第五話
その後。山道を更に進んで、俺たちは目的の場所に到着した。
部長は場所について『ある程度の当たり』と言っていたが、その近辺には他に該当する場所が見当たらなかった。そこは洞穴で、入り口を隠すように大きな岩が入り組んでいた。
大岩の隙間を縫って進んで、洞穴の中に入る。
入り口付近は真っ暗だったのだが、奥に進むにつれ、徐々に明るくなった。一番奥は、天井に穴が開いていて、そこから夜空が見えた。斜め上方向にも窓の様に別の穴が開いている。
「もう直ぐ、そこから月明かりが差し込む。それが洞穴内に達している間、神秘が顕現する可能性があるらしい」
部長の説明に、琴音先輩は力強く頷いていた。
やがて。月の移ろいとともに、洞穴内は次第に明るさを増してゆく。
「そろそろ、頃合か」
部長に促されて、琴音先輩が奥の空間に移動した。琴音先輩に乞われ、俺もそこへ連れて行かれる。
月光に照らされた琴音先輩の姿は、どこか幻想的なものに見えた。
「本当に、俺も一緒に居ていいんですか?」
琴音先輩の告白話、俺が立ち会っていいものかと怯んでしまう。
だが、琴音先輩は、暫く俺を見つめて。そして俺の手を取った。
「頼む……あたし一人では、多分、冷静ではいられないから。それに、牧嶋が居た方が、真治さんも状況を理解し易いと思う」
そう懇願する彼女の手は、震えていた。
「──判りました。だから先輩は、頑張って告白してくださいね」
青白い月明かりの中。それでも、彼女の頬が赤く染まるのが判った。
部長の指示通り、琴音先輩は指を組んで、無言で祈っていた。頭の中では、一心不乱に高杉先輩のことを考えているのだろう。
俺も高杉先輩とは剣道部での先輩後輩の間柄ではあったが、それだけで縁が結べているとは思えず。高杉先輩も、俺のことなんて覚えていたとしても、からかい甲斐のあるただの後輩くらいにしか思っていないだろう。だから、今の俺に出来ることは何も無かった。
やがて。
月明かりが増したのかと勘違いしたほど、辺りに薄っすらと光が満ちて。
そして、ぼんやりとだが、高杉先輩の姿が見えた。
部長は『鏡』と言っていたが、例えるなら3Dのホログラムだろうと思った。まぁ、昔からある神秘であるなら、ネーミングも昔の物に限定されて当然なんだろうけど。
「あれ……」
高杉先輩はぼんやりと俺たちを見た。今の状況が判らないのか戸惑っている様子。
高杉先輩の声を聞いて、琴音先輩が目を開いた。
「真治さん……」
そして、彼の名を呟くと、ぽろぽろと涙を零した。
高杉先輩は、右手で額を抑えて。暫く考え込んだかと思うと、状況を確認し始めた。
「俺は……アレに巻き込まれて……記憶はそこで途切れているな。今は……どこかの病院? 意識は戻っていないみたいだが……」
どういう理屈かは判らなかったが、彼は肉体の意識が戻っている訳でも無いのに、自分が置かれている状況が判るらしい。まぁ、理屈云々の話は、今のこの状況を前にしては何ら意味は無いが。
「これは……最近オカルトに凝っていると言っていた琴音が、尋常ならざる方法で俺と話をしていると理解すればいいのか?」
俺は彼の察しの良さに驚いた。
余程オカルト関係に詳しい人でもなければ、咄嗟にそんなこと思いつかないだろう。
「ええ……今、『縁を映す鏡』という神秘を使って、真治さんに語りかけているの。これは、生者だろうが死者だろうが呼び出して話が出来るって代物らしいのよ。だから、意識が戻らないあなたとも話が出来るの……」
会話で容態に触れて。琴音先輩は俯いてしまった。
「そう……なんだ。そして、そんなものを使ってまで俺と話をするということは……俺はもう長くは無いんだな……」
彼はそのことまで察して。それを指摘されて、琴音先輩は両手で顔を覆って、下を向いて泣き出してしまった。
高杉先輩は、返事が出来ない琴音先輩を暫く悲しげに見つめていたが、やがて俺の方に目を移した。そして、少し驚いた様子。
「お前……牧嶋か?」
「ええ。ご無沙汰してます」
俺のことも、覚えていてくれたんだな。
「へぇ……すっかりでかくなったな。鷲塚の身長、追い越したのか。これじゃもうチビ助とは呼べないな」
彼は遠い目をして。昔を懐かしんでいるのか、穏やかな笑みを浮かべた。
「それで……俺を呼び出した理由を、お前は何か聞いてるのか?」
まだ泣き止まない琴音先輩の代わりに、俺から事情を聞こうと思ったらしい。
俺は、頷いてみせた。
「琴音先輩から……高杉先輩に伝えておきたい話があるんです」
俺は、下を向く琴音先輩の肩に手を置いた。
「頑張ってください……後悔しないために」
俺からそう諭されて。琴音先輩は俯いたまま頷いた。
まだ涙を零していたが、彼女は顔を上げて。真っ直ぐ高杉先輩を見た。
「あたし……あなたのことが好き。ずっと、ずっと前から好きだった。あなたはもう、あたしの手の届かないところに言ってしまうけれど。これを伝えないまま、あなたに先立たれることだけは、我慢できなかったの……」
淡い光に包まれて。流れる涙に構うことなく、毅然として告白する琴音先輩は、神々しいと感じるほどに美しいと思った。彼女のこの真っ直ぐな気持ちが、高杉先輩との縁を結んだのだろう。俺は、それを見届けることが出来て、柄にも無く目頭が熱くなるのを自覚した。
「……ありがとな。お前がそう思ってくれていることは、薄々だが気付いてはいたんだ。だけど俺は……お前の傍にいてやれないから……その気持ちに向き合うことも出来なかった。今更ながら、そのことを後悔している自分に気付いたよ。すまなかった。そして、今までありがとう。はっきり気持ちを伝えてくれて嬉しかったよ」
高杉先輩も、琴音先輩を見つめたまま涙を流した。
「真治さん……あなたには、心残りはありませんか?」
琴音先輩は、自分のことだけでも手一杯だろうに。彼のことを想って、そんなことを言い出した。
「俺か? ……そうだな。俺が倒れたとき、木刀を持っていたんだが……それがどうなったか、知らないか?」
高杉先輩はそんなことを言い出した。余程大切な物だったのか?
琴音先輩は木刀袋から一本取り出して。
「ここに、あります。形見分けとして、頂いたんですが……」
「悪い。それ、借り物なんだよ。それを、衣空神社に奉納してきて欲しい」
借り物を奉納……? 彼が何を言っているのかよく判らなかったのだが、死を目前にして想うところがソレなのか。
俺は、もっと琴音先輩のことを考えて欲しくて、勝手に腹を立てていた。
だけど琴音先輩は、彼の言う事を真剣に聞いていた。
「判りました……これは、必ず衣空神社というところに奉納します。……他には?」
「後は……お前のことくらいだな。お前には……元気でいて欲しい。俺のことなんて、早く忘れて……いい男を見つけて欲しい」
そんなことを言われて。琴音先輩は、複雑そうな顔で頷いた。
「うん……そうする……」
琴音先輩は、もう限界みたいで。しゃがみ込んで号泣してしまった。
「牧嶋。鷲塚のこと、よろしくな。俺はもう、何も出来ないから。鷲塚は寂しがりやだからさ……暫くでいい、鷲塚の傍に居てやってくれ」
「入学早々、琴音先輩から無理やり部活に引きずり込まれましたから。琴音先輩が卒業するまでは一緒に遊んでますよ」
俺は、彼が最後に琴音先輩を気遣ってくれたことにホッとして。いつまで部活を続けるか考えてもいなかったが、そう言って見せる。
彼は相好を崩した。
「ありがとな。他に頼れる当ても無いから助かる。──っと、なんだか見え辛くなってきたな」
そう言われて。初めて、彼の姿がぼやけてきたことに気付いた。時間切れらしい。
彼の語調から異変に気付いたのか、琴音先輩も顔を上げた。
「──待って!?」
琴音先輩は慌てて手を伸ばすが、触れることは出来ず。彼の体をすり抜けてしまった。
「……死ぬ前に、お前と話が出来てよかったよ……」
現れたときと同様に。唐突に、彼の姿は見えなくなった。辺りもやや暗くなったみたいだ。
「真治さん……」
琴音先輩は、差し出した手を握り締めて。暫く虚空を見つめていた。