六話 送還のためには
才知を先頭に向かったのは、局の地下一階にある部屋だった。幻妖を幻妖界へと還すための送還室を通り、奥にある扉を開ければ、中はやや薄暗く、図書館のようにいくつもの棚が並んでいた。
ただ、その棚に並んでいるのは本ではなく、八面体の赤い石――封妖石だが。
(すごい数の封妖石だ……)
まだ部屋に入ってはいないものの、出入り口から覗いただけでも多くの封妖石があると分かる。ほとんどが小さな布の上にそのまま置かれていたが、中には札を貼られていたり、僅かに光を放つもの、小さな檻に入れられたものがあった。
先に入った才知に続いて、都季も一歩踏み入る。
その瞬間、全身にのし掛かった圧に鳥肌が立った。
「っ!」
「しまった。都季、ストップ」
「おお、そうだったな。我としたことがすまんかったのぅ。ほれ、我らは送還室で待機しておこう」
月神も才知が都季を止めた理由に気づき、都季に部屋に入らないよう肩を軽く叩きながら言った。
理由が分からず困惑していると、苦笑を零した才知が説明をしてくれた。
「悪いな。ここにあるのは、見てのとおり封妖石に封じた幻妖なんだ。それも、大人しい幻妖から荒い奴まで色々いるから、都季や月神の霊力に釣られて出てこようとするかもしれない」
「あ……すみません。すぐに離れます」
一歩踏み入ったときに感じた圧は、封妖石に封じた幻妖達のもののようだ。幸い、他には大きな影響は出ていない。
送還室に体を戻せば、最後についてきていた梓が腕を組んでジト目で才知を見た。
「先ほどの霊力はこちらまで伝わってきた。あれは石から漏れ出ているんだろう? お前達の封印はそんなに脆いものなのか?」
「ははっ。言ってくれるねぇ。脆くはねーけど、この二人が強すぎるんだよ。すぐ取って出てくるから、あんたもそこで待っててくれ」
ただでさえ、破綻組から狙われるほどだ。大人しい幻妖ならばともかく、気性の荒い幻妖が霊力を欲して暴れる可能性は大いにある。
一度、ドアは閉められ、送還室に都季と梓、月神が残された。
「…………」
「…………」
「…………」
特に会話が生まれるはずもなく、無音の送還室内に先ほどとは違う空気の重さが満ちる。
才知はすぐに取ってくると言っていたが、その「すぐ」も沈黙を前にすれば長い時間だ。
何か話でもしていようか、と話題を探していると、共通の知り合いが浮かぶ。
「あの、岸原さんはお元気ですか?」
「問題ない」
「……あっ。そうですか」
続く言葉も見つからず、すぐに終わってしまった。肩にいる月神からの、「何をしているんだ」と物言いたげな視線が痛い。
才知はまだだろうか、と閉じられて一分も経っていないであろうドアを見る。
すると、今度は梓が口を開いた。
「お前は、岸原と似ているな」
「え?」
「だから、お前と話をして気持ちの整理がついたのか」
「……はい?」
何か話をしてくれるのかと思いきや、彼女の中で完結してしまった。慶太が抱えていたものが都季との会話によって解消したようだが、慶太と面と向かって話をしたことは片手で足りるくらいだ。それも、悩みを解決するに至るようなものはなかったはず。
何の話かもよく分からず、月神と顔を見合わせて首を傾げる。
「えっと……岸原さんは何か――」
「待たせたなー」
「タイミング」
「ん?」
悩んでいたのか、と聞こうとした瞬間、先ほどまで開く気配のなかったドアが開かれた。
札を貼った封妖石を片手に出てきた才知は、項垂れる都季に目を瞬かせる。
一方、質問をされるとは思っていなかった梓は、才知の持つ封妖石を見て目を細めた。
「随分と手の込んだ封印だな」
「一応、アイツの影響も受けていたからな。幻妖界に還す前にアイツの力を抜くためと、後は向こうが感知しないためにと厳重にしてるんだ」
敢えて名前を伏せるのは、まだ封妖石にいる黒妖犬にルーインの力が僅かながら残っているせいだ。何を仕込んでいるか分からない以上、警戒をして損はない。
才知は、二人に「少し離れててくれ」と壁際まで寄るように言うと、送還室の床に封妖石を置いた。そして、その石の上に手を翳すと、「開封」と短く唱える。
その直後、石に貼られていた札が端から燃え、封妖石が赤い光を放った。
「ガアアッ!」
「うわっ!?」
「よっと」
「ギャウンッ!」
光から子牛ほどの大きさの黒い犬が飛び出し、都季に襲いかかった。
だが、食らいつく前に瞬時に移動した才知が黒妖犬のマズルを横から掴み、そのまま床に押さえつける。手にはいつの間にか黒い手袋を着けており、手の隙間から微かに煙が立ち昇った。
一瞬の出来事に呆気に取られている都季に、月神は「伊達に師長の肩書きを持っておらんぞ」と言うと、ここにはいない調律師の姿を思い浮かべながら言葉を続ける。
「蒼姫も『稀代の調律師』だと言うたが、才知もそれに引けを取らない。まぁ、本来ならば見てのとおりの武闘派ゆえ、調律師ではなく警邏でも遺憾なく実力を発揮できるのだが、何事も均衡が大事だからのぅ」
逆に、警邏部の葵は調律師としての適性も持つが、才知と同じくバランスを保つために警邏に所属することになったのだ。各々の部署の、足りない部分を補うために。
才知は黒妖犬を押さえたまま、微動だにしない梓を見上げた。
「これでもまだ疑うか?」
「……いや、問題ない」
「なら良かった」
安心したように小さく笑みを浮かべ、すぐに封妖石に黒妖犬を戻す。
都季は、手袋を外して新しい札を貼り直す才知の手を見て、少し赤黒くなっていることに気づいた。
「手、大丈夫ですか?」
「ああ、これか? 平気平気。これでも随分と落ち着いたもんだ。最初の頃なんて、手袋溶かして皮膚まで爛れたしな」
「うわ……」
才知の言う様子を想像し、思わず眉間に皺が寄った。どうりで、才知が直接手で触れなかったわけだ。
すると、難しい顔をしたままの梓が訊ねる。
「以前と比べて、奴の霊力の残滓はほぼない。黒妖犬の凶暴さも幾分かマシになっている。その状態では還せないのか?」
黒妖犬が見つかった当初は、複数人でも捕らえきれなかったほどだ。それが、今や才知一人で簡単に押さえつけられるほどになっている。才知に実力があるからとはいえ、黒妖犬自体が弱体化していることに変わりない。
封印を終えた才知は、変色した手のひらを見た後、封妖石へと視線を移す。その目には、僅かに同情が含まれていた。
「こいつがここに来たのは不本意なんだ。ちゃんと元の状態に戻してからあるべき場所に還したい。その元の状態ってのは、奴の力の残滓が『ほぼない』状態じゃない。『皆無』の状態だ」
「……そうか。まあいい。それが二度とこの地を踏まないのであれば」
「善処する」
小さく息を吐いた梓は、そのまま送還室を出てようと出入り口に足を向けた。
才知が「地上まで見送る」と申し出たが、「寄り道はできないから心配無用だ」と梓に一蹴されてしまった。
この階には神降りの木がある部屋もあるのだが、そこには分神も控えている上、送還室の向かいには調律師もいる。そもそも、この世界を守る側である梓が木を害するメリットはない。
才知は、わざわざ追う必要はないと判断し、その場に留まった。
「才知さんは、幻妖がどんなものであっても、ちゃんと考えてあげてるんですね」
「んー……まぁ、俺達も幻妖を従えてる身だからな。中途半端な対応をしていたら、守獣に顔向けできないだろ?」
「こういうところは素直でないのぅ」
あくまでも自分の外聞を気にしてのこととする才知を、月神がニヤニヤと笑みを浮かべながら見る。
その視線が心地悪かったようで、才知は雑に頭を掻いた後、都季の本来の予定を思い出した。
「そうだ! 今から特訓だったよな? 俺も見てやるよ」
「えっ! いいんですか?」
「時間取らせたしな」
体術面では紫苑の指導も受けることがあったが、才知からも教われるのであれば有難い。
調律師の仕事も、そもそも、休もうとしたところに梓が来るということで出ているだけだ。才知本人がいいというのであれば問題はない。
先のこともあり、都季の中で才知の好感度が上がっていく。
ただ、それも本人自身の発言で一瞬で崩れたが。
「普段なら野郎の面倒は見ないんだが、成長に一役買ったとなれば周りの見る目も変わるだろうし?」
「うわ、なんか余計な言葉が」