18.サクラの木と動物たち
サクラの木の根元では、カピンチョが必死にサクラの木を押していた。
「ねえ、歩いてよ! ボクと山のてっぺんまで逃げてよ!」
カピンチョは、雨にぐっしょりと体をぬらしながら、悲痛な声をあげた。
トンじいは枝の上で、ただ黙って、その様子を見つめていた。
「カピンチョ! ブルドーザーが、もうすぐここにやってくる!」
オレはカピンチョのもとへと走り寄った。
「モリオさんも、十兵衛さんも押して! お願いだから押して!」
オレはカピンチョのとなりに駆け寄って、一緒にサクラの木を押した。十兵衛も後に続く。
「サクラの木は、知ってたのかもしれんの。自分は決して歩けないってことを」
トンじいは雨に打たれながら、悲しそうにつぶやいた。くちばしから、雨粒がしたたり落ちる。
「なにを言ってるの、トンじい? サクラの木はずっと歩くために、体をゆすり続けてきたんだよ!」
カピンチョはサクラの木に体当たりをした。ごすん、ごすんと鈍い音が響き、サクラの木はゆれ、葉が雨と共にパラパラと舞い落ちてくる。
「歩いてよ! お願いだから! 歩いてよ! あきらめないでよ!」
カピンチョは何度も、何度もサクラの木に頭を打ち付けた。
カピンチョの鼻から真っ赤な血が吹き出していた。
血は雨に流されて、地面へとしたたっていく。
それでもカピンチョはサクラの木にぶつかっていった。
そのとき、サクラの木のかすかにゆれた。かすかなゆれは、みきをゆらし、枝をゆらし、葉をゆらし、やがてサクラの木全体に広がっていく。
「それでも、なお動こうとするか。その心意気、みごとじゃの……」
トンじいが、サクラの木をじっと見つめながら言った。
サクラの木は大きく縮むと、その反動で一気に伸びあがった。バギッとものすごい音が響いて、地面がぼこっとめくれあがった。若葉がいっせいにふり落ちてくる。
オレとカピンチョは、その衝撃でバランスを失って、転びそうになった。
十兵衛の大きな手がさっと伸びて、オレたちをささえる。
サクラの木は何度も縮んでは伸び上がっていく。そのたびに大地は大きくゆれた。
「がんばれ! サクラの木! がんばれ!」
カピンチョが叫んだ。
「サクラの木! 歩いてやれ! 見せてやれ!」
オレもいつのまにか、そう叫んでいた。
地面がたっていられないほどゆれ動く。サクラの枝は振動で大きくしなり、地面に落ちた若葉が風でまいあがった。
やがて、サクラの木がゆれ動く音にまじって、かすかにブルドーザーの地響きが聞こえてきた。
「くそっ、もうやってきやがった!」
オレがそう叫ぶと、カピンチョはゆれ動く地面をよたよたと走り、再びサクラの木をぶつかるようにして押していく。
オレも走り寄って、サクラの木を押した。歯を食いしばって、あらんかぎりの力で押した。
雨が激しくオレたちを叩いた。
「うおおおおおお!」
十兵衛が幹に両手をかけて、低いうなり声をあげた。太くたくましい腕が幹にぶつかってブルブルとふるえた。
「がんばれ! がんばるんじゃ!」
顔をあげると、いつのまにかトンじいがサクラの木の枝に足をひっかけ、翼を大きくはばたかせながら、ひっぱっている。
その横ではマツカゼと、ヨシムネもサクラの木を懸命にひっぱっていた。
オレはサクラの木を押しながら、ふとマルオのことを思い出した。
あいつはトゲを折りたくて、何度も岩にぶつかって、でも折れなくて、オレに出会って、なんとかトゲを折った。他の魚と話をするために、トゲを折るという願いを叶えた。
それから、しもぶくれだ。
あいつもいろんな世界を見るために、檻から飛び出した。そしてその結果、かけがいのないものを失ったが、それでも再び旅に出た。
十兵衛も雪を見るために、がんばった。
眠い目をこすりながら、がんばって雪をみることができた。
この森にきて出会ったやつらは、そうやってなんとか自分の願いを叶えてきたのだ。
だからオレはサクラの木も、いつの日かあいつらみたいに、自分の夢を叶えるんじゃないか、って思うようになった。
あいつらみたいに、願いを叶えて、大きな体をゆすって、海を見に行くんじゃないかって。
でもオレは気づいてしまった。木が歩くなんて、不可能だ。サクラの木の願いは根本的にあいつらとは違う。
サクラの木の動きがいっそう激しくなった。地面は上下にゆれ動いて、地面にできた水たまりが、ゆらゆらとゆれた。
「歩け! 歩け! 歩け! サクラの木!」
カピンチョは、ぎゅっと目をつむり、全身をけいれんさせながら、サクラの木を押している。
十兵衛も、するどい牙をむき出しにして、体を幹にぶつけている。
空を見上げると、トンビたちが羽を散らすほど激しく翼をはばたかせ、サクラの木の枝をひっぱっていた。まだら模様の羽が、サクラの木の若葉にまじって、舞い落ちてきた。