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2.あの山のてっぺんに


その夜、オレは夢を見た。

ばあさんの家の居間で、オレはばあさんの胸に抱かれていた。オレは子ネコになっていて、ばあさんのしわくちゃの手が、おなかや首をしつこいくらいなでていた。オレは喉をゴロゴロと鳴らしながら、着物の襟元をチュウチュウと吸っていた。とても幸せな気分だった。

ひとしきりなで終わると、ばあさんはオレを胸に抱いたまま立ち上がり、勝手口でサンダルをひっかけると、そのまま家の門を抜け、狭い路地を歩いて行く。

ときどきすれ違う街の人たちが「ウルシハラさん、ご機嫌いかが」などと話しかけるが、ばあさんはそれを無視して、ずんずんと進んでいく。

しばらくばあさんの胸でゆられ続けていると、いつのまにか、しわくちゃだったはずのばあさんの手がゆっくりと、白くしっとりとした手へ変わっていく。はっと顔をあげると、手と同じくらいしわくちゃだったばあさんの顔が、びっくりするくらい若返っていた。

へぇ、ばあさんって若いころは美人だったんだな。どことなく、おてんばな感じはするけど、鼻筋が通っていて、とてもきれいな顔立ちをしていた。

ばあさんの顔をしばらくながめていると、オレの体がいつのまにか、むくむくと大きくなっているのに気づく。ばあさんはどんどんと若返って、やがて少女になった。オレはどんどんと年をとって、やがてじいさんネコになった。

少女になったばあさんは、くりくりした目でオレを見ながら、いとおしそうにぎゅっと抱きしめてくれた。少女になったばあさんからは、やっぱりばあさんのにおいがした。日焼けしたざぶとんのにおいだ。オレはああ、やっぱりこの女の子はばあさんなのだと思って、なんだかうれしくなって、彼女の胸に爪をきゅっと突き立てた。オレは、ばあさんに何か言いたいのだけれど、年のせいかうまく口が動かない。にゃむにゃむと声にならない鳴き声をあげただけだった。

やがて、ばあさんはオレを道端にそっと置くと、「バイバイ」とだけつぶやいて小走りでパタパタとかけていく。オレは必死にその後を追おうとしたが、まるで四本の足がちくわになったみたいにふにゃふにゃして、うまく動かない。ばあさんの足音は、どんどんと小さく遠くなっていく。

オレは必死に足に力を入れて進もうとしたが、次の瞬間足がもつれて転んでしまった。地面は、ぼふんと音をたてて、オレを受け止めた。その地面はひどく扁平で、こんにゃくのような弾力があった。

地面に埋もれた頭をもちあげて前を見ると、もうばあさんの姿は見えなかった。オレはとても悲しくなって、地面にうずくまった。そして、そのまま地面に飲み込まれていった。オレは地面の中でカチコチになって、小さくなって死んだ。やがてオレは骨になった。白くて、乾燥していて、冷たい骨になった。骨になったオレは、ばあさんが一体どこにいったのか、なぜオレを置いて行ったのかと静かに考えた。考えるだけなら骨にだってできる。でも、いくら考えても、うまく答えを出すことができなかった。泣きそうになった。でも、オレは骨だから、涙ひとつ流すことができなかった。


苔がグラグラとゆれている。同時にミシミシと、何かがきしむような音が響いてきた。オレはどろりとした睡眠から、引きはがされるように目を覚ました。

「カピンチョ?」

オレはさっと頭をあげて、あたりを見回した。視界がゆらゆらとゆれている。

「あ、モリオさん、おはよう。サクラの木が動きたがってるから、早く外に出て」

カピンチョが、のんびりとした顔をのぞかせた。

幹の割れ目から、朝日が一直線に差し込んでいる。鳥たちのさわぐ声がうるさいほど聞こえてきた。

「もう、朝か」

オレは反射的に頭を縦にふると、言われるがまま、サクラの木の外へとはい出た。

「昨日はよく眠れた? 今日も暑いね」

 カピンチョは、のんびりとした口調でそう言うと、雲ひとつない空を見上げて目を細めた。

地面はさっきよりも強くゆれ動いている。こんな非常事態に、こいつはなんてのんびりとしているんだろう。のほほんとするにも程がある。

「おい、そんなこと言ってる場合か! 地震だ! 開けた場所に避難しろ!」

「地震じゃないよ。サクラの木が歩きたがってるんだ」

「は?」 

 カピンチョは、ちょんと前足をあげると、サクラの木を差した。オレはさっと顔を動かして、サクラの木に目をやった。

サクラの木はまるでゴムのように上下に伸び縮みしていた。それに呼応するように枝がしなり、葉がゆれ、そして、サクラの木全体がゆれていた。サクラの木のまわりを、カラフルな色の鳥たちが口ぐちに鳴き声をあげながら、ぐるぐると飛び回っている。空から葉がパラパラと雪のように舞い落ちてきた。その一枚がオレの頭にはらりと落ちた。

「なんだこりゃ……」

 オレは思わず口をあんぐりと開けた。

 太くたくましい幹が伸び縮みするギリギリという音と、たくさんの葉がこすれあうシャラシャラという音があたり一面に響き渡たった。そして、徐々にその音が大きくなり、それに合わせてサクラの木は背伸びするように、体全体をぐぐぐっと伸ばしていく。

「なんだよ、これ……」

 オレは頭の上の葉っぱを払うと、ぼうぜんとその光景をながめた。

「がんばれ! サクラの木! がんばれ!」

 突然、カピンチョがサクラの木に向かって、大きな声をはりあげた。二本の大きな前歯をむきだしにして、カピンチョは何度も叫んだ。 

 サクラの木はカピンチョの声に反応したかのように、さらに大きく、激しく枝をしならせた。鳥たちがさわがしく鳴きはじめ、オレの横を野ウサギが一匹さっとかけていく。

木の周りの地面がまるで脈のように波打ちはじめ、大地はズドン、ズドンと一定のリズムで地響きを起こした。やがて足元の地面にうっすらと亀裂ができた。オレはあまりのことに身動きがとれず、その場ですくみあがった。腰が抜けそうだった。

「うわあ! ばあさん、たすけてくれ!」

 我ながら情けない声をあげながら、オレはカピンチョの背中にさっと飛び乗った。そして、カピンチョの背中にしっかりとしがみついた。カピンチョの荒い毛がオレのほほをチクチクとさす。

大地はまるで生き物のようにうねり、ふるえ、ゆれ動いた。ズドン、ズドンという振動がカピンチョの背中を通して響いてきた。

カピンチョは身動きひとつせずに、目を大きく見開いて、その様子を見守っていた。オレは体をぺたっとふせて、一刻も早くこの異常な事態が終わってくれるのを待った。


 サクラの木が動きをとめると、それまでが嘘のように森が静かになった。さわがしかった鳥たちは一羽、また一羽と飛び去っていく。

「あー今日もダメだったかぁ」

 カピンチョが、がっくりと肩を落とす。

「いや~今日も暑いねぇ~」

 オレはさりげなく背伸びをしながら、何事もなかったかのように、カピンチョの背中からそろりと降りた。

「声が裏返ってるよ」

 カピンチョが鼻の穴を広げながら、うれしそうに笑った。

「くっ……」

オレとしたことが、あんな醜態をさらしてしまうなんて末代までの恥だ。オレのプライドはズッタズタだ。地面を前足で叩きながら「クソッ、クソッ」とつぶやいた。

オレは小さくため息をつくと、気分を落ち着かせるために、毛づくろいをすることにした。

毛づくろいは、いい。何がいいって、体をキレイにすると同時に、リラックスできるのがいい。首をぐいっと背中まで曲げると、舌のザラザラした部分で、毛の一本一本をとかすように丁寧になめていく。押さえつけるのではなく、毛の生え際から、すくいあげるようにして、なめていくのがコツだ。オレは一心不乱にペロペロと全身をなめつづけた。

「サクラの木がね、驚かしてごめん、だって」

 顔をあげると、カピンチョが亀裂の入った地面を、両足でぺたぺたとならしてまわっていた。

ひとしきり体をなめ終わると、ふぅと息をついた。いいぞ、だいぶ落ち着いた。誰だってあんな事態に遭遇すれば、驚くにきまってる。

「いや、別に驚いてないし」

 オレは口をすぼめて、できるだけすました顔を作ると、できるだけすました口調でそう言った。しかし、先ほどオレの目の前で起こった事が、まだ信じられなかった。でも、サクラの木はまるで意思があるみたいに、その体を動かしていた。あれは確かに現実の出来事だった。

「お前さ、本当にこのサクラの木と話ができるのか?」

 オレは試しにカピンチョにそう聞いてみた。

「うん、できるよ!」

 カピンチョはそう言うと、その場でぴょんと跳ねて地面をならした。

「じゃあオレことを、どう思ってるか聞いてくれ」

 オレがそう言うと、サクラの木の枝が、ぐぐっとかすかにしなった。オレはさっと体勢を低くして身構えた。

「ヤマネコにしては、ずいぶんと、でぶっちょだから、迷いネコかな、だって。当たってる?」

「でぶっちょだと……」

 また気にしてること言われた。この森の奴らは、どいつもこいつもみんな無神経だ。

「ねぇ、そうなの?」

「ああ、そうだよ」

オレはなげやり気味に返事を返すと、サクラの木をにらむように見上げた。サクラの木は朝日を全身に受けながら、気持ちよさそうに葉をそよがせている。

ひょっとしたら、世の中にはオレの知らないことがいっぱいあって、ただオレはそれを知らないだけなのかもしれない。つい最近までオレの世界のすべては、ばあさんの家の中だけだった。外の世界は、オレが思ってる以上に広いのかもしれない。いや、でも、まさか……。

「うーん、よくわからん」

 オレはこれ以上考えるのが、めんどくさくなって、後ろ足でアゴの付け根をゴシゴシとかいた。

「でもさ、なんでこのサクラの木は動くんだ?」

「このサクラの木はね、歩きたいんだよ」

 カピンチョはサクラの木を見上げると、なぜか悲しそうに目を細めた。

「歩きたい? なんでだ?」

「なんでって?」

「いや、だってふつう木は生まれた場所から動けないし、動こうなんて思わないはずだろ?」

 オレがそう言うと、カピンチョは遠くに見える大きな山を前足で差した。

「サクラの木はね、あの山のてっぺんに行きたいんだよ」

「あの山に?」

「うん、あの山のてっぺんまでのぼってね、そして、あそこから海をながめるんだ」

「海をながめる?」

「鳥たちがね、よく海のことを話してるんだ。海はとてつもなく大きくて、よく晴れた日にはまぶしいくらいキラキラ光って、それでナミっていうのが、すごい音をたてながら、行ったり来たりしてるんだって」

「海を見たいのか」

 オレも実物の海は見たことがなかった。ばあさんの家にあったテレビで何度か見たことがあったが、カピンチョの言うような特別なものとは思わなかった。でも見たことがないやつには、確かにすごく特別なものに映るかもしれない。

「だから、サクラの木は毎朝こうやって動きだすんだよ。ボクがここに来たときから、毎朝、毎朝サクラの木は、体をゆすって歩こうとしてるんだ」

「毎朝、こんな感じなのかよ」

オレはあきれて、思わず大きな声をあげた。

「うん、毎朝こうやって体をゆらすんだ。あ、トンビが言ってたけど、こうやって毎朝、体を動かしてるから、この森じゃ一番大きな木になったんだって。でもね、ほかの鳥たちや動物たちは、サクラの木のことをバカにするんだ。どうせ歩けやしないのに、こんなことするなんてバカな木だ。おかしな木だ。木は木らしく、おとなしく、じっとしてろって、みんなでバカにして笑うんだ」

 カピンチョはサクラの木のそばまで行くと、幹に鼻をそっとすりよせた。

「でもサクラの木は負けないんだ。いつか歩いて、見返してやるって、がんばってるんだ。どんなにバカにされても、サクラの木はあきらめないんだ」

 幾重にも張り巡らされたサクラの木の葉のすきまから、太陽の光がもれてきた。風がざわざわと葉をゆらす。

「でもボクはサクラの木を押すこともできないし、運ぶこともできないから、応援することくらいしか、できないんだけど」

 サクラの木の枝がまたゆらゆらとゆれた。

「でも、どうがんばったって、歩けやしないだろう」

 オレはそのゆれる枝を見上げながら言った。世の中の生き物や物には、それぞれの役目があるのに、その役目を超える能力があれば、世の中はめちゃくちゃになってしまう。

「そんなことないよ! こんなにがんばってるんだから、絶対歩けるようになるよ!」

「どうがんばったって、無理なものは無理だ」

「なんで、そんなことを言うの?」

 カピンチョはそう言うと、ぽろぽろと涙を流した。カピンチョの涙は、ほほの毛をつたい落ちて、地面へと吸い込まれていく。

「なんでって……そりゃあ」

世の中、努力だけでは、どうしようもないことがある。しかし、目の前でぎゅっと口をかみしめながら泣いているカピンチョを見ていると、これ以上もう何も言えなくなった。

「すまなかったな。この木がいつか海を見る日がくるといいな」

それぞれが信じるものを信じればいいのだ。それに横やりをいれるなんて、ヤボなことだった。それにオレには関係のないことだ。ふいに首のあたりがむずむずしてきたので、オレは後ろ足で乱暴にかきむしった

「うん、絶対くるよ。それまで、ボクもがんばって応援するよ」

カピンチョはプルプルと顔をふって涙を飛ばすと、サクラの木を力強い目付きで見上げた。


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