八幡原の激戦 前夜
ある日のことである。虎千代に話しかけるものがいた。
「虎千代、よいか?」
「おお信廉兄上ではありませぬか。いかがなさいました?」
「お前は父上の死について知っておるか?」
「いえ、知りませぬが?」
「そうか・・・、お前ももう13だ話してもいいだろう。実はな父上はな、兄上によって殺されたのだ。なぜかはわからんがな。」
「それは真ですか?」
「いかにも、わしはこの目で見たのじゃ。今は亡き板垣殿と甘利殿とともに父上の首を落とすところを。そのときわしは臆病で怖くて何もできんかった。」
「なぜそれを私に・・・?」
「お前には力がある。それを恐れて襲うかもしれん。気をつけよ。そうじゃ、言い忘れていた。晴虎、おぬしはおなごじゃそれもよろしくな。」
「え?何を言っているのですか?私は男なのですよね?」
「父上はおっしゃっていた。お前が生まれた時に男として育てる。並の男よりは強くなるとも言っていたな。そういうことじゃ。あとこの話は絶対に外に漏らすなよ。大変なことになるからな。」
といって去っていった。兄が父を殺したことを知ったこの時から兄、信玄に対して不信感を抱きはじめたのである。
その翌日、信玄に呼び出された。
「おお、虎千代か。おぬしももう13じゃ。元服する頃じゃな。名は・・・わしの旧名晴信の「晴」と、虎千代の「虎」を取り「晴虎」と名乗るがよい。」
晴虎はありがたき幸せとのみ答え、自分の屋敷に戻った。甥の勝頼にはあり自分には宴がなかったことに気づき、
「兄上は私を警戒しているのか・・・」
とつぶやき、不信感を強めていった。
1561年、初陣となる合戦に出陣していた。有名な川中島の戦いである。晴虎も軍の方針会議に出ていた。軍師の山本勘助などが出席していて、全員集まったのか信玄が口を開いた。
「ずっとにらみ合いの状態が続いておる。この状況を打破せねばならん。この戦いが我々の命運を分けるものじゃ。何としてでも勝たなくてはいかん。何か策はないか。勘助、幸隆?」
「殿、この勘助に策がございます。」
「なんじゃ、勘助?」
「二手に分けた兵で相手が陣を張っている妻女山を攻め、降りてきた上杉軍を残りの平野の兵が待ち伏せして、挟み撃ちにする啄木鳥戦法はいかがてしょうか?」
「良い案じゃ。異論はないか?」
他のものは全員賛成したがただ一人晴虎は、
「兄上、それは難しいと思いまする。敵には宇佐美定満など知略に優れた武将がおりまする。その程度の策は見破られまする。」
と反論した。が、信玄はこれを無視し、別働隊を馬場信房に任し、作戦開始を深夜として攻撃を開始するのである。