、モリッサンスなんてどうかなあ? すごくオシャレだと思うけど。それかモリゴロウなんて渋いのはいかが?」
カピンチョの楽しげな声がオレのすぐ耳元で響いた。
カピンチョの背中にゆられながら、サクラの木の根元まで行くと、太い幹はキズだらけになり、枝も何本か根元から、ちぎれ落ちていた。サクラの木のこんもりと茂った葉も、すっかりと減っている。
「ただいま、サクラの木!」
カピンチョがサクラの木を見上げながら叫ぶと、サクラの木は枝をゆらゆらとしならせた。
カピンチョはオレを背負いながらサクラの木の中へ入っていくと、そっとオレの体をおろした。
「おつかれさま、ゆっくり休んでね」
「カピン……あ、いや、カピリンもおつかれ」
オレはなんだか照れくさくなって鼻をフンと鳴らした。たぶんこいつのことを、あだ名で呼ぶことはもうないだろう。なんというか、恥ずかしすぎる。
目を閉じると、腹のあたりにカピンチョの重みを感じた。
オレはくわっと大あくびをしてから眠った。