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彼が魔王になった理由  作者: 真
第一話 配られたカード
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08 『地の利』

 宿を回る仕事を終えると、行き交う人を数える仕事がまだ残っている。カナタは南西の入り口に着いたところで時計を見たが、すでに二時は回っていて、それから数えることになった。

 ただ数えるということにやや退屈さを感じてはいたが、カナタは黙々と数えた。この一件の始まりを思い出しながら。


 そもそもカナタはなぜこのような人助けをしようと思ったのか。それは初日の夜にうっかり見てしまった墓参りにさかのぼる。あのときに感じた他人とは思えない気持ちに、カナタは自分の為すべきことを理解したような気がした。人を失う悲しさというものは辛いものがある。長年一緒にいた人であるならばなおさらのことだ。何かきっかけがなければその悲しさを越えることはできない。だからこそ自分たちが日常を取り戻す一つのきっかけとなればいいという思いがあった。

 そもそもあの墓が一体誰の墓であるのか、青髪の少女に確認はしていない。ただカナタには直感的に感ずるものがあった。その運命とも言えそうな偶然がカナタの心をより強く動かしたのだ。


 カナタがふと時計に目を遣ると、四時を過ぎていた。それでも町を訪れる人は大勢いる。町の外にはこちらに向かってくる人影もまだ見える。

 数えるのを通して、カナタは印象が事実に変わっていくことを感じた。行商人の数がやはり多めではあるものの、人数で言えば旅人も相当数いることが浮き彫りになった。馬車などの車に乗る人の数を数えるのは困難を極めたが、その点はカナタは気にしていない。乗っている人にチラシを渡すのはそもそも困難だろうという考えもあったからだ。

 カナタは数えるのを止めると宿に戻ることに決めた。


 カナタが宿に到着すると、その後すぐにトオルも到着した。

 二人の持ち寄った状況を照らし合わせながら、旅人と思しき人にだけチラシを配ることが決定した。カナタが想像していたよりも旅人の数がずっと多かったからだ。

 その夜、彼らは作れるだけのチラシを作った。簡易地図に協力を明言してくれた宿のことを追記して。

 次の日の昼が過ぎた頃だ。この時間まで彼らはチラシを作っていた。何枚になったのかはわからない。ただ百枚や二百枚といった数ではないだろう。簡易的なものだから安っぽくは見えるかもしれないが、それでも書いてある内容はわかる。今日一日ですべて配るわけでもないから、相当な枚数になった。

 そしてそれらを旅人に渡す初日が今日だ。

 彼らの昼食は景気づけに郷土料理だった。この作戦が少しでも成功することをを願ったのだろう。


「じゃあこれを持って、トオルは東の入り口。僕は南西の入り口」


 トオルが無表情でこちらを見る。何か話が違うとでも言わんばかりに。


「チラシってここで配るんじゃないのか?」


 チラシを宿の店先で配ると勘違いしていたようだ。確かにカナタはそのことについては一言も触れていなかったかもしれない。


「ここで配ってもおそらく僕らの宿としては意味が薄い」


「どういうことだ?」


「考えてもみてほしい。店先でチラシを配っても彼らは歩いていく。もちろん留まる人もいるかもしれないけどね。ただ、人の量を考えれば通り過ぎてしまう人のほうが多いよ」


 事実、エステストのチラシを受け取った人も結局は流れに飲まれてしまう人が多かった。


「チラシを受け取って、書いてあることをきちんと読んでもらう。そのあとに選んでもらうわけだから、この北西のはずれで配っても読むまでにここを通り過ぎてしまう。僕たちにとっては効果が薄いと思うんだ」


「なるほど。だから離れたところで配るわけか」


「そうなるね」


「俺は東に行けばいいんだな?」


「頼んだよ。僕は南西で配る」


 二人は宿を出発した。




 カナタが南西の入り口に着くと、すでに人通りは多かった。人が川のように流れている。速さこそまちまちでそこまで速いわけではないが、いそいそと歩く人の進行を止めることは難しい。しかし、その中で会話をして歩く旅人はその速さが一段遅い。少し配りやすいのだ。カナタの旅人に配るという考えを後押ししたのはこの配りやすさでもあった。


「郷土料理が食べられる宿です。どうぞー」


 そう言いながらカナタはチラシを配る。この入り口から来るのは王都から出てきた人だ。ここで配る意味は大きい。王都にも高級肉はあったはずだからだ。もし王都で食べてきたとなればこの町で再び食べる意味は薄いだろうし、仮に食べていないのであればそこまで金銭的な余裕がないとも考えられる。もちろんエステストの高級肉は異常に安いわけで、すべての人間に当てはまるわけではないだろうが、当てはまる人間は少なくないとカナタは考えていた。

 カナタが順調に配っていくと、みるみるうちにチラシが減っていった。三時を前に持ってきた半分以上を配ってしまったため、少しゆっくりと配るように変更した。より配るべきなのはより遅い時間である。この町に滞在することを確定させている人に配ることが大切だ。三時という時間はまだこの町を出て移動できる時間であるかもしれない。この点についてはトオルに確認するべきだったとカナタは思った。カナタは王都以外の地理に疎い。しかし、すでに動き始めた歯車を止める道理ではないのも事実だ。

 そして案の定ともいうべきか、四時前には配り終えてしまった。カナタは早く配りすぎたと反省するも、することがなくなってしまい宿へ戻ることにした。


 半分は期待。半分は不安。それらがカナタの心を支配している。もちろんやるべきことをやったつもりだという自負がカナタにはあった。お客さんを呼ぶ手段としてこのやり方は間違いでないという思いがあり、そこに期待がある。その一方で、この作戦が失敗した時の恐怖もある。何一つ結果を得られなければ、これまでの努力は無駄だということになる。その二つがカナタの心を苦しませる。期待が大きければその分不安も大きくなる。振れ幅のある感情は、何も感じていないときよりもひどく体力を消耗する。それはカナタが初めて教会に行ったときにも似ていた。これから始まることへの期待と、自分は何もできないんじゃないかという不安。今、カナタはその間に立たされている。

 しかし、その心配はいい意味で裏切られることになる。

 コノハに近づくと、店先に人がいるのだ。宿の中をうかがっている様子も見て取れる。もしかしたらカナタの知らないところでこういう場面はあったのかもしれないが、カナタにとっては初めての出来事だ。それはカナタが自分の与えた影響を実感するには十分だった。

 カナタが店に着くと中にはすでに客がいて、なぜかサクラがその相手をしている。カナタは店に入ると、サクラに言う。


「外にもお客さんいるけど――」


「あ、カーくんちょうどよかった。手伝ってよ。この紙に料金書いてあるから、それでお客さんに確認して。そしたら私が部屋まで案内するから」


 サクラは続けざまに「お待たせしました。今ご案内しますね」と言って、目の前の客を案内していった。

 カナタは何かを達成したのではないかという気持ちで一杯だった。その嬉しさというのはこれまでに類を見ないものだ。胸の内側から止めどなく湧き上がる幸福は、その境界線をあっさりと越え、カナタの表情に形となって表れる。溢れんばかりの感情に何か自分が壊れてしまったのではないかと錯覚するほどだ。

 サクラに取り残されたカナタは、体を震わせながら、背後の戸が開けられる音に気づく。振り返ると、三人組の客がカナタの目に入る。その男たちはカナタのそんな感情を何一つ知らない。彼らの口から出る言葉は客としてごく当然のものだ。


「あのー、今日ここに泊まりたいんですけど」


 カナタは当然の言葉だからこそ嬉しかった。その言葉こそがこの現実とは思えない状況を唯一現実に繋ぎとめるものなのだから。体中を走るなんともいえない愉悦を感じながらカナタは答える。


「いらっしゃいませ!」


 あまりの声の大きさに、客は少し驚いていた。




 この日は十組以上の客が宿泊する運びとなった。カナタが帰ったときは最も混んでいたときのようで、その後はそれほど固まって客が押し寄せることはなかった。それでも十八部屋しかない宿にこれだけの客が泊まるのだから、繁盛していると言って良い盛況ぶりだ。

 しかしこれは嬉しい反面忙しすぎるところがある。人手の足らなさから、夕食ではカナタもトオルも配膳の手伝いをすることになった。厨房に入ってしまうとむしろ邪魔になってしまうということで、厨房から出された食事を指定された客のところに持っていく仕事を任された。食事する机に部屋の番号が書かれた札を置いておくことで上手く対応できた。

 すべてのお客さんの食事が終わるとようやくカナタたちの食事になる。夜も相当更けた時間となった。


「手伝ってもらっちゃってごめんなさいね」


 フタバがカナタたちに食事を持ってきた。さらにこの後遅くに彼女が食事をするのだろうかと思うと、カナタは少し申し訳なさも感じた。


「でもお客さんも結構来てくれたみたいで」


「久々に大忙しだったわ。まさかこんなにお客さんに来てもらえるなんて思ってなくて」


 フタバさんは嬉しそうに笑う。そして少し間を置いて「別にあなたたちのことを疑ってたわけじゃないのよ」と付け加えた。


「わかってます。でも僕も本当にうまくいくかは半信半疑で」


「俺には自信ありそうに見えたけどな」


「考えたときはそうだったけど、実際にどうなるかはわからなかったよ」


 事実、最後のころは不安のほうが勝っていたかもしれない。自分のしていることが大したことじゃないようにカナタは感じてしまっていた。その不安がすべて拭い去られてカナタは安堵している。


「何も考えずに仕事ができて本当に良かったわ」


 フタバは話し始めた。すこし切なそうな顔色で、優しく。


「実は、この旅館を畳もうかと思ってたの」


 それはカナタたちにとって思いがけない告白だった。


「少し前に私たちは夫を亡くしたの。それで私はよくわからなくなってしまって。気づいたら宿のこともうまくできなくなっていて、お客さんも離れていったわ。でもそれすらそのときはどうでも良くなってしまった。だってもう生きている意味なんてないと思ってしまったから。もちろんこのお店を畳んでも私たちに生きる方法はないの。だけどそれでもいいかなと思うようになってしまった。そうした中で現れたのがあなたたちだったわ」


 カナタたちは静かに聞く。


「でも、やっぱりお店は続けようと思うわ。今日は本当に楽しかったのよ。こんなに忙しかったのは久しぶりだし、昔のことを思い出したわ。この宿をあの人と頑張っていた日のことを思い出して思ったの。私にはこの宿を守らなくちゃいけない理由があるって。ヒトハは守らないといけないし、何よりこの店には夫との思い出がたくさんある。ここにいればそれが思い出せるわ」


 フタバさんは頭を下げる。カナタはそれを見て驚く。


「本当にありがとう」


「いや、そんな、頭を上げてください」


 カナタは慌てながら言う。


「僕らもやりたくてやっただけですから」


 それにカナタにとってはまだこれで終わりではない。この一件でコノハは確かに復興の兆しを見せるかもしれない。それは嬉しいことだ。ただ、カナタにはもう一つ心に残っていることがある。

 エステストだ。

 客を騙しているのかどうかもまだはっきりとはしていない。あくまで仮説だ。しかし真実をはっきりさせたいという思いがカナタにはある。そのためにはしばらくこの動きを続ける必要がある。


「フタバさん。もうしばらく手伝ってもいいですか」


「私は構わないけど、みなさんは急ぎの用事では?」


「急ぐ必要はある?」


 カナタはトオルに尋ねる。


「特にはないな。さすがにずっといるってのは無理だけどな」


「ということで、もう少しお願いします」


「いえいえ、こちらこそ」


 サクラが「また何か考えてるの?」などと言う。カナタは「ちょっとね」と答えた。

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