第七話
「ここは……?」
そこは、どこかの部屋の中で、ベッドがあるだけで他に調度類は無かった。
周囲には籠がいくつか転がっていて、衣服が無造作に投げ込まれていた。
「あまり、レディの部屋をジロジロ見ないで欲しいんだけど」
彼女は俺から手を離すと、からかう様に笑った。
床には何やら紋様が描かれていて、彼女はその中心に佇んでいた。
俺は訳が判らず、ただ混乱していた。
さっきまで、俺は洞穴の中に居た筈なのだ。神秘の力で、今目の前にいる、エリスと名乗る少女とコンタクトを取ったところまでは認識している。その後、どうなったんだ?
「混乱しているみたいね。ここは、恐らくあなたが居たところとは別の世界よ」
別の世界……?
彼女が語る内容もそうだが、今目の前の彼女と会話している状況も俺を混乱させていた。彼女が発する言葉は耳に入っていて、そしてそれは全く理解出来ない言語だったのだが。同時に、頭の中に俺が判る言葉が直接入ってきていた。その奇妙さに、ちょっと酔いそうになる。
「……無理も無いか。いきなり、異世界に召喚されました、なんて言われて理解する方が難しいよね」
俺の当惑を、彼女は勘違いしたらしい。
──って、召喚?
「そう……なのか。俺には、ここがさっきまで居た場所では無いという事と、君が話している言語は理解出来ないが、意思の疎通は出来ている、ということくらいしか認識出来ないけど……」
俺の返事に、彼女は目を丸くした。
「理解が早いみたいね。今日はもう遅いから、召喚についてだけ説明させて貰うわ。立ち話もなんだから、座って頂戴」
座れと言われても、この部屋にはベッドしかなく。籠は椅子代わりに出来るか判らなかったから、俺は床に座ろうとした。
「ちょっと……どこに座るつもりなのよ?」
慌てて止められる。
「どこって。椅子も無いし、床に座ろうと思ったんだが」
「こっちに座ってよ」
彼女はベッドに腰を降ろして。隣をポンポン叩いた。
「いや、レディのベッドに腰を下ろすのはどうかと思うんだが」
ここは彼女の寝所だろうから、俺がそこに腰を降ろすのは気が引けた。
「何言っているのよ。あなたには、こっちに居る間は、ここで私と一緒に寝泊りして貰うんだから」
平然と言ってのける彼女に、俺は思わず噴出した。
「……さすがにソレは問題があるだろう。お前、見ず知らずの俺を簡単に信用し過ぎじゃないか?」
思わず素で突っ込む。いや、俺が彼女に何かするとか、自分でも思っている訳では無いのだが。
だが彼女は、鼻で笑った。
「あなたが気にすることは何も無いわ。そして、私にも、それを気にしないでいい理由が三つあるの」
そんなことを言われても。
困惑する俺に、彼女は説明を始めた。
「一つ目の理由は。元々あなたは、私が目的を果たすための助力を期待して召喚したのだから。そんな瑣末ごとを気にする必要がある状況では、私に望みは無いでしょう。私の命運はあなたに掛かっているのだから」
彼女が俺を召喚したのだから、問題が起きるとすれば、それは召喚する相手を間違えた、という理屈か。
「二つ目の理由は。この、召喚というシステムは古くから利用されているの。そしてその内容は、私の家に代々伝えられていて。過去に、召喚者の方に問題があって、被召喚者から助力を得られなかったことはあったらしいけれど。そういうケースを除いては、助力を得ているらしいの。つまり、被召喚者の人格も含めて、選択されていると考えるのが妥当でしょうね。尤も、助力が得られたからと言って、必ずしも召喚者の望みが叶った訳でも無いみたいだけど……」
俺に彼女を助けるだけの力が無ければ、彼女の目的は果たせない。自明の理だな。──それを認識して、不安になった。俺に、何か力があるとは思えないから。
「そして三つ目の理由は。元々、この身はあなたに捧げるつもりなのだから。あなたが何をしても問題は無いのよ」
こいつ、何を言っているんだ?
思わず素で突っ込みそうになった。
訝しげに見る俺を、彼女は面白いものでも見る様な目で眺めた。
「だって。あなたは、私から勝手に呼び出されて、ここに来ただけでしょう? あなたに私を救うだけの力があっても、見ず知らずの私を助けてやる義理も無いでしょうから。私は助力を得るために、その対価を支払うつもりよ。元の世界へ戻ってしまうあなたに差し出せる対価なんて、こういう形でしかあげられないから。……そもそも今の私には、この身一つしか無いのだけど」
当然の様にそんな事を言われても。俺は頭痛がしてきた。
実物の彼女は、『縁を映す鏡』で見たときの印象よりも幼く見えて。俺より何歳か下じゃないかな。そんな彼女から、報酬として体を差し出すとか言われても。異世界であるこの地で、日本の倫理観に縛られる必要は無いのかもしれないが、俺自身、まだまだ子供だと自覚していたから。そんな申し出を受けるのは、いろんな意味で躊躇してしまう。
「この召喚というシステム自体が被召喚者に対して対価を用意しているとも言えるのだけれど、召喚者の願いを叶えた後のことについては証明のしようが無いから。それだけを対価として助力を乞うのは虫が良すぎると思っているのよ」
なんとも要領を得ない。俺は黙って続きを促す。
「被召喚者の選別にあたって、召喚者の目的を果たすための手段が、被召喚者の願望を叶えたモノでもあるのよ」
「願望を叶えたモノ?」
「ええ。例えば、あなたがこれまで女性にモテない人生を送っていたとして」
おい。妙な例えに思わず顔をしかめる。
「あなたの願望が、『女性にモテたい』とかだった場合。私の望みが、誰か敵対者の女性を誑し込むことで叶えられるのなら、召喚というシステムは機能するという訳よ」
……なるほど。願望が手段として成り得るのなら、それを叶えることは対価として成り立つだろう。だけど、それなら他に対価を用意する必要は無い気がするのだが。
「そしてそれには、制約もあるの。システムから与えられる《ギフト》には、使用期限があるのよ。でなければ、被召喚者は召喚者の望みを叶えず、ずっとこちらの世界で好き勝手に生きることを選べてしまうでしょう?」
それもそうか。
「システムから与えられる《ギフト》は二つ。一つ目は、意志の疎通ね。今やってる様に、召喚者とその仲間相手に、言葉が判らなくても会話が出来るわ。……双方の願望とは関係ないけど、無いと困るから。そして二つ目が、被召喚者の願望を叶えたモノ。被召喚者がずっと望んでいたことや、トラウマになっていることを解消できる手段として与えられるモノね。具体的な期限は判らないけれど、大凡半年から一年でその《ギフト》は効力を無くすらしいわ。そして、召喚者の望みを叶えた場合。被召喚者は自動的に送還されるみたいなのだけど、その際、《ギフト》の一部を持ち帰ることが出来ると言われているの」
「一部?」
「ええ。《ギフト》の力は、とても強力で極端なモノらしいわ。それをそのまま持ち帰ったら、とんでもない事態になるから……かどうかは判らないけれど、あまり目立たない程度に弱体化されたモノとして持ち帰れると言われているわ。だから、それが対価と言えるのだけれど、それをここで証明する手段は無いから、別途対価を用意してやる気を出して貰う必要があるでしょう?」
……なるほど。言っていることは理解した。
だけど、だからと言って。日本で条例に引っ掛かりそうな対価を提示されてもなぁ。
「本来なら、召喚に際して自らの血を贄として差し出すことで、仮初めの縁を結ぶらしいのだけど。私、まだ贄を捧げていないのよね。あなたが望むのなら、今から破瓜の血でも差し出すわ」
彼女は平然とそんなことを言い出して、思わず噴出してしまう。
俺の反応を見て、彼女はクスッと笑った。俺で遊んでやがるな。
「話が逸れたわね。さっき言った通り、私はあなたに助力を請う。この窮地から、私を救ってくれることを」
わざわざ召喚などするのだから、彼女に何か危険が迫っていたりするのだろうか。
「俺は、何をすればいいんだ?」
俺に何が出来るとも思えなかったけれど。目の前の少女に危険が迫っていて、俺に出来ることがあるなら、助けてやりたいと素直に思ってしまった。──別に、対価が欲しくてそんなことを思った訳では無く。
「それは……実のところ、あなた一人にどうにかして貰えるとか、その方策は私にも思いつかないの」
具体的に、何をして欲しい、という明確な指針が無いのか。尚更、俺に何が出来るのか不安になる。召喚というシステムが、俺にも助力出来ると判断したから、俺はここに居るのだろうけど。
「お前をここから連れ出せばいい、とかじゃないのか」
「最終的には、そういう話ではあるのだけどね……」
彼女は言いにくそうに、一旦言葉を切る。
そして、思わせぶりに、暫く沈黙した後。悪戯でも打ち明ける様に、自嘲的な笑みを浮かべて言った。
「──ここは、牢獄の中なのよ」




