14.雪化粧
冬が本格的にやってくると、森はよりいっそうの寒さに包まれた。
湖は完全に凍って、まるでガラスが張ったように、水面はカチコチに固まった。
それでもサクラの木は毎朝、体をゆすり続けた。体にうっすら張った霜をはじきとばすように、サクラの木は枝をしならせ、幹を上へ上へと伸ばしていく。
十兵衛は相変わらず、眠そうに体を動かしながら、雪を待ち続けていた。
しかし、寒さが一段と厳しいある晴れた日の午後、サクラの木の下で、木の実を前足で転がしていた十兵衛が、バタンとあおむけに倒れた。
オレとカピンチョがあわてて走り寄ると、十兵衛は大きな寝息をぐーぐーとたてて眠りはじめた。
「どうする? 起こす?」
カピンチョが困ったように、耳をパタパタと動かしながら、オレを見た。
「もう限界じゃないかな」
十兵衛は、とても気持ちよさそうに目を閉じて眠りこけていた。起こすのがためらわれるような眠り方だ。
最初に気付いたのはサクラの木だった。
サクラの木は、枝をゆっさゆっさとしならせた。
続いてカピンチョが顔をあげた。最後にオレが空を見上げる。
最初は小さな白い葉っぱが落ちてきたのだと思った。
それは、ゆらゆらと宙を舞いながら、ゆっくりとふり落ちてきた。
やがて地面に当たると、さっと溶けてなくなった。
「あれ、これって……」
オレはもう一度空を見上げる。それは、ふわふわと目の前まで下りてくると、やはり地面にぶつかって消えた。
「モリオさん、これって……」
カピンチョも、目をまん丸にして見上げている。
「雪だ」
オレが、ぼそりとつぶやくと、カピンチョは「すごい! すごい!」と飛ぶように、はしゃぎだした。
「あ、十兵衛!」
オレとカピンチョは同時にそう叫ぶと、十兵衛の鼻を交互にバシバシと叩いた。
「おい! 雪だぞ! お前が待ちかねた雪だ! 起きろ!」
「十兵衛さん! 起きて! 雪だよ、本当に、雪がふってきたんだよ!」
しかし、十兵衛は、ぴくりとも動かず寝息をたてている。
十兵衛の顔が、ぐわんぐわんゆれるくらいに叩いたが、起きる気配がない。
さらにオレとカピンチョは、十兵衛の上に登って飛び跳ねたり、耳元で叫んだりしてみたが、一向に効果がない。
「まいったなあ、十兵衛さん、全然起きないや」
カピンチョは白い息をふうと吐き出した。
オレは何かいい方法はないかと、あたりを見回した。すると、折れた小枝が目に付いた。
「よし、オレにまかせろ」
オレは小枝を口にくわえると、そのまま、十兵衛の鼻の穴に、ずぶりとつっこんだ。さらにこちょこちょと、細かくかきまわすようにして動かした。
しばらく続けていると、十兵衛は鼻をぴくぴくと動かしはじめた。そして、ぶしゅん、と大きな音を立ててくしゃみをした。
同時に、ものすごい量のつばがあたりに飛び散った。
「うおっ!」
オレはあわてて飛び下がったが、カピンチョはよけ損ねて、つばを全身に浴びた。
「ん、俺、また、寝てた」
十兵衛は「ぶあああ……」と大きな口を広げて、大あくびをした。
「うう、十兵衛さんのつばが、鼻水がぁ……」
カピンチョは泣きそうな声をあげた。
「おい、十兵衛! 空を見てみろ!」
オレがそう叫ぶと、十兵衛は、きょとんとした顔で顔を上げた。
一粒の雪がふわふわと舞い降りて、十兵衛の鼻先に落ちた。
「……ふわふわしてて、白くて、冷たい……」
十兵衛は、手のひらを広げると空にかざした。
「雪だ。俺、とうとう、雪を、見れた」
十兵衛は、うれしそうに眼を細めると、鼻をひくひくと動かして空を見上げた。
雪は次々にさらさらと舞い降りてきた。
オレたちは無言で空を見上げ続けた。
「オレの言ったとおりだったろ?」
オレはヒゲをぴくぴくと動かしながら言った。
はじめて触った雪は、やっぱりふわふわして、白くて、冷たかった。
「うん。なんかね、雪ってサクラの花びらにそっくりなんだ。春になると、こんな感じでサクラの花がふわふわーって、ふってくるんだよ」
カピンチョは目の前の雪を不思議そうに見ている。
「ありがとう、カピンチョ、モリオ。おかげで、雪を、見れた。ありがとう」
十兵衛はもう一度、大きな口を開けてあくびをした。
雪が何粒か、その口の中へ吸い込まれていく。
最初はゆらゆらと舞うようだった雪は、やがて森全体を埋め尽くすような激しさでふり落ちてきた。
地面がうっすらと雪で埋め尽くされるころ、十兵衛は雪をぎゅっぎゅっと踏みしめながら、サクラの木のそばの巣穴へと戻って行った。十兵衛の大きな足跡が、点々と残った。
カピンチョは白い息を吐きながら、サクラの木のまわりをぐるぐるとかけまわっている。
オレはぶるっと身震いをすると、木の中へともぐりこんだ。
やっぱり寒いのは苦手だった。
こういうとき、自分がネコなんだとしみじみと思う。
ネコはこたつで丸くなるのが一番だ。
サクラの木の中で体を丸めながら、大きなくしゃみをひとつした。