05 『知の利』
次の日、彼らは情報をもっと集めることに専念した。
エステストがどのようにして今に至ったのか。その経緯を知ることが大切だと彼らは考えたのだ。
三人はヒトハから、エステストが昔からある宿だという情報をもらった。あとのことは詳しくは知らないのだという。
エステストは町の中心部にある。中心部は南西・北西・東に続く道からなる三叉路になっている。コノハは北西の外れに位置するから、中心部の南東に店を構えるエステストの情報はコノハにあまり入ってこないのだ。その代わりに入ってくるのはエステストから出発する旅人の情報だ。ちなみに市場は三叉路の西側にある。
サクラは市場で情報を集め、カナタとトオルは宿などの聞き込みを兼ねて町の全体像を把握することにした。
「高級肉に勝てる算段なんて、そう簡単に整わないよな」
カナタは独り言ちた。彼は今、三叉路を南西に向かっている。カナタたちがこの町を訪れたときの玄関口がその方面にはある。移動する行商人の数は他の道と比べて最も多い。そのほとんどが王都へ行き来するからだ。この通りはどちらかというと宿が多い。より王都に近いからだろう。
「すみません」
カナタは幾つもある宿からまた一つ選び、扉を開けて中に入る。受け付けの男の人が笑顔で迎えている。髭を携えていて、濃緑の髪は丁寧に整えられている。
「いらっしゃいませ。本日はお泊まりですか」
カナタは申し訳なさそうに、「いえ、お聞きしたいことがありまして」と言う。
宿の多くはお客さんじゃないとなると、「忙しい」とか「冷やかしは帰れ」だとかで話を聞かせてくれない。ひどいところだと「子供の相手なんかしてる時間はない」とか言われる。自然と弱腰になるものだ。
「なんでしょう」
ここの宿は例外のようだ。カナタは懐からメモ帳とペンを取り出す。その顔は少し嬉しそうに見える。
「あそこのおっきい宿屋について聞きたいんですけど」
「エステストさん?」
「はい、それです」
「えっと……何を?」
「昔からエステストさんは高級肉を売ってたんですか」
カナタにとって一番気になるのはここだ。もし売り始めたのがかなり昔からであるのならば、それを承知の上でこの町が動いているという可能性もある。だとすると、そもそもエステストに向けての対策というのはいささか間違いの節もあるかもしれない。もちろんそうであってもこの問題は追求すべきだとカナタは考えているが、やはり情報が足りないことには何もできない。
「ああ、あの『玖』だか『拾』だかの話ね。いや、最初は驚いたよね。まさかそんな高級肉を仕入れてるなんてね。僕も見たことはないんだけどね。ただ、確か昔はそんなことはしてなかったよ。ここ二、三年のことかなあ。昔と比べてお客さんの数が全体的に減っちゃってね。それで気づいたらそんな宣伝しててね」
受け付けの男は饒舌に語った。そして案の定とも言うべきか、やはり高級肉の話はそう遠くない最近の出来事であることが発覚する。
「昔はもっとお客さんが?」
「そうだねえ。一番多かったのは英雄アレスが王になるって決まったときかな。あのときは王を一目見ようと王都を目指す人も多かったしねえ。でもその後はむしろ以前より減ったような感じだね」
アレスが王になったときはそれはそれは一大イベントだった。カナタはおぼろげながら当時のことを覚えている。毎日がお祭り騒ぎで、教会はその役割を休止させたし、兵士たちですら飲み食いに明け暮れるような日々だった。今でもその名残がアイリスには残っている。
「何で減ったんですか」
「うーん。それはちょっとわからないねえ。それまでは何人かで泊まるお客さんが多かったんだけど、今では一人のお客さんのほうが多いからね。ただ、それがなぜ減ったのかという話になると、まったく想像がつかないね」
「なるほど」
「君はなんでそんなことを調べてるんだい?」
受付の男は興味があるのか少しばかり身を乗り出してカナタに尋ねる。この町の住人であれば、この町のことを調べる人間に興味が湧くのも当然だろう。
「この町の役に立てればと思いまして」
「ほーう。どんな風に?」
「それはまだわからないんですけど……」
「そうかそうか。よくわからないけど期待して待ってるよ。君のその調査のおかげでこの町にまた人が増えたとなれば私たちにとってもありがたい話だからね」
その後もカナタは何点か質問をしたが、受付の男は快く答えていた。質問が終わると別れ際には、優しい口調でカナタに手を振った。
「今度はお客さんとしてよろしく頼むよー」
表の道路に出るとカナタは一息吐いた。外は店の中と比べて明らかに暑いのだが、人に話を聞くというのはそれ以上にエネルギーを使って体にまた別な負担がかかる。
「さっき聞いた宿も同じこと言ってたな」
今聞いたこととそれまでに聞けたことの整合性をカナタは確認する。メモには話が聞けた宿一軒一軒の名前が記され、一ページごとにまとめられている。ページをめくりながら、今の話がどれほど信ぴょう性のあるものかをカナタは確認する。 同じような情報が何件もあれば、それはすなわち真実に近いあるいは真実だということ。数の少ない情報は切り捨てるわけではないが、今回の話の大きな武器にはならないだろうとカナタは判断した。
そしてその情報はこの後の何軒かの訪問によって裏付けられた。
他に出た情報でいえば、料理人も腕の立つ人間が集められているということや、店を大きくしたのもおよそ二、三年まえだという情報が確かなもののようだ。おそらく何かの影響があって、そういった店の一新を行ったと推測される。
エステストには地下の祭壇があるだとか、厨房にたどり着くには迷路をかいくぐる必要があるだとかの胡散臭い噂話の類もいくつかあった。信頼に値するかどうかを結論付けるだけの根拠は得られなかったが。
できるだけ多くの宿に確認し、そのうち話を聞かせてくれた宿は少なかったが、中心から南西の端まで聞いて回るのにはとても体力を要した。
その南西の端に到達したカナタは近くにあるはずの大衆食堂に向かう。とうの昔にお昼は過ぎている。人気もあまり多くない。
「いらっしゃい。あれ、この前の」
店員の女性がカナタのことを覚えていたようだ。
「おば……おねえさんこんにちは」
カナタは一瞬戸惑ったが、あの面倒なやり取りを避けたいがために言い換えた。
「はーっはっは。おばさんでいいんだよ。今日のご注文は?」
掻き入れ時を過ぎた食堂は閑散としている。ゆっくり本を読むもの。一杯の飲み物を手に談笑するもの。ただぼーっとするもの。そういった人たちが一部の席を埋めるだけで、慌ただしさもうるささもその欠片すら感じられない。
カナタの持つ袋の中には銀貨が十枚。昼食をトオルと同じ場所で取ることは難しいだろうということで渡されていた。そのすべてを机の上に出してカナタは言う。
「これで、なんか美味しいものをください」
「いち、に……十枚。銀貨十枚だね。ただ今日は特に目新しいものは仕入れてないからねえ。何が一番オススメかねえ……」
店員の女性は机の上の銀貨を数え上げるとあれこれ悩んだ後に、パッと思いついたように言う。
「じゃあこれだけもらって料理はうちの旦那に任せるってのはどうだい」
机の上の銀貨が半分に分けられる。
「五枚でいいんですか」
「どんなのが出てくるかはわからないってことで、おまけだよ」
「いいんですか。こんなに人いないのに」
「なーに気ぃ使ってんだい。うちの店はね、これでも昼間と夕飯時の売り上げはすごいんだよ。子供一人の食事の影響なんてないも同然よ」
「じゃあ、それでお願いします」
「はいよ」
「あ、それと」
「おや、なんだい?」
踵を返そうとした店員の女性を呼び止めて、カナタは尋ねる。
「もし時間があったら聞きたいことがあるんですが」
「大船に乗ったつもりでなんでもお聞き。私ゃ知ってることしか知らないけどね」
大口を開けて笑っている。声量の割に他の客は誰も気にしていない。本を読む男性などまったく意に介さないようにページをめくった。この店の日常が垣間見えるような、そんな昼下がり。
「ちょっと長くなるかもしれないんで、質問は食事のあとで」
「そうかい」
おばさんは不思議そうな目をしたが、「じゃあとりあえずごゆっくり」と言うと厨房に戻って行った。
出された料理はこの地方に伝わる料理だ。米を肉から取ったスープで炊き、半固形のミルクのようなものがかけられた料理だ。ぐちゃぐちゃした見た目は良いとは言えないのかもしれないが、透明のスープや米が白い膜に閉じ込められているような様は一種の美しさも感じさせる。食べてみると美味しく、知らず知らずのうちにすべて平らげていた。
「これ、何て料理だったんですか」
「質問はもう始まってるのかい?」
店員の女性は笑って答えた。
「それはリパットって言ってね、この地方じゃよく食べられる伝統料理なのさ。普通は前日の残り物にお米を入れて作るんだけどね、今日は店で出してるスープを使った一級品だよ」
「かなり美味しかったです。これだけでもやっていけるんじゃないかってくらいに」
「嬉しいこと言ってくれるねえ。でもさすがに一品でやっていけるほどこの町の競争率は甘くないんだよ。それで、質問ってのはなんだい?」
「あ、はい。あの、エステストっていう宿屋についてなんですけど」
「ああはいはい。あの宿ね。あそこの宿はすごいわね。うちも長いこと店をやってるけど高級な肉なんて仕入れたことほとんどないからね。もちろんそこまで高級なものを仕入れる必要がないってのもあるわけだけど、『玖』とか『拾』を売ってくれるところなんてそもそもないからね。ぜーんぶ王都行きだよ。よく手に入れて頑張ってるもんだなあと私ゃ思うよ」
エステストの疑念は広がるばかりだが、そこを突き詰める方法はないこともカナタたちは確認済みだ。
「あそこは二、三年前に改築して、そのころから高級肉を売ってるって」
「まあそれくらいになるだろうね。私ゃそこまではっきりとは覚えてないけどね」
「あの宿屋がそれを始めてからここの売り上げが下がったりとかはしなかったんですか」
「うちかい? うちは全然関係なかったね。もともと宿屋と料理屋ってのはそこまで客層が被らないんだよ。特にうちのお客さんは半分くらいが地元の人だからね」
寝泊りする場所と食事をする場所。その目的は元々違っているのだろう。仮に影響があるとしても、ここの料理の味ならばむしろ高級さとかは関係ないのではないかとカナタは考えていた。
「痛手を受けた宿屋はあるかもしれないねえ。そんな話もよく聞くし」
「そうなんですか」
カナタがすでに知っている一軒――コノハ以外にもたくさんあるのだろう。
「よくここで話してるよ。お客が減っただとかね。エステストの愚痴を言う人も少なくないよ。あんなこと始めなければもっと平和だったのにってね」
「高級肉なんて使わなければ、どこも同じくらい繁盛していたと」
「そうかもしれないねえ。まあ私にゃよくわからないことだけどね。実際この町に来るお客さんも減っているって話だから一概には言えないだろうね」
カナタは遠くを見つめて考えをまとめる。今日聞いたことを頭の中の書庫にしまう。そしてそれが何かしらかの一つの形となるのを待つのだ。
「ありがとうございました」
「いいんだよ。でもなんで急にこんなこと聞いたんだい?」
「理由――ですか」
カナタにとってエステストのやり方が嫌だというのはあるのだろう。カナタの考えではおよそまっとうなやり方ではない。さらに辛そうにしている一つの家族を助けたいという思いもあるのかもしれない。ただ、あえてそれに理由をつけるとしたら――
「なんとなくですね。なんとなく、それをしなくちゃいけない気がするんです。それをしなければ、僕がここに来た意味がないような気がして」
「そうかい。なんか大変なんだね。私にゃよくわからないけど、頑張りなよ。自分で決めたことはやりきるのが漢ってもんだよ」
「はい」
カナタは笑顔で答えた。
「ごちそうさまでした」
「またきなー」
店員の女性の声を背に、カナタは食堂を出た。
南西の道から北西の道まで、心なしか人が増えた。ちょうどリパの町が中継地点としての機能を発揮し始めようとしているのだ。太陽も沈んでいっている。
帰り際に目に入る人はおおよそ一人だ。二人組やそれ以上を見かけることもあるがその数は多いとはいえない。行商人はそのほとんどが一人でいるように見える。もちろん五人だとかの大人数のようなも確認できるがそれは行商人ではないだろう。カナタが持ち得た情報の中に、一人の客が増えたというのがあった。あれは行商人のことを指すのかもしれない。しかし、そうだとすれば昔から一人で訪れているはずであり、客が減っているという現状とは一致しない。
そんなことをカナタは考えていると、いつの間にかコノハに戻っていた。
コノハの戸を開けると程なくしてヒトハが出てくる。ヒトハの「カナタくん、おかえり」の言葉に、カナタはドキッとしてしまう。急な親近感にカナタは驚いた。
「サクは?」
「お母さんの手伝いしてくれてる」
「そっか」
「そういえば、カナタくんたちはなんでうちに泊まろうとしたの?」
その答えは安そうだったからに他ならないが、それをそのまま答えるのはさすがにカナタの両親が痛む。何か別の理由、あるいは言い回しをしなければならないという考えがカナタの頭をめぐる。
「あんまり余計なお金が使えない状況で、高いところに泊まる気はなかったから――かな。なんで?」
「泊まる人の気持ちがわかれば、何かわかるものなんじゃないかなって」
「泊まる人の気持ち、か」
今日カナタが調べたところによると、確かにコノハの宿泊料が他と比べて安いことには間違いはない。ただそれだけで宿を選べるかという考えには、カナタは自信が持てない。料金の高いところに泊まる客がいることはエステストの状況からして確かであるし、カナタたちと同じ境遇のものがどれだけいるのかということを勘案すると、客観的にその結論を出すことはカナタにとって難しい。
「ご、ごめんね。何かわたしにもできることって考えたんだけど、余計だったかな……」
「そんなことないよ。そういう見方も大事にしなくちゃいけないのは間違いないよ」
宿に泊まる人の気持ちはどんな気持ちか。それがわかれば苦労しない。カナタたちならともかく、ここは行商人が多く行き交う町である。彼らの気持ちを知ることはカナタにとって容易ではない。
「行商人の気持ちなんて誰もわからないしなあ」
「そ、そうだよね。ごめんなさい」
「いや、謝ることじゃないよ。ありがとう。参考になるかもしれない」
もう少しゆっくり考えようとカナタは思い、「ちょっと部屋に戻るよ。もう少し考えてみる」と言った。