12.十兵衛と雪
森に冬がやってくる。
思わず体が、ぶるっとふるえるような冷たい風が、森に吹くようになった。
風は地面につもった枯れ葉を、さっとまいあげながら、冬の到来を森の生き物たちに知らせて回っていた。動物たちは、冬仕度に忙しく動き回っている。
「めっきり、寒くなったな」
オレはサクラの木の枝のくぼみで体を丸くすぼめると、透き通った寒空を見上げた。
サクラの木は、その葉を一枚残らず脱ぎ捨てていた。
おかげで太陽の光がこの場所にも落ちてきて、オレの体を、ぽかぽかと温めてくれる。
夏場はおいしげった葉が、真夏の日差しをさえぎってくれたし、この場所は本当に居心地がいい。
「今日は湖に行かないの?」
カピンチョはオレの真下で、もしゃもしゃと口を動かしながら草を食べていた。
「水が冷たくてさ。しかも今日行ったら、一部が凍ってたんだよな。あんな湖で泳いだら、凍死しちまうよ」
「じゃあご飯はどうするの?」
「そこなんだよなあ」
それまでオレは、自分の食糧のほとんどを湖で調達していた。湖に行けないとなると、何か他の方法を考えないといけない。
「うーん、野ネズミはさすがになあ……」
魚は食えても、ネズミを食べるのには、どうしてもまだ抵抗があった。たまにここにやってくるトンじいに、おぼっちゃまネコとからかわれる所以だ。
「うーん、どうしたもんかね」
サクラの木の枝の上で、うなり声をあげていると、のっしのっしと重い足音をたてて、十兵衛がやってきた。口に大きな魚をくわえている。
「モリオに、おみあげだ」
十兵衛は、サクラの木の下にその魚をどさりと置くと、にたりと笑った。
「おお! これは渡りに船!」
オレは、がばっと起き上がると、幹を伝ってささっと地面へと降りた。
枯葉の上に、大きな鮭がぱっくりと口を開けて、オレを見ている。
「いいのか! 十兵衛!」
「うん、オレ、もうすぐ、冬眠。もう、たらふく、食べた」
十兵衛は口の端をぐいっとあげると、例の笑顔を作った。
「ありがてぇ、ありがてぇ」
オレは、十兵衛に礼を言うと、鮭にかぶりついた。冬の鮭は身がしまっていて、ほんのりと甘く、そして濃厚だ。オレは夢中になって、ピンク色の身を口の中に運んだ。
「十兵衛さん、ちゃんと、ご飯食べてるみたいで、よかったよ」
カピンチョは、十兵衛のそばに歩み寄ると、十兵衛の胸に頭をすりよせた。
十兵衛は、うれしそうに身をよじらせた。
「しもぶくれ、きっと、元気に今も、歩いている。だから、オレも元気に、精一杯、生きていく」
十兵衛はそう言うと、しもぶくれが歩いて行った方向を向くと、懐かしそうに目を細めた。
「あ、そうだ、俺、ひとつ、聞きたい事あって、ここにきた」
十兵衛はそう言うと、どすんとサクラの木の根元に腰を下ろして、背をもたれさせた。
そして、ぼてっとした大きなおなかに、前足をのせると、口を開いた。
「雪って、どんなのか、教えてほしい」
「雪?」
カピンチョが首をかしげる。
「うん、雪。雪は、ふわふわして、白くて、冷たい。しもぶくれが、そう言ってた。でも俺、いつも、冬眠してるから、雪、見れない。でも雪、見たい。もう少し、くわしく、教えてほしい」
「うーん、雪かあ。ボクも見たことがないなあ。ここには雪は降らないし……」
カピンチョは困ったようにオレを見た。雪は、ばあさんの窓から、ちらっとだが見たことがある。
オレは鮭の身を飲み込むと、口を開いた。
「えーっとな、雪は、ふわふわとしてて、白くて、えー、んー、そうだ、冷たいんだよ、うん」
「それじゃ、しもぶくれさんの説明と同じだよ」
カピンチョが不満げにフゴフゴと鼻を鳴らした。
「んーとな、じゃあ、あれだ、マシュマロとか、わたあめみたいな形をしてるんだよ」
「なんだそれ? 俺、そんなもの、知らない」
十兵衛は、ぶるぶると顔をふる。
「そんなこと言ったって、言葉だけじゃ限界ってもんがあるからなぁ」
オレはそう言うと、再び鮭にかぶりついた。
「そうだ、サクラの木に聞けばいいんだ」
カピンチョはそう言って鼻の穴を広げると、サクラの木を見上げた。
「ねえ、サクラの木! 雪ってどんなの?」
カピンチョはしばらく「うん、うん」とうなずきながら、サクラの木と会話すると、十兵衛を見て口を開いた。
「なんかね、二十年くらい前に、ここの森に大雪が降ったんだって。でね、雪は、たんぽぽのわたに似てるんだって。たんぽぽのわたみたいなのが、空からいっせいに、ぶわーってふってくるんだって」
十兵衛はしばらく「たんぽぽ、わた」とブツブツと繰り返すと、「おお」と突然、頭を上げた。
「たんぽぽの、わたか。なんとなく、わかった。でも、やっぱり、実際に、雪を見たい」
十兵衛はそう言うと、冬の空を見上げた。しかし、一向に雪の降る気配はない。
「うーん、この辺は雪、降らないしなあ」
カピンチョは、再び困ったように声をあげた。
「ていうかさ、十兵衛は、もう冬眠するんだろ? もし雪が降ったとしても、どっちみち、見れないんじゃないか?」
オレは口の端についた鮭の赤身をなめとると、十兵衛を見た。
「いや、今年は、俺、ずっと起きてる。さっき、決めた。そして、雪を見る」
十兵衛はそう言うと、そっと空を見上げた。
そのとき、ピーヒョロロ……とトンビの鳴き声が響いてきた。
「げっ、じじいが来た」
オレはあわてて鮭の残りを口に入れると、むしゃむしゃと口を動かして、無理やり鮭を飲み込んだ。
トンじいは大きな翼をバサバサとはためかせながら、トン、とサクラの木の枝へと着地した。
「トンじい、おはよう!」
カピンチョが元気よくあいさつをする。
オレはトンじいを見上げると、フンと鼻息をもらした。
「おはよう、カピンチョ。相変わらず、元気そうじゃの。モリオはずいぶんと森の暮らしに馴染んできたようじゃの。精悍さが全身に染みわたっておるの」
トンじいは、愉快そうにカカカッと黄色いくちばしを鳴らした。
「そ、そうか、まあオレも色々と苦労したからな、ハハッ」
オレはくすぐったくなって思わず前足で顔をごしごしと洗った。
「おや、そちらの大きなお友達は?」
トンじいが、十兵衛を見た。
「あっ、新しいお友達だよ!」
カピンチョがぴょんぴょん飛び跳ねながら、十兵衛を見た。
十兵衛は、のそりと起き上がると「俺、十兵衛」とだけ言うと、再びどすんと腰を下ろした。
「今年はずいぶんとにぎやかで楽しそうじゃの、カピンチョや」
トンじいがそう言うと、カピンチョは前歯を突き出して「うん、にぎやか!」と大きくうなずいた。
「あ、そうだ、トンじいは、雪って見たことがある?」
カピンチョが聞くと、トンじいは「ふむ」と首をかしげた。
「何十年前に、大雪が降ったことがあったの。あのときは大変じゃったよ。なんせ、ちょっと飛ぶだけで、羽根に雪がつもるんじゃから。木の枝は雪の重みで折れるは、小さな動物たちは、雪に閉じ込められるは、それはえらい騒ぎじゃったわい」
トンじいは、しみじみとした口調でそう言うと、翼をわさわさとはためかせた。
「雪は、どんな形、してる?」
十兵衛が目をキラキラさせながらそう聞くと、トンじいは再び首をかしげる。
「うーん、そうじゃあなぁ、さらさらとした粉状の白い粒なんじゃが、体にビシバシと当ると、めっぽう痛いんじゃ。ひとつひとつの見た目は綺麗なんじゃが、たくさん集まると、やっかいなもんじゃな、雪は」
十兵衛は「うん、うん」と熱心にうなずきながら、トンじいの話を聞くと「俺、絶対、雪を見る」と力強くつぶやいた。
「まあ、この風の様子じゃと、今年の冬は一段と冷え込むからの。もしかしたら、雪が降るかもしれんわい」
トンじいは片目をパチリとつぶると、翼をばさっと広げた。
「さてと、これから評定議会に出ねばならんのでな。となりの森にできた道路が、この森にまで伸びるやもしれんとの噂があってな。その話し合いに、行かんとならんのじゃ」
トンじいがそう言うと、十兵衛が不安げな顔を浮かべた。
「俺の森、道路になった。たくさんの、にんげんと、機械がやってきて、森が消えた。この森も、道路に、なるのか?」
「そうか、おまえさんはとなりの森からやってきたのか」
トンじいは、ぴょんと枝を蹴ると、十兵衛の目の前にまで降りてきた。
「にんげんたちが、どう考えとるかはわからん。ワシら鳥にできるのは、いざそうなったときに、少しでも多くの動物たちを避難させることじゃ」
「あいつら、ちいさいけど、すごく賢い。ひとり、ひとりは大したことないけど、たくさん集るから、やっかいだ。気をつけたほうが、いい」
十兵衛の小さな瞳が、一瞬力強く光った。
「うむ、その言葉、しかとうけとめた」
「ねぇ、トンじい、どういうことなの?」
カピンチョは首をかしげている。
「大丈夫じゃよ、カピンチョ。たとえ何があっても、このサクラの木だけは倒れはせんわい」
トンじいはそう言って笑うと、大きく羽をはばたかせながら、冬の淡い空に消えていった。