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十二生肖異聞録  作者: 村瀬香
八章 再会を待つ者
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七話 視線の主


 恵月町の中心を通る大通りは、左右に様々な店が並んでいることもあり、日中は多くの人が行き交っている。

 芳ばしい香りが満ちた一軒のパン屋から出た花音は、初夏の日射しに目を細めた後、一緒に買い物に来てくれた煉に申し訳無さそうに笑みを浮かべた。


「ごめんね、こんな暑い日に買い出しに付き合わせちゃって」

「別に気にしてない。むしろ、ちょっと仕事サボれたからラッキーくらいで」

「あはは……これも一応、仕事なんだけど」


 煉の片手には、袋に入れられたパンがある。それも、菓子パンや惣菜系のものではなく、サンドイッチに使うパンだ。普段なら依月でまとめて業者に発注している。

 ただ、花音が発注ミスをしてしまったことで数が足りなくなり、依月から数十メートル程しか離れていない位置にあるパン屋に買いに行くことになったのだ。

 最初は花音が一人で行こうとしたのだが、花音の様子を心配した茜が近くにいた煉にも一緒に行くように、と言って今に至る。


「茜ちゃん達にも迷惑かけちゃったし、もっとしっかりしないと」

「誰だってミスくらいはするだろ。むしろ、今までが少なすぎたんだって」

「うーん。そうでもないんだけど……」


 これまでもミスは何度もしてきた。依月だけでなく、局での仕事の時もプライベートでも。

 以前も都季に大丈夫かと心配されたが、なかなか調子は取り戻せそうにない。

 もっと慎重に丁寧に取り組まなければ、と思うが、どうも空回りしてしまう。


(原因は何となく分かってはいるけど……)


 不調の原因は、黒妖犬の一件で過去のことを思い出したせいだ。

 そのことについて忘れてはいなかったが、気にしていても仕方がないと記憶の奥深くへと追いやっていた。


「まぁ、不調な時って誰にでもあるし、ずっと続くわけじゃない。今がそういう時なだけだろ。気にすんなって」

「うん。ありがとう」


 気遣ってくれる煉に礼を言って微笑めば、「いつもミスをフォローしてもらってるのこっちだし、こういうときは頼ってくれ」と頼もしい言葉が返ってきた。

 立場上、煉との付き合いは長いが、いつの間にかそんな言葉を言うほどに成長したんだなと実感する。

 その時、ふと、前方から黒い大型犬を連れた人が来ていることに気づいた。


(ラブラドール、かな)


 毛足の短い黒い大型犬……ラブラドール・レトリーバーは、飼い主の横について大人しく歩いている。

 花音と目が合うと尾を振りながらこちらへと近寄ろうとしたが、飼い主にリードを引かれて止められると、すぐに散歩へと意識を戻した。


「花音さん?」

「……あっ、ごめん! 可愛くてつい見ちゃった」


 少し先から煉に呼ばれ、足を止めていたことに気づいた。

 慌てて煉のもとに駆け寄れば、彼は花音が見ていた大型犬の後ろ姿を見ながらぼやく。


「まだアイツのこと……」

「え?」

「そんな犬好きだっけ?」

「犬も猫も、動物は基本的に好きだよ」


 近くを走る車の音で煉の言葉が聞き取れず、花音が首を傾げれば、煉はどこか言葉に嫌そうな雰囲気を含ませて訊ねた。

 声を上げて可愛がる程ではないものの、人並み程度には花音も動物は好きだ。たまに茜が依月で顕現させている牡丹も、手が空いていれば可愛がっている。

 だが、訊ねてきた当の本人は「ふーん」と訊いた割には興味が薄い反応だ。


「アイツもあれくらい大人しかったらいいのに」

「ふふっ。本人に聞かれたら怒られるよ」

「俺、犬は嫌いなんでね」

「またそういうこと言う……」


 呆れた様子の花音を他所に、また歩き出そうと前を向く。

 その時、体の向きを変える途中に見えた道路を挟んだ向かいの歩道に、黒いパーカーを着た人がいるのが見えた。

 半袖が大半という初夏の暑さもある中、フードまで被ったその人はやや異質に思えた。


(なんだ? こっち見てんのか……?)


 目深に被ったフードではうまく顔が見えず、体格と口元から男性だろうと分かるくらいだ。

 ただ、彼の周りを行き交う人は、まるでその人が存在していないかのように視線を向けることがない。多少なりとも好奇の目が向けられてもいい格好にも関わらず。

 一般人ではないのか、と眉間に皺が寄るのを感じる。

 相手の気配を探ろうとした矢先、大型のトラックが相手の姿を隠す。その直後、花音が煉の袖を引いたことで意識が引き戻された。


「煉君?」

「!」


 ハッとして我に返り、軽く袖を引っ張った花音を見やる。

 花音は、まだ反対側にいる異様な人物のことに気づいていないらしい。


「どうかした?」

「今、反対側にいる奴が――あれ?」


 トラックはとうに走り去っている。

 だが、先程までそこにいた姿はどこにもなく、人の波に紛れている様子もない。


「……花音さん、早く帰ろう」

「え? う、うん」


 相手の姿がどこにもないということは、今はこちらを害する気はないということだろう。破綻組かと案じたが、周りに被害が起きている様子もない。

 頭上にクエスチョンマークを浮かべる花音の手を取り、足早に依月への道を進む。

 相手の意図が分からないのであれば、下手に追おうとはせず、一旦、依月に戻って様子を窺うほうがいいと判断して。




 その頃、路地裏をフラフラと歩く一人と青年がいた。

 呼吸が乱れ、足がもつれて倒れそうになったのを壁に手をついて踏み留まる。被っていたフードを取り、額に滲んだ汗を手の甲で拭う。

 日陰ではあるものの、今の時期にパーカーは暑い。

 壁に背中を預け、一度大きく息を吸って吐く。


「……なんで、ここまで来ているんだ。俺は」


 青年は、町の中心部まで来る気はなかった。

 ただ、やけに惹かれる気配がしたため、ふらりと足を向けただけだ。

 その結果、先ほど目にした光景が脳裏に焼きついて離れない。

 締めつけられる胸を服の上から握りしめながら、うまく感情のコントロールができていない自身に舌打ちをした。


「あれでいいはずなのに」


 ――望んで離れたはずなのに、何故、こうも苦しくなるんだ。


 青年はまた溜め息を吐いた後、ふらりと壁から背中を離して歩き始めた。

 向かう先は、この町の東北にある神聖な場所だった。




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