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彼が魔王になった理由  作者: 真
プロローグ
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プロローグ1 『カナタの日常』

「世界は平和でなければならない。平和でなければ世界はその形を維持できないからだ。」


 この世界に誕生した一人の青年の言葉であり、また、一人の英雄であったアレスの言葉だ。彼は世界中の悪という悪を排除し、この平和な世の中を作った。もちろん彼一人の手柄ではなく、共に戦った仲間も少なくない。

 かくして世界から悪は消え去り、平和な世界が訪れた。


「ありとあらゆる選択肢の中から、変わらないということが最も難しいことだ。」


 これはアレスが世界の王に君臨してから数年後、彼に親しい間柄の人間が語った言葉と言われている。一時は栄華を極めたこの世界にも、堕落や怠惰という負の感情は消えなかった。

 王アレスの内政は最初期においては何の問題も起こらなかった。いや、起こるはずがなかったとも言えるだろう。彼の信頼は揺るぎのないものであり、その一挙手一投足のすべてが肯定的に捉えられたからだ。この平和な世の中が永遠に続き、その中で人々は発展していけると信じてやまなかった。

 しかし、時が過ぎるにつれアレスの信頼は崩れていった。彼の行動の一つ一つに納得のいかないものが増えてきたからだ。彼はその圧倒的な権力を盾に、いつしか英雄としての誇りをも忘れてしまったかのようだった。民は民でこれもまた怠惰な生活をするものが増えていた。裕福さゆえに彼らは歩み方を忘れてしまったように思えた。



 そんな王の住む城の城下町の一角の、小さな鍛冶屋にカナタはいた。

 彼は父親と二人暮らしだ。たいていの日は教会に通い勉学に励み、家に帰ると父親の跡を継ぐべく鍛冶の腕を磨いている。物心ついたときからずっと。


 そんな彼が十五歳になったある日。その日も彼の父親はいつもと変わりなく武器を鍛えていた。熱されて真っ赤になっている鉄のそれを一気に叩いては、獲物に狙いを定める野生動物のような目でその出来を確認している。カナタも息を殺しながらその一部始終をじっと見守っている。この光景を何年も何年も見守って来た。カナタにとって鍛冶屋というのは未来の一つだった。

 沈黙が破られたのは父親が手を休めたときだった。


「カナタ、そろそろお前も外の世界を見て来たらどうだ? 昔と違って今は平和だ。危険も少ない。確かに最近またモンスターが増えてきたという話もあるが、それでも昔よりは遥かに少ない。それにまたモンスターが増えるとなれば、今しか外の世界を見ることはできないかもしれない」


 父親はカナタに目を合わせない。彼の目の前にあるのは熱された鉄の棒だ。薄く延ばされた形状からナイフを作る過程であることがカナタにも容易に想像できる。


「父さん、何回も言ってるだろ? 僕はこの鍛冶屋を継ぐんだから外の世界なんて興味ないよ」


 カナタは笑って答える。このやり取りはこれまでに何回も繰り返されている。いつもと変わりのないものだ。カナタの頭には跡を継ぐ以外の考えは今のところない。カナタはずっとそう思ってきたし、これからもそうだろうと思っている。今日がいつもと違うとすれば、父親が少し話を延ばしたことだ。

 赤や黄の光を放つ炉に鉄の棒を入れながら、父親は言う。


「父さんはな、これからの世界は武器や防具じゃないんじゃないかと思うんだ。町のみんなはあんまり良いこと言わねえけど、アレス王だってそんなに悪いやつじゃねえよ。むしろ荒れ果てたこの土地や世界をまとめてくれたんだ。いい人だと思うし、そうに違いない。お前にはもっとたくさんのものを見たり聞いたりして、それで自分のことを決めてほしいんだ。初めっから鍛冶職人しか頭にない。そんな中で跡を継ぎたいなんて言われても嬉しくもなんともねえしな」


 カナタには返す言葉が見つからなかった。

 確かにカナタが見てきた世界は狭い。むしろ世界のほうが広すぎるんじゃないかと思うほど彼の見てきた世界は狭い。カナタに幼少期の記憶はあまりないが、少年時代のほぼすべてをこの町の中での暮らしに費やしている。その上、町の外に出たことなど数えるほどしかない。一度父親に連れられて近くを歩いたことは覚えているが、それですらうろ覚えだ。この先のことを思うと、このままで良いのだろうかという不安を持っていないといえばそれは間違いなく嘘だ。


「すぐに見て来いってわけじゃない。見てきたほうがお前のためだってだけだ。もし俺の跡を継ぐとしても、世の中にどんなモンスターがいてどう身を守ったり戦ったりすればいいのかわかんないんじゃ話にならねえからな」


 そう言って父親は再び炉から鉄を取り出し、ハンマーでそれを叩きつける。カナタは知っている。これが叩く作業の仕上げであることを。

 カナタにとって、町の外は未知の世界に等しい。町の外には自分の見たことのない世界があるのだろう。その思いはカナタを想像の世界へ連れて行き、カナタは町の外に思いを馳せた。いや、馳せようとした。ところが、あまりにも情報がなさすぎて想像することすら許されなかった。

 父親は「これでよし」と言って今鍛えていた刃物をゆっくりと水の中に入れると、大きくため息をついて部屋の奥へ歩いて行った。

 水が熱せられて湯気へと変わっていく様子を、カナタはじっと眺めていた。




「町の外……ねえ」


 城下町の十文字大通りの横路を、カナタは独り言ちながら歩いている。この通りの朝は仕事に向かう人などでごった返している。獣を使った車が何台も行き来し、開店前の店はその準備や掃除を始める。中には、そんな忙しそうな人々を傍目に、店先の椅子に座ってこの光景を見守る人もいる。様々な人が様々な思いで一日を始める。そんな十文字大通りを、カナタは歩いている。


 カナタは父親の話を思い出していた。

 町の外に興味がないと言えば確かに嘘になる。ただ、何か自分を動かすような大きな切っ掛けがないのも事実だ。気づいたころには父親と二人暮らしで、不自由がないわけではないが、特につらいこともなく暮らしてきた。それをあえて投げ捨てるような、そんなきっかけなど見当もつかない。

 目的地である教会に着いても、友人を待ちながらしばらくカナタは考えていた。


「待ったか?」


 友人のトオルが現れた。短めに切られた赤い髪に、どちらかといえば細めの目。茶色いマントを羽織っていて、身長も人並みにあり一見やさ男に見えなくもない。しかしその隠された肉体には子どもにしてはなかなかの筋肉が備えられている。

 トオルはカナタと同い年の少年だ。教会で学んでいることは違うものの、すぐに仲良くなった友人でもある。トオルの物怖じしないところが良かったのか、カナタの人あたりの良さが功を奏したのかは定かではない。しかし、性格の割には馬が合う。トオルは魔法学を勉強していて、彼には素質がある。素質というのは、要は家系による血筋のことで、純血はその少なさから重宝されている。トオルはその純血で、いずれは王に仕えるであろうという未来が確約されている。


「あのさー、いきなりなんだけど、明日って暇? ちょっと用事があって付き合って欲しいんだわ。別に難しいことじゃないと思うんだけど、万が一のことを考えてさ、頼む!」


 トオルはあたかも一生のお願いとでも言わんばかりだ。合掌して頭を思い切り下げる。トオルが何かを頼むときの姿勢だが、カナタはこれまでに何度も見てきている。


「別に構わないけど、今度は何?」


「いや、今回こそは本当にまじめなお願いなんだよ」


「なんかあった?」


「あったというかなんというかさ、ほら、俺って来週誕生日だろ? なんか俺の家では十五歳の誕生日に使う、コシソウってやつ? それを自分で取ってこないといけないしきたりでさ」


 コシソウというのは、独特な苦味を持つ草だ。町から北東にしばらく出たところにある湖の、その周りに生えている。十五歳になるときにそれを煎じて飲むことが習慣になっている。その苦味は強く、一部に熱狂的な嗜好者がいるとされている。しかし、ほとんどの人間は十五歳のこのとき以来飲むことはない。カナタも例外ではないだろうし、トオルも例外ではないだろう。


 行き先がすぐそばの湖ということもあって、カナタは「ちょうどいいね」と快諾した。トオルは「ちょうどいい?」と引っかかっていたようだった。

 カナタにとってこの申し出は町の外に出るチャンスだった。湖であればそう遠くはない。まず間違いなくその日のうちに帰ってくることができる。それでいて町の外がどんな場所なのかを少しばかりではあるが知ることができる。それはカナタにとってとても都合のいい機会だ。


「でも、一人でも十分探せるものだろうけど?」


「二人なら二倍早く探せるだろ?」


 自分で取ってこなくてはならないという部分について、カナタは深追いしなかった。

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