4.空飛ぶモリオ
しばらく苔の上でまどろんでいると、ふいに風が強く吹いてきた。ヒョオオオ……という音が割れ目からもれてくる。オレは大あくびをひとつすると、体をぐぐっと伸ばして、鼻を鳴らして外の匂いをかいだ。少し湿り気をおびた風が、木の中に入り込んでくる。
「カピンチョのやつ、まだかな」
サクラの木の幹から出ると、強い風がオレの体毛をバサバサとゆらした。サクラの木の枝が、風で上下に大きくしなっている。
「むむ。ひょっとして、嵐がくるか」
空を見上げると、なまり色の雲が、かなり速い速度で流されている。いつのまにか、小粒の雨が風にまじってふきつけてきた。
「まあ、この木の中なら安心だろう。嵐だろうと雷だろうと、なんでもきやがれってもんだ」
そうつぶやいて、木の中へ戻ろうとしたとき、上空でばさばさっと聞き覚えのある羽音がした。顔をあげると、先ほどのトンビのじじいが、枝にとまりながら、オレを見下ろしていた。オレはわざと聞こえるように舌打ちをした。
「なんだ、まだ文句あんのか?」
「お前さん、まだおったのか?」
「オレがどうしようと、オレの勝手だ」
「やれやれ、まあ、いいわい。ところで、カピンチョは戻ってきておらんかの? もうすぐ嵐になろうってときに、どこにも見当たらんのじゃ。もし海に潜ったとしたら、いくら、泳ぎの上手いカピンチョでも危険じゃ」
「いいや、戻ってきてないぜ」
オレが首をふると、トンじいは「うーむ」とうなりながら、首をひねって空を見た。
「モリオよ。お前さんも、カピンチョを探すのを手伝ってくれんかの」
「なんでだよ?」
「カピンチョはお前さんの友達じゃろうて。お前さんのために、出かけて行ったあやつを放っておくのかの?」
そりゃあ、確かにオレの飯のためにカピンチョはでかけていったのだから、それはわからないことはない。だが、もうすぐ嵐ってときに、右も左もわからない場所にのこのこでかけられるか。オレはそこまでバカじゃない。
「無理、無理。お前ら鳥のほうがこういうのは得意だろ。上空から探してやれよ」
「もちろん、もう捜索隊を編成して探しておる。じゃが、空からだけでは、どうしても見れないところもある。そこで、お前さんにも手伝ってほしいんじゃ」
「お前は二次災害って言葉をしらないのか?」
「なにを言うておるんじゃ。そんなにわが身が可愛いか?」
「まあ、否定はしない」
オレがそう言って、サクラの木の中に戻ろうとすると、ふいにサクラの木がギリギリ……と鈍い音を立てて動き出した。足元の地面が突然、ぼこっとふくらみ、オレはバランス失いそうになって、あわてて地面に爪をつきたてた。
「おい! なんだよ!」
「サクラの木はのう、カピンチョのことが大好きなんじゃ。自分のことを心の底から信じて、応援してくれとるからのう。これ以上サクラの木を、怒らせんほうがええと思うがの」
サクラの木は上下左右に、わさわさとゆれはじめ、立っていられないほど、地面がゆれ始めた。オレは地面にはいつくばりながら、声をあげた。
「わかったよ! でも海がどこにあるかだってわからないし、どうすりゃいいんだよ!」
「その点は、心配無用じゃ」
トンじいが片目をパチリとつぶると、上空からピーヒョロロ……と甲高い鳥の声が聞こえてきた。はっとして、上空を見上げると、三羽の若いトンビたちが、一列に並びながら、すべるように舞い降りてきた。
「この者たちが、お前さんを運んでくれる」
トンじいがそう言うと、二羽のトンビがオレの背後にさっとまわり、首根っこと背中をがっしりとつかんだ。鋭いツメがオレの背中に食い込み、オレは思わずギニャッと叫んでしまった。すごい力だった。まるで大きなペンチで、はさまれているみたいだ。
「嘘だろ、おい! 冗談はカンベンしてくれよ!」
オレは手足をジタバタさせて逃れようとしたが、余計にツメが食い込むだけだった。トンビたちの足は、がっしりとオレをつかんで離そうとしない。
「黙れ、このけむくじゃらの生き物め」
「おとなしくしないと、お前の体をにぎりつぶすぞ」
「それとも、目玉をつついて黙らせてやりましょうかね」
トンビたちは、いっせいに不気味なことを言い始めた。これにはさすがのオレも黙らざるをえない。
「これこれ、お前たち、乱暴はいかんぞ、乱暴は」
トンじいはどこか楽しげに、トンビ達をいましめた。
オレはトンビたちにつかまれながら、「やめてほしいニャ~」とネコなで声をだしてみた。こうなったら、もう同情させるしか手はない。
「うわっ、こいつ、気持ち悪い声を出したぞ」
「やっぱり、目玉をつついて黙らせてやろう」
「いやいや、一本残らず毛をむしりとってやりましょう」
ばあさん相手には毎回成功していたこの作戦が、トンビたちにはまったく通じなかった。オレは耳をぺたっとふせると、運を天にまかせた。
「さて、モリオくんを海までお運びするんじゃ」
トンじいの掛け声と共に、トンビたちはいっせい羽をはばたかせ始めた。二羽のトンビがオレの体をつかみ、もう一羽の一番大きなトンビが、後ろから追うようについてきた。
オレの体はひっぱられるようにして、徐々に持ち上がっていく。トンビの細くて堅い足が、オレの肉にぎっちり食い込んでかなり痛い。
「おい! やめろって! 痛いって!」
オレはトンビたちにがっしりと体をつかまれ、いつかテレビで見たスーパーマンのような格好で、空高く舞い上がっていった。昨日、カピンチョと出会った三日月型の湖が、眼下に小さく映って見える。
サクラの木の背丈を超えるまでのぼりつめると、ふいに風が強く吹き付けてきた。オレの顔の肉が風にあおられて、ぶるるんと波打つのを感じる。
オレは恐怖のあまり目をぎゅっとつぶって、ばあさんのことを頭に思い浮かべた。ばあさんは何かよくないことがあると、よく黒い箱の前で手を合わせて、なにやらつぶやいていた。そのときのことを思い出し、ばあさんのマネをして「なむあみだぶつ」とつぶやいてみた。しかし、待てど暮らせど、効果はさっぱり現れない。
そんな俺をよそに、トンビたちは羽を力強くはばたかせながら、高度をあげていく。こんもりとした森の輪郭が浮かび上がってきた。
「よし、もう十分だ。そろそろ行くぞ」
後方にいる大きなトンビがそう言うと、オレの体をつかんでいるトンビたちは、いっせいに羽を大きく広げた。次の瞬間、風が低くうなるような音に変わり、オレの体が後ろにぐっとひっぱられるように伸びた。風はバシバシとほほを叩き、体をつきぬけて、オレの体を少し傾斜させながら運んで行く。
「もう、どうにでもなーれ」
オレは脱力しながら、「アハハ」と力なく笑った。笑うと少し気が楽になった。そして口を半開きにしながら、トンビたちに身をゆだねた。
「マツカゼ、翼の角度をもっとゆるやかにたもて」
後ろのトンビが鋭く叫んだ。
「は、はい!」
腰のあたりをつかんでいるトンビが返事をすると同時に、オレの体は水平に保たれた。
「ヨシムネ、顔あげろ。足元を見るな」
どうやら後方で飛んでいる大きなトンビは、二羽のリーダーらしく、次々と指示をだしていく。
「よし、そのままでいいぞ。訓練の成果がでているな」
「羽の動きは最小限でいい。風をつかまえるんだ」
「信じろ、俺たちの飛翔力は無限大だ」
リーダートンビが力強くそう言うと、さらにスピードが増した。風が痛いくらいにオレの全身を叩く。
やがてその風に、昔かいだことのある匂いが、まじりはじめた。確かこの匂いは、ばあさんがサザエだかハマグリだかを、台所で焼いていたときの匂いだ。
遠くのほうに、うっすらと霧がかった海が見えた。海は水面を荒々しく逆立てながら、うねうねと激しくうごめいている。巨大な白波が、次々と砂浜に打ち寄せては、くだけて散っていた。
「おい、ついたぞ、けむくじゃら」
両腕をつかんでいるトンビが、オレに向かって冷たく言い放った。
お前らだって毛はあるだろうが、と思わず言いかけたが、あわててやめた。
「よし、投下しろ」
リーダートンビがそう叫ぶと、トンビたちはつかんでいる足の力をゆるめはじめた。
「え?」
オレはあわてて眼下を見下ろした。海面はまるで巨大な洗濯機のように、ぐるぐると渦まいている。恐怖で全身の毛が逆立った。
「ま、まさか、あの海の中に放り込む気じゃないだろうな? ネコは泳げない生き物なんだぞ」
「海ではない。あそこだ」
リーダートンビが、砂浜をあごでしゃくった。
「さあ、しっかりとカピンチョをさがしてくるんだ」
トンビたちは完全に足を離した。
「えっ! あの! ちょっとタンマ! ねぇ!」
オレは一直線に砂浜めがけて、頭からつっこんでいった。