17 『管制』
ディーモの町に来て三日目。この日もトオルは鉱山へ仕事に出かけた。仕事自体は難しくないようで、魔法の力をうまく使うことで採掘は滞りなくできていると彼は言っていた。
一方、今日こそは町で情報を得るという使命感がカナタにはあった。もちろんサクラにもその気持ちはあるのだろうが、彼女には料理を作るという貢献がある分、カナタはより一層強いものを感じていた。
「今日は何かいい情報が手に入るといいけど」
家を出るとカナタはそう言った。サクラは「そうだね」と同意した。
今日も町は相変わらず静かで、人の騒ぎ声はほとんどない。歩いている人が大声で会話しているのを見かけたが、おそらく数多くない来訪者の一組であろうとカナタは考えていた。笑顔をしていたからだ。
「リパの町とは違って静かだ。人っ子一人もいないみたいに。もちろん実際に人がいないわけではないけれど、それくらい静かに感じる」
「ほんと静かな町だね。普通こんな静かなことなんてあり得ないよね」
「それもこれも表情がないせいなのかな」
カナタはこれまでに会った人を思い出す。宿屋、鍛冶屋、料理屋、食料店。どの店員を見ても表情一つ変えなかった。何か大切なものを失っているような、あるいは奪われてしまったかのような無表情。それはある種狂気でもある。
「普通は子どもが騒ぎ立てるものだけれど、この町では子どもすら無表情だからね」
ミナトが無表情だったことが彼らに与えた精神的な衝撃は大きかった。子どもですら静かになってしまう状況に、カナタは一種の同情のような気持ちを感じずにはいられなかった。
「それで、本日のご予定は?」
「もちろん誰かから話を聞きたいんだけど、誰に聞くべきかってところだね」
「食料店のおばさんは?」
食料店の女性に聞くという選択肢はありだ。昨日カナタたちが寄ったときに相手をしてくれた女性で、今までに話を聞いてきた相手とは性別が違うという点で、別の情報が得られそうでもある。
「じゃあ、ひとまずはその人に聞こう」
食料店は初日に泊まった宿の、もう少し山側にある。扱っているものは、ディーモ産の麦に始まり、野菜、麦以外の穀物、一部の鉱石なども並べられている。昨夜サクラが使用したような料理に使う類の鉱石が並べられているのだろう。町の外から輸入している商品もあるようで、寒い地方とはいえどある程度の種類が揃っている。リパの町や王都アイリスと比べて劣っているのは致し方ないというところだろう。
「あのー、すみません」
サクラが店の中へ声をかけると、昨夜と同じ中年の女性が現れた。
「あら、今日も何か御用?」
目元が優しいせいか、あるいは女性だからか、柔らかい口調の印象を受ける。おっとりとした話し方で、母性のようなものを感じる。やはり表情は明るくないのだが、それでも鍛冶屋や宿屋の男性と比べれば多少なりとも感情の表れを感じる。あるいはカナタたちが町の人間ではないから対外的な対応なのかもしれない。
「今日はちょっと聞きたいことがあるんです」
「何かしら。答えられることだといいのだけれど」
「すごく聞きづらいことなんですけど……あのー……」
サクラは戸惑いを見せている。どう聞けば良いのかがわからないのだろう。無表情の町の人に、なぜ無表情なんですかなどという問いかけはどう考えても良い質問ではない。カナタは言葉を選びつつサクラの代わりに尋ねる。
「町の人の表情があんまり明るくない気がして、何かあったんですか」
中年の女性はカナタのほうを見る。しばらく黙ったあと、女性は静かに答える。
「そうねえ。何もなかった――というわけではないわね。でも、あなたたちに話をしてもどうこうなる話ではないと思うの」
彼女は答えてくれない。答えたくないという印象ではなく、答えても本当に仕方のないことだと諦めているような印象だ。
「アイリスと何か関係があるんですか」
「アイリス? ああ、王都のことね。それとはたぶん関係ないと思うけど……まったく関係ないというわけでもないのかもしれないわね」
お茶を濁すような言葉に、カナタたちはその要領を掴めない。アイリスが関係ないのか、関係あるのかすらはっきりとしない。
「それにそういった話は私の答える話ではないわね。町の東側に行けばゼフさんの家があるわ。もし聞きたいのだったらそこで話を聞いてみるといいんじゃないかしら」
「ゼフさん?」
「ええ。ゼフさんはお知りでないの?」
「ええと……」
二人とも一度も耳にしたことのない名前に少しばかり困惑した。この町でかなり有名な人なのかもしれない。
「ゼフさんはこの町を治めている方で、町長をなさっているわ。もうすぐ六十は越えたかしら。そこに行けば話してくれるかもしれないわね」
カナタとサクラは目を合わせると二人とも頷く。
「じゃあそこに行ってみます。町の東側ですね?」
店員は「そうよ」と答えた。長居をするわけにもいかないカナタたちは、一つ挨拶をして店を出ると、町の東側を目指した。
町の東側に行くには橋を渡る必要がある。この町ならではともいえる石の橋は町の中央に大きく架かり、住民の行き来を支えている。
東側に着くと、そこは西側よりもさらに閑散としている。住人のほとんどが鉱山の仕事をしているのかもしれない。そう思ってしまうほど人が少ない。
数少ない通行人に町長の家を教えてもらった二人は、その場所を目指して歩く。
町のやや北東にある家がゼフの居場所だ。「すみません」と少し大きな声で訪ねると、迎えてくれたのは年老いた女性で、どうやらゼフの妻のようだった。
「あらあら、どちら様でしょうか」
ゆっくりとした声で二人は尋ねられる。元は染まっていたであろう白髪がふわりと盛られている。年齢を感じさせるのは白髪だけではなく、顔や手のしわからも伝わってくる。
「ゼフさんにお話をうかがいに来たのですけど」
「あら、そうなの?」
老婦人が「ゼフ、ゼフ」と何回か呼んでみるものの、部屋の中から応じる声はない。「今呼んでくるので、あちらでお待ちになってください」と言うと、老婦人は部屋の奥へと繋がるドアを開けて入って行った。
二人は椅子に腰かけた。椅子の座面に動物の毛か何かが詰められているものだ。
しばらく待つと、奥の扉が開けられて老人が現れる。おそらく彼がゼフだろう。老婦人同様の白髪に、誇張しすぎない程度に蓄えられた白髭。杖を突いているものの、足取りは重くない。
「どうも。私を訪ねてきた方というのはあなた方ですかな?」
二人はすぐに立ち上がると頭を下げる。
「僕はカナタと言います。こっちはサクラです」
サクラはもう一度軽く会釈する。
ゼフの佇まいを目にするだけではとてもこの町の長とは思えない。もし町長だということを知らずに町で会っていれば、カナタは彼のことを何とも思わないだろう。あるいは、すでに会っていた可能性すらある。
「お座りください。ご用件は何ですかな?」
ゼフが椅子に腰を下ろすと、二人も続いて座った。
「僕たちはおとといこの町に来ました。自然が多い町でとても素敵なところだと思ったのですが、一点だけ気になることがあります」
カナタが話を続ける前にゼフは口を開いた。
「それは町のものの表情に関わる話ですかな?」
「……そうです」
話がすぐに通じたようだ。この町で一点の気になることといえばたいていはそう思うのかもしれない。
「しかし気になると言われましても、これはおそらく解決のしようがない問題なのです。また以前のようにこの町が栄えていけば話は変わるのでしょうが、現状ではその兆しはほとんど見られない。この町はいずれ廃れていきます。今はちょうどその過渡期なのです」
「廃れる?」
言葉の意味を理解しかねたカナタが聞き返した。廃れるというのはとても穏やかではない話だ。
「この町はどんな町だかご存知ですかな?」
「鉱山の町と聞いています」
ディーモは鉱山の町として有名だ。カナタはその話をトオルから聞いていたし、この数日間でそういう町であることを少しは経験していた。
「この町は昔から山で取れるものを採取して栄えてきました。その最たる例が鉱石です。鉱石はいろいろなものに使われていて、今ではその恩恵にあずからないほうが難しいでしょう。しかし、昔ほど必要がなくなったのもまた事実なのです」
ゼフは昔を思い出しているのか、何かを考えながら語っているようだ。
「当時はとても多くの鉱石が必要でした。人は魔物と対等以上に渡り合うために、様々な武具を作ったのです。そこに鉱石は欠かせませんでした。町は鉱石を採掘する多くの人や、鉱石を売り渡る行商人であふれました。当時は人であふれていたので魔物が町の近くをうろついていても大勢で町を守れたものです。そういえばきちんとした自警団もありました。そんな栄えていたこの町はもうここにはありません。時に、お二方はどちらからおいでですかな?」
アイリスという言葉を口にしかけたカナタは、この町にアイリスを嫌う人がいることを思い出して、別の言い方に変えて言った。
「西のほうから来ました」
「それでは、王都アイリスには行かれましたかな?」
「はい」
嘘は言っていないはずだとカナタは自分に言い聞かせる。
「王都が襲撃されたという話は本当で?」
「本当だと思います」
「なるほど……。今この町が一時的に活気を取り戻しつつあるのはそのためです。おそらくまた鉱石が必要となってきたのでしょう。しかしそれも一時的なもの。いずれ必要な量が集まればまたひっそりとした町に戻ってしまいますよ」
カナタはアイリスを嫌っているという理由が少しだけわかった気がした。アイリスの需要に振り回されているこの町の住人がそう思っても不思議ではないだろう。
「昔の話をしてしまいましたな。ところで、何の話でしたかな?」
この町がとても複雑な気持ちの上で成り立っていることをカナタは理解した。平和になることはいいことであるのに、その傍らでは振り回される人たちもいるのだ。
そして、昔の話を聞かせてもらった二人だったが、肝心な内容は何一つわかっていない。なぜこの町の住人が無表情なのか。その答えについてはまだわかっていない。
「表情の話です」
「そうでした、そうでした。うーん、しかし……」
住人の誰しもが話をしたがらない内容に、カナタは踏み入れてはいけないものなのかと悩んでしまう。
ゼフは悩みながらも言葉を続ける。
「この町の出来事をお二人に話しても、何も変わらないと思うのです。おそらくあまりお気になさらずに次の町を目指されたほうが良いかと」
食料店の女性に続いて町長までもが語っても仕方がないといった素振りを見せる。
しばしの無言の後、カナタは今一度確認をする。
「どうしても、教えてもらえませんか」
ゼフは少しの間黙ると、確認するようにカナタたちに言う。
「なぜ、そこまでこの町にこだわるのですか」
「なぜ?」
カナタはどう答えるべきか思案した。確かに笑顔がない原因を知りたいという気持ちはある。しかし、ここまで快い返事をもらえない現状で、その原因を暴こうとするほど大切なことかと聞かれれば、そこに疑問が湧くのも確かだ。
しかし、そう考えているうちに、サクラの声がする。
「みんなに笑顔になってもらいたいんです。絶対にそのほうがいいはずだから」
「ふむ……」
ゼフはため息をついて、しばらく話さなかった。何かを考えているようだった。
「……わかりました。あまり良い話ではありませんが、少し話しましょう」
ゼフはそう忠告すると、カナタとサクラは「はい」と返事をした。
その声を聞いたゼフはカナタたちに語り始める。
「この町には昔、自警団というものがありました。いや、正確にはまだあるというべきですな。彼らは町の近くに魔物が現れたとき、率先して退治に向かってくれて、町の大事な役割の一つでした。自警団は町の住人と王都アイリスから派遣された騎士がその役割を担い、例えば鉱山で働く屈強な男たちはその中心に立って良く働いてくれました。あの頃はすべてがうまく循環していてました。町が栄えていたころには何の問題もなかったのです。ただ、数年前から話は変わりました。町を守る必要がなくなった騎士がまずこの町を離れました。騎士がいなくなると、鉱員たちは町を守るという役割を忘れて荒れ始めました。あのときはとても恐ろしかった……。お二人はこの町を見て何か不思議なことに気づきませんでしたか」
「不思議なことですか」
「そうです。不思議なこと――この町には若い女性と子どもがいなかったはずです」
カナタはこの日までの出来事を思い出した。そうすると自然とその違和感が浮き彫りになってくる。女性がいなかったわけではないのだが、若い女性は確かに見かけていない。子どももミナトこそ見かけたものの、他の同じくらいの子どもは見かけていない。
「それって……」
「町の若い女性と女児はみな奴らに連れていかれました。返して欲しければ働いて鉱石を採掘しろ、と。子どもたちも健康な男児はみな鉱山で強制的に労働させられています。そうして町の住人は虐げられる生活が始まりました。上辺ではきちんと対価が支払われ、特に問題なく仕事をこなしているように見えるかもしれませんが、実際には奴らに搾り取られている状況なのです」
カナタは胸の内がもやもやするのを感じた。とてもじゃないが穏やかな話とは言えない。そんな非道の極みに、心がざわついている。
「なぜ……やり返さないのですか」
「もちろん初めは考えました。しかし、向こうにはブラックという屈強な男がいます。彼はこの町で一番の鉱員でした。最も強く、最も人を従え、彼に付いていくものも多くいました。我々の手では彼には敵いません。それからというもの、逃げ出せなかった住人はみなこの町に残っております。私が町長をしているのもある意味で偽装と言えるでしょう。この町の真実に目がいかないための」
二人は言葉を出せずにいた。悲しさとその向こう側の怒りの感情に、何を言葉にすれば正解なのかが二人にはわからない。この町の残された人々はそれぞれが何かを失っていて、仕方なく働いているのだ。彼らは訪れる人に本当は笑顔を作ろうと頑張っているのかもしれない。それなのに笑顔が作れないのかもしれない。背負っている悲しみが重すぎるあまりに。
「アイリスから派遣される騎士も今ではもういなくなり、もはや我々に打つ手は残されていないのです」
アイリスを嫌っているという意味もある程度は理解できる。騎士がいなくなってからこの町の治安は悪くなり、その矛先がアイリスに向くのも致し方ない部分もあるかもしれない。
「さて、私もこのことが知られたらまずいので、そろそろお帰りになってください。今日は町の紹介をしていたということにしましょう」
ゼフは笑っているようだった。この町とは不釣り合いの精いっぱいの作り笑いはそれでもどこかぎこちないものだった。その切なさと辛さの入り混じる作り笑いに、カナタは悔しさと悲しさを感じていた。
「なぜ僕たちに話してくれたのですか。そんな大事なことを」
「もともと誰かに話したかったのかもしれません。私が負うにはあまりにも重すぎる。あるいは――いや、ただの気まぐれかもしれませんな」
カナタとサクラは一礼をすると家の外へ出た。
家を出たすぐそばで、サクラは怒りを抑え込むように声を震わせて言う。
「絶対に許せないよ。絶対に。これは許されるようなことじゃない」
「それに関しては僕も同意だ。ただ、悔しいけど僕らにできることは多くない」
多くないというのはカナタなりの見栄であり、現実逃避でもある。知恵比べであればリパの町の一件のように、相手の油断を突くような形で一矢報いる可能性もなくはないだろう。しかし今回は力勝負であることが明白だ。その舞台でどうにかなる手段をカナタは持ち合わせていない。
「トッくんに頼めばいいんじゃない?」
「それは僕も考えた。だけど僕らがこの町を出たらどうなる?」
サクラは答えなかった。
そもそも三人の力で解決したところで、町を離れてしまえばまた同じことが繰り返されるだろう。つまりこの問題は町の人間が解決しなければならない。
辺りを見渡すとやはり若い女性は一人もいない。大人だけでなく子どもですら一人も。その光景は今まで見ていたものとまったく同じものであるはずなのに、カナタにはひどく色を失った世界に見えた。




