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10.さすらえ、げっ歯類

ようやくウトウトとしだしたころ、割れ目のすぐ近くで、ポトポトと何かが置かれる音がした。

起き上がって外に出てみると、一握りの木の実が、月明かりに照らされて浮かび上がっている。

 ふと視線を感じて顔をあげると、遠くの木のしげみから、十兵衛がぎこちない笑顔を浮かべながら、こちらを見ていた。

 オレはやれやれと首をふりながら、十兵衛の近くまで歩いていった。満月が足元を明るいくらいに照らしている。

「まあ、気持はありがたいけどさ」

 オレは目を細めながら、空を見上げた。くっきりと輝く満月がまぶしい。

「あいつは、なかなか折れないと思うぜ」

 オレはサクラの木の根元をチラリと見た。

「実は、僕も街から森にやってきたんです」 

 十兵衛の頭の上から鼻先まで、しもぶくれが移動してきた。十兵衛が頭を下げて、鼻先を地面へとつけると、しもぶくれは、ぴょんと地面へと飛び降りた。

「おいおい、そんなとこにいると、オレに食われるぞ」

 オレはそう言ったが、しもぶくれは、ちょこちょこと体を動かして、オレのすぐ目の前までやってきた。

「あなたは僕を食べないでしょう。なんとなく、そういう気がする」

 オレは、ほめられてるのか、けなされているのかよくわからなくなって、ヒゲの先をぴくぴく動かした。ハムスターに怖がられないネコって、どうなんだろう。

「それに、いつまでも、十兵衛の後ろで話をするのも、卑怯かなって思いまして」

 しもぶくれは、十兵衛に目をやると「チュチュッ」と短く二度鳴いた。十兵衛は心配そうな顔で、オレとしもぶくれを交互に見ている。

「あの、モリオさんに、僕らがここにやってきた理由を、お話させてもらってもいいですか?」

 しもぶくれが、真剣な表情でオレを見上げている。オレがこくりとうなずくと、しもぶくれは丸い体に、月の光を浴びながら話しはじめた。

「えっと、何から話したらいいでしょうかね。あ、そうだ、僕は一年ほど前に、僕の妻とともにゲージから抜け出して、この森にやってきたんです。にんげんに飼われているハムスターって、普通は一生ゲージの中で過ごすものでしょう? でも幸か不幸か、僕らのゲージの前には、テレビという知識の宝石箱のようなものがあって、そこである日、砂漠で暮らしている野生のハムスターを見てしまったんです」

 しもぶくれは細かく鼻をふるわせながら、話を続けた。

「それを見て、僕は思いました。僕らは何にも悪いことをしていないのに、なぜこんな檻の中に閉じ込められているのかって。僕もあんな風に、自由に暮らしたい、もっともっと、いろんな世界をこの目で見てみたいって。だから、飼い主がゲージのドアを開けっ放しにして出かけて行ったあの日、僕は妻を誘って、抜けだすことにしたんです」

 リーリーという虫の声にまじって。ホーホーというフクロウの声もまじりだした。満月は煌々と夜空に輝いていて、秋の夜はなかなか終わりそうになかった。

「でも妻は、ギリギリまでしぶりました。わたしはこの何不自由のない暮らしに、満足しているから、と。でも僕は、たとえひとりでも行くつもりでした。妻にそう告げて、ゲージの出口に手をかけると、妻は僕の背中にしがみつきました。そして、どうしても行くの? と悲しそうに、つぶやきました。

僕は背中に妻のぬくもりを感じながら、小さくうなずきました。妻のことは愛していましたが、それ以上に、僕は外の世界を見てみたかったのです。すると、妻は小さくため息をついて笑い、そして、わたしも一緒に行くわ、と言ってくれたのです。僕はびっくりして何度も確認しました。外の世界には危険がいっぱいあって、僕らなんかあっという間に食べられてしまうかもしれない、食べ物がなくて飢え死にしてしまうかもしれない、と。それでも妻はいいの、決めたからと笑ってくれました。

我々は、ほおぶくろいっぱいにエサをつめこむと、家を抜け出しました。

 しかし、それからは地獄でした。カラスや野良犬に追われ、ほおぶくろのエサもつきて、飢えと渇きが続きました。狭いドブの中や、蜘蛛の巣だらけの軒下でビクビクしながら眠ることもありました。かごの中にいたころには、想像もつかなかった厳しい現実がありました。それでも、妻は文句ひとつ言わずに、僕についてきてくれました。

やがて我々は、森の中へ迷い込みました。森の中は食糧こそ少ないですが、身を隠す場所がたくさんありました。そこで我々は、大きな岩の下に小さな巣を作り、ささやかながら、新しい生活をスタートさせたのです。

 もう我々を守ってくれるゲージはありませんでしたが、我々はその岩の下で、寄り添いながら暮らしました。どちらか一方が食べられて、そのままいなくならないように、エサを取りに行くときも、水を飲みにいくときも、常に一緒に行動したのです。だって、いつのまにか相手がいなくなって、死んだのかも、生きているのかもわからないまま、過ごすのってイヤでしょう? だから我々は、もし食べられるときがあったら、一緒に食べられようと約束したのです。これは食物連鎖の下部に生きるものたちにしか、わからないかもしれません。そして、そんなとき、十兵衛が我々の前に現れたのです」

 しもぶくれがそこまで話すと、十兵衛が急に悲しそうに「グルル……」とうめきはじめた。オレは何も言わずに黙って、しもぶくれの話に耳を傾けた。

「十兵衛は冬ごもりの準備をしていたようで、我々を見ると、一直線に向かってきました。僕は妻を先頭にして逃げましたが、それが逆によくなかったようです」

 しもぶくれは淡々と話し続けた。夜風がオレとしもぶくれの間にひゅうっと吹き抜けた。

「十兵衛は、軽々と我々に追いつきました。そして、まず妻が食べられました。一瞬の出来事でした。僕は必死に、十兵衛の鼻にかみつきましたが、妻の体はあっという間に消えてなくなりました。本当に、一瞬でした。気づいたら、妻は僕の前から、いなくなっていたのです。

僕は怒りに我を忘れて、十兵衛の鼻や耳なんかにかみつきました。十兵衛は、僕をふり落とそうと、ぶんぶんと首をふりましたが、僕もあらん限りの力でしがみつきました。そして妻の名前を叫びながら、十兵衛の顔中に前歯をつきたてました。

やがて炎のような怒りが去ると、やってきたのは、荒涼とした恐怖です。妻がもう僕のそばにいないという現実に、僕の体はふるえあがりました。僕は抵抗をあきらめ、妻との約束通り、十兵衛に食べられる覚悟を決めました。

ところが、十兵衛は僕を食べませんでした。それどころか、急に泣き出しながら、謝りはじめたのです。僕はわけがわからなくなりました。強いものが、弱いものを食べるのは当たり前のことです。何百年、何千年と繰り返されてきた自然の摂理です。ところが、十兵衛は、謝りつづけ、もう二度と動物を口にしない、と言いはじめたのです。

僕は自分を食べてくれと頼みました。今度は僕が妻の後を追う番です。今、君が食べたのは僕の妻で、僕は早く妻のもとに行きたいのだ、と。君のおなかの中でもいいから、一緒になりたいのだ、と説明しました。そして、二人で交わしたあの約束の事も伝えました。それでも、十兵衛は首を横にふり続けました。

 僕は妻のそばから離れたくない一心で、十兵衛に頼みました。僕を君のそばに置いてくれ、と。気が変わってお腹がすいたら食べてくれて構わないから、と。

 それから、十兵衛と僕の奇妙な生活がはじまりました。妻は糞として排出され、大地へと還りましたが、僕はそれでも、まだ十兵衛の一部として、妻がいる気がして、十兵衛から離れることができませんでした。でも結果として、十兵衛のおかげで、僕は誰からも食べられることもなく、安全で快適な暮らしを送れることになったのです」

 十兵衛は悲しそうな目でしもぶくれを見た。月の光が十兵衛の瞳の中できらりと光っている。

「妻のことを想うと今でも胸が張り裂けそうになります。本当に気が狂いそうになります。あのままゲージの中で一緒にいたら、外の世界をみたいだなんて僕が思わなければ、今も僕の隣には妻がいたことでしょう。本来なら今ここで生きているのは妻であって、僕ではないはずです。妻を誘った僕が食べられているべきなのです。本当のことを言うと、僕は妻に会いたくてたまりません。もう一度二人で木の実を食べたり、身を寄せ合って眠りについたりしたい。今日は寒いねとか、お腹すいたね、とかそんなありふれた会話を交わしたい。でも、そんなことを考えてもどうにもなりません。すべては過ぎ去ったことです」

十兵衛がたくましい前足で、顔を覆いながら静かに泣きはじめた。しもぶくれはやさしい目つきでそれをながめると、口を開いた。 

「でも、僕も苦しみましたが、十兵衛も同様に苦しみました。十兵衛は何も悪くないのに、僕らのためにたくさん、本当にたくさん苦しんでくれました。だから、もういいんです。僕らはこうやって今も二匹で生きています。その事実を僕は受け止めて生きています」

 しもぶくれはそこまで言うと、サクラの木の方に体を向けた。

「そんなある日、鳥たちがこのサクラの木のことを噂していました。歩くことを夢見ている、おかしな木がいる、と。毎日、毎日、無駄な努力を続けているバカな木がいる、と。そしてカピンチョさんや、モリオさんのことも耳にしました。そのサクラの木のことを聞いたとき、僕はサクラの木と、自分を重ね合わせました。もし僕がサクラの木として生まれていたのなら、きっと同じことをしただろうと思い、僕の胸は高鳴りました。決められた自分の運命を自分で変えようとしている、なんとかしてやろうと日々もがいている、と。そして、僕はそのサクラの木に一目会いたくて、十兵衛と共にやってきたのです」

 しもぶくれは話し終えると、ほっとしたような顔つきで、サクラの木を見上げた。

 満月を背負ったサクラの木は、夜風に葉をゆらしながら、堂々と立っていた。

「そうか、色々と大変だったんだな」

 オレがそうつぶやいたとき、ふいにサクラの木の枝がぐっとしなった。

 オレは「ん?」と思いながら、サクラの木を見上げると、夜空に一直線に伸びた幹が、ギギーッときしむような音を立てて、動きはじめた。

「おお……まさか……」

 しもぶくれはさっとオレの背中に飛び乗ると、ちょこまかと動きながら、頭の上に登りつめた。

 サクラの木は満月の白い明かりを浴びながら、体をゆらしはじめた。地面がモコモコとうねり、サクラの木の根がいっせいに動き出す。

「どうしたの、サクラの木?」

 カピンチョが幹の根元から出てきた。カピンチョは、オレとしもぶくれたちに気がつくと、首をかしげながらやってきた。

「なあ、サクラの木と、このしもぶくれは、似たもの同士だぜ」

 オレがカピンチョに言うと、カピンチョは何も言わずに、しもぶくれを見た。

 サクラの木は、今までで一番激しく、その体をゆすっていた。地面に立っていられないほどに、あたりはゆれ動いた。

突然のゆれに驚いた鳥たちが、バサバサと羽音をたてて、飛び去っていく。

「すごい! すごい! これは絶対に歩けるぞ! がんばれ、がんばれ!」

 しもぶくれがオレの頭の上で叫んだ。十兵衛も、あっけにとられたようにサクラの木をながめている。

 サクラの木は斜めに体を傾け、根を大地から引き抜こうと、体をゆすり続けた。



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