21.あの空をとんでみたいなぁ
「これはずいぶん見事なサクラの木だ」
ブルドーザーから、あごひげをはやした男がでてきて、倒れたサクラの木のそばに立っていた。
ほかのブルドーザーからも同様に男たちが出てきた。
「これほどの木は見たことがないな」
「立派な木だ」
男たちは口々に言ながら、倒れたサクラの木を目を大きく見開いて眺めていた。
「おーい、ここらで飯にするか」
あごひげの男はそう言うと、大きく伸びをした。
オレと、カピンチョと、十兵衛は、しげみに身を隠しながら、その様子を見ていた。
サクラの木は地面に静かに横たわっていた。
むきだしになったサクラの木の根はまだ土をまとっている。
他の男たちが腰を下ろし、弁当を食べている中、あごひげの男は一人サクラの木の前に立っていた。
あごひげの男は、首に巻いたタオルで汗をふきとると、大きな手のひらでサクラの木をひとなでした。
「これで息子に木馬を作ってやろう」
そう言うと、ブルドーザーの中からのこぎりを取り出し、サクラの木を切り取りはじめた。
ギーコギーコという音とともに、サクラの木の枝が削り取られていく。
「あの部分は、オレがいつも昼寝していた枝だ」
オレはぼそりとそうつぶやいた。
「ありがとう、サクラの木」
カピンチョはにっと笑った。でもその瞳はやはりどこか、かなしげだった。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、あたりには穏やかな日差しが差し、いつもと変わらない鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。
分厚い雲が散っていき、日の光が大地に残った雨水を光らせている。
オレたちはゆっくりとサクラ木のもとを離れた。
「結局歩けなかったなあ……サクラの木」
カピンチョがぽつりと言った。
「ああ、でもあいつは満足だろう。最後の、最後まであきらめなかった。自分の信じた道を歩いたんだ」
オレはカピンチョの背中に軽く体をぶつけた。
「サクラの木、自分に素直に、強く、生ききった。それ、とてもすごいことだ」
十兵衛が、黒い鼻をひくひくと動かしている。
「それでよかったのかなあ」
カピンチョはサクラの木の方を振り向きながらつぶやいた。
「さあ、それはオレたちにはわからない。でもオレたちにはまだすることがあるぞ」
オレは足元に散らばった赤い実をながめながら、いつの日か山のてっぺんで元気に葉をゆらすであろうたくさんのサクラの木を思い浮かべた。
春には山一面が、あのきれいな淡いサクラ色に染まるのだ。
それは、それは美しく、雄大な風景になるだろう。
そして、その中でひときわ大きく枝をゆらすサクラの木がいるに違いない。
きっとそのサクラの木は、流れ行く雲を見上げてこう言うだろう。
「あの空をとんでみたいなぁ」と。
「さて、木の実を山のてっぺんまで運ぼうぜ。できるだけ、ながめのいい場所に埋めるんだ」
オレがそう言うと、カピンチョが大きくうなずいた。
「ボクね、サクラの木の実が芽をだしたら、サクラの木のことをいっぱい話してあげるんだ」
「これで、サクラの木も、海、見れる」
十兵衛は、満足そうにうなずくと、木の実を口にくわえた。
オレとカピンチョも、木の実を口にくわえて、山のてっぺんへ向かって歩いていく。
サクラの木が歩きたかったに違いないその道の上を、トンビや鳥たちが赤い実をくわえて、オレたちを飛びこしていく。
太陽が山のてっぺんからさんさんと輝きはじめ、オレたちを照らした。
カピンチョはまぶしそうに目を細めながら、道をてくてくと歩いている。
やわらかい風がオレたちの毛をゆらし、雨でぬれた体がゆっくりと渇いていく。
オレは山のてっぺんを見上げた。
山は堂々と空に向かってたたずんでいた。
そして、その向こうにある大きな海を思い浮かべた。
海は雄大に目の前一杯にひろがっていた。
そのとき、口の中のサクラの実がふっと香った。
とてもいいにおいがした。