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彼が魔王になった理由  作者: 真
第二話 踏み出す一歩
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20 『それぞれの報い』

 そこからはどちらからというわけではなかったが、殴り合いが始まった。どちらも筋肉を携えた男ばかり。その一撃一撃は重い。血の気が多いからか、顔に、腹に、胸に、拳がぶつかっていくのが幾つも目に入る。しかし、それでも男たちは倒れない。両者とも体力の限りを尽くすかのように死闘を広げている。


「シップ」


 ブラックがそう呼ぶと、一人の男が反応する。その男も背丈が高く、ブラックほどではないにしろ体格がいい。


「お前はそこのガキ二人を遊んでやれ。俺はこいつをやる」


「なんだよ俺はガキの子守かよ」


「その代わり二人相手にしてやれ。二人相手なら少しくらいは楽しませてくれるはずだ」


「そっか、そこのおじさんが俺の相手をしてくれるわけだ」


 トオルは挑発するように言った。

 シップと呼ばれた男はトオルのほうを見ながらブラックに報告するように言う。


「このガキ、なんか粋がってますよ。いいですよ、俺が相手します」


 シップは手をポキポキ鳴らしてトオルを威嚇する。カナタには少し恐ろしい光景に感じられたが、トオルはとても冷静なようで、そんな安っぽい挑発を冷めた目で見ている。


「カナタは下がってていいよ。俺がやる」


 カナタは自分が何もできないことを少し悔しく感じていたが、自分が争いに巻き込まれることがなくて安心した部分も少なからずあった。正直なところどう考えても彼の敵うような相手ではないのだ。もし二人がかりで闘うとなれば、カナタがトオルの足を引っ張る可能性すらある。そして自分が少し安心しているのを感じて、カナタは少しだけ自己嫌悪をした。

 シップはトオルの小さな挑発に怒りを抑えるようにして笑う。そして挑発するように罵る。


「はあ? お前何言ってんだよ。まさか一人でこの俺とやるってんのか。舐めるのも大概にしろよな。お前と俺で、俺が負けるわけがないだろっての」


 シップの笑いはいつしか大きくなり、ブラックも鼻で笑っている。ブラックはそれでもお手並み拝見といった表情でトオルを見ている。油断だとか隙だとか、そういうものが彼にはない。


「まずは力の差をわからせてやるよ。ほら来い。一発殴ってみろよ」


 シップは無防備にその五体をトオルに向ける。


「そう? じゃあお言葉に甘えて……」


 時間にして一秒足らず。二人の距離は少し離れていたはずだ。それなのにそのわずかな時間で、トオルはシップの腹に一撃を食らわした。シップの顔は嘲笑から驚きに変わろうとしていた。しかし、変わるまでもなく瞬時に決められた一撃に、今度は苦痛に歪む。その衝撃で、シップは唾液とも胃液ともわからぬ液体を口から吐き出す。

 見るからに魔法を使っての一撃だった。どういった魔法を使ってその速さを成しているのかはカナタには想像がつかないが、傍から見て十分な力量差があるようにも感じられた。

 トオルは間合いを取るようにしてシップから離れた。そして一息ついてブラックを見据える。

 ブラックは一連の動作を眺めて言った。


「なるほど。そういうことか」


 ブラックは何かを理解したような顔を見せる。そしてシップのもとに近づいて吐き捨てるように言う。


「しかしまるでゴミだな。油断していなければ大した威力でもなかっただろうに」


 シップは先の一撃で言葉が出せるほどの余裕はとうに失われている。何も口に出せないまま、苦痛の表情でブラックを見る。


「悪いが俺はガキに負けるようなやつに興味はない」


 ブラックはそう言ってシップの顔を蹴りつける。顔が苦痛とはまた別の歪み方をする。シップは後方に蹴り飛ばされ、うずくまりながら痛みに耐えている。


「さて、俺も始めるか」


 ブラックがトオルのほうに振り向くと、二人の目線が合い、そこに無言の緊張が走る。

 しかし、それを遮るように一人の男が歩み寄り、トオルの前に立つ。ブラックは邪魔だとでも言わん表情でその男を睨む。その男の表情は険しく、しかしその佇まいは剛健そのもの。口から放たれた言葉は威厳に溢れているようにも思われる。


「ここは俺にやらせてくれ」


 トオルの前に立つリクがそう言った。トオルはカナタと目を合わせると、カナタが一つ頷く。その意味を理解してか、トオルが仕方ないといった表情でカナタに近寄る。

 もともとこの争いは外部の人間が手を出す問題ではない。そのことを二人は十分承知しているはずだ。もちろんその点で考えても、すでに二人は完全な外部というわけではなくなったのだが、それでも可能な限りは本当の意味での内部の人間が争うべきだ。

 トオルがカナタに小声で話しかける。


「負けたらどうすんだよ? 俺はもう大義だとかを考えずに、二対一でも三対一でも戦うべきだと思うぞ。サクラの危険を天秤にはかけられない。悠長なことは言ってられないと思う」


「それは確かにその通りだ。ただ、僕ら二人の目的はあくまでサクを取り戻すことだ。その意味ではブラックと僕らが争う理由はない」


「言ってる意味がわかんねーよ。倒さなければ助けられない。そうだろ?」


「僕が考えるに、おそらく最善はそうじゃない。トオルにはサクを探してきてほしい。たぶんこの集落のどこかにいるはずだ。僕らの目的はそれで達成できる」


 トオルは少しの間無言で考えていたかと思うと、カナタの言葉に納得したようで、身に纏っていた緊張感のようなものがトオルから消える。そして少しだけ優しい目に戻って言う。


「わかった。俺にとっては少し不完全燃焼な気もするけど、確かにそれが一番いいかもしれない」


 トオルはこういった点で心の調整が上手い。自分の感情に振り回されず、およそどんなときでも冷静に物事を判断できる。カナタはトオルにはまったく敵わないとつくづく思わされている。そしてこれからもそうだろうとも。それは劣等感とかそういった自分を卑下するような感情ではなく、単純で純粋な尊敬であり、カナタなりの目標でもある。

 トオルが瞬時に動き始めて集落のほうに駆ける。ブラックは一瞬それに目を遣るも、すぐにリクを正視し直す。

 ブラックは静かにリクに尋ねる。


「なぜ急にこんなことを始めた」


「急だと? 前々から思ってるやつは多かった。それが形になって表れただけだ」


「勝算があって来たのか」


 その問いかけにリクが答えることはなかった。

 ブラックはちらりとカナタを見た。


「そこのガキかさっきのガキに唆されたとか、そのあたりか」


「話が長いな。俺はお前を説得しに来たわけじゃない。そんなことは到底できるとは思えないし、そうするつもりも毛頭ない。お前を倒さなければこの町は変われない」


 ブラックは鼻で笑った。そして確かな意志でリクの目を見る。


「まあいい。お前たちを倒せば結果は同じだ」


 ブラックが闘う意思を見せ始める。ゆっくり腰を落とし、構える。一分の隙も無いその姿勢に、微動だにしない体。体の使い方をブラックは知っている。そう思うには十分の重みをその構えに感じる。リクはすでに構えており、両者の間に緊張が走る。

 最初に仕掛けたのはリクだったが、その拳はことごとく避けられてしまう。どの角度から攻めてもかすりもしない。不意をついて右足で蹴りつけるも、左腕に防がれる。


「なかなか重い一撃だ。だがまだ本気じゃない」


 そう言うと今度はブラックの番だった。伸びてくるような右の一撃を弾くようにしてリクは防ぐ。その後も続けざまに重く速い一撃が繰り返される。少しずつではあるが、ジリジリとリクは後退してしまう。ブラックが一呼吸をおこうと思った隙にリクは反撃を試みたが、やはり上手く防がれてしまう。

 その後はどちらともなく一撃を食らわそうとしていた。

 リクの右手がブラックの左腕に防がれては、ブラックの右手をリクの左腕が防ぐ。繰り出された蹴りをかわして入れようとする一撃もきっちり避けられてしまう。一進一退どころか、どちらも進めずどちらも退かない、そんな攻防がしばらく続いた。

 最初はリクが劣勢のようだったが、今ではほぼ互角の動きを見せている。その点だけを見れば五分五分の闘いのように見える。

 しかし、最初に攻撃を決めたのはブラックだった。頭部を狙う右足を防ごうとしたリクの視界が狭くなり、その隙をついて脇腹にブラックの右の拳が入ったのだ。右足はまったくのフェイントで、陽動された左腕の隙をつかれた形だ。経験というものに関してはブラックのほうが上なのかもしれない。ブラックはどうだとでも言うかのようにニヤリと笑みを浮かべた。

 よろめきながら少し下がるリクだったが、ブラックが命中させることに照準を絞っていたのか、カナタの目には思ったほどのダメージを受けていないようにも映った。

 そしてしばらく両者とも無言だった。息を整えて次の瞬間に備えている。

 ほとんどの殴打や蹴撃は有効ではなく、空を切るものも少なくない。その中で何が有効であるのかを見つけられなければどちらにも勝ち目が薄い。フェイントが有効なようには見えたが、何度も同じ手にかかるほどリクも愚かではなかった。だからこそ勝ち目を見い出すことがこの二人には急務であるはずだったし、そうしなければならないはずだった。

 しかし、それでもリクは攻めることを続けた。何か有効なものを見つけたのかどうか、それを他人が知る由はない。ただただ何かしらかの攻撃が繰り返される。

 当然ながら、繰り出される連打連撃そのすべてはブラックにうまく対処されていく。それでも攻めることをリクは止めない。ブラックがそれに呼応するようにしてひねり出す反撃に注意しつつも、それでも続ける。

 二人はしばらく動き続けた。カナタが目を休ませる暇もないほど緊迫した中で。

 それは五分も経たなかったかもしれない。しかしとてもとても長く感じるような時間だった。

 そして突然、今度はリクの右拳がブラックの腹を捉える。ブラックが少し苦しそうな表情をして膝から崩れる。彼の息は荒くなっている。五分近く殴り合えばそうなるのは自然だ。リクのほうも息は荒く、その息を整えながら崩れているブラックに言う。


「立てよ。中途半端で終わらせたくない」


「もう勝った気か」


 ブラックはイラついた表情で拳を握りしめる。少し癇に障る言葉だったのだろう。そして続けてブラックは言った。


「一つ聞かせてくれ。お前はこの町を元に戻してどうする」


「どうする? 正しい状態に戻すんだよ」


「戻してどうする。この町はまるで廃村のような状況だ」


「だから何だ」


「この町で暮らしていくには圧倒的に足らないものがある。わかるだろう?」


 リクは厳しく睨んだままブラックの話を聞いている。


「金だよ金。金がなければ何もできないんだよ。この町の稼ぎだけでは俺には金が足らないんだ。お前だっていい生活を送りたいだろう?」


「誰かを犠牲にしてまで得たいとは思わないな」


「お前は理屈っぽいんだな。俺はいい生活がしたいんだよ」


「お前にそうさせないために俺はここに来た」


「俺はここでいい暮らしをしてきた。何不自由なくな。それはそれは幸せだったさ。あんな鉱山で汗水垂らして働いて、その結果があれだ。人間は必要がなくなったら捨てられるんだよ。だから俺は捨てられる側にはならないと誓った。そのためには捨てる側にならないといけない。わかるか」


「何が言いたい?」


 ブラックがリクの目をまっすぐ見つめる。


「俺の下に付けよ。そうすればお前もいい思いができる。どうだ?」


「くどい」


「交渉は不成立か」


 嘲笑しながらブラックは答えた。荒れていた息遣いはそこになく、いつの間にかブラックの息が整っている。そして立ち上がるといきなりリクに向かって走り出し、その勢いに任せて襲い掛かる。奇襲だ。ブラックの目がリクに照準を合わせる。ニヤリと不気味な笑みを浮かべながら。


「こっちもお前なんざ願い下げだね。このまま体力勝負に持ち込んでいれば勝てたかもしれなかったものを残念だったなあああああ」


 力強く放たれる言葉とともにブラックが拳を開くと、握られていた砂が宙に躍り出てくる。その一連の流れを傍から見ていたカナタは砂が投げられる寸前に言葉を発した。


「目潰しだ。危ない!」


 リクは咄嗟に目をつぶったものの、しかしながらそのせいでリクの視界は遮られた。

 ブラックはその笑みを大きくさせて、全身の力を一つのことに集中させる。右手を大きく振りかぶると、その矛先はリクの顔面に向けられる。速さも重みも圧倒的であるその一撃は、おそらく耐えられるはずがない。カナタは敗北を覚悟し、何もできない自分の非力さを嘆いた。


 しかしその一撃はリクの顔を捉えられない。


 左下方へ重心を移して体勢の低くなったリクは、その一撃をかすらせるようにしてやりきる。

 ブラックの一撃は、彼の意思に反して無情にも空を切る。

 そして、その代わりの一撃が直撃する。ブラックの腕を交差するようにして、リクの右の拳が、ブラックの顔面を捉えたのだ。ブラックの持っていた勢いも相まって、一撃をもらった彼の体はしばし宙に浮き、直後に背中からその場に落ちて倒れる。しばらくブラックはそのままの体勢で、起き上がる気配すらない。もはや意識はないかもしれない。

 顔に付いた砂を払ってリクは目を開き、一撃を与えた拳を握ったり開いたりさせる。その手が彼を打ち負かしたんだということを確認するように。

 そして倒れているブラックを見下ろして言う。


「目をつぶらせたことでお前は油断したんだ。たとえ目の前が見えていなくても、俺にはお前の動きが手に取るようにわかったよ」


 ブラックが敗れたことが鉱員の間に少しずつ少しずつ伝わっていく。一人また一人と、動きを止めるものが増えていく。その反応は両極端だ。失われたものを再び手にすることのできる嬉しさと、手にしていたものを失う絶望。天国と地獄が併存する場所にも思えるほどのおかしな場所にカナタは出くわした。膝から崩れ落ちるものの傍らには健闘を称えて抱きしめあうものがいるのだ。

 カナタは彼らを見て喜んでいた。正しいものが正しい場所に帰っていくことは当然のことであり、それが達成できたことは彼にとって誇らしかった。今まで苦しんできた無表情の人たちに幾らかの笑顔が見られるようになったことは、この争いで得ることのできた最高の褒美の一つとも言えるだろう。

 しかしそれと同時に、誰かが何かを手にすると誰かが何かを失うのだということをその目で理解してしまった。この帰結は当然のことであり、ブラック側に同情の余地は皆無だ。それでもカナタはどこか心の片隅で悲しみに似た何かを感じた。それはきっと、リパの町でも感じていたものだったのかもしれないが、この一件でそれが気になるようにもなった。小さいながらも覚えるその感情が何なのか、カナタはまだよく理解できていない。ただ、それがどんなものかを知ることは今はどうでもいいことでもあった。この決着の喜びが、それ以上に上回っていたのだから。


 ブラックの下についていたものはもう抵抗はしなかった。ブラックが敗北したということが大きな事実としてのしかかったのだろう。従っていた相手を上回る人間が現れたことは、従うべき対象が変わったことを意味していたのかもしれない。彼らは縄で縛られて完全に抵抗できないようにされている。その処罰をどうするかは、カナタの足を踏み入れるところではない。おそらく町の住人がきちんとした判断をするところだろう。

 辺りが暗くなる頃には集落の女性を解放することに成功した。それから数時間かかってすべての人が解放され、その頃には当然夜も更けていた。黄金色に輝いていた麦畑も今では静けさで包まれている。穂の擦れる音が優しく耳に流れ込む。

 サクラももちろん解放された。町を歩いているところを捕まったようで、住人と勘違いされたのか無差別にさらったのかは定かではない。しかしながらひとまず無事だったことが二人にとって何よりのことで、それ以上深く追究する必要はなかった。


 三人が揃って町に戻ると、いつもとの大きな違いに驚いた。町が明るいのだ。夜も更けて来たこの時間にも関わらず、町はまだ眠る様子はない。至る所で火が灯され、この勝利が祝福されている。これでもかと言わんばかりに人々も家の外に出ているようで、その騒がしさはこれまでのディーモからはまったく想像がつかないものだ。リパの町を想像させるような騒がしさに、カナタは、どこにいっても人は変わらないものだなとも感じた。

 その祭りのような状態を幾らか楽しむと、三人はそれぞれが疲弊している状態だったからか、倒れるように眠りについた。


 そしてディーモの町の夜が明けた。

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