04 『苦汁』
結論から言えばカナタの予想通りだった。高級肉はどこかが仕入れていたし、それはもしかするとサクラの言っていた宿なのかもしれない。とすれば、明確な違いがもともと存在していたとも考えられる。
一方は『四』とか『伍』の肉を使ってなんとかやっているのに、もう一方では高い肉でその差を明確にしている。しかも『玖』とか『拾』とかの最高級の肉を。そしてそれを手にする手段はカナタにはない。
カナタは「これは仕方ないな」と独り言ちながらも、何かしらの手立てを求めてその建物の近くに足を運ぶことにした。その石造りの建物が一番繁盛している宿と確定したわけではないからだ。それは果たして望みと呼べるのかどうかすら怪しいものだが、カナタはわずかな希望を胸に歩を進めた。
その建物にはエステストと書かれた看板が大きく掲げられている。その建物の大きさは近くで見るとかなりのものだ。コノハがただの一軒家に見えるくらいだ。横にも広いのだがそれ以上に驚くのは高さだ。普通の建物はせいぜい二階建てがいいところだ。しかし、この建物は窓を見る限り五階まではありそうな造りをしている。
入り口の前には人が立っていて呼び込みをしている。手に紙を持って配っている。
「高級肉の夕食が売りのエステスト。ぜひご利用くださーい」
通りがかりの人が紙を受け取ってそのまま通り過ぎる。チラシなのだろう。カナタはさらに近くに寄り、チラシを受け取る。受け取る最中に「ご両親によろしくねー」などと言われる。
受け取った紙には宿泊料などが載っている。もはや宿であることは明白だ。部屋代が小金貨一枚。さらに一人あたり宿泊料として小金貨一枚。大きく書かれているのはやはりあの肉のことだ。朝食と夕食は最高級の肉を使っていてそれが小金貨二枚ずつと書かれている。
ここが一番栄えている宿で間違いない。辺りを見渡してもこれほどまでに大きな建物はなく、およそそうではないかということをカナタは薄々気づいてはいた。しかし、確認するまではあまり信じたくなかったのだ。
そして、この高級肉だ。肉屋にいたとき、肉屋の男が行商人に払っていたのが小金貨四枚くらいだった。それであれだけの量の肉が手に入ると考えると、高級肉というのは相当高い肉だということがうかがえる。
近づいて得た収穫は実のあるものではなかった。
一番栄えている宿は使っている食材が違っていること、それとチラシをもらったことが収穫だ。どちらも情報を得たという意味では前進ではあるが、ある意味では後退だ。手立てを打てる材料にはまったくならないどころか、コノハが繁盛しない裏付けとも言えてしまう。打つ手がない状態にカナタは落ち込んだ。
カナタはどんよりとした気分であったが、それでも空は晴れていた。
旅館に近づくとサクラの声がする。店先でまだ呼び込みをしていたのだろう。
「おかえり。どうだった? 楽しかった?」
「まあ、それなりに」
カナタは沈んでいる自分を悟られないように、「これ、向こうの宿」と言ってチラシをサクラに渡す。
サクラは読みながら「ちょっとちょっと」とカナタに怒り気味に言う。
「最高級の肉って何? あそこには『伍』までしか売ってないじゃない! こんなの嘘じゃない!」
「だけどどうもそれが本当らしいんだ。行商人に話を聞いてみると、あそこの宿は直接最高級の肉を買ってるんだとか。だから間違いじゃないし嘘でもない」
「そんな……そんなのずるいじゃない」
ずるくても現実だ。ここは行商人が行き交う町。『玖』や『拾』くらいのものでなければそれらの人を集める力はないのだろう。『四』や『伍』であれば市場でも手に入るのだから。ましてや高級なものを入手しているところがあるのであればなおさらだ。
「どれどれ」
トオルも後ろから覗き込む。「なるほど」と首を小さく縦に振っている。
「冷静に考えれば、他の宿はなるべくしてこうなってるわけだな。それぞれの宿が努力するしないにかかわらず、何か特徴のある宿があるからそこに人が集まる。特にここは町の外れでもあるから余計に人は集まらない。他の店を利用しようと考えたら不便だからな」
「トッくんはいっつもズバッと言うね」
しかし、それが彼の良いところでもある。明らかとなった状況をきちんと受け入れるためには誰かにはっきりと言ってもらうことも大切だ。特にカナタが今の状況を理解して前に進むためには。
「僕たちにできるだけのことをするしかないね……。あまり手助けにはならなかったかもしれないけれど、明日からは旅の準備をしよう」
カナタには話す言葉が他にない。打つ手立てがないのだ。ここには行商人と特別な繋がりを持つものもいなければ、それを手にする潤沢な資金もない。ただただ格差が存在するだけ。
三人は寂しそうにしながら決意を固めている。そこに店の戸が開けられる音がする。
「三人とも今日もありがとう。今日も夕飯は期待しててね。うちのお母さん料理は本当に得意だから――って、あれ?」
意気消沈している三人を目にするヒトハ。「ううん、なんでもないよ。私も楽しみ」と必死に取り繕うサクラ。
三人を悲しませている一枚の紙きれがヒトハの目に入る。ヒトハは申し訳なさそうに言う。
「なんか、ごめんね。わたしの家のために頑張ってもらっちゃって。あの宿はちょっと格が違うみたいなところあるから仕方ないよ」
ヒトハは三人を慰めた。カナタはその優しさが余計に辛かった。
「さすがに高級なお肉は買えないからね。わたしのところはわたしのところなりに頑張るから大丈夫だよ」
「せめて『陸』があれば多少なんとかなるものなんだけど」
「『陸』でどうにかなるもんなのか」
「もちろん質は一枚落ちるけど、それでも相当高級なお肉よ。それに『陸』には他のランクより多くの固定客がいるっていうのもよく言われてるからね。それはそれで宣伝になると思うの」
その『陸』についてはカナタに記憶がある。『陸』を探しているというような嘘をついていろいろと情報を探っていたのだから。
「そういえば『陸』は小金貨二枚なら売ってやるみたいなことを言われた。高いのか安いのか見当もつかなかったけど」
「市場に売ってたの?」
「いや、行商人に直接聞いたんだ」
「そう……でも、高いわね。小金貨なら一枚が妥当なところ。私の家は『陸』一袋なら銀貨八十枚で仕入れてたわよ」
あらためてロープの男とのことを思い出してカナタは嫌な気持ちになる。エステストが配っていたチラシの食事代を見たときには薄々気づいていたが、相当な値段を提示されていたわけだ。
「一袋ってのは何だ?」
「一袋っていうのは一人前の量に分けられた袋のこと」
「一人前が八十枚ってめちゃくちゃ高えじゃねえか」
「それだけ高級なの。それでもその『陸』が手に入れば、あわよくば『七』とか『八』に一矢報いれるかもね」
「でもそれでは元が取れないだろうな」
「高いものを買わされたらさすがにね。お客さんも『陸』のお客さんは特にお肉に詳しいから、出した料理が高すぎるなんてことではむしろ悪い噂が広がりかねないわ」
「悪い噂は広めてほしくないかな」
ヒトハが申し訳なさそうに言った。
「もちろんそんなことはしないよ。ただ、『陸』があれば『七』とか『八』にも対抗できるかもねってこと」
サクラがさっきから少しずれた言い方をしている。カナタたちが対峙しているのは『七』とか『八』ではなくて、『玖』とか『拾』である。そのことに目を背けているように話すサクラに、カナタは少しだけいらだちを感じてしまう。たとえ『七』か『八』に太刀打ちできたところで、『玖』や『拾』には到底かなわないだろう。
「さっきから『七』や『八』の話をしてるけど、僕たちは『七』とか『八』に対抗しても仕方がないわけだけどね」
「え?」
サクラは驚いた表情を見せ、チラシを確認する。小さな声で書かれていることを読み、その内容をもう一度汲み取っている。
そして再びカナタのほうを見て言う。
「最高級の肉って『七』とか『八』のことじゃないの?」
「サクだって言ってただろ、十段階あるって」
「いや、そういうことじゃなくて、小金貨二枚の夕食なんてせいぜい『八』止まりの金額よ。正直『八』にしては高いけどね。その金額で『玖』とか『拾』が食べられるなら誰だって喜んで行くわ」
「だからたくさんの人が行っているわけだな」
トオルはまとめるようにそう言った。
「本当に『玖』とか『拾』なの?」
「でも現にそういう風に……確かに書いてはないか」
チラシには書いてはないが、ロープの男は確かに『玖』と『拾』を売ったと言っていた。
カナタはヒトハを見た。この町のことをこの中で最もよく知っているはずだ。彼女ならばそのことについて何か知っているだろう。
「わたしはよく知らないけど、町の人たちはみんな『玖』と『拾』を出してるって噂してるよ。わたしが市場で買い物をしてたときも『『玖』と『拾』はあの宿にしか売ってない』ってのを聞いたことあるし」
「そんなに安くないはずよ、仮に『玖』だったとしてもね」
「お店の努力みたいなもんじゃなくてか」
「そんな安値で手に入れられるとは全く思えないわ。例えば『玖』でも私の家ではたまに小金貨三枚で手に入るかどうかよ」
カナタは何かを掴めそうなことに気が付く。
「ヒトハさん、『『玖』と『拾』はあの宿にしか売ってない』って言ってた人のこと覚えてる?」
「ごめんね。顔とかはあんまり覚えてないかな。ロープを着ててよくわからなかった気がするの」
「ロープ……」
カナタは一つの仮説を立てる。今までのことを想像しながら。
ロープの男は『玖』と『拾』を売ったと言っていた。
そしてそれはロープの男の言葉を頼りに広まっている噂でもある。
あの宿は最高級の肉を小金貨二枚で提供している。
しかし『玖』の価値ですら小金貨三枚は下らないだろうということ。
ロープの男は小金貨二枚なら『陸』をすぐに売ると言った。
『陸』の価値はせいぜい小金貨一枚だということ。
これらのことに辻褄が合う仮説があるとすれば――
「サク、僕は肉のことをあまり知らない。だけど、もしかすると『七』から『拾』までに味の違いはあんまりないんじゃないか」
サクラは驚きながら答える。
「そうだけど、なんでわかったの? 『陸』と『七』の間には明確な違いがあるけれど、『七』と『八』はほとんど差がないし、『玖』と『拾』に至っては部位の希少性の問題なの。だからたまにしか手に入れることができない。あまり流通量が多くないから」
カナタは納得する。「そういうことだったのか」と言いながら。
「これはあくまで僕の仮説であって証拠は一切ない」
カナタはそう前置きをしながら続ける。
「僕はさっきロープの男に会った。そして高級肉の話をした。その男とヒトハさんが見た人が同じかはわからない。ただ確かにその男は『玖』と『拾』を売ったと言っていた。ただ、僕が思うに――これはおそらく嘘だ」
トオルは「それで?」と催促する。サクラとヒトハは無言で話を聞いている。
「売ったのはおそらく『七』、良くても『八』だ。これらならば小金貨二枚で食事を出せば十分に利益が出る。味の似ている『七』や『八』ならば『玖』や『拾』を出していると錯覚させることができる」
「ちょっと待てカナタ。好意的に見れば行商人が安く売った可能性もある。それで赤字覚悟で何とかやりくりしているという可能性も」
「トッくんはどっちの味方なのよ」
「俺らの思い過ごしということにはなりたくないだけだ」
二人の会話が止むのを待ってカナタは再び話し始める。
「僕はそのロープの男に小金貨二枚なら『陸』を売ると言われた。僕には価値がわからなかったけれど、さっきのサクの言葉からあからさまな暴利だ。あの男がそんな高級な肉を安く売るような人間だとは残念ながら思えない。むしろ、『七』ですら普通より高く売っている可能性すらあると考えた。例えば――そう、逆にその男が『七』を『玖』や『拾』と騙って売ろうと持ち掛けたんじゃないだろうか。そうとすら考えられるし、辻褄も合う」
「ランクを騙ることはそれだけで本来は罪よ。確かに多少の目利きのミスがあるから見逃される部分もあるけれど、『玖』と『拾』を常に騙っているとすれば悪質で専門の機関の調査が入るはずだわ」
「うーん……。カナタ、証拠は?」
「最初に言ったけど、残念ながら」
「あくまで仮説というわけだな」
トオルは頭をポリポリ掻きながら言う。
この説には証拠がないのだ。だからあくまで仮説でしかない。
「カナタはそれをどうやって確かめて、誰にどう報告するんだ?」
「偽っているかどうかはサクラに食べてもらえば確かめられるはずだ。報告は、さっきサクラが言っていたように専門の機関に調査してもらえばいい」
「よしんばそれがわかっていたとして、それはできることなのか。あるいは誰かに報告して信じてもらえるのか」
「……!」
「正直、私も調理された状態で出されてしまったら『拾』だとかを見分けることは難しいかな。絶対にできるとはちょっと言えない」
「ということは、だ。どんなにこちらが辻褄の合う仮説を立てようと、確かめることもできなければ報告することもできない。そもそも子供の報告に信ぴょう性も何もないと思われてしまうだろう」
「ただ、私があの宿に侵入すれば確かめられるわよ。使っているものが本当に高いものなのかを。一つも手をつけられていない調理する前の状態なら見分けられる」
「仮に確かめられたとして、どうやって報告するんだ? 侵入して確認しました、と?」
「でもそうしたら……それってなんかずるいじゃない」
「普通は泣き寝入りするしかないだろうな」
状況が異常である可能性は十分にあるのに何もできない。しかも手が届きそうなところまでわかっているのに明らかにすることもできない。ここまで来て最後の一歩を進めることができない。
悲し気に目が泳ぐ。カナタも、サクラも、ヒトハも。
「普通は――な」
トオルがあっけらかんと言った。
「でも俺らは普通とは違う。魔法使いの天才と、鍛冶屋の息子、料理人の卵、それとこの町の旅館の娘。普通とは思えない組み合わせがそろっている」
自信満々にこの状況を説明するトオルにカナタは期待して言葉を投げかける。
「何か方法が?」
「方法? そんなものはない」
「え?」
「それが思いついてんのなら今発表してるよ」
「何よそれ。結局トッくんだって打つ手立てがないんじゃない」
「だから考えるんだよ。俺とサクラの専門的な知識。カナタの知恵。ヒトハの知っていること。きっといい考えが思い付くと思うぜ」
「時間がかかるかもな」
「大丈夫だ。何の問題もない。時間ならまだまだあるんだからな」
しばらくの沈黙が続いた。
カナタはトオルの言葉から伝わる覚悟を汲み取ると、みんなに目を合わせた。その決意を伝えるために。
「まだ始まったばかりだし、やれることが他にもあるかもしれない。あきらめるにはまだ少し早かったかもしれない」
全員がそれぞれを鼓舞するように頷いた。
それは町へのしばらくの滞在が決まった瞬間でもあったし、本当の意味で旅館が立て直しの一歩目を踏み出した瞬間でもあった。
ヒトハが不安そうに感謝する。
「なんかわたしたちのために、ごめんね」
「ヒーちゃん。謝られるより『ありがとう』のほうが嬉しいかな」
「うん。そうだね。ごめんね」
「俺は知ってるぜ。こうなったときに一番強いのが誰かをな」
トオルはカナタを見る。
「どうせ問題が面倒になってむしろわくわくしてるんだろ?」
「どうだかな」
カナタは否定しなかった。
カナタたちに足りなかったのは、辛さを受け入れる覚悟だ。心のどこかで簡単に解決できるんじゃないかとか、問題を解決すれば終わりだと考えていた。
問題は簡単ではないし、解決ができない。それでも前に進まなければならない。
そんなことが世の中にはあるのだと彼は知った。